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イエスの示した狭き門って狭すぎると思うでしょ。私はなぜかギリギリその門下となれたようなのだけれども、世間を見渡しても同じ人いないからね。

 

なぜそのように狭いのかと考えたのだけれども、やはりそれが神様の選考基準なのよ。そのために神様が仏陀とメシアを教誨師としてとして派遣されたの。

 

しかもメシアは神の独り子で、死刑囚の罪を肩代わりしてまで恩赦を願い、それが父神により受け入れられているという離れ業。

 

メシアに先立ちこられた仏陀も修行の未全てを悟り、メシア来臨に先立ち恩赦を受けさせるための教誨師としてのお働きを十全に全うし入滅されているという超人的な離れ業。

 

このお二人のことは知らぬ人がいないというくらい有名なのに誰もそれを悟らないのよ。それはこのお二人の教誨は、虚空蔵求聞持法でなければ聞き分けることができないという高いハードルが置かれているからなのよ。

 

なぜそのような高いハードルが置かれているかというと、そうでもしないと独り子の僕として受け入れた時に天の父の家では使い物にならないからなのよ。

 

この世においても、神様が魂の穢れとみなす煩悩に憑かれている者は神仏を忖度することなどできないでしょ。それでは天において使い物になるわけがないでしょ。聖なる父の天の家においてはなおさらでしょ。

 

そのようなものを安易に招き入れてしまったら穢れを招き入れることになるでしょ。だからそれに見合った厳重な選考基準が設けられているの。

 

その上で手に箕を持ち麦と殻をふるい分けておられるの。神として十分な上にも十二分な慈愛を注ぎ育てた作物が、善い実を生らせなかったら、根こそぎにすることなど神様にとっては造作もないことなのよ。お百姓さんが昔からしていることなの。


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