天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2021年03月

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

あまり人は死について考えたり普段の生活で語ったりしないものでしょ。そのような話題を持ち出すと目くじら立てて忌避されるのが普通なのよ。しかし私に言わせるとこの問題は普通に言っても考えておかないといけない問題のはずなのよ。

 

それは私が若いうちから聖書を読んでいたことが影響していると思うのだけれども、普通に生きていたのでは人は天国には行けそうもないなという直感が早くから働いていたからなの。天国や地獄って行って帰った人の話をきいたことがないのだけれども、御子イエスは天国のことをはっきりと語っているでしょ。

 

それでも人は想像するしかないのだけれども、この世の生活にも報酬系と罰系の時間があるでしょ。楽しく好ましい時間である報酬系と、つらく苦しく好ましくないのだけれども報酬にありつくために我慢しながら過ごす罰系の時間があるでしょ。

 

私の想像では天国というところは報酬系の時間が永遠に続く場所で地獄とはその逆に罰系の時間が永遠に続くところなのよ。私はつらく好ましくない時の中で永遠に過ごさなければならないような場所には金輪際近づきたくないの。楽していきたいタイプなのよ。

 

それでも死後の世界があるのかないのかという事は科学で証明できないし、御子の御言葉があったとしても、はっきり言ってふたを開けて見なければ判らないことなのよ。私のような人間は科学者の言うことより聖書の預言や御言葉の方を信用するタイプだし、心霊体験など実際にさせられているので死後の世界がないわけがないとする確信に至っているけれどもね。

 

もしそうでなかったとしても死については考えておかなければいけない理由があるのよ。生きている以上は考えたくなくてもいつかはその谷を超える時が来るでしょ。死後の世界があるとの確証がなかったとしても、人にとって死後という時間は必ず来るのよ。家族の死に直面すればだれもが見ている光景でしょ。

 

その時に死後の世界というものがなく、それですべてが終わりであれば何の問題もないのよ。問題なのは死後の世界があって生前より好ましくない状態に置かれることなの。悪いことを考えずに普通に生きていればそれだけで生前より好ましい状態に置かれるのであればそれも問題ないわよね。しかし神様の世界はそれほど甘くはないわよ。メシアである御子は慈悲の神様で、お釈迦様の説法もお慈悲による獅子吼だったのよ。しかし三柱の神様の内の一柱は峻厳をもって鳴らす神様だからね。侮ると怖いわよ。

 

それはさておき当初私の考えたのは死後の世界があり好ましくない状態に置かれるリスクは絶対に回避しなければならないという事だったの。そのように突き詰めて考えれば話は結果に付随するリスクを回避するための安全性の確保という問題になってくるのよ。

 

死について考えるのを忌避するということはそのようなリスク管理を放棄しながら生きるという事なのよ。そしてそれが世間一般の普通の生き方なのよ。私の目には神仏の啓示によりそのようなことに対する警鐘が古代から乱打されているにもかかわらず、油断しながらグレーゾーンで遊び惚けている人ばかりの世としか映らないの。

 

そのようなことを思うといつも1999年の夏の玄倉川の映像が思い起こされるのよ。神仏による彼岸への避難勧告を無視していながら、そのような因果で助かるものではないと瞑想するのよね。

20200320main-670x670阿吽


スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

仏教の先生の動画をユーチューブで一本だけ見たのよ。普段はあまり見ないのだけれどももう書きたいことはほとんど書いてしまってネタ切れ気味なので退屈しのぎに見てみたの。それは動画を配信するほどの先生だからそつなくまとめているのよ。まともな人ほど孤独になるのはなぜかというテーマなのよね。

 

クラスで起きるいじめには強い先導者がいてその先導者の嫌うターゲットが周りの同調者による忖度によりいじめを受け、それに異を唱える勇気のある人はなかなかいないということから始まり、この国の政治状況に話が移り、首相とそれを忖度する大臣や官僚のネットワークにも同じことが言え、忖度せずに異を唱えると出世できないという事につながり、この国の政治状況もクラスのいじめと同程度の、低次元だけれども当たり前のことが起こっていると進展し、ビジネスの現場でも同じことが起こっていると説いておられたの。

 

さらにこの先生はディープステイトが支配するこの世界にまで話を広げ、その権力に忖度せずに異を唱えると命がないということにまで論を進め、すべてにおいて同調圧力に異を唱えることの出来る人はめったにいるものではないと説いておられるの。

