天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2021年07月

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お社にお参りするとき参道の中央を歩いてはいけないという正中外しという仕来りがあるでしょ。階段の中央に手すりが設けられていたり、神宮の宇治橋の中央には仕切りみたいなものがあって中央は歩けないようになっているでしょ。

 

この正中外しについての説明がそれこそ知ったかぶりの外野のいい加減な説明に終始していて、お伊勢様の三宮の並びが暗示されているのは八咫烏の祭祀の奥義だったとしても、私たちのような天照大御神の臣民である氏子にとってはあずかり知らない事でしょ。

 

神宮の正中直下に大御神の心御柱として御子の聖十字架が安置されているのであれば、参拝の時にその正中を避けて足を運ばせていただくのは当たり前の心がけなのよ。それが神宮以外のお社にも八咫鏡を通して映されているの。そう冥想するのよね。


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この日の丸龍宮は獣に憑依され完全に鬼ヶ島と化しているでしょ。世界権力者の共同謀議とか陰謀史観はその研究者により徐々に明らかにされ、民間でも知られつつあるのよ。もうこの龍宮も外国の流儀に翻弄されて猖獗を極める鬼ヶ島なの。

 

しかし私がそれら慧眼の研究者の言説を読んでも今では一向に共感できないのよ。何故ならそれら慧眼の輩は神道の八咫鏡を見る目がない人がほとんどだから、自身もどこに逃げたら良いのかわからずに警鐘を鳴らしているだけなのよ。

 

それでありながらキリスト教や仏教に対する神道の優位性を説き、サイレンを鳴らすことに終始するだけで満足していると私の目には映るの。足元すくわれるわよ、この人達と目を開けて見てはおれないのよ。しかし慧眼であるが故に色々な情報は提供してくれるので、重宝しているという側面はあるの。

 

天照大御神の八咫鏡にはメシアの御言葉が映され、その様な時代が来たらユダヤにいる人は山に逃げなさいとはっきり示されているのよ。ユダヤとは御子がこの世に来られた時に猖獗を極めた鬼ヶ島だったのよ。山とはこの龍宮においては三巻の蛇神様が祀られている三輪山なのよ。

 

その他にも神宮や八幡様を筆頭に、八咫鏡に映る八百万の神のお社が全国に八万社もあるでしょ。その避難経路は八咫鏡によりすべてがつながっているのよ。私の経験によれば一番霊験あらたかなのは神宮の宇治橋の避難経路なの。その他にも遠隔地に、お参りしたいお社は数多あるけれどもなかなかままならないのよ。いまだに三輪山の神様にもお参りできていない私だからね。

 

それでも夏越しの大祓を、八咫鏡に映る七越の大祓としてお受けしてしまえば、それだけで避難は完了してしまうのよ。気が付かなければ悲痛で逃げ場のない現実にしか見えないこの世でも、気が付いてしまえば軽々と担える御子の軛なの。早く十死越のお祓いをお受けしたいというほどのことなのよ。それまでに龍宮の主だったお社にはすべておかげ参りしたいというのが目下の望みなの。


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西暦2040年のことは前から気が付いていて、軽く記事にしたことがあったのだけれども、余りにも途轍もないでしょ。あまり声高に記事にしないつもりだったのよ。しかし龍宮の裏天皇が古代から伊弉諾尊だと記事にしてしまったら、背中を押されてひとつ前の記事で書いてしまったのよ。

 

書いてしまうとさらにその奥を見せられるのが常なの。ノアが四十日の洪水の後に水が引くのを待って放ったのが烏と鳩だったのよ。ノアはその烏と鳩により乾いた土地が現れたのを知ったの。この物語が予型として、洗礼者ヨハネと御子イエスの物語に引き継がれているのよ。

 

御子がヨハネから洗礼を受けようとした時ヨハネは自分こそ御子から洗礼を受けるべきと、御子を思いとどまらせようとしたの。しかしそうするようにと御子が依頼してヨハネから洗礼を受けたの。

 

そして水から上がると聖霊が鳩のようにご自身に降ってくるのをご覧になり、天から神の声が聞こえたと書かれているの。水から上がられた御子は渇いた土地を見つけたノアに相当しているのよ。新天地に上陸したノアも虹の契約として神の声を聴いているのよ。関わったのが烏と鳩なのよ。

 

