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一つ前の五輪の記事などどうでもよかったわね。シバリンガが太古から受胎告知のシンボルだと書いてしまったら、視界が360度開けてしまい、全天球型のプラネタリウムの中心にぽっかりと浮かんでいるような心持ちにさせられたの。地球のマントル対流やそれにより引き起こされる自然現象や、惑星の自転や公転のスパイラルとその対流と生命御守護とはすべてが梵我一如なのよ。
その視座から自分が御守護を受けているこの世を見るとやはりそこは1999年の夏の玄倉川と相似象でしかないのよ。その記事を書いた時は後で恐くなり二週間ほど記事の公開と更新ができなくなったの。その様にして人は神様の恐ろしさを知るのよ。神様に対する畏怖を知るの。
それを知るからその恐ろしさを神様により取り払っていただけるのよ。そうなったら御霊により結ばれるから梵我一如により新しく生まれ、新たな生命御守護をお受けすることになるのよ。
その様な恐ろしさは宗教では教えてくれないのよ。私の知る限りで、伝えているのは龍宮の神道だけなのよ。天神様の細道と謳われているでしょ。オカルトなど何の役にも立たないばかりか有害ですらあるわよ。
その細道を通していただくための福音の原則が御子の十字架上の死と復活と、御言葉と聖霊なのよ。伊弉諾尊から天照大御神の御名により月読命の御守護を賜わり、禊ぎするという事なの。それが御子の言う悔い改めなの。その御言葉により、従わなかった場合の神様の恐ろしさも知らされているのよ。
それは第一の復活と第二の死とヨハネにより黙示録で明示されているのよ。黙示による明示なのよ。仏説ではそれが、御守護を受ける者は一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないと伝えられたのよ。その様でありながらこの世はその明示を正常性の偏見において完全に無視しているのよ。被災という負のスパイラルに巻き込まれざるを得ないでしょ。
三つ巴や卍や対極図はすべてその様なスパイラルを暗示しているのよ。御子の受胎告知と十字架上の死と復活のスパイラルなのよ。正副と正邪の二つの陰陽と太極の三つ巴なのよ。龍宮では最古の大神神社の三輪山の神様が三巻のスパイラルの蛇神様なの。
太陽と太陰が天照大御神と月読命の陰陽でしょ。それが正副なのよ。それとは別に光と闇の陰陽があるのよ。それが正邪なの。
光は闇の中で輝いているけれども闇は光を理解しなかったと書かれているの。それが正邪であり善悪であり祝福と呪いなのよ。その陰陽を神は人の前に置かれたと書かれているの。
自然はすべて陰陽で成り立っているけれども動植物の陰陽には呪いなど置かれていないでしょ。動植物の弱肉強食に邪などあり得ないでしょ。しかし人間界における弱肉強食は邪で悪なのよ。そこに呪いが置かれているの。人間界の邪は正を理解しなかった。聖なる光を理解しなかったと書かれているの。
何故そのようになるのかというと、人間が神の似姿に創られていながら、生まれた時にそこにいる闇の化身の妖怪に唆されるからなのよ。だから人間界の陰陽には単なる太陰と太陽と太極では語りきれない、光と闇の陰陽が対流しているのよ。
天神様の細道を通していただくとその対流の中に未知の恐れを感じるの。しかし御言葉と聖霊によりその恐れが締め出されるのよ。
ヨハネの手紙一 4
18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。
福音の原則により賜る光が、人間を御自分たちの似姿にお創りになられた神様の愛なの。天照大御神と月読命の正副の御光なのよ。闇は自分の悪が晒されるのを怖れ、光を理解できずに光に来ようとしないと書かれているの。
聖霊に逆らうことになるからこの世においてもあの世においても許されることはなく、二度の死につながると書かれているの。その様な恐れを締め出してしまうのが御光であり神様の愛なの。
そのシンボルが十字架であり横木の左右が太陰と太陽であり、幹と根が光と闇の陰陽なのよ。樹木においては幹と根は正副の陰陽であっても、それが生命御守護の命の木となると、大御神の岩戸の前にかかげられた根付きの真榊となり、幹と根は祝福と呪いの陰陽と化すのよ。
その十字架上の死と復活が岩戸開きであり、太極の対流だから、生命御守護のスパイラルがそのシンボルとされているのよ。それにより贖われ御守護が更新されるの。その様に瞑想するのよね。
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