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メシアの御言葉が善の基準なの。その形は契約の箱と共にお祀りされている神の子羊の十字架の形で示されているでしょ。この国はね想像を絶する神秘国なのよ。

 

聖書に神様が園の中央に生えさせられた二本の木のことが書かれていることが全ての始まりなの。取って食べるなと禁じられた木は善悪を知る木で、食べると死ぬの。人はこの世に来て取って食べるから死ぬのよ。

 

そのことで善悪を知るための木なの。そしてその神様の基準の秤(はかり)による善を知らせるために遣わされたのがイスラエルであり預言者でありメシア・イエスなの。

 

聖書の律法において神様に十分の一を納めるように定められているから、収入の十分の一を納める決め事があるように理解されているけれども、私は違うと思っているの。神様がお金を徴収するなどおかしいのよ。神殿は喜捨により成り立たなければ神殿とは言えないの。

 

モーセにより示されたイスラエルの十戒の、十分の一でもおろそかにするなというメッセージなのよ。

 

神道の重鎮たちはそれを十種の神宝と見定めているの。だから死んだ人間をも生き返らせる効き目があるの。

 

イエスはそのイスラエルの律法の細目を示し完成するために来られたの。そしてそのイスラエルの律法は契約のための律法なの。この世に来て、死を知った人間がさらに善悪を知り、永遠の命の木に与ることを許されるために順守するべき、契約の律法としてお示しになられたの。

 

だからメシアの御言葉が基準であり、定規であり、天秤なの。人の生き方がその基準に沿ったときに神様から思いもよらない方法で合格通知を受けるわよ。メシアは助け手を送るとはっきり御言葉されているからね。

 

だから私の経験による基準の合わせ方を書いておくわ。

 

ただね、肉親の情、所属する業界の基準、地域社会の基準、国家の基準、世界の標準などはすべて二の次として、メシアの御言葉に照らせばいいのよ。

 

そのように生き方を定めようとすれば友人からも孤立することになるのは必定でしょ。でもね、その基準の定め方をお説きになっていたお釈迦様は、よき友を求めよ、求めて得られない時はサイの角のようただ一人歩め、と御教えになっているわよ。

 

これは自分至上主義から解脱して神様の神秘至上主義の涅槃に住しようと思ったら避けられないはずなの。

 

そのようにしてまで神様に付き随う気があるのかないのか天秤にかけられているのよ。神様の秤で量られているの。その目盛りが合わないと、この人無理と六百六十六のシールをペッタンと貼られると、ヨハネは黙示していたの。

 

何しろ永遠の命の、天の皇室に輿入れするための基準だから、その基準は日本の皇室に輿入れするための基準よりはるかに厳しくて当然でしょ。お友達と遊びながらクリアできると思う?

 

神宮の外宮では大御神の心御柱に準ずる御神宝の柱を天御秤の柱としてお祀りしているらしいわよ。お釈迦様も当然そのことは織り込み済みよ。八正道の内の正定とはそのことだからね。そこが定まって八正道が完成を見るの。そして八咫鏡として法輪が回転するのよ。神秘的でしょ。メシアの死と復活により完成されているのだから神秘的で当たり前なの。

 

そのような神様の阿吽の呼吸の空気を読めるか読めないかの問題なのよ。自分至上主義で成り立っている科学ではこの世の終わりまで絶対に読めないわよ。

 

聖書のイエスの御言葉を読めば一言一言がそのことを物語っているでしょ。一言主の神様よ。

 

難しいと思えるかもしれないけれども、メシアがそうしなさいと言っているのだからできないことではないの。イエスが出来もしないことをそうしなさいと言われるわけがないでしょ。

 

しようとしなければ六百六十六のシールなの。


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