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京雛の左上右下が関東雛において反転する基を築いたのは大正天皇なのよ。この時代は十五年間だったでしょ。三五七の十五なのよ。この時代はカバラの瞑想で精査するととんでもない時代だったことが見てくるの。

 

その皮切りは大正天皇の皇太子時代の神前結婚なのよ。それまでは人前結婚だったの。大正天皇の神前結婚以来一般に神前結婚が普及しているの。

 

それは十九世紀最後の年であった1900(明治33)年のことだったの。皇紀2560年のことなの。私の中では西暦も元号も皇紀もすべて天照大御神の暦だから、その暦で示されることに目を見張らされるのよ。

 

この時の神前結婚式では左上右下の並びだったの。それは伊弉諾尊と伊弉冉尊の昔からの定めだったのよ。男神が左回りに、女神が右回りに天の御柱をめぐって国生みがなされたの。女神が先に言葉を発して一度失敗してやり直しているのよ。

 

48.大正天皇・皇后 宣戦之詔書

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 そして天皇の即位礼が京都御所の紫宸殿で行われたのは1915(大正四年)のことだったの。何やら十五という数が大正天皇の持つ数霊の様に思われるのよ。

 

京都御所の紫宸殿と言えば前庭に右近橘と左近桜が植えられている場所なのよ。その即位式の天皇と皇后の高御座は当然左上右下の並びだったはずでしょ。京都御所の右近橘と左近桜で京雛の形だったのよ。


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 ところが大正天皇の即位後にこの左上右下が改められているの。大正ロマンの時代のことなのよ。諸外国では右側優位がその定めだったの。文明開化以来の外交儀礼に際し、この時に欧米化の波に皇室が飲まれたのよ。古事記の定めからはなれてしまったの。

 

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それに伴い関東雛がうまれたの。だから関東雛の男雛の右配置は欧米化の象徴なのよ。それ以降の天皇の儀式は皇后の右側に位置し行われているの。もしかしたらやり直しさせられるのではないのという危惧が頭をよぎるでしょ。


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そして大正天皇の崩御が大正十五年の十二月二十五日なのよ。即日改元されて昭和の元年は二十五日から大晦日迄の七日間だったのよ。昭和天皇が崩御されたのは昭和六十四年の一月七日だったので昭和最後の年は元旦から七日間だったの。

 

大御神が聖書の神様で七日間の意味することが飲み込めている人は何も感じずにはいられないはずなの。

 

そのように昭和の時代の幕が切って落とされているのだけれど大御神の暦に照らすと、この時代の特異性は特筆に値するはずなのよ。大づかみに見ていくと、私がまず注目するのは1940(昭和十五年)、皇紀二千六百年なの。

 

この年は大正天皇の神前結婚から四十年後なのよ。四十という数字も聖書では無視できない数でしょ。しかも十五という数もそこにあるでしょ。その年に国会で八紘一宇が国是と定められ人口に膾炙するようになったのよ。

 

この八紘一宇は神武天皇の御言葉に由来しているのよ。ところが五年足らずでそれが禁止される事態に追い込まれているのよ。それが昭和二十年の八月のことなのよ。二十年という数は皇大神宮の式年遷宮の数で、知られていなくてもイスラエルにおいてもかなり重要な数なの。

 

その八月に起こったことは少し前の記事に書いておいたけれども、私は八紘一宇に対する掟破りに天誅が降った月だと解釈しているの。その結果として戦争放棄が憲法に明記され新昭和の建設が始まっているのよ。

 

しかしこの国の人たちは何が掟破りなのか全く気が付いていないのよ。新昭和建設のための詔を発した天皇に対し、天皇の人間宣言と高を括り、その後はエコノミックアニマルと化したの。その結果何が起こったかというと十二月二十五日の大正天皇の例祭を忘れバチカンのお祭りを売り物にして経済を至上のものとしか思えなくなっているのよ。

 

政治の世界の右では葬式神道が保守とされ、左は進化論のマルクス主義なのよ。この時代で忘れてはいけないことに神道系とされる新宗教の勃興があるわよ。金神様信仰。この世界では神示やその教義が売り物にされるの。そこには霊的な怪異が絡んでいるから一筋縄では解きほぐせないのよ。仏教ではお葬式を売り物にしているでしょ。そそのかす蛇が大活躍しているのよ。その辺も次の機会にじっくりと書いてみようと思っているのよ。ネタはすでに満載なのよ。

 

そのように焼野原とされた同じ天皇の時代に経済大国に躍り出てしまったでしょ。私が一言でこの自分の生きたこの時代を言い表そうとすると一億総白痴の飽食の時代が来てしまったのねとなってしまうの。

 

そうしながらお正月の七日間で昭和の幕が閉じられ、新しい時代に移って行ったのよ。その三年前にはチェルノブイリの原発事故があったの。

 

そして八紘一宇の1940年から六十年後の次の年、2001年に天照大御神の心御柱の正体が出てきてしまったのよ。十九世紀の最後の年に大正天皇の神前結婚式があり、二十一世紀の始まりの年に大御神の心御柱なの。それが二十世紀の始まりと終わりだったのよ。

 

その間に失われたイスラエルの欧米化が一気に進んでいたのよ。その象徴が京雛と関東雛の併存なの。

 

そのように二十世紀を大づかみに俯瞰してみると、神様が人の前に置かれた呪いと祝福というものが私にははっきりと飲み込めるの。その左上右下を逆転させた大正天皇の十五が魔法陣なのよ。

 

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正という字が実は十五の魔法陣の象徴で、大正とはそのような時代だったのかと読めるでしょ。五が中心で七五三の十五なのよ。そして負ではなく正なの。

 

平成以降も八咫鏡の暦は大回転していて2001年には911があり2011年には311があったでしょ。ここでは三と九と十一なのよ。それはまた今度。この記事を先に結んでおかないといけないの。

 

京雛と関東雛の併存をどのように考えるかということ。

 

京雛の示している事は、西暦紀元前660年の皇紀元年から、神武天皇の建国を経た平安時代から大正時代に至るまで神様の玉座は失われたイスラエルに正対していたのよ。そこに本物の祝福があったのよ。壮大過ぎるかしら。私にはそう思えるの。

 

それを大正時代に逆転してしまったことにより昭和の時代にすでにやり直しさせられているでしょ。しかし大御神の、悔い改めよ、御国は近づいた。という御言葉は日本人にはいまだに他人事でしょ。そのようなことは、神様は太古から百も御承知なのよ。それで向きを改められる時代が来たということなの。

 

関東雛の示している事は神様の玉座を元の命の木のように後から拝しているということなのよ。神様のされることには呪いと祝福が併存しているの。私はどう解釈するかというと、今の時代はすでに神様に背を向けられてしまっているということなの。しかし神様が背を向けられたということは、関東から都を遷都するために渡御をはじめられたということなのよ。羊たちはその後塵を拝し導かれるの。

 

祝福された失われたイスラエルは掟の箱の心御柱の先導により約束の地に導かれるのよ。そこは千代の都で、その都で神前の結婚の儀が執り行われる運びになっているのよ。準備のできていない人は個人的なやり直しを迫られているの。羊は羊飼いの声を聞き分けるのよ。

 

ヨハネによる福音書 20

29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」


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