 

ディープステイトの謀略が仏教の先生の口から出てくる時代になっているという事なのよ。そして同調圧力に屈せず異を唱える孤高の一人ぼっちのまともな人はめったにいるものではないということから、お釈迦様のことに話が移り、話は死を見つめるという方向に進展していくのよ。

 

この世の常識は死という暗いテーマを取り上げることを拒むけれども、その問題に直面し、命がけで真理を悟ったお釈迦さまが同道の修行仲間から誤解を受け見放されたことを話されているの。死について真理を悟ったその教えがお釈迦様の孤高の教えで、その道に学ぶまともな人は他人に忖度せずに孤独の道を歩くことになるという、孤独に対する肯定論なのよ。

 

ディープステイトの謀略まで視野に入れながら語るこの先生は世の中の裏まで見通せる見識の持ち主であり、そうでなければインターネット上で教師になり得ないというところまで時代が進んでいるという事が私にとっては新発見だったのよ。

 

そのように見たのだけれども私はその後に強いストレスを感じてしまうのよ。お釈迦様のお説きになったことを孤高の獅子吼としながらなぜ仏教の先生たちは解脱を説こうとしないのという事なのよ。

 

お釈迦様の獅子吼は彼岸に渡りおおせてしまったお釈迦様の手招きのはずでしょ。お釈迦様の獅子吼で解脱に至り、それが衆生の済度につながるのよ。ところが仏教の常識では解脱はお釈迦様にしか達成できない孤高の真理とされており、そのことに異を唱える僧侶は異端とみなされるような土壌が定着してしまっているように、外から見ている私の目には映るのよ。だからこの世における処世訓になってしまうのよ。

 

仏教僧はその獅子吼を何と心得ているのという話なのよ。彼岸から手招きするお釈迦様の教えを獅子吼と教えながら此岸にとどまったまま渡ろうとしない仏教者は、孤高を説きながらも此岸の同調圧力に屈しているというように見えてしまうの。

 

解脱できない上位者に忖度して自身もこの世を終える気なのかしら。そうであれば終わっているわねという話なのよ。仏教を説いている人の話を聴くと常にそのような印象にたどり着いてしまうのよ。

 

そして頭に浮かぶのが、人々にモーセの律法を説く律法学者たちが、説くだけで行おうとしないことに対して激しい糾弾を加えられた御子イエスのことなの。洗礼者ヨハネはパリサイの律法学者が洗礼を受けようとしてやって来た時に蝮の裔と罵倒しているし、御子は盲人のことをはっきり偽善者と呼んでいるでしょ。

 

説くだけで行おうとしないのが御子の警告されたパリサイ人のパン種なのよ。御子はお釈迦様が数百年前に解脱をお説きになられていたことは百も承知だったはずなの。パリサイ人のパン種を見切っていた御子であれば、当時すでに数百年経ていた仏教がどの様な状況であったかもはっきり御存知だったはずなのよ。

 インドでバラモンの聖典と仏説を学びそれをお説きになっていたという、聖イッサ伝という文書が発見されているからね。お釈迦さまが弥勒菩薩として降臨する御子のことを語った預言者であったとはっきりと認識していたのよ。

 

マタイによる福音書 16

 6 イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。 

7 弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。

8 イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。

9 まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。 

10 また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか。

11 パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」 

12 そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。

 

五つのパンと二匹の魚を五千人が食べ、余ったパンくずが十二籠だったの。このことは二柱の一人神と五組の夫婦神十柱で合計十二柱の神代七代として古事記に暗示されているのよ。ユダヤの二支族と失われた十支族に起こることの複合預言になっているのよ。

 

別の時には七つのパンを四千人が食べ残りが七籠だったのよ。私は以前からこの二度のパンの奇跡で四千年紀と五千年紀が暗示されていると見ているの。四千年紀のお釈迦さまにより五千年紀に降臨される弥勒菩薩のことが預言されていたことの暗示との思いがますます強くなるのよ。

 

そこにパリサイ人のパン種である教えに対する警告の意味が含まれていて、仏教も同じ轍を踏んでいるとなるともうそのように確信してよいのではないかと思えてくるのよ。

 

解脱とは人の目に映らないから他人には見えないでしょ。でも自身が解脱しているかどうかの確認方法はあるわよ。瞑想しながら自分が死の谷を渡るときのことを思い浮かべ、そこで解脱、救済、モクシャ、洗礼、禊、涅槃、梵我一如などのキーワードと共に御霊により祝福されている気持ちが湧いてくるのであればその人はすでに解脱しているはずなのよ。自分のデスマスクを思い浮かべてどの様に感じるかという事なのよ。ビッパサナーとかマインドフル瞑想のお師匠さんたちはどうなのかしら。

 

御子や仏陀の手招きに応じ彼岸へ渡りおおせてしまい、そこで瞑想すると出てくるドーパミンの質は人の此岸で煩悩にまみれながらも出てくるドーパミンとは異質なのよ。空境の涅槃においては自我を捨ててすべてをお預けしそれに依存してしまっても、依存による弊害はないどころかそれが神仏からの救済につながるという理解なの。三柱の神様の三昧の世界なのよ。

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

神道のお祀りはすべて先見者やメシアにより啓示された神様事の型示しなのよ。直会という神事は神様と直接会った使徒たちの共飲共食が儀礼化したものだし、榊に掛けられる紙垂は命の木における神界から下降する神の閃光と、火の蛇のエネルギーの上昇を表しているとしか私の目には映らないの。

 

ダウンロードimages (7) 閃光

 

玉串にかけられている紙垂は十字架上で身代わりとなった大御神で、折り紙はおり神の玉体なのよ。だから玉串なの。大祓の時の紙人形も安倍晴明さんが使役したという式神と同じ物で、流しびなの紙人形や桃の節句のお雛様に至るまで全てが同じことを示しているのよ。すべてがその様だから挙げたらきりがないのよ。神道というもの全てがその様なの。

 

大御神の岩戸の前にかかげられた根付きの真榊に収斂してしまうのよ。

 

original amaterasu

この木にマナの壺、十戒石板、アロンの杖、契約の箱と、八尺瓊勾玉、八咫鏡、草薙剣という御神璽のすべてが掛けられてしまっているのよ。八正道の法輪までもが秘密裏にかけられているの。クンダリニーの火の蛇が掛けられているくらいだから何ら不思議ではないのよ。その上昇流は龍門の滝の鯉のぼりとされていたりするの。真榊が神の啓示の木なのよ。その啓示により十二か月のすべてにお祀りが仕掛けられていたでしょ。

 

260e08c8
 

神道の儀式、作法、お宮の形といった目に見える形を持つものから、言い伝えられていても目にすることの出来ない御神璽、お伽噺や童歌、祝詞から古事記、日本書記の神代物語に至るまで全てが啓示によりもたらされた神事の型で、そこに旧約聖書を発祥とする契約と律法が秘められているのよ。神道とは命の木への道という啓示の型示しなのよ。

 

そして見落としてはいけないのが型をその型通りに履修しても実習にはならないという事なの。色即是空という理外の理により秘められている契約というものが意識されなければその律法の順守など不可能だという事なの。

 

禊と称して海や滝で型通りに水を浴びても神様の律法を順守して罪穢れを祓ったことにはならないということなの。御朱印を何百枚集めても神様から印を受ける型を収集しているだけでその僕として印を受けることに繋がらならないのよ。契約について知らないのだからその契約をどのように守ったらいいか判らないでしょ。経典をお題目として何万回唱えてもその契約は見えてこないのといっしょなのよ。

 

メシアの肉とその血を神人共食で、共飲共食しなければ受け入れられないと啓示されているのよ。その肉と血が十字架上の死と復活による啓示の御言葉なのよ。その理外の理を飲み込めるまで何度も何度も御言葉に接しないと、煩悩による思い煩いにエネルギーを消耗してしまい、飲み込めないまま終わりを迎えることになってしまうの。

 

images

 

そこにサタンの仕掛ける落とし穴があるのよ。手下の反キリスト達に富と権力を与え、煩悩の炎に油を注ぐような仕掛けを構築し、誰も逆らえないような六百六十六の刻印による売り買いで世界を席巻しているでしょ。地下から木の上に落ちて来て人を食おうとする妖怪なのよ。だからその手下たちは命の木のシンボルであるカバラの図象が大好きなの。

 

20200320main-670x670阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

最新の進化論心理学によると人間は修行によっても解脱できないと証明された、となるらしいのよ。ではお釈迦さまっていったい何だったのという話なのよ。遺伝学の発達などにより進化論生物学というものまで生まれ、人間は煩悩の遺伝により進化を遂げて来たのでその煩悩をなくすことなどできないという結論にたどり着いているらしいの。

