このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

ブログの記事を書けば書くほど風景が鮮明に見えるのよね。初めの頃はジグソーパズルのピースをはめ込んでいたのだけれど完成してみたらとんでもない風景だったの。知恵の輪をカチャカチャやっていたらある時、あら外れちゃったという感じなのよ。

 

このブログ立ち上げたのが今年の7月なのだけれどその時は奴隷船とかお屠蘇の上下車線などとはまるで構想していなかったからね。モノクロの絵がカラー化され3D化されそして細部が拡大して見えるデジタルの拡大鏡つけさせられている感じなの。

 

私ももう還暦過ぎの老境なので人里離れたところで花鳥風月を愛でながらひっそりと静かに終われたら良いのだけれどなぜかそうさせてもらえない感じなの。私の走行している上り車線は下りの車線とどうしても隣り合わせなのでその喧噪が嫌でも目に飛び込んでくるのよ。

 

それでこの下りの奴隷船がどのように上り車線から見えるのかというとね、この船には売春宿はあるわ、詐欺師が巣くっているわ、いじめが蔓延しているわ、次々に前科者を生み出しているわ、その他諸々でしょ。いったい何が起こっているのか正常に認識しようとする人が見当たらないの。

 

メシアはこの世で「私のことを信じない者が私を殺すのである」と言い、その書物はこの奴隷船の中でもベストセラーであるにもかかわらずなの。この奴隷船内の奴隷たちのメシア殺しの重罪をすべて肩代わりして、十字架上で救いの御業がおこなわれたの。しかし奴隷たちはそれを信じないのよ。許されたのにそれを信じずにそのとんでもない重罪を抱えたまま大船の中で、平和に暮らせればよいという正常性のバイアスにとらわれているの。

 

前科者も非前科者も宗教者も科学者も貧者も富豪も死刑囚もメシアの言葉の前で皆一蓮托生なの。重罪を抱えたまま平気で結界を超えようとしているのよ。一度目と二度目の死がある事迄はっきりと書かれていて、最初の復活と二度目の復活の違いについても示されているのにもかかわらず。

 

メシアを悟っていたお釈迦さまが、弟子たちに菩薩と如来について伝えたのに読解しようとしないの。将来如来となることを約された菩薩というものを理解しようとしないの。

 

メシア殺しの重罪犯が起訴され留置され審理のために二度目に復活させられると書いてあるのよ聖書には。この犯罪者たちの右の手か額に六百六十六という印がつけられているの。獣の印と呼ばれているでしょ。なぜ獣とみなされるかというと、動物たちは神を分別しないでしょ。神を分別しない人間は獣とみなされるということ。ここにはさらに奥が有るの。動物たちは神を分別しなくても神の怒りはかわないでしょ。神を分別しない人間には怒りの日と裁きの日があるの。裁かれる人間は獣以下なの。動物は神の怒りを買い地獄に堕ちるということはないけれども人間は堕ちるわよ。サタンと獣と偽預言者のいる所と示されているでしょ。古事記では永遠の腐乱ゾンビの黄泉と示されているわ。

 

もう私ね、読者の目の前真っ暗にすること平気になってしまったわ。真っ暗の闇に覆われるから光がさし初め岩戸が開けるのよ。日本人にとってこの重罪とは天照大御神殺しなの。誰が考えたって重罪でしょ。もう私のいる上り車線からはそのようにしか見えないのよ。見たくない風景なの。

 

でもね、神様により奴隷から救われてしまったら見て見ぬ振りできないの。神様にお仕えしなければならないの。地獄とか悪趣に堕ちるということは悪魔であるサタンのハーレムで囲われ、その結界の中で仕えさせられるということなの。みな天照大御神にお仕えできるように命の息と分別を与えられながらイスカリオテのユダのように裏切るのよ。これが上りの車線から見える風景なの。

あなたは無縁でいられるかしら。

 重たい記事しか書けなくなってしまったわ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング