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以前は年神様をお迎えするごとに四季のお祭りを通して覚醒させられていたの。それが、気が付くといつしか半年の祓ごとに覚醒させられるように期間が短くなってきたの。

 

そして今年の夏越の祓を過ぎた辺りからその期間が日ごとになってしまっているのよ。

 

毎日いろいろな思いが降りてくるからそれを日記のようにその日の記事にするでしょ。そして書き上げた記事を読み直すと、書いているのではなくて書かされていると思うのよ。

 

自分の書いた記事を通して次の覚醒が呼び覚まされるという摩訶不思議な領域なの。

 

私の場合はすべて大御神すなわちメシアに関することよ。

 

メシアの御言葉に従い聖霊を賜ると、自分の十字架を背負いメシアの父から盃を賜るのよ。それを天の皇室からの結納、納采の儀と認識していたの。それで記事を書き連ねて来たのだけれど、今日はメシアから賜る聖霊とはいったい何を意味するのかが降りて来たの。

 

それはメシアからの求婚をお受けする婚約を意味していることには間違いないのよ。しかしそのことは古事記にもっとはっきり示されていたのよ。

 

それは天の皇室から賜る金鵄勲章なのよ。神武天皇の弓の先に止まった金鵄がその象徴だったの。だから神武天皇は天が下を一つの家とすることはよいことではないかと仰せになっていたのよ。

 

この天が下の一つの家が八紘一宇として知られたの。だから金鵄勲章をお受けした後に八紘一宇の納采の儀をお受けするという、途轍もないことであるのよ。

 

その途轍もないことを大御神により正見させられた、インナーサークルである神鳥たちが倒語(さかしまごと)で示していたの。

 

その途轍もないことは聖書の冒頭のアダムとイブの物語ですでに語られていたのよ。アダムとイブがすったもんだの末に神様から賜った皮の衣がその象徴になっていたのよ。

 

そしてそこに命の木への入り口が見えていたでしょ。その賜物を受け八紘一宇と同期してしまったのがお釈迦様だったの。だから梵我一如だったのよ。

 

そのようにメシアの御言葉を受けその法輪に同期し、正見させられると、森羅の中に天意を読み取り、さらに焦点を絞ると世界中の人間模様の中に天意の好むものと好まざるものとを読み取ってしまうのよ。

 

さらに焦点を絞りこの国にピントを合わせると、聖書の世界が古事記と共に見えるようになるの。この国の人間模様の歴史の中に聖書を読み取れるようになるの。

 

そしてさらにズームインすると現皇室の人間模様の中に天の好むものと好まざることを見てしまうのよ。

 

その上で今日という日を見ると森羅の主権者である大御神の今日がどのような日なのかもはっきり見えてしまうの。

 

メシアがこの世に来て、立ってはいけない者が立ってはいけないところに立つのを見たら山に逃げなさいと御言葉されて以来今日に至るまで、ずっとその日が続いているのよ。


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