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四月に命の木の契約シリーズの記事を書きあげて八咫鏡でこのブログも終息するかと思っていたのよ。そうこうしながらその後気が付いたことを書き綴っていたらいきなり八紘一宇というキーワードが降りてきてしまったの。

 

このキーワードは核爆弾級のとんでもない言霊だわよ。この国は古代から言霊の幸わう国と言われていたでしょ。この国においては人口に膾炙する言葉が神様の言霊として幸わう神変の国だったの。国民がその言霊についていけていないだけなのよ。

 

どこから書いたらいいかしら。やはり神武天皇からかしらね。このブログのタイトルになっている倒語(さかしまごと)という言葉は再三記述しているけれども神武天皇が初めて国の政を創めたもうた日に用い始められたと日本書紀に書かれているの。

 

それに先立ち都の造営をするに際して、国の中を一つにして都を開き八紘(あめのした)をおおって宇(いえ)とすることはよいことではないかと、橿原の地に都を造ろうと仰せ出されたとも書かれているの。

 

この仰せが八紘一宇として皇紀2600年にあたる西暦1940年に至り、この国の内閣に於いて国是として定められ当時の流行語になったの。その当時の雰囲気を伝えるのがこの写真なの。

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 私が日本書記から神武天皇の仰せを読み解くと八紘(あめのした)の国の中を一つの宇(いえ)とするというように読めるの。

 

この八紘一宇が1940年に国是となった当時は国難の一歩手前の時期だったのよ。東亜は欧米列強の植民地として蹂躙されていた時代でしょ。その列強の一角を日露戦争で破り、東亜に独立の機運をもたらしてしまったりしていたでしょ。

 

当然欧米列強との軋轢が生じるわよね。そのような中で嫌がらせを受けなければならない難しい時代だったのよ。その難しい事態に際して国学者たちの学問の果てに出て来たのが八紘一宇というスローガンだったのよ。

 

それが当時の政局と結びつき大東亜共栄圏という政治思想を生み出してしまったの。しかしね、この八紘一宇という神武天皇由来の言霊は大東亜では狭すぎるの。八紘とは天が下なのよ。

 

政治家では取り扱えない言霊であり、だから核爆弾級なの。たとえが悪いかしら。しかし今はうまいたとえが思い浮かばないの。

 

この八紘一宇という言霊について解き明かし、記述してしまおうという大胆な試みの段階に踏み込もうとしているのこのブログ。

 

神武天皇という人は倒語(さかしまごと)の人なのよ。天照大御神の倒語(さかしまごと)の人なの。当然古事記や日本書紀も味方にだけ通じる倒語(さかしまごと)で書かれているのよ。その鍵は神武紀元に置かれているのよ。

 

いくわよ。

 

神武紀元は紀元前660年なの。この時に何が起こっていたのかなのよ。八咫烏は多分知っているのよ。でも明かされない限り誰にも分らないの。わからない以上は推測に頼るしかないの。

 

私の場合はやはりカバラの鍵がものをいうの。それでこの時代がどのような時代であったのかカバラの虎の巻で見てみると預言者イザヤの時代なの。

 

紀元前721年にイスラエルの十支族がアッシリアに捕囚されてから六十一年後が神武紀元なのよ。

 

イザヤ書を読むとイスラエルの背信とユダの裏切りに対する神の警告がびっしりと書き込まれているのよ。そのような時代背景にあったのよ。

 

そして神武紀元から三十七年後の紀元前623年にお釈迦様が生まれているの。お釈迦様の生年に定説はないから私なりに導き出した年限よ。

 

タイやラオスでは紀元前543年が仏滅紀元とされているの。ということはお釈迦様が通説通りに八十歳で入滅していたとすればその八十年前の紀元前623が生年でしょ。

 

神武紀元の三十七年後生まれなのよ。諸説ある中でここでは葬式仏教ではなくて上座部仏教の説を取り入れるとそうなるの。

 

