このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
(天照大御神の心御柱)
(三柱の神の宇宙)
(聖書において命の木のカバラの示すこと)
(イエスは御父による人類のいいなづけだった)
(イスラエルの十二と永遠の命)
(聖書に書かれていたお釈迦様のこと)
一二三祝詞がイスラエルの七七四十九の大贖罪日の祝詞だったなどと信じられる人いないのかしら。古事記が聖書を軽く上回る預言書だなどと、多分ほとんどの日本人は終わりまで知らないわよ。
私は知り得たことはすべて記事にしてしまっていて、もうネタ切れでしょと毎日思うのだけれども、翌日目覚めるとネタが降ってくるのよ。真名井の深淵から湧出する清水の如くね。
横須賀の異臭騒ぎ終息していないでしょ。この騒ぎはね私に言わせると八百八十八の異変なのよ。神変により呼ばわる神様の声なの。その声のことは誰でもが聖書で知っているのよ。しかしこの世は神仏を思い切り黙殺しているでしょ。
神様は数霊でも呼ばわるの。黙示録の六六六と七七七でしょ。その聖書の時代から2000年を経た九九九の神奈川でしょ。そしてまた八八八の神奈川で神さまの呼ばわる声がしているの。この声には誰も気が付かないでしょう。そうと気が付く私がかなりの変人なのよ。
宮様の立皇嗣の礼が十一月八日に決まったでしょ。この日取りを日本のお祭りのクロスに当てはめてみるとものの見事に今の時代にマッチしているの。
令和二年十一月八日で年月日までぴったりでしょ。このクロスの持つ数は七八九の八、七五三の五だったでしょ。真ん中の数なの。一二三に当てはめると二なのよ・・・
あらら、また気が付いた。お祭りのクロスは三本柱なのだけれども、それぞれが七八九と七五三の他に一二三もぴったりと当てはまっているじゃないの。昨日一二三祝詞の記事を書いたばかりなのよ。
十二か月はどの月も三本柱のお祭りの数霊に収斂されてしまうの。この数霊が十種の神宝なのよ。一から九までの数霊が日本のお祭りですべて一二三に収斂されてしまうのよ。
命の木の七五三縄
その数霊の解釈のもとになるのが聖書と古事記なのよ。日本のお祭りのことはそこにすべて書いてあるのよ。
この数霊のお祭りに基づき預言が成されてきたのよ。そしてそこに神変が加わりその預言が成就してしまうのよ。
そこには日本語の言霊まで関与しているのよ。それが日本語の50音で一二三祝詞なの。命の木の二十二本のパスがヘブライ語の22音と対応している事が拡張させられたカバラになっているのよ。
そのように解釈した時に今年の出来事の誰にも知られていない摩訶不思議さが飲み込めるの。COVID-19で一旦延期させられた立皇嗣の礼が十一月八日に執り行われるという事が暗示している意味が。
そこに横須賀の異変が大祓の六月から続いているという事が加わり、夏越の祓から年越しの大祓迄の七か月を神様の七日間と考えると、十一月は六日目なのよ。六日目の晩は夜明けの晩なのよ。以上の数霊とお祭りの柱から推測できる言霊が、
古事記によれば
そこより入り幸でまして、走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、船を廻らして得進み渡りたまはざりき。こにその后、名は弟橘比売命白したまひしく、「妾御子に易りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政遂げて復奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りたまはむとする時に、菅畳八重・皮畳八重・絹畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。是に其の暴自ら伏ぎて、御船得進みき。ここに其の后歌曰ひまひしく、
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
とうたひたまひき。かれ、七日の後、その后の御櫛海辺に依りき。すなわちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき
横須賀の走水神社にある石碑と海に沈んだ弟橘姫の御製なのよ。この物語に八八八の数霊が埋め込まれているでしょ。
そしてもう一つ重要な言霊が東征を終えた倭建命が、神奈川県の足柄の坂で発した「吾妻はや 吾妻はや 吾妻はや」という言霊なの。それが東国をあづまと呼ぶようになったいわれなのよ。
倭建命が火中で振るった剣が草薙剣で、素戔嗚尊の大蛇退治の時に大蛇の体内から出て来た剣なのよ。弟橘姫の櫛が流れ着いたのも、大蛇退治の時に櫛に変えられ、救われた奇稲田媛の暗示で大蛇退治と切れない間柄なのよ。
この走水の物語は何を言わんとするかというと、八八八の数霊と「吾妻はや」という言霊は伊弉諾尊が黄泉比良坂で投げた三つの桃だと言っているのよ。
八と五と二の数霊を持つ柱のお祭りが真ん中のお祭りで三つの桃の中心のお祭りなのよ。二月二日が豆まきの日でその対角の八が桃太郎さんの数霊だったでしょ。
そして古事記のお祭りが全て聖書に由来するという事を考えれば御言葉と連結されていなければならないの。私の気が付いているだけで二つあるの。
創世記 3
24こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
ヨハネによる福音書 21
17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
この二つの聖書の御言葉の内に三つの桃の言霊と火中の剣と吾妻と東が含まれているでしょ。それが三柱の中心のお祭りで、文字通りの御柱のお祭りなのよ。
渡海を妨げられた倭建命が弟橘姫の助けにより彼岸へ渡られたように、立皇嗣の礼が妨げられても御柱の神様の呼ばわる声に導かれ、羊は彼岸を目指すのよ。そのような年周りを示す八八八なのよ。
天皇と皇太子(皇嗣)の関係性は御父と御子の関係性でしょ。
そして九九九と八八八ときたら残るは七七七なのよ。神の怒りの盛られた七つの八なの。聞き分ける羊には七千年祭と八千年祭よ。それで正解なの。
神様の事は黙殺しない方がいいのよ。横須賀の異臭騒ぎどのように終息するのかしら。九九九も八八八も神奈川だし、やはりその名の通りに神様の川が埋め込まれているのかしら。としたら七七七も?
阿吽
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