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今日のニュースでWHOの事務局長さんがもう世界は元の日常には戻らないでしょうと言ったということなの。これが本当だとすれば、政変ではなく神様の振るう鞭で世界中のレジームチェンジが促されているということよね。

 

このブログを書き始めた去年の夏ごろはまさか今年に入っていきなりそのような事態に見舞われることになるとは夢にも思っていなかったわよ。世界は生き残りをかけてこれから一体どのような体制に構築しなおされるのかしらという問題でしょ。

 

この国に限って言えば元の日常には戻れない状態で南海トラフ地震発生の切迫性が高まってきているというのが気象庁の公式見解なのよ。どうなっていくかは予断を許さないけれども、今年に入って気が付いたらそこは平成から乱世に様変わりしてしまっていたというのが私の現状に対する理解なのよ。

 

そしてそれは平成から令和という御代変わりとくっきりと轍を一つにしているでしょ。私もそのような時代を生きる一人の人間なのだけれどもその轍の中で気が付いたら、乱世に対処するための生き方をなぜか自身の瞑想においてしっかりと悟らされてしまっていたというのが実感なの。

 

どうせこの世において人は一度しか死ねないのだから余生をどのように充実させるかよね。達観できなければハラハラドキドキ、オロオロしながら生きるしかないでしょ。でもそのようなことではストレスに負けて病気になるから乱世においてそれを楽観視するようなバイアスの働く社会に変貌するのではないかしら。

 

警報が鳴り響いているのにそれを無視するような社会にしかなりようがないわよ、この世は。というか、かなり前からその様な状態であったし。その音がけたたましくなり死を意識させられるようなことになっても、どうしてよいかわからない人はそれが常態化してしまったら、警報を無視することでしか安心できないでしょ。その警報の意味するところを理解した人が残りの余生において大切な修行を重ねさせられるのよ。

 

私はそのように理解してしまったので、今月七日に非常事態宣言が発令されてから翌八日の灌仏会に触発されて、命の木の契約に関する記事を毎日書き綴ったの。そうしたら天照大御神の真榊にかけられた八咫鏡がはっきりと目に映るようになってしまったのよ。それはすでに記事にしたからそれを読んでもらえばいいのだけれども、この鏡は永遠を映す鏡だから終わりがないのよ。

 

それで今日はこの鏡に映る神道の包丁式について書いておくことにしたの。すべては命の木に示されているの。その式の流れにおいては必ず包丁と箸を十字に組み合わせる儀式があるのよ。神道の包丁師さんもそんなことは知らない人がほとんどなのかもしれないけれども、十字架は見逃せないでしょ。古事記の岩戸開きに天照大御神より尊い神様が出てくるのに神主さんたちが知らないのと同じなの。

 

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この命の木の縦の三柱と三つの三角形はどちらも三柱の神様の三×三の囲いを暗示していたでしょ。神様の玉座と見立てた時の見方なの。人形と見立てた時は、三角形は人の成長の三段階と見ることができるの。神道の包丁式は神様の玉座において示されているのよ。

 
 この命の木の三つの三角形は上から順に御父の三角形、聖霊の三角形、御子の三角形とみなせるの。そう理解しておいて命の木を単純にしてからそこに神様の包丁を求めると以下のようになるの。

 

istockphoto-1073119400-1024x1024図一 istockphoto-1073119400-1024x1024 - コピー図二

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     図三

図一は命の木を単純にした形で、図二が御父の柱と至高世界の三角形で、包丁の刀身と柄、中高世界と下層世界の三角形の横木が二本の箸で、中間の赤い球は八咫鏡の位置なの。箸の間には日の丸が隠されているという巧妙さなの。太陽神経叢にある大日如来のチャクラよ。図三は七五三の魔法陣に現れる包丁と箸なの。それを逆木として回転させると包丁式の儀式で示される形になるのよ。

 

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これを平易に理解すると御父の剣により捌かれた鯉をその僕の御子と聖霊がまな板の上で盛り付けるという儀式になっていると判るでしょ。そしてこれが素戔嗚尊の八岐大蛇退治と連携しているのよ。御父にまな板の上で捌かれた鯉は竜門の滝の鯉のぼりとなるの。それが八岐大蛇の体内から出て来た草薙剣で、大御神に献上されたでしょ。

 

裁かれても滝を上らない鯉は雑魚とみなされ滝に流され滝壺で藻屑と消えるのよ。それが玄倉川の水難者が警報を無視してまで示してくれた玄義ではなかったかしら。

 

大蛇の体内の剣は天の叢雲の剣であったり草薙剣であったりして、古事記に示されている神様の他の物語と密接に連携しながら御父の十束の剣の包丁式の裁きを暗示しているのよ。天の叢雲の剣と草薙の剣が二本一対のマナの箸と考えることもできてしまったりするはずなのよ。

 

御父の十束の剣は十個のセフィロトで示される命の木であり、隠されたセフィロトのダートに神様の十戒を秘め隠している包丁なの。

 

そのように見えてしまったらメシアの振るう縄のむちも、御父の振るう包丁も恐ろしくはなくなるの。見えればの話だけれども、見えてしまえばただまな板の鯉として修業させていただければいいのよ。

 

箸の間に日の丸が隠されているのはこの失われたイスラエルの国のまな板が主人の家のテーブルで、異邦人はそれを悟りそこからこぼれ落ちるマナをいただければ祝福を受けることを意味しているでしょ。

 

日本人でもおいそれと悟れないのだから異邦人には至難の業よね。それが命の木における狭き門なの。でも捌かれる鯉の心がけ次第で簡単に見つけられるわよ。

 

メシアは求めなさい、そうすれば与えられると言っておられるわ。



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