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お神楽の歌の一つに阿知女作法というのがあるのよ。この歌は「あ~じめ~」とか、「お~け~」というまるで呪文のようなフレーズの繰り返しで、鎮魂のための歌とか神様の降臨を喜ぶ歌とか諸説があるのだけれどもその意味が不明とされているのよ。

 

でもね、お神楽の発祥は古事記の岩戸開きの時の天鈿女命の舞が発祥であるというのは定説になっているの。そこまで定説になっているのであればこの歌の意味はサクッと理解するべきだと最近の私は強く感じているのよ。

 

あじめとはうずめの事であり桶を伏せてその上で踊った天鈿女命の事だとその道の権威は認めたがらないのよ。多分低俗な語呂合わせにおいて学究的な権威が損なわれると思っているのよ。

 

それでも阿知女作法のあじめとは天鈿女命の事なのよ。

 

最近気が付いたのだけれども天鈿女命とはやはり天照大御神の事なのよ。岩戸からお出ましになった大御神と同一神なの。

 

天鈿女命は桶の上で乳房をかき出し衣の帯を御陰まで垂らし舞い踊ったと古事記には書かれているの。何故そのような悩ましい姿態で踊らなければいけなかったの?というのが大問題なのよ。

 

そのような姿態に目を奪われ惑わされるのは男だからそのことをもって、天照大御神は男神と示唆しているのだという俗説があるのよ。カルト視されているキリスト教会の教会員の説なの。しかも八咫烏から大御神の心御柱の真相を聞き出して公開したご仁でもあるのだから何をかいわんやでしょ。

 

なぜ御陰を露わにしなければならなかったかというと古事記ではそれが鳥居の象徴であるからなのよ。その鳥居の象徴に致命傷を受け落命した女神である伊弉冉尊と天照大御神は天鈿女命と同一神であると示唆しているのよ。

 

そしてその正体はやはりキリスト・イエスなの。

 

今の私にとって御神楽とはねイエスの降誕と復活を喜ぶ楽の音となってしまっているの。


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この像がキリスト・イエスの降誕と復活を示しているのよ。そしてその意味するところはこの形なの。


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伏せられた桶とは伏せられたマナの壺でありそれは契約の聖櫃と同義だったでしょ。

 

阿知女とは阿吽を知らしめる巫女という意味なのよ。

 

ヨハネの黙示録でイエスは、私はアルファでありオメガである。最初のものであり最後のものである。初めであり終わりである。と語っているでしょ。このアルファとオメガをそのまま日本語にすると「あ」と「ん」でしょ。阿吽なのよ。

 

この阿吽ということもその道の権威の禅坊主とかに言わせると仏教とともに伝来したインドに淵源をもつ外来思想であるとなるのよ。

 

そうではなくて大御神の神遣八咫烏がシルクロードを上りながらこの国まで引っ提げてきた「あ」と「ん」なのよ。

 

Iwaya_Jinja_Komainu_1狛犬阿形 135px-Iwaya_Jinja_Komainu_2狛犬吽形

 

その証拠に阿吽の呼吸などということは日本人以外では通用しないではないの。初めであり終わりであり全てであり宇宙であり永遠であるとされていても、そのような高尚な事とは無縁に非言語的な暗黙の了解で日本人はコミュニケートし合っているでしょ。

 

それが外国人に通用するとは思えないでしょ。それはすべて天照大御神の阿吽の呼吸に由来するのよ。

 

だからまず日本人が大御神の御旨を暗黙裡に了解しなければ何も始まらないの。その了解を妨げる煩悩を滅却して解脱しなければ何も始まらないうちに終息するのよ。

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