このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

天照大御神の心御柱はキリスト・イエスの十字架とその銘板であるとの答えを八咫烏から引き出したのは末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員だったのよ。モルモンとして知られカルトと認定されている教会なの。

 

私も一時所属していたことがあるのよ。そして八咫烏と接見したその教会員を先生としていたのも事実なの。当時ファンクラブとかあったからね。

 

しかしその教会から足を洗う決心をしたまさにその日に大御神の岩戸がガラガラと音を立てて開いてしまったのよ。

 

今日本で天照大御神はキリスト・イエスだとブログなどで公言しているのはそのほとんどがその先生のファンの教会員なのよ。だからカルトに警戒心を抱く日本人はいやでもドン引きしてしまわざるを得ないのではないのかしら。

 

この成り行きの中に、日本人の男性の解脱を妨げようとする大きな力が働いているのが、今の私には見えてしまっているのよ。

 

カルトのモルモンもキリスト・イエスが主であると心の底から信じている事はまちがいがないのよ。でもね、そこに大きな落とし穴がぽっかりと口を開けているの。その信者たちの説は私もほとんどすべて知り抜いているのよ。

 

あの先生のその筋の著作は網羅的に読破しているからね。私はその結果として命の木の入り口は解脱しなければ通れないと気が付いてしまったのよ。

 

あの先生も信者たちも解脱できないわよ。カルトだから。だから信者たちは自分が御霊によりイエスから賜った救済の言葉で語れずに、あの先生が書籍にしたことをオウム返しのように披歴しているだけなのよ。

 

私のブログはそうではないでしょ。きっかけはあの先生のカバラの知識だったけれども、その知識をもとに聖書を何度も何度も読み返していたらイエスの御言葉が飛び込んできてしまったの。

 

それは聖書のイエスの御言葉の成就なのよ。金星が飛び込んできてしまったという密教虚空蔵求聞持法の空海上人がした経験なの。勝利を得る者には明けの明星を与えるというイエスの御言葉の成就なの。お釈迦様の解脱の時にも金星を見ているでしょ。それが暗号になっているのよ。

 

そして同じ経験をしてしまうと味方とされ大御神の倒語(さかしまごと)が読めてしまうのよ。そして御言葉のとおりに助け手を送られてしまうのよ。その助け手に知らされるから自分の言葉で、自分を奴隷から解放してくださった神である大御神すなわちイエスについて語るようになるの。

 

先生のカバラの受け売りのオウム返しの信者が御霊を受けていないことが丸わかりになるのよ。はっきりと正見してしまうの。

 

この正見が八正道の入り口よ。それなくして八正道は始まらないのよ。この正見の第三の眼はイエスすなわち弥勒菩薩から助け手を送られ賜るのでなければ誰も手にすることはできないの。

 

弥勒菩薩は仏陀により知られていても何を語られたのか誰にも知られていないでしょ。でもイエスのお語りになったことは誰でもが読めるし知ることができるのよ。ここが入り口なのよ。「叩きなさい、そうすれば開けてもらえる」など、イエスの御言葉のすべてが弥勒菩薩の真言なの。

 

その真言により助け手を送られ神変を感受できないのは、ただイエスの御言葉を受け入れその扉を叩かないからだけなの。不信仰のそしりは免れないのよ。

 

知識を得たとしてもそれをもとに神様に対する自分の悟りを、自分の言葉で語れなければ、そこに解脱、救済、モクシャ、祝福はないの。祝福をもたらさないところで語られる偽預言者やパリサイ人のパン種の言葉に注意しなさいとイエスは警告していたの。そのようなことが大御神の心御柱が八咫烏により明かされて以降徐々に、私には丸わかりになってしまったのよ。

 

それで、この記事で書きたかったことを最後に書くわよ。

 

この国で大御神の心御柱が明かされたときに、そこに日本人の悟りを妨げるような不思議で大きな力が加わっているでしょ。私はこの事が大相撲の土俵上の東方と西方の力比べと相似象に思えるのよ。

 

そして実は、それは世界規模の事なのよ。西洋と東洋なの。西洋の、万人に対する万人の闘争という救いようのない阿修羅の政治哲学と、東洋の、八紘一宇の宝輪による天が下の神による、四神相応の一つの家族という信仰との力比べなの。しかしその東洋に聖書をもたらしたのは西洋でしょ。救いようのないカルトが大御神の心御柱をこの国で明かしたことと相似象でしょ。

 

そのような神変不可思議な力比べにおいて東洋は西洋に完全に押し切られようとしているように見えるでしょ。しかしね、天が下とはただ人の生息する浮世だけではないわよ。そこでは神獣や神遣、神さまの御使いや天使たちが力比べに加わっていて、今にも土俵から押し出されそうになったその刹那、最後のどんでん返しにより、弥勒菩薩に逆らう悪が駆逐されると聖書と古事記で証しされているのよ。

 

聖書はよく読んだ方がいいわよ。御言葉がよく飲み込めるようになると、この世の宗教という宗教は全てパリサイ人の霊感商法なのねと理解できるようになるわよ。そのようなことに関わっていては終息までに解脱できないからね。カルトだけではないのよ。

 

そのように悟ったのち、不信仰も弥勒菩薩を裏切る、裏切者の生き方とはっきり正見するべきと思うわよ。

 

イスラエルを開放することを拒んだエジプトは疫病で撃たれたでしょ。ファラオの戦車は彼岸に達し得ず海の藻屑と消えたでしょ。

 

不信仰を顧みずいくら花火を打ち上げても悪疫は退散しないわよ。たとえコロナ禍は一旦終息したとしても、そんなことで人は涅槃に解脱できないからね。子供でも分かる道理だわ。


20190405165420


瞑想ランキング

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

神道ランキング