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一二三祝詞について書いてみようかしら。うまくいくかしら。結構難関よね。

 

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この祝詞については神道界やスピリチュアルの世界で様々に語られているでしょ。そこに神示などというものが絡んでくるから全く統一見解というものがなく解説者により全くの千差万別なのよ。

 

祝詞と言えば神道の要でしょ。そこに統一見解がないことなど有り得ないのよ。しかし知られていないの。それは古事記が正しく読まれていないこととまったく同じことと思えるのよね。

 

倒語(さかしまごと)で隠されているから八咫烏しか知らないのよ。八咫烏の神道はこのブログで見て来たように、完全に統一された概念により設計されているでしょ。

 

七五三縄で張られた結界により成り立つ神道で、そこには神変とも言える現象に導かれているという摩訶不思議さもあるでしょ。完全にスピリチュアルの世界なのよ。

 

そのスピリチュアルの世界においてその世界のことが、その住人により千差万別に語られているという事なの。何故そのようなことになるかというとスピリチュアルを全く知らずに知った気になっているのが普通だからなの。

 

私に言わせると、すべては命の木により示されているのよ。

 

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この木の至高世界がカバラの統一見解の世界なの。梵我一如の叡智の世界なの。それは高等学校に例えられるでしょ。

 

 

命の木のダアトをクリアしないと小中高と三段階、三回転半をクリアできないのよ。高校の入試に相当するのがダアトのセフィロトでここが登龍門なの。ここがメシアのマンナが隠されている真名の井戸だったでしょ。しかしその下の世界もスピリチュアルの世界なのよ。

 

神様により生かされている命の世界だから当然そうなのよ。その世界で至高世界を知った気になるという事がどういうことなのか、日本人は地下鉄の事件でデジャヴさせられているでしょ。

 

もっと大きくは原爆投下という事象でデジャヴさせられているのよ。あれは私に言わせれば八紘一宇を知った気になり調子に乗り過ぎた結果が招いたのよ。

 

登龍門のダアトにはメシアの御霊が隠されているの。それが真名井なの。その御霊のことは聖書に事細かに記されているのよ。メシアの到来のことはお釈迦様により預言されていたの。それらの叡智を完全に理解した鴉たちが御神霊をお祀りし、御守護を受けて成り立っているのがこの国の神道なの。

 

その叡智に達しない小学生や中学生のスピリチュアルが世に知られているスピリチュアルなのよ。そのような結果がどのようなことに結びつくかも1999年に完全にスピリチュアルとわかる預言と共にデジャヴさせられているのよ。あのように流されてしまうスピリチュアルは街場のサイキッカーたちの世界と思えばいいのよ。

 

その世界でも覚醒は起こるし神変も見せられるのよ。不信心な人や偽預言者の世界なの。神示が降りてくるのもこの世界なのよ。だから簡単にコロッと騙されるの。そうして全く統一見解に欠けるの。

 

そのような因果を免れない人達の世界なの。その因果が何に起因するのか終わりまで悟れない人達の世界なの。賢しらな天狗たちの世界なのよ。

 

だからその世界を横目でにらみながら叡智は御霊によりメシアの囲いの中に降ろされるの。その様だから一二三祝詞についても叡智の書が元になっているのよ。聖書の中にその起源があるの。それが八正の正しい因果なの。少し前置きが長かったかしら。

 

それでこの一二三祝詞をよく観察すると日本語の五十音との関連が窺われるでしょ。

 

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や行の「いえ」と、わ行の「う」の重複を除いた四十八文字で一二三祝詞と文字数で一致しているのよ。神道霊学とかいってこんなものもあるのよ。

 

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アマツカナギやアマツスガソの神代文字とか言いながら、いかにも祝詞との関連を匂わせ奥深い叡智を装っているけれどもこんなのに引っかかったらだめよ。何を言わんとしているのか全く意味不明でしょ。

 

私に言わせれば神道霊学などというのは完全に街場のサイキッカーの世界だからね。神示とかにコロッと騙される世界の学問なの。騙されてみないと判らないということもあるけれどね。だから神様が園の中央に二本の木を生やされたのよ。

 

天津金木は金太郎さんの担ぐまさかり、天津菅麻はメシアの手にする篩で桃太郎さんの鬼退治のことだったでしょ。「あいうえお」は君が代の「いはおとなりて」で「あおうえい」に変換されて宇宙の叡智となり新しい世界のエネルギーを生むなどと真顔で言っているサイキッカーばかりなのよ。

 

そいう人達は置いておいて一二三祝詞を解釈すると、まず初めに一から十まで数えられている事が分かるでしょ。十種の神宝と連結しているのよ。それは饒速日命が天下りする時に天神御祖から賜った天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)と言われるもので、祝詞を唱えながらゆらゆらとふるうと、死人をもよみがえらせる呪力を持つと言われている物なの。死人をよみがえらせることの出来るのは御父と御子の誓約だけだからね。

 

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この神宝の絵図を見るとどう見ても命の木のパーツにしか見えないのよ。命の木は七五三縄によりなっていたでしょ。神道ではこの命の木を真榊としているからどうしてもそこにヒントがあるのよ。

