このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

聖書に書かれている右と左ってあるでしょ。漠然としか理解されていないけれどもきっちりと理解するとどういうことになるかというお話。

 

インド人にとって左の手は不浄とされているでしょ。メシアは施しをする時は右の手のしている事を左の手に知らせるなと御言葉しているの。右の目が罪を犯すのであれば抉り出して捨ててしまいなさいとも。

 

ヨハネの黙示録では最後の審判において山羊は左に、羊は右に分けられるとされているでしょ。獣の刻印である六百六十六印は右の手か額に刻印されるの。そのように右と左ははっきりと区別されているわよ。

 

そこを分別して次のステージに上がるの。古事記がその分別を助けているわよ。伊弉諾尊の禊の時に生まれた三貴子がそのことを物語っているでしょ。左の目から大御神が生まれ右の目から月読命が生まれているの。ここには一筋の縄では解けない倒語(さかしまごと)の仕掛けがあるのよ。

 

私は理解するのに数年は要したわ。この記事ではその結論を書いてしまおうと思うの。

 

鼻から生まれた素戔嗚尊が中心で主神なのよ。その右と左なの。ところが陰陽道の呪術により右と左が反転させられているのよ。そこに置かれているのが八咫鏡なのよ。大御神の神道はすべてこの鏡を通して示されるのがお約束なの。八咫鏡を理解しないと迷宮入りするのよ。

 

この鏡は大御神の岩戸開きに際して調製され根付きの真榊の中の枝に掛けられたでしょ。その意味するところは人体のマニプーラのチャクラで、命の木のティファレトのセフィロトだったでしょ。ここが八宝珠の中心だったでしょ。わからない人は前記事の命の木について書いた記事を熟読してね。

 

その場所に鏡がかけられているのよ。それはイスラエルのカバラがメシアの復活以降弟子たちに明かされたことを意味しているのよ。

 

注意しなければいけないのは鏡というものの性質が左右の反転なのではなく、前後の透過だということなの。前後が透過しているから左右が逆転しているように見えるの。鏡に映した右手は鏡像の左手として映るのだけれども、右手はどこまで行っても右手なのよ。その鏡が真榊である命の木に掛けられ明かされているの

 

inotinoki.sankaku

 

そこで明かされているのは均衡の柱と慈悲の柱と峻厳の柱の並びなのよ。命の木は鏡像であり神様の玉座の前面の後面透過ということなのよ。

 

そう理解してよく見ると慈悲の柱は玉座の右に位置している事が分かるでしょ。慈悲の神のメシアは勝利を得て神の右に坐しているのよ。それが左目のように見える大御神の真の玉座の位置なの。

 

その主神と大御神の着座が京雛の左上右下なの。今でもそのしきたりにおいて京雛は飾られるの。関東雛の飾りにおいて逆転している事にはかなり大きな神秘が秘匿されているわよ。

 

この雛飾りは命の木を映していてそこには素戔嗚尊と大御神の誓約の物語が凝縮されていたでしょ。そのように見た時に気が付かなければいけないのは、京雛の雛飾りは玉座を正面から拝している形ということなの。女雛のメシアが右に坐している姿なの。


hinamatsuri-7

 四段目の随身である右大臣と左大臣は右の柱であるメシアと左の柱の聖霊の並びなのよ。慈悲の柱と峻厳の柱の並びなの。左が優位だから左大臣が老人で右が若者と説明されるの。 

 

けれどもアブラハムとイサクとその親子二人の僕の誓約と聖書が暗示していることを考えれば右大臣の若者が御子で若頭なのよ。左大臣が僕として働く聖霊様であり、共にお働きになられた仏陀釈迦牟尼とみても間違いではないと思うの。

 

問題は五段目なの。そこには右近橘と左近の桜とその間に三人の仕丁がいるのだけれども、この右近橘と左近の桜が、神様が園の中央に生えさせられた二本の木で、命の木と善悪を知る木なのよ。その間にお仕えする人間たちがいるの。

 

この二本の木は命の木が橘で弟橘姫と岩長姫、善悪を知る木が桜で木花開耶姫(このはなさくやひめ)と古事記では暗示されているのよ。天孫瓊瓊杵尊が天下った先で岩長姫を送り返し木花開耶姫(このはなさくやひめ)とだけ結婚したと古事記は語るのだけれども、そこにはとんでもないことが預言されているわよ。古事記には木花散る姫などという神様も登場しているの。その件はまた今度。

 

ここでの問題は右近の橘と左近の桜なのよ。御父と御子の左右の他にもう一つの左右の解釈があるの。この解釈の違いを識別しないから聖書の右も左もわからないのよ。この二つの左右の違いと関連を悟らなければならないの。

 

一言で言えば御父と御子の左右により、命の木の左右をどのように悟るか誓約で占われているということなの。その帰結により右と左に分けられるのよ。

 

善悪を知る木から取って食べて悔い改め、命の木に食い改めることができるかどうか試されているということなの。左の山羊として悔い改め、右の羊の列に加えていただかないととんでもないことになるとヨハネが黙示していたのよ。

 

右のメシアは慈悲の神様だから逆らっても許されるの。だから全員復活させられるの。しかし左の聖霊様に逆らったらこの世においてもあの世においても許されることはないというのがメシアの御言葉なの。

 

メシアを信じた時に送られてくる助け手はこの神様よ。宝船の、虹の七福神様なの。逆らった日には七殺の祟りの丑寅の金神と化すのよ。雷様でもあるわよ。ゴロゴロ鳴っているうちに悔い改めておかないと直撃を受けるの。だからカバラのくわばらくわばらなの。

 

そのような御父と御子の左上右下が大正時代に諸外国の右側優位にならい改められて、男雛が向かって左、女雛の右に飾られるようになったの。

 

dolls-decoration-02

 

時代の中でカバラの八咫鏡の左上右下が大きく動きだしてしまっているのよ。それが今の時代なの。長くなるから続きはまたの記事で。

 

重陽の節句の後の雛ね。大人の雛祭りとも呼ばれるらしいわよ。