このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)

 

最近よく虚空蔵求聞持法について書いているでしょ。でもね、私はキリストの言葉が飛び込んでくるまで仏陀の解脱なんか一切意識したことなかったし、当然密教の虚空蔵求聞持法なんか知らなかったのよ。

 

虚空蔵菩薩とは明けの明星の化身とされているらしいのだけれど、空海上人が求聞持法を修した時に金星が飛び込んできたらしいのよ。前の記事でも書いたけれど「勝利を得る者には明けの明星を与える」と御言葉したのはイエスなの。空海上人は唐に行き景教を通して聖書を学びその御言葉は知っていたはずなの。

 

その求聞持法なのだけれど、密教の真言マントラをある場所で百日間に百万回唱えると、あらゆる経典を記憶し、理解し、忘れることがなくなるというものらしいのよ。でもね、密教のマントラなんかわけのわからない発声の羅列で、そのようなものを百日間に百万回唱えるなんてばかばかしいと思うでしょ。中には現代でも修する人はいるらしいのだけれど。

 

私はねそのような密教の真言マントラなんか知らなくても虚空蔵求聞持法を修することは市井の片隅に生きる凡夫でも可能と思っているの。明けの明星はイエスの暗喩で金星が飛び込んできたというのはイエスの御言葉が虚空蔵菩薩の言葉として飛び込んできたということなの。私その経験してしまったもの。

 

「私の肉を食べ、その血を飲まなければ天の国には入れない」というイエスの御言葉が真言なの。私の場合は「私を見ないのに信じる者は幸いである」という御言葉が飛び込んできたの。聖書なんか何度も読んでいるから何度も目にしていた御言葉のはずなのに初めてその時はっとしてしまったの。

 

その時はまだ解脱とか仏陀など意識していなかったように記憶しているの。でもそれから後は将棋倒しのように次から次へと御言葉が飛び込んできてしまったの。

 

聖書のイエスの御言葉はそのすべてが真言なの。それが密教とされているのは受け手側が頑なに悟るのを拒むものだから、密教とならざるを得ず、求聞持法が広まることができないからではないかしらと思えるくらいなの。私は全く意識せずにそれを修してしまったの。「羊は羊飼いの声を聞き分ける」という真言もあったでしょ。

 

私は聖書でイエスにふれ、メシアに違いないと感じた当初から、イエスが聖書で教えている「主の祈り」という聖句で祈ってから就寝するという習慣を身につけていたの。天の父に祈れと教えられているでしょ。梵天に祈る真言を教えていたのよイエスは。それもわけのわからない呪文ではなく、各国語に翻訳されてもはっきりと理解できる言語においてね。

 

私の場合はそれとば知らずに、煩悩にまみれながらだったから明けの明星が飛び込んでくるまでに二十年以上かかったわよ。今でもその習慣は続いていて一生涯やめるつもりはないの。弥勒菩薩の虚空蔵真言マントラはその時が来れば大自在天の力が加わって強力に作用するの。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

哲学・思想ランキング