洗礼者ヨハネが烏なのよ。父も母もイスラエルにおける祭祀を司る家柄だったの。だから御子は洗礼者ヨハネから洗礼を受けなければならないとしたの。この物語が2001年に引き継がれているのよ。龍宮の祭祀の総元締めである筆頭格の八咫烏が、天照大御神の心御柱を御子イエスの聖十字架と認めたのよ。鳩は古代から龍宮の八幡様にお遣えしながら乾いた土地が現れるのを待っていたのよ。

 

その意味において2001年の出来事はノアの洪水とイスラエルの荒野と御子の受洗に相当しているのよ。御子は受洗後荒野に退かれ、悪魔から誘惑を受けたでしょ。四十日後に悪魔を退け宣教を開始されたのよ。イスラエルにおいては四十日も四十年も四百年もすべて悪魔の誘惑の期間なのよ。その誘惑を退けて新しい時代が開けて来たの。

 

日の丸龍宮が失われたイスラエルと認めることが出来れば、それは踏襲されざるを得ないと思えるでしょ。御子イエスと天照大神に関わる事で、なおかつ祭祀の八咫烏が関わることなのだからそうならざるを得ないでしょ。

 

そして西暦2040年が皇紀2700年なの。その時まで生き永らえようがそうでなかろうが、悪魔の誘惑だけは退けておくように書きなさいと背中を押されるのよ。

 

もう半分経過しているでしょ。巻き込まれると立つ瀬を失うのよ。聖書と古事記と龍宮のお祭りがそう告げているのよ。そう冥想するのよね。

 

 この記事書き終えたところでアクセスカウンター確認したら、昨日の予想に反して一日遅れで7530なのよ。昨日と今日で一八十と七五三なの。しかも今日は私の誕生日だし。八月八日を睨みこの先どう生きていくのがベストなのか模索中なのよ。

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「水無月の夏越しの祓ひする人は千歳の命のぶといふなり」


 この古歌にヨハネの福音書と黙示録のすべてが謳われていたのよ。

 

ヨハネの黙示録 20 

5 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。

6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

夏越しと年越しを、七越と十死越の大祓としてお受けできなければ千歳の間生き返れないのよ。その夏越しと年越しの大祓の時、茅の輪をくぐるでしょ。

 

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8の字を描きながら3周半して蛇神様に縁結びのためのお祓いを祈願するのよ。そのまま御神前で高天原の天皇と皇太子と縁結びの神様にお参りするでしょ。この三柱が八百万の神を統べる神様だから、私はお社ごとの御祭神はあまり気にしていないの。

 

そうしておいて至誠至純の心の誠で高天原と繋がった時に、結納のお使者が遣わされ、大御神と三巻の赤い糸で結ばれるという霊験を得るの。私の場合は誰も教えてくれなかったから、一人で四半世以上費やしても、心の準備も何もないままだったから大分慌てたわよ。   

 

聖書によりそれと理解していたけれども、身の上に起こった摩訶不思議を飲み込むために、カバラと古事記に没頭したの。その集大成がこのブログなの。そして気が付いたら龍宮の古歌にすべてが謳われていたのよ。

 

蛇神様は三五七の七日間の数霊で鎌首を持ち上げ三周半するのよ。二日で一周なのよ。千年換算すると二千年なの。御子イエスの十字架から間もなく二千年経つでしょ。四半世紀もないわよ。

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聖書においては大祓の禊の時には四という数がまとわりつくのよ。四十日四十夜の洪水、エジプト寄留の四百年、荒野の四十年。すべてが彼岸に渡る大祓だったの。御子の宣教の開始も荒野での四十日の後の出来事だったのよ。御子の十字架上の死と復活は西暦33年と知られているでしょ。それから四十年後の西暦73年にユダヤがマサダ砦で玉砕しているの。

 

それらの事実を踏まえて瞑想すると、龍宮において天照大御神の心御柱が御子の十字架と知らされてからの四十年を意識せざるを得ないでしょ。すでに経過している二十年を見れば心御柱の正体が出た同じ年の911、それから十年後の311、そうこうするうちにCovid-19の令和でしょ。

 

次の2020年には疫病が世界中に蔓延して終息の兆しがいまだに見えてこないのよ。引き続く2033年は次の式年遷宮の年周りで令和十五年なのよ。それから七年後が2040年で心御柱の正体が出た2001年から四十年目なのよ。そして皇紀紀元2700年に当たっているの。

