このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

もうどうやらその時が来てしまっているようだから、知らされたことは全部書くわよと思うのだけれども、このブログ読みに来てくれている人がどう感じるかは、もう私の関知するところではないの。

 

ノアの時の洪水や、ソドムとゴモラの破滅は単なる物語であって、現実に起こった恐ろしいこととして認識されていないでしょ。聖書至上主義の私は認識しているけれども。

 

でもね、広島と長崎や地下鉄事件と玄倉川の水難事故は現代において起こったことだから誰でもその怖さは知っているわよね。でもね、ノアの洪水以来今日まで四千年近く経ている現代において起こっている事はノアの洪水やソドムとゴモラの拡大版とも言える事態で、広島と長崎や、地下鉄事件と玄倉川の水難事故において現代人が感じる危なさなどはるかに凌駕しているの。

 

それらすべてが、とりあえず人が無難に終息できるよう、メシアのたとえ話や、八咫烏の倒語(さかしまごと)のようにオブラートに包まれてやんわりと示されているの。それでPTSDのような後遺障害を発症せずに終息できるよう取り計らわれているのよ。

 

しかしね、死より恐ろしい神様の事を知らなければ神様に栄光を帰すことなどできないし、そのようなことではだれも救われないから、神様の怒りの日が来るのは初めから必定だったのよ。そのような時代なの。

 

すでに自力で避難できる水位を軽く超えてしまっている長老たちが、まだ避難しようと思えばできる若い人たちを、中州のバーベキューにとどまらせ避難させようとしないそのような時代の有り様を、神様が義憤をもって裁かれる時代に入っているの。

 

なぜ仏陀釈迦牟尼が女人は解脱できないとお語りになったのか。そこで語られた事柄は一体どのような真理だったのか。長老たちは考えてみようともしていないでしょ。そのようなことでは終生解脱は不可能よ。

 

キリスト教で三柱の神様を三位一体としてくくってしまっている事と相似象なの。

 

と、ここまで書いて思うのだけれども、それらすべてを言語化してしまっていいのかしら。あまりにも畏れ多くない?すべて書いてしまったら現代に生きるお父さんお母さん、お爺ちゃんお婆ちゃんに神の怒りがどのようにとどまっているかを知りなさい、その上で神さまから助けを得ることにより、それらの神の怒りを鎮めるために、男ができることと、女のできることの違いを知りなさいということなのよ。

 

しかしそれを書いてしまうとすでに自力で避難不可能でありながらまだ生きている人がどのような人達なのかも明らかになってしまうじゃない。そのような記事を書いてしまうことはいくらなんでも畏れ多いと思うのよ。

 

だからこの記事でワンクッションおいて神様にお伺いを立てることにしたの。

 

人はね、恐ろしさに打たれ死んだようになりながら、信仰により生かされ救われるの。

 

それとは別に自力で避難不可能な人たちもまだ生かされているの。

 

それは私が言うのではないわよ。滅びに至る道は広く大きくそこから入る者が多いとはメシアの御言葉なの。


20190405165420


瞑想ランキング

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング