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大祓の最後の一週間は心静かに過ごしたいから今日の内に日本の皇室について書いてしまうわ。

 

日本の皇室は天照大御神とのご縁は切っても切れない関係にあるでしょ。それは裏天皇家と言われ、天照大御神の心御柱をお祀りしている裏天皇家も同じなのよ。その裏天皇が天照大御神の心御柱はキリスト・イエスの聖十字架であると公言してしまっているの。

 

このことは、天皇家はキリスト・イエスと切っても切れない関係にあるということでしょ。キリスト・イエスと切っても切れない関係の王家と言えばイスラエルの王家でしょ。イスラエルの王家と言えばダビデとソロモンがその象徴となっているのよ。そういうことなの。

 

ダビデもソロモンもイスラエルの神により油を注がれた王であり、そのイスラエルの王はヤハウェすなわちイエス、すなわち天照大御神なの。イスラエルの王はダビデとソロモンだけではなくイエスが地上を歩かれたときにも、ヘロデという洗礼者の首を落としたゴミくずみたいな王までいたでしょ。それがイスラエルの王家なの。

 

その歴史において善王もいれば悪王もいたことが聖書に書かれているのよ。そしてイエスはダビデの末裔のヨハネという人のいいなづけであったマリアという処女の胎に宿ったと書かれているの。だからイエスはダビデの子でありイスラエルの王家の流れを受けたイスラエルの王でもありメシアなのよ。そのメシアが生まれたと占星術の博士たちに聞かされたヘロデ王はその当時生まれた赤子を皆殺しにさせたのよ。

 

これがイエスの当時はユダ族となっていたイスラエルの王家のごく大雑把なあらましなの。そのイエスが復活後に弟子達から天照大御神として祀られ、その天照大御神により聖任された王が日本の天皇であり、聖任する預言者の立場にあるのが裏天皇家なのよ。

 

なぜそのように言い切れるかというと聖書にそのように書いてあるからなの。イスラエルにはもともと王はいなかったの。エジプトから過ぎ越しを受けて約束の地に達した時も、率いていたのは先見者や預言者と呼ばれる神の人だったの。

 

イスラエルにとっての王とはただ神御一方であったの。しかしサムエルという預言者がイスラエルを裁いている時代に民が異邦人のような王が欲しいと言い出したのよ。神の誉れよりも人からの誉れを望み、王である神を疎んじたということなの。

 

だからそのことをサムエルは喜ばなかったと書かれているの。この記述には絶対に見過ごしてはいけない重大な問題が含まれているわよ。モーセとその兄アロンがエジプトから脱出したイスラエルを率いていた時に、モーセが神の山で十戒を授かっている最中、四十日間所在不明でしびれを切らせた民がアロンに金の子牛の像を作ってほしいと頼み、アロンがそれに応じたのでイスラエルはその金の子牛をエジプトから導き出した神と崇めたのよ。

 

この時神の怒りをかった大勢のイスラエルがモーセにより粛清されているの。しかしその後もイスラエルは神に不平を述べることを改めなかったのでエジプトで過ぎ越しを受けた現役の世代が二人の人を除いて全滅するまでイスラエルは約束の地に入れず四十年も荒野を遍歴したの。距離的に四十年も隔たっていたのではないのよ。

 

そして約束の地に入植して栄えたイスラエルがサムエルの時にまたぞろ神を疎んじ異邦のような王を欲しがったのよ。その繰り返しなのよイスラエルの歴史とは。この時は神は怒りを発せずにサウルという王を立て、サムエルに油を注がせイスラエルの王として立てたの。これが初代の王。

 

しかしこのサウルは臣下のダビデにその地位を脅かされるのを怖れ、ダビデ殺害を図るも神はダビデをたて二代目のイスラエル王が誕生したの。このダビデがイスラエルの傑出した大英雄なのだけれども、とってもみっともない大チョンボをしたことが聖書で暴露されているのよ。それでダビデはイスラエルの神を祀っていたのだけれども念願の神殿建設は許されなかったの。

 

その仕事は皇子のソロモンの代で完成されここにエルサレム第一神殿建設という偉業を達成したソロモンの栄耀栄華の時代を迎えるのだけれども、ソロモンも後年に至り大チョンボ。それゆえにイスラエルの十二支族の分裂というとんでもない事態を招くのよ。