 

その四十年を彼岸への渡御と考えると去年と今年の2020年と2021年はちょうどお彼岸の中日に相当するのよ。契約の箱が川の中州を超えて彼岸へと渡ってしまうと奔流により立つ瀬を失い渡れなくなるの。それが聖書の紅海割れとヨルダン川の渡御で預言されているの。

 

皇紀紀元2700年には999という数霊が含まれているでしょ。四半世紀を切っているのよ。この先いったい何が起こるか判らないけれども、聖書と古事記と龍宮のお祭りにより示される数霊は無視できないの。

 

何もなければそれに越したことはないけれども油断大敵なのよ。御用の向きを悟る男女なら、何もなかったとしても個々人の十死越の終わりまでには、七越の大祓は必須でしょ。そう冥想するのよね。

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ひとつ前の記事ナンバーが180だったのよ。一八十で岩戸が開けたのかしらとか思いながら、それだけなら記事にするほどのことではないと思いつつ、アクセスカウンターを見たの。そうしたら7511なのよ。今日中に7530に達するペースなの。七五三の一八十なの。

 

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八咫烏は事情通の間では裏天皇家と知られているでしょ。八咫烏がお仕えする裏天皇とは古代から、天照大御神と月読命をお産みになられた伊弉諾尊だったのよ。

 

この三柱の神様のコラボレーションによりこの世が成り立っているの。天照大御神と月読命が両目として目を光らせ、素戔嗚尊が鼻となり空気を読まれているのよ。

 

そのコラボレーションにお仕えしているしるしが八咫烏の三本足なのよ。太陽系の枠を超えると天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神となるの。

 

聖書や古事記によればその歴史はやがて太陽系の枠を超え、人の代から高天原の神代に移行すると預言されているのよ。その禊のために真の天皇から皇太子が遣わされていたの。そう冥想するのよね。



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古事記の天御中主神から伊弉諾尊と伊弉冉尊までの十七柱の神様ね、神様の暦になっているわよ。神様の十七日間なのよ。千年換算すると一万七千年なの。

 

別天津神五柱が五日目で、六日目と七日目に一人神が生まれて神様の安息日だったのよ。その六柱目が人の誕生と相対していて、十七柱目迄の十二柱が人の暦で神さまの暦と合わせて十七日なのよ。人の十二日目は神様の十七日目なのよ。一万二千年と一万七千年なの。人が神様に創られたのが六日目だったからそうなるのよ。

 

古事記は初めから千代と八千代をはるかに超えた永遠の暦を記述していたのよ。その永遠の暦を理解していた聖徳太子が冠位十二階と十七条の憲法を制定して、その数霊を後世に残していたのよ。

 

聖徳太子は推古天皇の皇太子として、摂政として働かれたけれども天皇として即位しなかったでしょ。倭建命と同じ境涯だったのよ。この龍宮では二人ともが帝を凌ぐ大英雄なのよ。御子イエスが十字架上の死と復活で皇太子となったけれども、いまだに天皇として即位していないことの影が、この二人の太子に落とされているのよ。

 

弥勒菩薩として来られた御子が立皇嗣の礼を経て、如来である天照大御神として皇太子となられたのよ。そう冥想するのよね。

 

古事記は神代から人代へと至る物語と読まれているけれども、語り部は人代から神代への物語として語っているのよ。人の七日目、神様の十二日目の千代に天照大御神の親政により神代へと移行するのよ。そのお祝いが神の子羊の婚宴なの。

 

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その時が大御神と赤い糸で結ばれた人の永遠の命の始まりなの。人代が六千年であるように神代も六千年あるのよ、それで一万二千年なのよ。それが神様の一万七千年目なの。

 

創世記 6

 3 主は言われた。

「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

 

永遠の神である天照大御神が天皇として即位される時、伊弉諾尊は天御中主神として上皇となり、大御神は高皇産霊神として即位されると瞑想するのよね。

 

穢れをまとい、この世にしか目のない煩悩の輩は、大御神の親政においては臣民とされ得ないと日本人なら直感できるはずなのよ。神様により示されたイスラエルの十二も、永遠の一駒なのよ。そう冥想するのよね。

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十五夜のかぐや姫の登場で役者がすべてそろってしまったみたいでしょ。浦島太郎と乙姫様の龍宮、桃太郎さんと金太郎さんのコラボによる鬼退治、織姫と彦星による七夕の逢瀬、八咫鏡によりそのすべてが映し出された桃の節句の雛壇。その雛壇は、現代では京雛と関東雛の陰陽が鏡に映されているの。

