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羊飼いの声を聞き分ける時にはその妨げになる煩悩の滅却が絶対に必要なのよ。その作法が解脱でしょ。前の記事に書いたけれど女性は解脱を必要とされていないわよ。解脱の助け手としての悔い改めが必要なの。それはメシアに対する信仰があればさほど難しいことではないでしょ。

 

問題は男の解脱。これは阿修羅君たちが独自の瞑想で悟ればよいと思って今まで書かなかったのだけれど、もう日取りが大分押しているのだから阿修羅たちの解脱の時間短縮のために書けと神様がおっしゃるの。だから書くわ。

 

男の目から見た女性の美が最大のネックなの。花鳥風月の美に目を奪われることはあるけれど欲情しないでしょ。女性の美は男にとっては花鳥風月の美をはるかに凌駕しているということなのよ。その故に風俗産業が繁盛しているの。男の煩悩にその需要があるからなくならないの。

 

そのような男の煩悩に対してイエスは「右の眼が罪を犯すのであれば抉り出して捨てなさい」と御言葉したの。自分の妻以外はすべて他人の妻でしょ。その他人の妻に対して目で犯す罪のことをイエスは言っていたでしょ。

 

では右の眼を抉りださずに済ますにはどうしたらよいのか。私は瞑想しながらそれを考えていて抉り出さずに済ますことに成功したわよ。だから書けるのだけれども。なぜ女性の美は男性にとって花鳥風月の美をはるかに凌駕しているのか。一歩間違えばその虜になり、犯罪を犯しかねないそのような危険性をはらんでいるのかなのよ。毎日一歩間違えた人のニュースが後を絶たないでしょ。

 

  ここでもその鍵を握っているのはアダムとイブなの。このブログでもう何度も書いていることなのだけれど男女にはね創造主と救世主の主従がまず初めに反映されているの。創造主である神様が「光あれ」という言葉を発して救世主である光の神様が生まれたの。救世主であるイエスは御父の子なの。男と女はこの父と子の似姿でありそこには主従の関係があるの。そして従者であるメシアの光が女性に反映されているの。このメシアの光とはカバラの命の木で示されているように慈悲の光なの。

 

そのようにしてイエスという救世主の光のまぶしさが女性の美に反映されていると理解したら、イエスに従うことを決意した従者は女性の光を見てどう反応するのかしらという問題なの。すべてが他人の妻であるのだから欲情の対象ではありえなくなるでしょ。そこには花鳥風月の美を凌駕した聖性の美であり慈悲の光が誰にも知られずに秘められていたのという理解。


 そこまで悟れればもう右の眼を抉りだす必要はなくなるわよ。だからと言って男性が生殖能力をうしなうわけではないでしょ。でも生理現象をともなうから次第に体を慣らすということは必要かもしれないわよ。

 

そうして初めて男と女の関係に次の段階のメシアと僕の関係が反映されていてそこに救いがあると理解できるのかもしれないわね。

 

このようなことは瑜伽タントラの密教を意識しながら、シバリンガを瞑想の対象とすることから私は入っていったわ。最終的にはやはり虚空蔵の求聞持法で悟らせていただいたということになるのよね。羊は羊飼いの声を聞き分け悟るの。それが永遠のお約束なの。

 

このようなことも教会キリスト教や葬式仏教では教えてくれないでしょ。だから奴隷船の中の宗教なの。

 

お釈迦さまは「ただ座れ」とお諭しになったの。下船した後の瞑想が一番効くわよ。


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