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このブログ書き始めた頃はね、いったい素戔嗚尊の大蛇退治って何を言わんとしているのか正直つかめていなかったのよ。

 

この神様の正体は判っていたから、たくさん記事にしてきたでしょ。そのまま去年の年末までに天照大御神の大祓のことはすべて書いてしまったつもりなの。

 

ところが年が明けてお彼岸が近づくにつれてなぜか素戔嗚尊が意識の表層に呼び出され張り付いたままになってしまっていたの。

 

それで色々なことに気が付いていたのだけれど、このお彼岸を渡ったらまた眼を開かれてしまってすべて見せられてしまったの。素戔嗚尊の大蛇退治が判ってしまうと古事記とヨハネの黙示録がセットで最後まで理解できてしまうのよ。完全にチェックメイトでしょこれ、となるのよ。もう打つ手はないわ。

 

いくわよ。

 

人はね大御神の岩戸開きでこの世に生まれ、素戔嗚尊の大蛇退治でこの世を終えるの。それが今世なのよ。聖書にそのことわりが潜んでいたの。それはやはりイスラエルなの。

 

イスラエルのエジプトからの脱出の時の過ぎ越しがモーセの紅海割れにつながったの。その時イスラエルは過ぎ越していただくため、出発の前夜に子羊の血を家の門口の鴨居に塗ったの。

 

これはね、夜明けの晩の子羊の血なの。後に子羊の血は十字架上で流されたでしょ。これはね暗喩と相似象を複雑に絡ませた神様のお諭しなの。煩悩で曇った脳みそでは理解不能よ。

 

そのように過ぎ越しを受け紅海を渡った先が荒れ野だったのよ。この荒れ野でイスラエルは偶像崇拝の金の子牛を拝んだの。同時にそこで神様から律法を示されているの。これが神様の祝福と呪いの暗喩で、そこには人の現生の現場でもあるとの暗喩も含まれているの。

 

この荒れ野で約束の地を目指すのだけれども、人にとって約束の地は天国でしょ。でもイスラエルはね、熾燃の煩悩で金の子羊を拝んだから、二人の人を除いて、過ぎ越しを受けた者が全員死滅するまで四十年間荒野に留め置かれたの。

 

そして全員死滅した時にヨシュアとカレブが荒れ野で生まれたイスラエルの子孫を率いてヨルダン河を渡ったの。この時はヨルダン河の中州に契約の箱がとどまり水をせき止めていたのよ。此岸と彼岸の真ん中の中州はお彼岸の中日なのよ。

 

そこを通ってイスラエルは約束の地に達したの。このイスラエルの故事が人間の今世の暗喩になっているの。紅海の渡海とヨルダン川の渡河が人の生まれと死の暗喩になっているのよ。

 

そこにはさらに奥深いことが示されていて、約束の地に至るには子羊の血により過ぎ越していただき契約を守らなければ不可能と示されているでしょ。この二つをクリアしないと約束の地に至れないの。

 

そしてこれは二つの杯でもあるの。子羊の血の杯と契約の杯なの。人の生死はこの二つの杯なのよ。

 

しかしこの世はそのままでは煩悩感染地帯の荒れ野で、呪われているの。その呪いを祝福に変えるために遣わされたのがメシアなの。メシアは十字架上の死を父から受けた杯と示しているでしょ。そして自分の十字架を背負い後に続けと言っているの。

 

メシアから血の杯を受け、その後に自身の十字架上で父からの契約の杯を受けろと言っているのよ。

 

この二つの杯が大御神の岩戸開きの過ぎ越しであり、素戔嗚尊の大蛇退治なのよ。

 

でもこの二つの杯はこの世ではすべて大御神の過ぎ越しに見えるのよ。素戔嗚尊により取り出された神剣が大御神に献上され、絶滅させられても後に繋がってきているからね。同じく今世を終えたらすべての人がメシアの十字架上の過ぎ越しを受けそのまま来世で復活させられるの。

 

そしてそこでまた二つの杯を受けるの。一つ目はメシアの贖いによる復活でしょ。これが真の天照大御神の岩戸開きなの。二つ目は素戔嗚尊の大蛇退治なのよ。

 

この時にね、前世で二つの杯を受け、呪いを退け、祝福を受けていた者が大蛇の体内から取り出され、神剣として大御神に献上されるの。そうでないものが八つ裂きにされるのよ。

 

これが聖書において示されている最後の審判なのよ。この時が最後だからもう過ぎ越していただくことは不可能なの。その過ぎ越し不可能の大祓が素戔嗚尊の大祓なの。

 

神様と聖書と古事記が連携して、相似象と暗喩を駆使して、大御神の許婚に花嫁修業させているように私の目には映っているわよ。

 

この二つの杯だけれども修行中の許婚にとっては正しく受ける作法があるわよ。それを示したのがお釈迦様なの。解脱と、梵天による灌頂により二つの杯を受けるのがその作法なの。

 

弥勒菩薩すなわち大御神の岩戸開きにより賜物を授からないと梵天の灌頂にはつながらないわよ。

 

イエスの肉を食べその血を飲まなければ、自分の十字架を背負い父からの杯を受けることは不可能ということなの。

20190405165420



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