 

その様に流れが大きく変わったのはやはり大正天皇の大正ロマンの時代だったのよ。外国の流儀に日本人がロマンを感じて変質したという事なのよ。そのような流れもすべて三柱の神様のコラボの内なのよ。それでも晴れ着はだけは和服にしておいた方がいいわよ。信仰してもいない教会でのウェディングドレスなどは最悪の選択なのよ。立つ瀬を失う筆頭格なの。

 

その様だから、その流れにより伊弉諾尊の禊が成り立つの。その流れに洗われて目覚める龍宮の臣民たちの目の前に、天照大御神と月読命がお生まれになるのよ。そしてその霊験により男も女も大御神と赤い糸で結ばれるの。現代のインフルエンサーたちの間ではやりの、目覚めドッキリみたいなものなのよ。眠りこけたままだと赤い糸はほどかれ、三行半の離縁状を受け破談となるの。

 

龍宮の臣民だけに限らず、世界中の臣民がそのどちらかを、三柱の神様のコラボレーションに依るバジュラヤーナの帰結として受けることになるのよ。

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 そのような流れの中でも完全に鬼ヶ島と化している龍宮が一番悟りに近く、そこで御用の向きを悟る男女が一番恵まれているということなのよ。龍宮に生まれて良かったと真剣に胸をなでおろすのよ。その様に瞑想するのよね。

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竹取物語あるでしょ。多分このブログで記述するのは初めてなのよ。意識はしていたから盲点になっていたわけではないのだけれども、なぜかこのタイミングだったの。意識したのは昨日なのよ。それでウィキペディアでサクッと概観しみたの。そうして一晩寝ながら考えたら一気に根幹をとらえてしまったのよ。

 

その根幹が八月十五夜なのよ。その日にかぐや姫は月に帰らなければならなかったのよ。聖書を倒語(さかしまごと)でググっと凝縮して書かれたのが古事記で、その古事記をさらにググっと凝縮して書かれていたのが平安時代に成立したとされる、文学作品としての竹取物語だったのよ。

 

八月十五夜の数霊は七越の八月と、十四越の十五夜なのよ。二度の大祓の数霊だったの。その十五夜のお月さまは月読命と天照大御神のコラボレーションにより成り立つでしょ。そのコラボレーションを見て因幡の白兎が跳ねるの。

 

一年に二度ある夏越しと年越しの大祓には裏の意味があり、それが七越と十四越の大祓で、その奥義はメシアの死と復活だったでしょ。メシアの死と復活は月読命と天照大御神のコラボレーションによりなっていたのよ。そのコラボレーションを統べるのが伊弉諾尊の禊なのよ。鶴と亀を統べるのが伊弉諾尊だったのよ。そのシンボルマークが、かご目歌発祥の神社とされる籠神社の裏社紋である六芒星なのよ。

 

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かご目は竹で編まれるでしょ。その、かご目の中に鶴と亀として影を落とす月読命と天照大御神が坐すでしょ。さらに籠(この)神社の籠(かご)から竹冠を取り去ると元伊勢の龍神様のお出ましなのよ。

 

竹冠や草冠は龍宮において、ナザレのイエス、ユダヤの王が戴冠したいばらの冠なのよ。お稲荷様の冠なの。そのいばらの冠が取り去られメシアとして復活したの。それが竹取物語の言霊なのよ。七越の八日目にメシアとしての戴冠式が行われるはずと瞑想するのよね。

 

すべて月読命と天照大神を統べる伊弉諾尊による、三柱の龍神のコラボレーションなのよ。それが第十五代の応神天皇の時に八幡様の三つ巴紋により上書きされ、至聖所の奥に隠されたのよ。

 

その三つ巴紋は三巻の龍神様が鎌首をもたげる巴蛇神道のシンボルだったの。その奥義は伊弉諾尊の定めによる運命の人と、三巻の赤い糸で結ばれる為のバジュラヤーナタントラなのよ。日本語で言い表すと魔訶般若波羅蜜多で、偉大な悟りの智慧の完成となるの。

 

そのような奥義を秘めた文学作品がこの龍宮では平安時代に成立していたという事なの。平安時代から世界に冠たる文明国だったという事なのよ。その作者が不祥なのは、この世にいないはずの八咫烏が関与しているからと瞑想するのよね。