 

しかしそもそも進化論とはその証明があいまいな仮説の域を出ない説だったはずなの。それが何千万年という長い時を経ればそういうことも起こり得るとして定説となっているの。その何千万年という事の根拠も誰かが見て来たわけでもないので私は怪しいと思っているのよ。年代測定法なども科学的な矛盾を抱えていてもその様に言い張る学界において認められていて、真実と信じられているという代物なの。

 

科学というものが神仏の啓示ということに対して真っ向から敵対しているという事なのよ。一時期進化論に対して創造論科学という事が言われ、進化論を駆逐しそうなほどに科学の世界で拮抗していた時期があったのよ。

 

しかしその後の推移を見てみると創造論科学が一向に盛り上がりを見せていないのよ。ここで何が起こっているのかというと創造論科学という分野から、他を圧するような天才的な科学者が、この世を地下から支配するディープステイト(地下政府)に根こそぎリクルートされてしまっているらしいのよ。

 

億万長者など凌駕する富豪たちの地下のネットワークだからその資金力には民間の研究機関などは太刀打ちできないでしょ。天才的な科学者たちもその様な環境に身を置くことで凡庸な科学者たちでは想像もできないような分野で心置きなく研究ができるということになるのよ。

 

世界中に根を張る地下政府は霊魂を信じる有神論のスピリチュアリストで成り立っているから創造論科学に基づいて、聖書に書かれている啓示や霊魂という分野から、その他のすべての科学分野までをもすべて洗い直しているはずなのよ。進化論を信じることで成り立っている世間からしたらまるでオカルト研究に見えるのよ。

 

そのような科学におけるオカルト研究が活発化したのが第二次世界大戦後で宇宙開発などもその様な研究が主な目的だったのよ。その活発化に伴い世間には知らせたくない現象などが目撃されることを避けられない時代になったのよ。そこで打ち出したのがUFOや宇宙人というデマだったと私はにらんでいるの。ニューエイジ系のスピリチュアルなども出どころは一緒だと思うのよ。

 

第二次の世界大戦により国際連盟が国際連合に改められ、新たな体制により次なる目標に向けたオペレーションが始まった時代だったのよ。その時代なのよ、頭に致命傷を受け死んだと思われていた獣が海から上がってきたのは。もう一匹の獣が天から火を降らせたのも同じ時代なの。

 

表の科学では解脱の出来ない進化論を信じさせ、裏の科学では創造論に基づき研究が進められているの。牛耳っているのはサタニストたちだから創造論科学による悪魔崇拝なのよ。行方不明になる子供たちが大勢いて後を絶たないことの理由がそこにあるの。

 

信仰と科学で神に敵対する反キリスト国際連合なの。だからこの世が暗黒化するのよ。人間がこの世に固執すればするほどこの世が暗黒化するという事なの。

 

メシアである御子はその啓示で、メシアよりも自分の家族を重んじる者は私にふさわしくないと御言葉しているの。そしてこの世の後に起こることもメシアの愛する弟子によりはっきりと黙示されていて、世界中で知られているのよ。その啓示に従う生き方をして見せたのがお釈迦さまだったのよ。科学がそれに敵対しているのよ。

 

その啓示に従えば一本目の矢を受けても二本目の矢を受けることはないの。盲人と盲人を手引きする盲人は確実に二本目の矢を受けるの。それが悪魔の唆しなのよ。

 

世間一般の人はそのようなことは知りたくもないし信じたくもないと思いながら生きているはずなの。しかしこの世に決して姿を現さない天照大御神の烏たちはそのように啓示されている事は古代からお見通しで、怖いながらも通りゃんせと日本人を促していたのよ。七つのお祝いのためにお札を納めてしまわないと、七つの祟りが待ち受けているのよ。そのように黙想するのよね。


20200320main-670x670阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

精神世界ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

私の陰謀結社についての所見を記事にしておくわね。フリーメーソンはよく知られているでしょ。あの獣の国はフリーメーソンが建国したことは有名でしょ。それが知られているということはすでに陰謀結社とは言えないのよ。その由緒はいくら遡ってもテンプル騎士団がもとなのよ。

 

カトリック教徒のエルサレム巡礼を警護するためと称しながら神殿を盗掘していたら遺物が出てきてしまい、それがカトリックに反旗をひるがえすことに繋がり、異端とみなされた首領は火あぶりにされ、それ以来地下に潜ったのよ。

