このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
(天照大御神の心御柱)
(三柱の神の宇宙)
(聖書において命の木のカバラの示すこと)
(イエスは御父による人類のいいなづけだった)
(イスラエルの十二と永遠の命)
(聖書に書かれていたお釈迦様のこと)
二度目の征伐で頭に致命傷を受け死んだと思われていた国が獣に憑依されて海から上がって来たでしょ。この時は1875年もの間縛られていたのよ。それはやがてやってくる幽世で千年の間縛られている竜が解き放たれ黄泉に釣瓶落としにされることの型映しになっているでしょ。
千年の間は子羊の婚宴の大宴会でしょ。だからこの世での1875年間も婚宴の相似相だったのよ。それはA.D73年から1948年までなの。
その間に失われたイスラエルが建国され原型だった邪馬台国が大和朝廷に引き継がれ平安の雅でこの国の文化の基層が築かれたでしょ。それが婚宴の時代だったのよ。
その象徴が桃の節句の京雛だったの。そして婚宴がお開きに近づいたころに弟橘姫の海から最初の獣が上がってきたの。そして1940年にこの国は八紘一宇となり婚宴が終わったのよ。婚宴が終われば一つの家族でしょ。天が下の一つの家族と宣言されたの。
それと時を同じくして二匹目の獣が中東に上がってきて完全に解き放たれたのよ。極東のこの国には偽預言者が蔓延ったの。
その時がこの世での三度目の征伐の始まりだったのよ。
このころには京雛の左上右下が関東雛の右側優位の並びと併存する下地は整っていたでしょ。京雛の左上右下は玉座に正対する形なのよ。だから玉座と対面した神前結婚の形だったのよ。
神前結婚が一般に普及するきっかけを作ったのは大正天皇で、右側優位も大正天皇がはしりなの。その右側優位で関東雛は左右が入れ替わり鏡像となったの。前面の後面透過した玉座の形となり後ろから拝する形なのよ。
関東雛 前面の後面透過の鏡像 玉座を後ろから拝し前面が透過して見えている。命の木と同じ配置
京雛 正対
それは平安時代から続いた婚宴のお祭りの終わりを意味しているのよ。少し難しいかしら。男神は左回り、女神は右回りで天の御柱をめぐったの。内裏の天皇と皇后の左右は入れ替えることができても、神様の左上右下は絶対に動かせないのよ。
大正天皇の時代に平安の雅の京雛の婚宴の終わりが暗示され、すでに最初の獣が上がって来ていたその時代に大正ロマンという名の欧米化で獣の憑依が表面化し、その天皇により神前結婚の一般普及の基が築かれていたという摩訶不思議な時代だったのよ。
大正天皇が初めて神前結婚の前例を作った時は皇太子の時代で、その時の式は左上右下の並びで行われていなければならないの。諸外国の外交儀礼にならい皇后の右側に立つように改めたのは天皇に即位してからとしか考えられないの。
その天皇の崩御が十二月二十五日で天皇の例祭となっているの。そして獣が天から火の雨を降らせて以降は憑依が決定的になった印として、その日があのお祭りとして定着したのよ。あのお祭りは獣の国の宗教のお祭りだからね。そのことも摩訶不思議でしょ。
だからあのお祭りはとどめの征伐の時代にこの国が憑依された事の印となっているのよ。その日から七日間がこの国のとっても大事な神様の七日間で大祓の七日間なのよ。
征伐の時代は八十年近く続いているの。二十世紀末から今年あたりにかけての異変はその征伐が大詰めを迎えている事のサインのように思えるでしょ。
最後の一人が神様に印をつけられたら一気に片を付けられるとヨハネにより黙示されているの。その時が、既に印を受けこの世を終え白い衣を与えられている人達の待ちに待った時代の幕開けとなるのよ。
大祓の入りのあの日をどのようなお祭りとしてお祝いするかで受ける印は違ってくるわよ。グレーゾーンで傍観していたらだめよ。
何も考えない人たちの間では獣の国から入ってきた妖怪祭りなどもはやっているけれども、何も好き好んで獣の刻印を受けることないのにと私なんかは思ってしまうのよ。
この国の神様のお祓いのお祀りを侮って変なお印を受けると征伐されるわよ。
阿吽
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