そしてさらに時代を下るとお釈迦様生誕の紀元前623年から三十七年後にユダヤのバビロン捕囚が起こっているのよ。

 お釈迦様の成道による解脱が三十五歳の十二月八日の事であったということを当てはめると、お釈迦様が解脱した仏陀となられて二年後にユダヤがバビロン捕囚という縄目を受けていたことになるのよ。

 

お釈迦様の解脱後は初転法輪へとつながるでしょ。この時代はイザヤの時代を過ぎその次のエレミヤという預言者の時代がバビロン捕囚まで続いていた時期で、エレミヤという人もイザヤに輪をかけて、イスラエルの背信とユダの裏切りによる神の裁きを警告していた人だったの。

 

そしてついに紀元前586年にユダヤのバビロン捕囚となりエルサレムの神殿はバビロン軍により破壊しつくされてしまったの。そしてエレミヤの後を継いだエゼキエルという預言者が登場しているのよ。

 

このエゼキエルという預言者はイザヤとエレミヤの、背信と裏切りに対する裁きの警告の成就してしまったときに現れた人だったの。

 

そのような私の調べによるとお釈迦様とまったく同時代の人なのよ。そしてそのエゼキエル書にとても興味深い記述があるのよ。最後は新しい神殿の幻で終わっていたりしていてヨハネの黙示録と通じるところがあるのだけれど、焦眉は神の戦車なの。

 

幻の中で四つの顔を持ち翼のはえた生き物の幻を見たことが書かれているのだけれども、これが全く意味不明なのよ。これはカバラにおいては神の戦車、メルカバーと呼ばれたりしているのよ。それがこれ。

 

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そして今月になり、八紘一宇というキーワードが飛び込んできて気が付いたのだけれども、エゼキエルと同時代の仏陀が初めて回転させた法輪とはこの神の戦車、メルカバーの車輪のことなのよ。八咫烏はそんなことは多分大昔から百も承知だったのねと気が付いたの。

 

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 そして仏陀となられたお釈迦様はバビロン捕囚の43年後の紀元前543年まで法輪を回してから入滅されているの。

 

その五百六十七年後が西暦紀元24年なの。イエスが二十代の頃にどこで何をしていたかはチベットの寺院で見つかった「聖イッサ伝」という書物に書かれているのよ。

 

それによればインドで聖典を学び終えた後に、お釈迦様が法輪を回したインドのブッダガヤに赴き仏伝を学んでいたと書かれているの。これが仏陀の預言通りの入滅後五百六十七年後ではなかったのかしら。神仏の連携だから寸分の狂いがなく実現していたとしても私は何も驚かないの。

 

そしてこの時代が初転法輪の時代であったことと紀元前660年の神武紀元とは多分つながっているのよ。ここ最近の記事で法輪は宝輪であり、その中心は御船に隠されている八咫鏡だと解釈して来たでしょ。

 

この八咫鏡がイスラエルの三種の神器と皇室の三種の神器を仲介する、神とイスラエルの契約のど真ん中にある契約の神璽だったでしょ。

 

そしてそれは十字架に掲げられたイエスの銘板だったでしょ。この八咫鏡は初転法輪の時代にはまだこの世に来ていなかったのよ。

 

紀元前660年以前にはエルサレムの神殿には契約の箱が神璽としてあり、その神殿でイザヤは神に仕え預言していたはずなのよ。そしてイスラエルの十支族がアッシリアに連れ去られ、次はユダヤの番だというのはイザヤとエレミヤが預言していたことだったのよ。

 

そして案の定ユダヤのバビロン捕囚という縄目にとらわれていくのよ。そして神殿は破壊されたの。

 

しかしねこの時を境に契約の箱が失われているのよ。そして私の推測ではこの契約の箱の神隠しを八咫烏が神武紀元としているのねという理解に、いやでもたどり着いてしまうのよ。

 