 

長い年月を経て十八世紀ごろだったかしら、頃合いを見はかり表に現れロッジと言われる寺に集うようになったのよ。イスラエルのカバラのシンボルを多用する神秘主義の結社だけれども、当初ユダヤ人はその会員になれなかったらしいの。有神論のスピリチュアリストならばその会員資格は得られるらしいのよ。あらゆる宗教に対して寛容で現代ではユダヤ教徒も受け入れられているのよ。

 

問題はその信仰なのよね。私の所見では人類の信仰というものには親キリストか反キリストかのどちらかしかないの。宗教というものは親キリストの神領民として約束の印である御霊を受けることはできない、というのがこのブログがたどり着いた結論なのよ。

 

だからそのような結社員が建国した国が他国に核の火を降らせても、正義の名のもとに覇権を維持しているのがどういうことなのか、手に取るように理解できるでしょ。世間一般ではキリスト教国という理解でしょ。宗教に対して寛容な平和主義というものの性格を知らせてくれているのよ。

 

人種に対しても寛容な国であるかのように装いながら実はそうではないでしょ。しかしその結社はすでに表の結社なの。問題はその人脈によるネットワークなのよ。このネットワークがいまだに地下に潜っているのよ。そのネットワークの持つ権力が多岐に渡りそれがヒエラルキーを形成していると考えられるでしょ。

 

そのようなことを研究する専門家たちに暴露されているのが陰謀論なのよ。その世界には情報攪乱の工作員もいるからはっきり言って何が何だかわからない世界でもあるのよ。何が何だかわからないから世間からは都市伝説の類のトンデモ説と理解されるの。

 

しかし歴史というものを知りその歴史を動かしてきた人間たちの、世の中にはあまり知られたくないであろう不都合な真実とは一体何なのかという視点で読み解こうとすると、世界は謀略に満ちているという結論にたどり着くのよ。

 

そのような視点を獲得した人達が言うのがイルミナティーなの。実態は何かというと地下で知られずに機能している権力のヒエラルキーなのよ。私の観点ではネットワークは秘匿されていてもそれを形成する個人はよく知られているはずなのよ。そしてその個人の持つ権力が強ければ複数のネットワークに君臨したりする場合もあったりすると思うのよ。しかし陰に隠れていることなどできない人たちなのよ。

 

何故ならば反キリストのサタニストたちだから表の世界で富と名声による権力を誇示したいという誘惑には勝てないはずなの。そそのかす蛇の誘惑なのよ。その蛇の魔力により二匹の獣が上がって来ているのよ。二匹の獣が何を表すかというとKKKのような白人至上主義のサタニストのネットワークとパリサイサタンのネットワークなのよ。イエスの頃のユダヤはローマにより属国にされていたし、ユダヤの宗教議会がイエスを妬んだの。そしてローマ兵がイエスを磔にし槍で刺したでしょ。

 

ヨハネの黙示録 13

 3 この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。

 4 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」

 

11 わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。 

12 この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。 

13 そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。

 

今では二匹の獣がある国家の中で同居しながら神殿を建設しようとしているの。その神殿が竜の神殿である事は想像できるでしょ。そこまで想像することができれば誰かは判らなくてもヒエラルキーの頂点で権威を誇示しているのはどのような組織かおおよそ理解できるのよ。

 地下にある宗教議会を統率して政治を行わせているのがサタンの魔力なの。サタニストの信仰にこたえるだけの魔力は備わっているのよ。だからイエスにも誘惑を試みることができたのよ。軽くあしらわれたけれどもね。

 

ヨハネの黙示録 13

15 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。 

16 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。

 

謀略を見抜いてその災いに巻き込まれないようにしないと六百六十六の印をつけられると書かれているの。

 

もう何年も前のことになるのだけれども獣の国についてオブラートに包まずに霊的所見を交えて記事にしたら、翌朝跡形もなく削除されていたことがあるの。その権力はどの様な組織も恐れるのよ。はっきり言ってはいけないの。

 

私の見渡す限り災いから逃れるためには、僕として親キリストの印を受ける以外の方法は今のところ見当たらないのよ。サタンの魔力だから御神霊によるお祓いでなければ太刀打ちできないの。

 

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

神仏の啓示というのは意味が分かると怖い話の最たるものなの。この世を愛する者にとってはあまり知りたくない不都合な真実なのよ。

 

