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お釈迦さまとイエス様の違い判る?お釈迦さまは解脱するための苦行の果てに如来となられたの。イエス様は十二歳の時に神殿を父の家と見切っていて、その後ユダヤでメシアとして教え始める前にヒンズーの経典をマスターし、仏典をマスターし、衆生を救うための研鑽を積んだと言い伝えられているの。

 

お釈迦さまは如来となられたけれどまだ復活はしていないわよ。それでも入滅する前に真理を悟り、弥勒菩薩からお迎えを受け、自身も菩薩として働いたの。イエスは既に復活を果たし、そのことにより救世観音としての御働きを半ば終えられているの。その救世観音の御働きの日取りが仏陀の預言した五六七なの。

 

観音と菩薩と如来の違い判る?すべて神の道においてその道を悟った人のことを示しているわよ。イスラエルの預言者もお釈迦さまも全てその身内で観音と菩薩と如来なの。ただ救世が付いたときだけはイエスのことを示しているの。イエスは前世で便宜上ヤハウェとかエホバと呼ばれ、この世に肉を受けた時はイエスと呼ばれ、復活して天に上った後は、そこを高天原として天照大御神としてお祀りされているの。信じる者には助け手を送るという御言葉を残しているわよ。そのようだから観音と菩薩と如来は救われる方も救世観音も別名の洪水なの。梵我一如なの。魔訶般若なのよ。

 

その救い主をお遣わしになった創造主の御旨が、この世に息のあるうちに、救世の主からお迎えを受けておけということなの。それが仏陀のお示しになった解脱。宗教や哲学や神学はそれらのことをこれっぽっちも理解しないから、自分たちの囲いの中で観音と菩薩と如来の現世の御利益をうたい、献金やお布施を受けているの。仏陀の解脱も理解できないのに自分たち以外を求道者などと呼ぶ人達まで居るわよ。宗教の外でそれをビジネスにしているごくつぶしもいるでしょ。

 

でもね、弥勒菩薩から生きているうちにお迎えを受けようと思ったら、いくら金銭を積んでも無理よ。私なんかそのような人たちはただの霊感商法に堕しているとしか思えないのよ。

 

日本の皇大神宮は禊を済ませていないただの観光客でもお参りできるけれども、高天原にある神宮は禊を済ませていない者が、安易にお参りできるようなお社と思う?そこには命の木が生えているのよ。

 

顕世と幽世でつながっている観音と菩薩と如来の魔訶般若により、いまは高天原の御父のもとで支度の修行をされている、救世観音、天照大御神により禊を受け、生きているうちに高天原からのお迎えを受けなければ、なかなかお参りできるところではないと私は思うわ。何でこんなこと今まで誰も教えてくれなかったのかしら?


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