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もうね、完全にとどめさされたわ。イエスの御言葉に従って自分の十字架を背負ってイエスについて来たら、その十字架上で完全にとどめさされたの。イエスによるとどめさし⁇なの。127日の記事

師走の天地創造の風景

この記事で「明日は何が待っているのかしら」と記事の結びにしたのだけれどこの七日から今日十日までの間の瞑想がすごかったの。

 

そして今日十日に十字架上でとどめさしを受けてしまったの。十日の十字架よ。それはね、一つ前の記事で六百六十六の解き明かしをさせられてしまって、ついにとどめを刺されてしまった、という感覚なの。

 

アウトプットすることにより自分のものとさせられるのよ。六百六十六について、うすぼんやり理解していたことをはっきり白黒つけさせられてしまい、とどめを刺されてしまったの。

 

十字架上で死んだの私。あとは三日目に復活するだけね、それでイエスの御言葉のように新たに生まれるのねとか瞑想していたのよ。

 

そうしたら三日目は十二日ではないの。ここに十と十二が現れるではないの。仏陀の十大弟子とイエスの十二弟子が現れるではないの。

 

神道の祝詞にね、一二三祝詞というのがあるのよ。一二三神示ではないわよ。あの神示は六百六十六の神示だから注意してね。その一二三祝詞の言葉はね「ひとふたみよいつむゆななやここのたり ひとふたみよいつむゆななやここのたり ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず ふるへ ゆらゆらとふるへ」となっているの。

 

この一二三四五六七八九十百千萬の言霊は十種の神宝の神宝の言霊であり、その玄義は、神様が十の戒めをふるいとしてゆらゆらとふるいにかけるということだと理解していたのよ。洗礼者ヨハネはイエスが手に箕を持ち、打ち場をきれいにし、殻と麦をふるいにかけると示しているでしょ。

 

そこまでは気が付いていたのだけれど、今日気が付いたのは、「ももちよろず」の「百千萬」は十一、十二、十三なのよ。これはね十字架上の死の三日後の十二日にイスラエルのメシアが復活し、その翌日にイスラエルの十二支族、イエスの十二弟子が、復活したイエスと共に一堂に会し、十二人とイエスが再会して十三人となるということではないの?という瞑想なの。

 ヨハネは黙示録で24人の長老を見ているのだけれども、この24人とはイスラエルの12人の族長と、イエスの12人の弟子の集まりではなかったのかしら。

 

これオカルトではないわよ。オカルトの示すものは受難だから恐怖の対象だけれども、虚空蔵求聞持法による瞑想が示すのは救済であり祝福なの。怖いことなどひとつもないの。それを恐いと思うのはその人がオカルトから解脱できていないということなの。このブログを読みに来てくれている聡明な読者の人はそのことをしっかりと立て分けて考えてね。

 

神仏のことを語りながら死の灰を排出し続けている、そんじょそこいらのいかさまブログとは違うでしょこのブログ。

 ここまで書いてしまうのも私が完全にとどめを刺されてしまったからなの。死の灰の恐怖からこの道に入った私が、神様に死の灰を除染され、その恐怖から完全に解放され自由にされてしまったということなの。

 

十二日は何が待っているのかしら。

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