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昨日の記事途中で挫折した意味が今朝判ったの。結論がはっきりしていなかったからなの。雷神様に知らされたわ。その結論から言うとね、九月九日の重陽の節句は天照大御神の復活のお祭りになっているのよ。

 

いくわよ。今日はもう大丈夫だわ。

 

伊弉冉尊が黄泉で腐乱ゾンビを演じているのは大御神の御言葉に従い狭き門から入らなかった人たちの行く末の暗示なのよ。

 

火加具土命とという火の神様が伊弉冉尊のみほとを焼いたということは、お社の鳥居に火をかけ神様に逆らうということの暗喩になっているの。だから伊弉諾尊に首を切り落とされているのよ。通りゃんせの狭き門から入らず、神様に逆らい結界を超えるということなのよ。

 

そうするとどうなるかということを伊弉冉尊が黄泉の国で演じていたの。それは素戔嗚尊と天照大御神の誓約の後に、逆らう者のその行く末を素戔嗚尊ご自身が演じている事と同じ示し方なのよ。

 

御父と御子との契約に逆らうとどういうことになるかということを、御父と御子の暗喩である伊弉諾尊と伊弉冉尊、須佐之男命と天照大御神の物語で暗示しているのよ。食べさせられた巻物がお腹に入って苦くなってしまった人たち同志の倒語(さかしまごと)なのよ。

 

逆らった人たちが黄泉に幽閉され岩戸が閉ざされた後に、黄泉比良坂で伊弉諾尊の前に菊理姫(くくりひめ)が現れ何事かを語ったということは、黄泉に降った伊弉冉尊が菊理姫(くくりひめ)として復活したことの暗示なのよ。

 

九九の理なの。白山比咩の神と同一神なの。九九に一を足すと百でしょ。それは白に一を足すと百になり、それがももで、桃なのよ。黄泉比良坂で伊弉諾尊が投げた三つの桃なのよ。それが桃太郎の物語の由来なの。

 

日本一の幟旗の一は九九の理に一を足すその一なの。九九の理とは一を足すということなのよ。九に一を足せば十で、ここのたりでメシアの十字架の完成と復活を暗示しているのよ。十種の神宝の深層なのよ。

 

九九九に一を足すと千の花びらが開き千代に至るという神一厘の仕組みなのよ。神一厘の仕組みはあの神示が示しているのだけれども、あの神示を降ろしているのは唆す蛇よ。それは煩瑣になるから別記事で。

 

とにかく白山信仰と重陽の節句は神示に関わらず、太古から神様の一厘の仕組みとして深層で連携しているということなの。

 

その証拠は重陽の節句にいただく菊水と菊花酒なのよ。水とお酒なの。菊水酒造という会社があるけれどもこの会社の人はお酒を醸造していても菊水と菊花酒の関係は知らないのではないのかしら。

 

それはメシアのワインと水なの。皇大神宮でも清水とお米を醸しお神酒として大御神にお供えしているでしょ。

 

メシアの復活の象徴なのよ。命の水であるこの世で賜わった命を醸し、永遠の命のお神酒としてご神前にお供えするというお祭りなのよ。

 

故に菊水とは天真名井から汲む命の清水なのよ。だからメシアは水を飲ませてくださいと御言葉していたの。それが重陽の節句の深層なの。

 

昨日雷様に教わったの。おへそ取られないようにしないとだめよ。

 

今日は九十(ここのたり)の日よ。


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