その契約の箱とイエスの十字架が神宮の心御柱として地下殿に安置されていると今から二十年も前に八咫烏が明かしてしまっているのよ。

 

八咫烏とは太陽に住む鴉と言われていて、八咫鏡とはひとつであり梵我一如の鴉ということなのよ。イスラエルの契約の箱とは祭祀氏族のレビ族しか触れてはならない神璽だからその辺の事情が大いに関係しているのよ。

 

契約の箱と心御柱の来歴など当たり前のように巻物に記述して保持しているはずでしょ。

 

そして八紘一宇ということが国是とされたことと神武紀元は密接に関連しているわよ。

 ここからが私がこの記事で書きたかったことなの。ここまでが前振りなの。

 

またまた、いくわよ。

 

神武紀元から六百六十年後が西暦の起源でしょ。イエスの十字架上の死と復活は私の見立てでは紀元三十三年頃なのよ。それからきっかり四十年後にユダヤはマサダ砦で玉砕しているの。紀元66年に反乱が始まりその七年後の紀元73年のことなのよ。

 

その前後まではイエスの心御柱はエルサレムにあったはずなの。根拠はと言えばイエスが弟子たちに語った御言葉だったでしょ。復活したイエスから弟子たちに、父の約束したものを送る、高い所からの力を受けるまで都にいて祈っていなさいと告げられたと聖書に書いてあるの。

 

そしてその弟子たちはユダヤのローマに対する反乱を境にこれがまた神隠しにあってしまっているのよ。この国にイエスの銘板を心御柱として持ち込めたのはこの弟子たち以外に考えられないでしょ。そして全ては藪の中となるかと思いきやさにあらず。

 

イエスは隠されていることで露わにされないことはないと御言葉しているでしょ。だから食い下がって探そうとするの。ここでのキーワードはイエスから、私の羊を養いなさいと三度告げられたペテロの御言葉なの。

 伊勢神宮の式年遷宮の鶏鳴三声のペテロよ。

 

ペテロの第二の手紙

三章八節 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

 

この御言葉が鍵穴に合いそうだと差し込んでみるのよ。そうして神武紀元に千年を足してみると西暦紀元340年になるのよ。そうすると、なにこれ、この国の謎の四世紀のことじゃないとなるでしょ。邪馬台国から大和朝廷に至る建国の歴史が隠されてしまっていて藪の中となっている時代なのよ。そしてこの時代を境に古墳が巨大化するのよ。

 

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この古墳が契約のマナの壺を伏せた形だと読み解いたでしょ。古事記で神武天皇と饒速日命がしるしを見せ合い同じ天津神の子だと認め合ったとか、日本書記では八咫烏に導かれた神武天皇の弓の先に天から飛来した金の鳶がとまり雌雄を決しただとか、この謎の四世紀のことをみな倒語(さかしまごと)で記述しているのよ。

 

だからその当時からの味方同志は理解できているのよ。八咫烏は、物部氏は徐福と共に来たと語っているのよ。

 

邪馬台国から大和朝廷への流れなどはすべて記録として持っていながら表に出そうとはしないのよ。それは神隠しに合いながらも高い所からの力を受けてしまった味方同志にしか顕わにできない神聖なことだからなのではないのかしら。

 

京都丹後の籠神社の宮司さんは神武、崇神、応神と神という字を持つ天皇は多次元同時存在の法則で、人であり神であり同一神だと明かしているのよ。

 

それは神武紀元からの千年間の天津神の事績がこの最初の天皇の時代であり、はつくにしらすすめらみことの時代なのよ。

 

だから第十五代応神天皇の次代の仁徳天皇の陵墓が教科書でよく知っている大和朝廷発現のシンボルなのではないのかしら。

 

しかも応神天皇迄の架空?の天皇で十五代って三++七=十五で始まっている古事記の始まりとまったく同じなの。


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そしてここまでが一日目なのよ。

 

最後まで書ききってしまうつもりだったけれどもやはり長くなってしまったから二日目へと続く。

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