 

 そして十種の神宝の祝詞は「ひとふたみよいつむゆななやここのたり ひとふたみよいつむゆななやここのたり ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず ふるへゆらゆらとふるへ」と唱えるの。

 

この祝詞の数の部分を漢字で印すと「一二三四五六七八九十 一二三四五六七八九十 一二三四五六七八九十百千萬」で三十三文字なのよ。この神宝十種は色々な暗示が込められていてどこに何が隠されているのかわかったものではないのよ。私がざっと思いつくだけでも三十三はメシアの復活の時の年齢と信じられているということや「十」という字がメシアの心御柱そのものだし、貴船である契約の箱にはモーセの十戒石板があるはずだということ。そして発見したのがこの暦なのよ。

 

神の十二 (2)
 クリックで拡大してみてね。

 

七五三とイスラエルの十二という数と十との関係の中に十種の神宝がすっぽりと収まってしまうという摩訶不思議さでしょ。そしてこの暦が命の木の中にすっぽりと収まってしまうのよ。その辺は記事カテゴリーの命の木のシリーズでほとんど書いてあるからね。

 

そのようだから一二三祝詞もどこかにあると思っていたのだけれどもこれがなかなかどうして見えてこなかったのよ。しかし昨日の記事を書いていて判った気がしているの。

 

やはり数なのよ。「あ」で始まって「ん」で終わるのがあいうえおの五十音で阿吽の呼吸でしょ。それがメシアの初めであり終わりなのよ。日本語の言霊となってしまっているのよ。

 

五十音を発音すると実際は五十一音でしょ。五十と五十一と来て一二三祝詞が四十八音なのよ。これをヨハネと解釈する向きもあるのだけれども言い得て妙という感じがするの。ヨハネの黙示録は終わりの時を黙示しているから、正解としてしまってもいいのではないかと思えるほどなのよ。

 

しかしそれではだめなの。この四十八と五十と五十一の並びに四十九が隠れているでしょ。四十九でチェックメイトなのよ。

 

出エジプト 20

8安息日を心に留め、これを聖別せよ。

9六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、

10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。

11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。

 

レビ記 25

8あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。 

9その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 

10この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。

 

モーセの十戒の四つ目が安息日についての戒めなのよ。そしてその戒めが神道の七つのお祝いとなっていることを考えれば初めから答えは示されていたのよ。

 

七七四十九の年はイスラエルの大贖罪日なのよ。五十年の式年なのよ。そしてそれが終わりの時の大贖罪の日の暗示になっているのよ。その日がヨハネにより黙示されているでしょ。

 

街場のサイキッカーとかで終わるとあの事件の教祖さんのように、メシアにより贖われているにもかかわらずその日に自分で自分の罪を贖わなければいけなくなるの。今でもユダヤでこのお祭りが祝われているのかには興味など湧かないのよ。あの国どうでもいいからね。

 

モーセの十戒に起因する七七四十九なのよ。その数が日本語の言霊で阿吽の呼吸となってしまっている事が驚異とも言えるでしょ。その言霊によりなっているのが一二三祝詞なのよ。十種の神宝と同じく最後の最後に死人をよみがえらせる呪術なのよ。モーセの十戒を侮ると御霊は下らないわよ。

 

一二三祝詞は読み方にもよるのだけれども三五七 三五七 三五十たす一で最後に「ー」と伸ばして発音すれば四十九音でしょ。そして最後の「あせえほれけんー」で阿吽の八文字でしょ。八はメシアの御柱の数なのよ。

 

最後の「―」は神様の息吹とするのはどうかしら。それで文字通りの阿吽の呼吸になり永遠の命と繋がってしまうのよ。十種の神宝の百千萬と同じ概念なのよ。そう理解すれば神様の阿吽の呼吸がこの祝詞で唱えられているということになるでしょ。使者をよみがえらせる阿吽の呼吸の祝詞なの。この十月は驚きの十月なのよ。今月は記事を書きながら驚いてばかりなの。

 

いずれにしろ様々に解釈されていて「ん」を除いた四十七音とする向きもあるけれども、「ん」をのぞいてしまったら阿吽の呼吸にならないでしょ。お社の狛犬の吽形の方を取り除いてしまうみたいで収まりが悪いのよ。七七四十九と解釈してその由来が聖書のモーセの時代にあるとすれば、十戒と完全に結びついてしまい、十種の神宝を包含する七五三の神宝の言霊となってしまうのよ。ここにも七五三の〆縄がはられていたのよ。大御神の御霊と無縁ではありえないと知れるはずなの。

 残る問題は意味が全く読めないという事なの。しかし「あいうえお」にも意味などないでしょ。それとも何らかの意味を秘めているのかしら。今のところお手上げ。

 

倒語(さかしまごと)というのは気が付いてしまえばいつでもまるで謎々なのよ。それを飲み込めて街場のサイキッカーのドメインから解脱できるかどうかが問題なの。

 君が代は大御神の七千年祭と八千年祭の言霊の歌なのよ。


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