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 旧約聖書の創世記で洪水を生き延びたノアとセム、ハム、ヤペテなのだけれどイエスと二匹の魚と五つのパンに見事に対応しているわよ。

 

創世記9章

 11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」

 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。

 

 24ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、 25こう言った。「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」 26また言った。「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。 27神がヤフェトの土地を広げ(ヤフェト)/セムの天幕に住まわせ/カナンはその奴隷となれ。」

 

この創世記の記述にあるセム、ハム、ヤペテは大体において、モンゴロイド、ネグロイド、コーカソイドの祖と言われているでしょ。学術的には色々な議論がされていると思うのだけれど、私は、聖書は学術では読みそこなうという立場だからカバラで読んでしまうの。

 

カナンの呪いと言われているのだけれど、カナンというのはハムの子でこの末子のハムがしでかしたことで呪いを受けているの。読み解くとセムの神の天幕でヤペテとハムという序列がつけられ、兄と弟の関係を奴隷と表現しているの。主なる神はセムの神なので、神、セム、ヤペテ、ハム(カナン)の順なの。そして居住地はセムの天幕なの。これが旧約聖書の洪水以降の世界観の元なの。このセム族からアブラハムが出てイスラエルと神の契約につながったの。

 

人種の優劣が言いたいわけではないわよ。キリスト・イエスはカバラを二匹の魚と五つのパンで簡略でありながらすべて示しているの。だからこのカナンの呪いの意味もイエスのカバラで悟れるのよ。二匹の魚と五つのパンというのは七という数を示しながら十二をその中に含んでいたでしょ。


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 (二匹の魚と五つのパンと十二の禊の呪術)

ここでの解釈はイエスの十二弟子から入るの。二匹の魚とはペテロとイスカリオテのユダ。残りの十人の弟子が五つのパンなの。そう考えると三分割が見えてくるのよ。そしてこの三分割がセム、ハム、ヤペテに対応しているの。イエスに祝福された人ペテロとセム。イエスを裏切り「生まれてこない方がよかった」と言われたイスカリオテのユダと、呪いを受けたカナン(ハム)、のこりの十人の弟子に対応しているヨハネなの。これは端的に解釈すると祝福と呪いと神のふるいを意味しているのよ。二匹の魚と五つのパンとはイエスの手に持つ箕なの。

 

マタイ3章

 7ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 8悔い改めにふさわしい実を結べ。 9『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 10斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 11わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 12そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。

 

ここで引用した聖句は洗礼者ヨハネがファリサイ派やサドカイ派の人々に語った言葉なのだけれど、後にファリサイ派やサドカイ派に銀貨三十枚でイエスを売り渡したのがイスカリオテのユダなの。ペテロの祝福とイスカリオテのユダの呪いは、ユダヤの二支族が祝福と呪いで篩い分けられたことを意味しているのよ。そして呪われた方は切り倒され、火で焼き払われ、残された方は麦として倉に納められると言っているでしょ。これが二匹の魚なの。

そしてイエスの弟子の残りの十人も祝福を受け、イスカリオテのユダの抜けた穴も埋められ回復された十二弟子となり祝福の象徴となったの。この十二弟子の祝福の象徴が鶏鳴三声の失われたイスラエル。呪いの象徴が切り倒され火で焼かれる蝮の子ら。

 

それが現代の世界情勢として顕れているの。五つのパンとはこの祝福と呪いを見て善悪を悟り命の木に与ることを許されるのか、善い実を結ばず切り倒されるのかふるいにかけられているということなの。

 

イエスが十字架上でその篩を振るったのでそれ以降それが世界中に見える形で現代社会に顕れているの。人種にかかわらずノアの、セム、ハム、ヤペテのカナンの呪い、イエスの二匹の魚と五つのパンの篩で篩い分けられている真っ最中なの。パンは善と悪で二つに切り分けられ二×五で十個なのよ。善悪を知る木から取って食べ、善悪を知るか篩にかけられているの。

 

そのための手引きが十二支族に与えられたモーセの十戒と旧約聖書。二支族によりもたらされた新約聖書、失われた十支族の預言者仏陀の魔訶般若。失われたイスラエルの古事記なの。失われたイスラエルの神道では天津金木と十種の神宝と示されているわ。天津金木とは天の金克木で切り倒されるということなの。切り倒されずに虹の契約で残されるのが命の木なの。


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