天で戦いが起こった時に神の軍勢に敵対し、天から地に堕とされた妖怪と、巻き添えを食らったその配下の者たちはその不都合な真実の場に身を置くしかなくなったの。その場においてしか君臨できないから、いまだに堕とされていない者をそそのかし配下に加えようと躍起になるのよ。

 

そのように意味が分かると怖い話を他人事と一蹴できる人間はただの一人もいないという事なの。しかし人はこの世においてあれやこれやを賜わることを願い、神仏の啓示による賜物を拒むから妖怪の配下におかれ、人ならぬ獣の刻印を受けるのよ。

 

マタイによる福音書 6

19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 

20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 
21 
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 

そのように考えると聖書の御子の御言葉は世界中で広く知られていながら、世界の現状にとってはあまり知りたくない不都合な真実であり、そのことの意味が分かると、この上もないほど恐ろしい真実なのよ。

 

聖書をその管理者として世に広めてきた教会神学もその恐ろしさを世に広めることをせずに、国家や銀行経営などしている以上は、あまり知りたくないのねとしか思えないの。

 

この世に来て神仏の御加護により御用の向きを悟ろうとする男女は、そのようなことを尻目に、それを他山の石として啓示を受け、不都合な真実の奥に隠されている呪いと祝福に直面し、それを超克しなければ、御霊を受け神の僕として印を受けることはできないのよ。

 

直感や霊感に導かれながら生きてきた結果としての最近の瞑想によりそう感じるのよね。

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

もうね、聖書と古事記とカバラと瞑想のことにしか興味がなくなってしまっているのよ。そこに書かれている事や暗示されている事をつぶさに読み込むと、誰にとっても他人事とは思えないようなとんでもないことが神仏により啓示されているからなの。

 

しかし世の中の常識にバイアスがかかっているので、啓示を無視することがいかに無謀なことかということがまるで認識されていないの。そのような正常性のバイアスからフリーになってしまうとこの世でまかり通っている宗教や、ニューエイジ系のスピリチュアルや、成功哲学などは常軌を逸しているとしか思えなくなるのよ。もう私の認識がこの世のものではなくなってしまっているということなの。

 

世界権力者たちがその支配において、謀略を用い世界をコントローしているなどという情報も一般的になりつつあるでしょ。陰謀論は都市伝説などとしていると情報弱者と呼ばれるような時代に入ってしまっているのよ。

 

そのからくりに気が付いている人たちも、その様な手口を知ることにより情報と知識で自己防衛できると思っているのよ。自分だけは騙されずにいれば難を逃れると思っているようなのよね。騙す側も騙される側も、騙されずに謀略に気が付いている側もこの世にしか目がないのよ。

 

神仏による啓示ということには、この世の終わりの後に臨むであろう、神の怒りとその裁きによる二度目の死にたいする警告という事が含まれているのよ。同時にどういう人が二度目の死を免れるのかということも聖書にはっきり書かれているの。

 

謀略者たちは神秘主義者だからね。オカルトのシンボルを多用することで知られているでしょ。その実体は悪魔崇拝なのよ。錯綜した信仰に堕ちた謀略者たちが悪魔に魅入られ、そのふるいに落ちているというのが正しい認識のはずなの。そのように人をそそのかしおとしめる蛇のことは旧約聖書の冒頭にすでに書かれているのよ。

 

謀略者たちは霊魂を信じるスピリチュアリストたちで、その世界支配のためのパワーが唆す蛇である悪霊からもたらされているのよ。そのようなオカルトパワーに根差しながら科学や金融をコントロールしているのよ。パワーの源泉が魔力なの。

 

新約聖書には悪魔がイエスをどのように誘惑したかも書かれているでしょ。その同じ誘惑にコロッとなびいた権力者たちが悪魔の約束通りに、オカルトパワーを受け君臨しているのよ。人間の霊性の堕落まで視野に入れながら科学技術を駆使し、負の信仰により周到に君臨しているから、信仰のない世間が結束して対抗しても太刀打ちできないのよ。それが悪魔教の絶大な強みなのよ。

 

そこにサタンと呼ばれる悪魔の謀略があるの。手下の悪霊たちはすべて悟っているのよ。悪霊がユダヤでイエスに遭遇した時にそのことを露呈しているわよ。その時が来たら赦されることのないみじめな境遇に堕とされている事を百も承知なの。神に敵対して敗れ、地に投げ落とされていながら、神に愛されたものだけが赦され永遠の命を受けることを知っているのよ。それを妬み怨霊となり神の子らをそそのかし、自分たちがいずれ落ちる穴に一緒に引きずり込もうと画策しているの。神の霊を知るということは啓示により警告されている悪霊の罠にもはっきりと目を見張るという事なの。

 

そのような穴に率先して落ち込もうとしているのが、謀略を用いる獣と偽預言者とパリサイ人なの。率先して六百六十六という刻印を受けている盲人たちなのよ。この盲人たちの手引きがこの世の霊的な負の支配なのよ。

 

その災いに巻き込まれるのを避けようとしたら正しい信仰により、神仏から霊的な手引きを受けなければ不可能なの。謀略に加担せずに善良なお金持ちとしてこの世を終えたとしても、それさえもが悪魔の思う壺で、なんの救いももたらさないの。

マタイによる福音書 19
23イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

 

人はそのような霊的な契約と律法によらなければ救われないという因果を背負いこの世に来ているの。そこに神が人の前に置かれた呪いと祝福が隠されているのよ。イエスと同時に、サタンも人をふるいにかけることを許されたと書かれているの。だからイエスは使徒たちに自分の十字架を背負い私に付き随いなさいと御言葉していたの。

 

ここで書いている事は私の空想でひねり出したことではなくて、全て聖書に書かれている事を重視したうえで霊的な考察を試みた結果なのよ。しかしバイアスのかかったこの世の常識ではとても信じられないことのはずなのよ。この世の常識からすれば神の霊を信じるということのほうが、すでにバイアスがかかっているということになるでしょ。

 

しかしね、私はこれまでの生涯において御神霊の御加護が無ければ人はこの世に生きてはいれないことを知らされているの。それが、受けたものでなければわからない新しい名前が書かれている賜物を御子から賜るという事なのよ。この世に来た人はみなその賜物を受ける資格を持ってくるのよ。それを妬む悪霊があの手この手でそそのかすの。そそのかされ、だまされていると知らずにその賜物を拒むから反キリストの刻印を受けるの。

 

聖書に書かれている事を正しく読解できたとしても、それを信じるかどうかは別の問題なのよ。そこのところで正と負とのふるいにかけられているのよ。神の霊を信じる立場のものとしては理外の理を悟り、すべてを最後の裁きにおゆだねするしかないのよ。

 

いずれにしろイエスを信じない者はイエスにふさわしくないとされ、負の十字架を負わされるという事が書かれている事は間違いのない事実なの。その奥に理外の理として悟るべき密教が置かれているのよ。

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

八咫烏の八は大御神の八なのよ。メシアの数霊は世界共通で八なの。だから大御神の烏たちなの。この八咫烏には神様から古い革袋で律法をあずかったイスラエルの預言者たちも含まれるのよ。八人家族の主であり、舟八口を初めに預かったノアがその走りなのよ。お釈迦さまもその列に加わった人なの。だから八正道をお説きになったのよ。その法輪はカバラの命の木の中に秘められているの。弥勒菩薩の八正道なのよ。

 

image 7742f1799bb7ce1b09902a7457da46c6

 

 法輪の八宝珠はそのまま命の木を介して人体のチャクラに置き換えることができるのよ。チャクラとして知られるのは七個でしょ。頭頂のチャクラで一つ、両目で一つ、喉の隠されているチャクラ、心臓と肺で一つ、みぞおちに一つ、骨盤と背骨を支える両の股関節で一つ、尾骶骨に一つなの。

 

o0304021414322517981

 

八個目のチャクラはどこにあるのかと言うと命の木は御子の十字架の象徴でもあるからその上部に打ち付けられた御子の銘板なのよ。ナザレのイエス、ユダヤの王とギリシャ語とラテン語とへブライ語で書かれたINaRIの銘板なのよ。現物は皇大神宮の遠の宮の伊雑宮でその至聖所にお祀りされているらしいのよ。

 

screen-shot-2019-09-15-at-7-41-11-pm_orig picture_pc_2869df2b5c2672f7d01fae1cc7169427
 

上の図は複製よ。

 

そして八正道の法輪は魔法陣でも示されているの。

 

3a9064835945283a883109fa033f5f1f - コピー (3) 3a9064835945283a883109fa033f5f1f - コピー (2)

