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いつもね、ブログ記事書く時は読んでくれる人が納得できるように極力聖書で語られている事や、仏伝で知られている事をもとに書くようにしているのよ。

 

経典など学んだことはないから浅学な凡夫でも知っている仏伝なの。聖書さえきっちりと読み込めればそれで十分なのよ。そこに古事記の後ろ盾があれば私的には鬼に金棒なの。

 

その様に記事を書いているから、説得力のある記事を書いているつもりなのだけれども、反響はゼロに等しいから、どう受け止められているのかは、反響がないことが説得力を持って受け入れられていることの証左と判断しているの。いいのかなそれで。でもそうなの。

 

その様だから自分が感じたことをすべて大御神や仏陀の御言葉の定規に当てはめて書いているの。

 

でもね、聖書や仏伝には、本人が感じたことが無ければたとえを用いて表現しても絶対に理解され得ないようなことも書かれているのよ。

 

そのような機微に触れることをまだ書いていないことに気が付いたの。

 

それはね、仏陀が御説きになった解脱が、聖書に書かれているケルビムと回る炎の剣で守らせられている命の木への入り口だと確信して、御用のない者通しゃせぬと唄われているその細道を、御子の七つのお祝いに、お札を納めに参りますと唄いながら通していただいて、その後に覚醒させられると、本当に怖い思いをさせられるということなの。

 

いざお札を納めて戻ろうとして振り向くとそこに神様が立っていらっしゃってこちらを見つめておられるのよ。そこで神様と目と目が合ってしまい、生まれてこのかたの事は見られていないと思っていたのにすべて見られていたと気が付き死んだようになってしまうのよ。

 

ダニエルという預言者は幻を見て気絶してその後病気になっているの。ヨハネも黙示録のビジョンを見せられ初めに死んだようになっているのよ。

 

私の場合は預言者の語っていたことがすべて真理の言霊であり、なおかつ自分の犯してきた生来の不義は全て神様に見られていたということに気が付き、初めに死んだようになって以来、何度も何度も死んだようになっているの。

 

そのようなことは聖書にもはっきりと書かれていないから今まで書いたことが無かったの。でもそういうこともあるのよ。信じがたい?

 

でも私はこの世にあるうちに気が付いてよかったと思うの。まだ不義を改めることができるでしょ。改める機会を逸してから気が付いたら本当に死んでしまうわよ。

 

聖書で人は神の姿を見ると死ぬとされているのはそのためなの。

 

不可解なのは少年時代に見てピンピンしていた預言者がいたということなのよ。


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