 

そう考えるとこの龍宮では仏の教えも学問による教育もまっとうに機能してこなかったという事が、八咫鏡を通して透けて見えてしまうのよ。その様に竹取物語の根幹を理解してしまうと枝葉はどうでもいいと思えてしまうでしょ。

 

かぐや姫の名前の由来は古事記の中に見出せそうだし、求愛した五人の貴族は日向三代と二人のハツクニシラススメラミコトとして影を落とす別天津神五柱や、天照大御神の勾玉から生まれた五男神として、八咫鏡の万華鏡に映されているのよ。

 

注目はかぐや姫が帝からの求婚に応じようとしなかったという事なの。そして不死の薬を残して月に帰ってしまったの。帝は落胆してその不死の薬をふじの山で焼いてしまったの。それが富士山の名前の由来となったのよ。秦の始皇帝の命により東海の三神山に仙薬を求めた徐福の物語を彷彿とさせるでしょ。

 

帝とは天照大御神の皇孫なのよ。似た物語が古事記の中に二つあるの。一つは帝の命により不死の非時香果(ときじくのかくのこのみ)を常世の国に求めた田道間守の物語で、持ち帰った時には帝は既に崩御していて、不死の非時香果は帝の手に渡らなかったの。

 

この不死の非時香果はどこにでもある橘とされているのよ。身代わりの入水を遂げた弟橘姫の寓意なのよ。永遠の命をもたらす右近橘なの。その右近橘が命の木で、永遠の命をもたらす木の実と言ったら、大御神の御言葉以外には求められないのよ。

 

残るもう一つの物語にもそのことが如実に語られているの。天孫瓊瓊杵尊が瑞穂の国に降臨し木花開耶姫(このはなさくやひめ)を娶り、姉の岩長姫を送り返してしまったのよ。不死の薬をもたらすのが、かぐや姫であり弟橘姫であり岩長姫であり、その実体は命の木の主である天照大御神なのよ。

 

古事記と竹取物語において不死の薬はいずれも帝の手に渡らなかったという事なのよ。秦の始皇帝の元にもとどかなかったでしょ。そのことが最大の眼目なのよ。この龍宮のバジュラヤーナにおいて、帝というものがどの様に悟られているのかという事を暗示しているの。その淵源は旧約の聖書にあったでしょ。三柱の神様のコラボによる霊験をお受けしないでは、なかなか飲み込めるものではないのよ。そう冥想するのよね。

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日本語の「おめでとう御座います」という言霊あるでしょ。現代では人の誕生日において頻繁に使われているでしょ。これ、おめでたくもなんとないからね。その証拠にこの日を祝おうとして歌う歌は龍宮の言霊の中にはないのよ。歌おうとしたら外国語なの。

 

メシアの誕生日のことも聖書に記述されているけれども、それが古事記では伊弉冉尊の黄泉の死に対する穢れを祓うための、伊弉諾尊の禊によりなったとされているのよ。

 

その日がいい加減な宗教により十二月二十五日とされ、この龍宮ではこの世で出会った運命の人同士のお祝いの日として定着しているでしょ。人は生まれると同時に神に背いたの。おめでたくもなんともないのよ。その日にするプレゼント交換など邪教のお祭りもいい所なのよ。

 

その罪を贖うためのメシアの復活が龍宮における岩戸開きで、そこにしか真のおめでたさはないのよ。その十二月二十五日という日付に大御神が皇孫の命日というくさびを打ち込んだのよ。イスラエルや日の丸龍宮の伝統において誕生祝などというお祭りはないのよ。

 

その伝統に背反するということは、イスラエルや日の丸龍宮にとって金の子牛を拝み背教するに等しいのよ。十二月二十五日から七日目に大祓を受け、翌八日の元旦のための言霊が「おめでとう御座います」なの。七つのお祝いの七越の八日目の言霊なのよ。古代イスラエルにおける、生まれて八日目の割礼に相当しているのよ。一八十開きなの。生命御守護の御神宝の言霊なの。

 

そのような視点で妖怪の唆しを見切り、たとえ孤立しようが何だろうが背教との繋がりを断ち切り、大御神との赤い糸を繋いでいただけるように言霊を用いるつもりでいないと厳しいわよ。私の経験からもはっきりとそう言えるの。

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