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神道のかんながらのお祭りには伏線が張られていたということなのよ。

 

天孫降臨から神武天皇の即位、天武天皇や持統天皇の律令国家による天皇を中心とした神様のお祭りには伏線が張られていたということなのよ。

 

その伏線にとって重要なのが仏だったということなのよ。いったい何ということかしらと思うでしょ。

 

いまだにその伏線はこの国でもほとんど知られていないのよ。しかしね、古事記が記された時代の斎主たちはそのことを当たり前のように、天照大御神の倒語(さかしまごと)として受け止め、味方にだけ通じるその倒語(さかしまごと)で神代のことを語り伝えていたの。

 

それはね、迦楼羅天たちが天照大御神から直に神変として見せられ、示されたことでもあったのよ。そして神武天皇を導いたことを皮切りに、その大和の朝廷の大君によるお祀りを今日に至るまで主導してきたのよ。


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仏による伏線が張られている事を知り抜いていたから、表の歴史で仏教と神道の確執があっても仏教を排除せず、かんながらの国の神鳥迦楼羅として大御神の心御柱をお祀りし続けて来たの。

 

この神鳥迦楼羅は門戸が叩かれなければ、知り得た玄義を墓場まで持って行く定めなのではないのかしら。

 

ところが機縁により門戸が叩かれ、大御神の心御柱についての問いに答え、その玄義を明かしてしまったのよ。隠されている事柄で露わにならないことはないというメシアの言霊の成就だったの。

 

それで神道の伏線が明らかにされてしまったのよ。天皇家を斎主とした神道のお祭りは古代から練り上げられ、潔斎によるハレと、直会による直り合いによりケの日常にもどるとして民間ではお祭りが行われているでしょ。

 

しかし天皇家では大嘗祭において永遠の命のお祀りの儀式が執り行われてきていたの。神宮の式年遷宮なども永遠の命に与るためのお祭りとして執り行われてきていたの。

 

そこに張られていた伏線とはね、仏陀の示した成道の作法が禊であり、その作法により穢れを祓った先見者が命の木に与ることを許され、その道、神の道をゆくことをゆるされるということだったの。

 

伏線がそのようなことであるから、この世の穢れを正見しない盲人たちがこの道に踏み込み、その道を穢すことの無いよう味方にだけ通じる倒語(さかしまごと)が合言葉として用いられるようになったの。

 

それが神武天皇の即位に際して改めて徹底されたと、日本書紀が伝えていたのよ。

 

神鳥迦楼羅が大御神の心御柱がメシアのご神木であると証ししてしまった事実というのは決して小さなことではないわよ。

 

その事実を盲人たちが侮りつつ暦が進捗しているの。

 

そのようなことが、ごっくんと飲み込めると、聖書の詩編の一遍一遍が、そこに当たり前のことが書かれているわと飲み込めるようになってしまうの。

 

そこは何の迷いもない梵我一如の空境で、八紘一宇の涅槃なの。

 

神さまは手に箕を持ち、ふるいをふるわれているわよ。先見者がそう証ししているでしょ。

 

大御神の心御柱が今から二十年も前に明らかにされているのよ。


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