このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

 天照大御神が倒語(さかしまごと)で何を語っていたのかということのまとめ記事を書いてみるわね。この倒語(さかしまごと)とは味方だけに通じる言葉を使い妖気を祓い平らげることと日本書記に記されていて、それは神武天皇の御代の始まりの日に定められたことになっているの。

 

 私はこの倒語(さかしまごと)をイスラエルの命の木のカバラ、お釈迦さまが伝えた虚空蔵求聞持法と理解したの。それを判りやすく一言で表現してしまったらどうなるかしらというのがこの記事の主旨。古事記には一言主などという神様も登場しているわ。

 

私の中では天照大御神がキリスト・イエスであることはもう疑い得ないのよ。ではキリスト・イエスは味方にだけ通じる言葉で何を語っていたの?味方とはだれ?

 

味方とはねイエスにより救われた解放奴隷たちなの。その開放奴隷たちに倒語(さかしまごと)の隠喩を用い、まだ開放されていない奴隷たちを救うようにお示しになっていたの。だから開放奴隷たちが残した聖書、お釈迦様の仏伝、神道及び古事記は隠喩のオンパレードなの。

 

なぜ隠喩を用いるかというとね、悟りが絶対の必要条件なのよ。悟りが無ければ解放され得ないの。解脱、悔い改め、禊という救済に対する悟りの智慧が無ければ解放され得ないの。

 

イエスのお遣わしになる助け手としての聖霊、ブラフマとビシュヌの介添えのシバ、須佐之男命と天照大神の介添えの月読命、天御中主神と高皇産霊神の介添えである神皇産霊神様たちはすべて同一神で、私は大自在天とお呼びしているのだけれど、この大自在天の洗礼を受けるためには悟りによりサタンの妖気を、まず自力で払い平らげなければならないの。

 

解脱、悔い改め、禊を自力でなしてサタンの妖気を排した後に、大御神と大自在天の他力による禊により梵天に菩薩として認められるの。

 

仏陀釈迦牟尼の仏伝と、聖書の真言からなった神道においてその日取りが七五三と示されているの。それはね三日目と五日目を経た六日目で神さまはその手の業を終え、七日目には安息日として休まれるからそれまでには七日目と八日目を迎える準備は終わっていなければいけないということなの。

 

聖書の十戒の中の「安息日を心に留め、これを大切にせよ」というのはそういうことなの。神様がその手の業を終えられるということは何を示しているかというと、その日にすべての菩薩枠が埋まるということよ。それはヨハネの黙示録にも示されているわ。そうなった時に七日目の安息日に入り神様は休まれるの。だから六日目までに準備ができていない者たちは油断した愚かなおとめとみなされると諭されているでしょ。

 

その六日間とはね現代の神道においては、神様が取って食べるなと禁じられたクリスマスの木から取って食べてから晦日迄の六日間と示されているわよ。晦日までにその悔い改めをし、大晦日と翌元旦を迎える準備が整っていないと年を越せないのよ。七日目の安息日の終わりに油断したおとめたちはサタンの後宮に放り込まれ、鎖で縛られサタンと共に石打の刑に処されるの。それは愚かなおとめたち阿修羅が奴隷のまま復活させられ二度目の死を受けるとも解放奴隷たちの聖言で示されているでしょ。だから大晦日の一夜飾りでは間に合わないのよ。

 

この二度目の死を免れるのが、菩薩とされ、其のまま復活させられて如来と婚宴で結ばれる羊たちと示されているの。お釈迦さまは菩薩となったものは一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないと言い残しているけれども、菩薩はサタンと共に二度目の死を受けることは免れるということなの。

 

この世でまだ人間が生きているということは神様の六日目の業がまだ終わらず菩薩枠はまだ残っているということなの。この枠が埋まった時に神様の六日目が終わるの。大分押し詰まっているわよ。ヨハネの黙示録よく読んでね。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング