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先日今上天皇の大嘗祭が執り行われたけれどもイスラエルの王と日本の天皇のことなど考えていたらまた奥深いことに気が付かされたわ。

 

このブログではね男性と女性に、父なる神と子なる神の関係性が創造性の反映として、子なる神メシアと救われる僕の関係性が救済性の反映として共に映されていると説いてきたの。そして今になってもう一つの関係性に気が付かされたの。

 

それはなんと破滅性の反映なのよ。この関係性はねサタンと淫婦の関係性なの。つまるところこの関係性が奴隷船内の男女の関係性なのよ。この奴隷船においてメシアは「右の眼が罪を犯すならえぐり出してすてなさい」と御説きになったの。この目で犯す罪というのはサタンの属性なの。この世で命の息を与えられた人間とはみなメシアのいいなづけとしてそうされているの。そのメシアのいいなづけを自分の後宮に引きずり込もうとするのがサタンなの。これが他人の妻に眼で犯す罪でサタンと同罪なの。神様の十戒では「隣人のものをほしがってはいけない」と示されているからね。

 

その後宮に引きずり込まれることを免れようとしたら男は右の眼を抉り出すか、そうせずに済ませるために解脱するしかないの。その方法は少し前の記事に「阿修羅の解脱」として記事にしておいたでしょ。

 

さらにメシアは姦淫の現場で捉えられ引きずり出された女を、石打の刑から免れさせ、お許しになり、もうその罪を犯すことはないようにと諭され、行かせたでしょ。これがね、メシアのお説きになった悔い改めなのよ。

 

このサタンと淫婦の破滅の関係性を免れるための作法が解脱と悔い改めなの。これが男性原理と女性原理が破滅から免れるための原則なのよ。男の右の目の犯す罪にサタンの悪魔性が潜んでいるというのは判りやすいわよね。問題は一般の女性たちの中にひそんでいる娼婦性なの。

 

これは見過ごされがちでしょ。そこで思考実験。ある一人の心のきれいな清純無垢な女の人がいて、その人の職業が女優業だったとするでしょ。この女優さんはね、より多くいい仕事をしてたくさんの報酬を得て、成功したいと思ったら自分の長所や短所までをもフルに生かして、世の他人の夫たちの目をくぎ付けにすることが職業的に要求されるでしょ。それがアイドル業で、その世界ではより過激なファッションに身を包んだほうが効率的でしょ。行き過ぎると失敗するでしょうけれど。でも昨今は行きつくところまで行きつくアイドル業が隆盛を極めているでしょ。

 

一般女性はそこまで堕ちないとしても娼婦性を秘めたアイドルたちのファッションが現代的でしょ。その意味ではミニスカートや過激に胸元の開いたファッションは、男の目で犯す罪を誘発して楽しんでいると言えるでしょ。夏場の水着ファッションなどは誰も悪いこととは思わないけれどもその典型でしょ。そこに秘められた現代女性の無意識、無自覚な娼婦性があると思うのよね。

 

その娼婦性がイスラエルにおいては石打の刑と定められていたの。男を外の闇に放り出させるほどの罪を誘発する罪に対する無自覚さ。そのことに悔い改めを促すメシアの心があるでしょ。年配に至った女性であればそのようなことは理解できるとしても、若いころはどうだったかしら。メシアの言葉によりそのころのことにまでさかのぼって悔い改めないと石打の刑は免れ得ない可能性はない?

 

私はそのような性の問題から、その他のことまでを神様の十戒に照らして、物心ついてからこのかた犯した罪について全て神様に懺悔したわよ。そこまで悔い改めないとお釈迦さまが女性は解脱できないと言ったことの意味は理解できないわよ。

 

私に言わせれば、男性原理に求められるのが解脱、女性原理に求められるのが悔い改めなの。そして男と女はどちらもこの男性原理と女性原理を共に埋め込まれているでしょ。だから男は解脱と悔い改めは必須なの。女性は悔い改め優先なの。女性においては女性原理が優先されるべきで、メシアのお説きになった悔い改めをまず先に悟ることにより、お釈迦さまが女性は解脱できないと御説きになったのは、女性原理の悔い改めが、解脱の助け手となるべきだからだと悟るの。そのようにして女性は男性の解脱の助け手として働いたときに、神によりその美徳を賞賛され救われるはずのものなのよ。と私は思うの。

 

男と女の主従はね、解脱者と解脱の助け手の主従なの。御父と御子の主従なの。メシアと僕の主従なの。この世が男社会なのは神の支配が行き届いているからなの。そこに男女同権の人権思想を持ち込むのが悪魔なの。神と悪魔も主従の関係性なの。悪魔はこの主従関係の中で神に敵対しているの。

 

そこに搾取と非搾取の無慈悲な主従関係が生まれ奴隷船の中ではその無慈悲が優先され増殖するの。昨今では男性原理と女性原理が転倒していてあいまいになったままのトランスジェンダーな人たちも当たり前のように出現しているでしょ。そのような人たちは奴隷船の中での芸能活動や風俗産業の中でしか陽の目を見ないでしょ。

 

そのような世界の芸能人が、お釈迦さまが示された歌舞伎聚楽主であり、ファンを悪趣に導く盲人たちなの。そのような事態は古代からあり、メシアが、「偽善者よ、自分の目から材木を取りのぞいてよく見えるようになりなさい。私から目薬を買いなさい」とお諭しになられたの。

 

五体満足で外の闇に放り出され、そこでの石打の刑から免れるためにはメシアの御言葉に従うしかないでしょ。サタンと娼婦の関係性からの解脱、悔い改めなの。それは大御神の禊によりもたらされるものなの。

 

サタンにそそのかされ、いいなづけであるメシアを裏切る娼婦には男も含まれるわよ。色即是空でしょ。


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