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アクセス数無事1000件に達しました。読みに来てくださった皆様、有難う御座います。サハスラーラチャクラの1000の花びら開花記念に特大ネタご披露いたします。

 

聖書の創世記の冒頭の、神様が園の中央に生えさせられた二本の木あるでしょ。あれはねクンダリニーヨーガのことよ。ハタヨーガとか、瑜伽タントラとか密教とか、虚空蔵求聞持法とかはすべて同じもので、園の中央の二本の木が判れば覚醒せざるを得ないの。

 

覚醒と言ってもピンからキリまであるわよ。お釈迦様のような金剛仏の覚醒から私のような凡夫の覚醒まで。でもね、神様は支払う報酬は同額だとおっしゃっているでしょ。そこに人を偏り見ない神様の偉大さがあるの。

 

そのようなことがなぜ現代まで知られてこなかったと思う?六百六十六の正体については記事にしておいたでしょ。その宗教悪の正体は私に言わせれば、解脱、覚醒しない、させない協同組合の悪なの。イエスはそのような悪に対して「パリサイ人のパン種及び偽預言者に注意しなさい」と警告していたでしょ。

 

ヒンズー教のヨーガやクンダリニーもそのような共同組合員たちが好き勝手にアレンジして自説をばら撒いてきただけで、本人たちも実際は何が何だかわかっていないのよ。

 

いくわよ。

 

クンダリニーのヨーガと言えば七つのチャクラでしょ。一番下にあるベースのムラダーラチャクラに火の蛇がとぐろを巻いていて、その蛇が発する霊気をプラーナとか、シャクティーとかクンダリニーというのよね。

 

そのクンダリニーがスシュムナーとかイダーとかピンガラという管を伝ってとぐろの螺旋を巻きながら頭頂のサハスラーラのチャクラに達した時に、そのチャクラの千の花びらが開花し解脱、覚醒に至るとされているでしょ。火の蛇が発するクンダリニーなの。

 

この蛇なのだけれども神様が二本の木を生えされたときにそこにも蛇がいたでしょ。同じ創世記にはイスラエルに害を加えた毒蛇と、それを解毒して癒した蛇のことが書かれているでしょ。蛇にも蝮のような毒蛇と、神遣とされる白蛇がいるのよ。

 

この蝮が聖書では六百六十六と示されている蛇なの。白蛇は古事記で八百八十八と示されているの。神が取って食べるなと禁じた木には蛇が絡みついているでしょ。イスラエルのカバラの命の木にも蛇が絡みついているの。

 

それを判りやすく示しているのが古事記の岩戸開きのシーンの、根付きの真榊なの。真榊の幹と根っこは根っこの部分で接しているでしょ。この根っこの部分に蛇がいるの。この根っこの部分が人体のムラダーラチャクラなのよ。このムラダーラのチャクラに八百八十八の火の蛇がいればそれは天に向かって伸びる命の木となるし、そこに六百六十六の蝮がいれば地に向かって伸びる死の木となるの。それが園の中央の二本の木なの。

 

人間はこの世に生まれると、イブがそそのかされたように、皆神様が取って食べるなという木から取って食べるでしょ。イブはとっさに眼が開け、だまされたと気が付いたけれど気が付かない人の方が多いでしょ。気がつかなければそのまま毒蛇の毒クンダリニーが頭頂に達してしまうの。この毒クンダリニーは死に至る病の原子炉なの。病気と死の発生源なの。だからこの毒で人間はみな死ぬのよ。

 

しかしね、同じムラダーラのチャクラに八百八十八の火の蛇がいたらどうなると思う?この蛇のクンダリニーは人の病を癒し死んだ人間をも生き返らせるクンダリニーなの。イブはこのクンダリニーを受けたわよ、アダムから。アダムは火の蛇のメタファーなの。だから二人で命の木への道を守らせられたの。これで二本の木のことは飲み込めたかしら。

 

飲み込めたとしたら次は、ではこの八百八十八の火の蛇からクンダリニーを受けるにはどうしたらいいの?という問題よね。それもイブが示してくれているわよ。

 

イブは禁断の果実をアダムに手渡したでしょ。アダムがそれを取って食べたということはその罪を自分が背負ったということなの。そのことにより死の罪は贖われたの。

 

でもそれだけではまだ十分ではないわよ。イブは神様に懺悔しているでしょ。それは悔い改めたということでしょ。だから神様から皮の衣という賜物を賜ったの。

 

このアダムがメタファーの八百八十八の火の蛇は全人類の罪を肩代わりしたでしょ。その中には懺悔しないものも含まれるの。でもね、懺悔しないと賜物は賜われないの。その賜物とは何だと思う。それは八百八十八の火の蛇の、六百六十六の火の蛇に対する「この人から出て行け」という御言葉なの。

 

その御言葉が効かなければ六百六十六の蛇は出ていかないの。なぜかというとその御言葉を受ける人間に八百八十八の火の蛇に対する信仰が無ければその御言葉が効かないからなの。この火の蛇は信仰のない人を癒せなかったでしょ。

 

それが六百六十六の火の蛇の思うつぼなの。すべての人間の罪を八百八十八の火の蛇が肩代わりしたから、人間は、みな一度は死の罪を許されるの。でもね、八百八十八の火の蛇に六百六十六の火の蛇を追い出していただいて、自分のムラダーラに八百八十八の火の蛇をお迎えして許されるのと、懺悔しないでムラダーラに六百六十六の毒蛇を抱えたまま死の罪を許されるのとでは雲泥の差なの。これが、神が園の中央に生えさせられた二本の木の本当の差異なの。

 

ムラダーラに八百八十八の火の蛇をお迎えしてクンダリニー覚醒させていただくとそのようなことは当たり前のこととして理解させていただけるの。当然サハスラーラの千の花びらなどは開いてしまうわよ。

 

仏陀のような大輪の花びらではなかったとしても開いてしまうものなの。だって八百八十八の火の蛇のクンダリニーよ。開かない方がどうかしているの。協同組合には注意してね。

 

みんな私の下手な文章で理解できたかしら。とりあえず今日中に投稿しとくわね。

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