 

ダビデとソロモンはその恥を聖書に書かれ、さらされてしまっているのだけれども、それについての悔い改めを示した預言者として詩編や箴言を智慧の書として聖書に残したの。というのが私の理解。

 

これがサウル、ダビデ、ソロモンというイスラエルの王の発祥なのだけれども、それは神がそう望んだのではなく民が欲したからなのよ。ここに失われたイスラエルであるこの国の皇室の起源を私は見ているの。

 

天照大御神とその預言者で天皇即位の儀式を取り仕切る裏天皇家と皇室の有り様は、イスラエルの神と油注ぐ預言者と聖任される王という枠組みとまるっきり同じなのよ。

 

しかもサムエルは民が王を求めた時にそれを喜ばなかったという記述は見逃してはいけないの。預言者であるサムエルは民がまた金の子牛を望み始めたと気が付いていたはずなの。だから喜ばなかったの。

 

そしてこの日本の隠れた預言者である八咫烏たちもその気分は共有しているわよ。古事記にその気分がはっきりと示されているの。この国の皇室の由緒は天照大御神から御神璽を託された天孫の降臨でしょ。それは天孫瓊瓊杵尊に託されたの。なぜ子ではなく孫かというとアブラハムの孫イスラエルの神だから。

 

その天孫瓊瓊杵尊が葦原の中つ国に降臨した時に木花開耶姫(このはなさくやひめ)をみそめ、その姫の父から同時に娶るように差し出された岩長姫は醜いとして送り返して、木花開耶姫(このはなさくやひめ)とだけ結ばれているのよ。

 

これは何を意味しているかというと岩のように長い命をもたらす永遠の命の木の主を拒み、花の散るようにはかないこの世の命を選んだということなの。永遠の命をもたらす神の誉れよりも、人の子であるこの世の王の誉れを求めたということなの。奴隷から自由に導いた神を退け金の子牛の像を拝んだということなの。それがね、天孫降臨神話で示されているのよ。

 

そのイスラエルの歴史はこの国の皇室の歴史と共に今も進行中なの。私が生まれた昭和の時代に天皇は大チョンボをしでかし原爆二発の投下を招いてしまったの。しかしそのようなことでは退位せず、しっかりと後始末をつけその後のこの国の大躍進の推進力となられたでしょ。

 

私はその大躍進の真っただ中に生まれ、それを肌身で知っているわよ。昭和天皇はダビデやソロモンに匹敵する大王であったと思っているの。アブラハムの祝福を受けた失われたイスラエルをご自分の御代一台で世界の経済大国にしてしまった大王なのよ。そう考えればダビデやソロモンを凌駕していると考えてもおかしくはないでしょ。

 

天皇の存在とはそのように臣民の生活に絶大な影響力を保持しているのよ。それは臣民が神に代わり治めてくれるように望んだから、神によりそのように任されているということでしょ。昭和天皇は失われたイスラエルという自覚があったかどうかはわからないけれども、天照大御神に全権をゆだねられているという御自覚があったのではないかしら。

 

しかしね、天皇といえども人間だから、その次の御代においてはいきなり自分の蒔いた種についてなんのフォローもせずに生前退位ということもあり得るのよ。それでは後を任される皇孫も大変よねと思ってしまうの。

 

天皇は臣民の生活に対する責任があるのよ。本人が自覚していなくても臣民が望んでそうなったのだから、天照大御神から全権をゆだねられているの。だからその自覚と覚悟がない天皇が即位すると世は乱れるの。それがこの国において天皇が神と同一視される根本原因なの。

 

人間には賢愚というものがあるでしょ。それは天皇であれ免れ得ないの。そこのところをよく分かった上で私は令和の今上天皇は最大限に尊重するわよ。その臣下としてね。

 

でもね、天皇陛下からはいくら求めても永遠の命は賜われないわよ。それができるのは天皇陛下を臣下としている天照大御神だけでしょ。「求めなさい、そうすれば与えられる」の御言葉の通りに私、与えられてしまったもの。天照大御神の御言葉の一言一言には誤謬は一切含まれていないわよ。だから一言主の神様なの。そのようなことを肌で感じることができずに何も求めずにこの世の終わりを迎える日本人がウヨウヨいるの。ちょっと速足だったかしら。でもそういうことなの。

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