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今年は皇紀紀元二千六百八十年でしょ。これがなにを意味するかじっくりと考えてみたのよ。皇紀元年はB.C.660なのよ。この時代はね、B.C.720のイスラエルのアッシリア捕囚から、B.C.586と言われているユダのバビロン捕囚のほぼ真ん中の時代で、イスラエルにとっての激動の時代だったのよ。

 

この時代はイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルとイスラエルの預言者の重鎮たち時代だったの。しかも私の見立てではお釈迦様もその時代の人なのよ。

 

南伝仏教で信じられている仏滅紀元B.C.543からさかのぼると仏陀生誕はB.C.623となり、皇紀三十七年の生まれになるの。試しに仏滅紀元B.C.543から567年降ってみるとA.D.24になってしまうのよ。

 

これらの事実をふまえた上でもしやと思いダニエルの七十週の預言をB.C.660に当てはめてみたの。ダニエルの七十週の預言は主がエレミヤに告げられた七十年という年数が元になっているの。

 

ダニエル書 9
  
      2さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言          者エレミヤに告げられたように七十年という年数のあることを悟った。


   24
お前の民と聖なる都に対して

七十週が定められている。

それが過ぎると逆らいは終わり

罪は封じられ、不義は償われる。

とこしえの正義が到来し

幻と預言は封じられ

最も聖なる者に油が注がれる。

25これを知り、目覚めよ。

エルサレム復興と再建についての

御言葉が出されてから

油注がれた君の到来まで

七週あり、また、六十二週あって

危機のうちに広場と堀は再建される。

26その六十二週のあと油注がれた者は

不当に断たれ

都と聖所は

次に来る指導者の民によって荒らされる。

その終わりには洪水があり

終わりまで戦いが続き

荒廃は避けられない。

27彼は一週の間、多くの者と同盟を固め

半週でいけにえと献げ物を廃止する。

憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。

 


この預言が難解を極めているの。しかしね、八咫鏡に照らしてみましょうかという軽いノリで七週の七十年と、六十二週の六百二十年の六百九十年とあてはめて、最後の一週の十年を足すと七百年になるではないとなるのよ。

 

エレミヤも破格の預言者だったの。だからエレミヤの言う七十年を、文字通りの七十年と、七百年の意味を持つ複合預言として考え、問題のB.C.660に当てはめてみるの。そうすると七十年後はB.C.590となりバビロン捕囚のB.C.586の四年前で前夜なのよ。

 

そして次に七週の七十年と六十二週の六百二十年の六百九十年を当てはめてみるとこれが何とA.D.30なのよ。最後の週の十年を充てて七百年とするとA.D.40なのよ。

 

イスラエルのメシアの十字架はこの間の出来事だったと考えられているでしょ。

 

ダニエルの預言は、最後の一週のうちの半周で生贄と捧げものを廃止すると読めるでしょ。そして定められた破滅が荒廃の上に注がれると結ばれているの。

 

A.D.40以降、ユダの滅亡はA.D.73だったの。A.D.33から四十年後なのよ。整理するとB.C660年から70年後がバビロン捕囚の4年前で、693年後がユダヤ滅亡の40年前だったの。70年と700年が対応していると考えると693年では七年の誤差があるのだけれども、4年と40年が対応しているでしょ。この40年という数も聖書中では侮れないでしょ。そこに不思議な七年の誤差なのよ。七は聖書中で最も侮れない数でしょ。

 目下皇紀の暦との関連で精査中なの。イスラエルの契約の箱がこの国に受け継がれている以上そこに絶対何かがあるはずなのよ。こんなにてこずるのは終わりの時と関連しているからとにらんでいるの。
 
 その後キリスト教会は歴史が止まっていて、最後の一週の時が来ると教会は携挙されるとかいうわけのわからないことを信じているでしょ。

 
 でもね、歴史は大御神の暦通り一日たりとも留まることなどありえないでしょ。

 

だからね、私の考えではエレミヤとダニエルの七十年と七十週の預言は大御神の暦通りに進展中なの。

 

始まりはB.C.660の皇紀なの。イスラエルの南北の分裂の危機の時代に、七十年と七十週による、エルサレム復興と再建についての御言葉が出されたのがこの年なのよ。この年に契約のアークが渡御を開始し、失われたイスラエル元年となったのよ。そして皇紀六百九十年から七百年にかけてメシアが遣わされ、私は失われたイスラエルにしか遣わされていないと御言葉したの。その後ユダヤは荒廃に見舞われたけれども、失われたイスラエルは今も健在でしょ。

 

その後失われたイスラエルに荒廃の影が差しつつあった、神武南北朝の分裂の時代に再度復興と再建についての御言葉が発令されているように思えるの。イスラエルの荒廃と、失われたイスラエルである神武朝の荒廃は相似象なのよ。イスラエル歴と西暦と皇紀はあざなえる縄の如く、預言によりよられた太い綱なの。

 

今年は皇紀二千六百八十年。イスラエルの鳳輦は契約の箱でありノアのアークなの。

 

そのアークに大御神の御霊が御鎮座し文字通りのお神輿として、洪水の中を彼岸に渡御の真最中なの。そのことが二十一世紀の幕開けと同時に知らされたでしょ。




 

ペテロが語ったように、神様の目には一日は千年のようであり、千年は一日のようであるのよ。皇紀と西暦が共に三日目に入って二十年たっているでしょ。

 

メシアは神殿を三日で建て直して見せると公言しているの。迂闊にしていると天の川を彼岸に渡御し損ねるわよ。定められた破滅が荒廃の上に注がれると預言されているの。世界中が荒廃しきっているでしょ。

 

六月の大祓で六道の悪趣から解脱し、七月の天の川を渡御し、八月の八正道の涅槃に至るのが大御神の渡御に従うことになるの。その渡御の暦は二千六百八十回転もしているのに悟らない人の方が多いのよ。アダムから数えて七千回転目が神様の七日目の渡御の始まりのはずなのよ。

 

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日々瞑想しているとどうしてもこうなってしまうのよね。この記事だけ唯一不完全で、常時更新中なの。阿吽

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