このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
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今日も記事書こうと思っているのだけれども久々に何を書こうか案のないまま書き始めてみるわ。最近は日ごとに何かのインスピレーションを感じることが多かったのでその受けたインスピレーションをその時々で記事にするとういう事が多かったの。

 

最近の流れでは大きな被害をもたらした台風19号の到来に合わせて回想させられた玄倉川の水難事故から、大バビロンの奴隷船という印象を示され、けっこう書きながら目を白黒させていたの。

 

聖書のイエスの御言葉をストレートに読解すれば、この世は救世主の警告にもかかわらず罹災する人の方が多い激甚災害の現場だということは既に了解していたの。救世主イエスが聖書の中でそう宣言しているのよ。そのことに気が付いたときも結構衝撃を受けて寝込んだ。その罹災者は自分の友人、知人、親族、肉親のことに他ならないと感じたから。

 

そのようなことも、時がたつにつれ仕方なくどうしようもないことと了解済みであったの。でもね、実際に玄倉川で流されている罹災者の映像をユーチューブで再確認したらまたぞろ恐ろしさに見舞われ、ブログ記事全て下書きにして公開停止、しばらくお休みしたわよ。

 

このブログ怖いからもうやめようと本気で思っていたの。でもその後にこの世で起こっているのは川の中州のバーベキューで十数人が罹災するなどという小規模なことではなく、バビロン河でそれと気が付かずに流されている奴隷船がやがて滝つぼにのまれ沈没するという大災厄なのだとインスピレーションを受けたのよ。

 

そのようなことは太古にヨハネの黙示録に既に記述されている事でしょ。しかも、自分はその奴隷船から逃れ、既にイエスが示した狭き門を見出し、その現場から逃れて避難してしまっているのだから、暗い気持ちになっていても仕方がないでしょということになったの。そうしてまた気持ちが晴れて来たの。

 

目の前真っ暗になると光が明け初め新たに大御神がお出ましになるということの繰り返しなのね。そのような小規模な岩戸開きの未に最後の最後でドドーンと特大の岩戸開きがあるのよ。

 

そのことを私は聖書と仏伝と古事記で示されていて、読解済みなの。だからこのブログ読みに来てくれる人の目の前は一度真っ暗にしてあげた方がよいのでは?と思うようになったのよ。

 

それで今まで恐いと思って書いていなかったこともすべて書く、現状の私が知っていることは全部書くと決めたの。そして最近のその帰結がお正月のお屠蘇なの。

 

この世のグレーソーンで遊び暮らした人たちは自分の近親者であろうと、お構いなしに生贄の身代わりとなり大晦日に屠られることになるの。神仏のお諭しにより白黒はっきりつけた菩薩たちが善いお正月を迎えることができるのよ。

 

善悪を知る木から取って食べ善悪を知ることができなかった阿修羅たちを生贄として屠り、善悪を知った菩薩たちの蘇りにより神様はその均衡を保たれるの。

 

その神様がイスラエルの命の木により示される均衡の柱、天の御父、ブラフマ、天御中主神、伊弉諾尊、素戔嗚尊等として知られる神様なのよ。

 

この神様と救世主である歳神様がお正月にお屠蘇の盃を下されるの。悪魔といっしょに屠られる淫婦は姦淫の杯に酔いしれているでしょ。メシアに蘇らされる花嫁はご神前で結びの固めの盃を受けるでしょ。その二つの盃を合わせてお屠蘇の盃なの。どちらを選ぶかはメシアの許嫁次第なの。神様に賜った自由なの。

 自由なの。

 

また書けた。タイトル何にしようかしら。


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