 

真ん中の五を中心に八個の数字が取り巻いているでしょ。命の木の八宝珠と同じ構造で正という字が構成されているの。十字架も形成していてその数列は縦が九五一で年越しの祓の月、横列が三五七で夏越の祓の月を暗示しているでしょ。

 

そしてその位置は命の木である真榊の中の枝に掛けられた八咫鏡の位置なのよ。その中心は命の木の八正道の法輪と中心を共有しているの。そこが律法の十戒石板の位置でもあるの。一つ上がマナの壺、一つ下がアロンの杖で全体が契約の箱の中に納まっているのよ。

 

そこにおいて十種神宝の九と十がつながってしまうのよ。八宝珠の中心の九と十の関係性なのよ。

 

 八正道の宝珠をチャクラに展開すると、至聖所である至高世界の奥に隠されている御子のお名前を秘めた八個目の宝珠が、頭頂の七個目のチャクラとその位置を共有しているでしょ。私はこの七個目のチャクラを正念のチャクラと見定めているの。

 その位置で正念と正定がチャクラと宝珠として共有されているのよ。七個のチャクラはその数七で聖霊を暗示する数でしょ。だから七つの聖霊のチャクラの瞑想で八個目の御子のお名前に正しく禅定すると、八正道の瞑想として完成するのよ。弥勒菩薩のお名前に正定するという事。そして驚くべきことにその位置を魔法陣で見るとその数は九なのよ。七八九がチャクラと法輪と魔法陣で、命の木の王冠として共有されているでしょ。

ヨハネによる福音書 14
6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

 命の木の王冠は天の父の柱にありその数霊は魔法陣の最高数である九なのよ。その場所で御子のお名前を悟り、その御子の御言葉の通りに御父と御子が一つであるという事を御霊により知らされるの。そして至聖所の梵我一如を悟った僕とされるという事なの。

 

聖書や古事記に書かれている事柄を見たわけでもないのに見たのと同じく信じると御霊を送られ疑うことができなくなってしまい、そのような瞑想に入ってしまうのよ。

 

ヨハネによる福音書 20

 29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 

御子はその聖霊により身ごもり、十字架上で死に復活していたの。その同じ御霊を助け手として送られるということだから、知りたいと思うことはそれが許される限りすべて知らされるのよ。

 

人はその助けがなければ確信できないの。聖霊は大御神の御霊としても働き、天地創造以来森羅万象に振るわれる神の御手として働かれる神様なのよ。その働きにより人を神の僕とされる神様なのよ。その働きにより人は八百万の神の列の一柱に加えられるの。

 

人は死んだら神になるから御先祖様は八百万の神の一柱となり、子孫の守護霊となるなどということは聖書にもお釈迦様によっても伝えられていないでしょ。律法を無視して子牛の像を拝むことに等しい迷信で偶像崇拝に繋がるのよ。人を獲って食おうと木の上に堕ちてくる妖怪の思う壺にはまるのよ。そして人は誰しもが一度はこの壺にはまるの。

 神秘主義者でもある世界権力者たちの謀略もその思う壺にはまった結果なのよ。彼らは妖怪にだまされているとも知らずに霊魂の転生輪廻を信じ、人類の霊性を貶めることにより守護霊を棄損しその支配を確固たるものにしよとする画策する反キリストの悪魔主義者たちで、その精神構造の病理を疑うべきサイコパスと私は推測しているの。999の天の御父に逆らうからその方向が真逆をむき666とされるのよ。

 その罪に加わったり災いに巻き込まれることから逃れるためには、御霊による救済しか功を奏さないのよ。

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

ノアの洪水で救われた八人家族は八咫烏がその象徴なのよ。箱舟により救われた八人家族の船だったでしょ。舟八口よ。神により託された契約の貴船をお祀りしているのが大御神の八咫烏なの。

 

ノアの箱船にはつがいの動物たちも乗り込んで新天地に降りているのよ。その動物たちを集めたのはノアではなくて神様なの。ノアは箱船を構築して動物たちが乗り込むのを待っていたのよ。

 

ヨハネの黙示録 7

2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 

3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」

 

動物で暗示されている神の僕たちの最後の一人が貴船に乗り込んでしまった時に扉が閉ざされるのよ。烏たちはそれを承知で大御神の心御柱について証しし、最後の一人が乗り込むのを待っているのよ。

 

契約の貴船に乗り込むためには羊飼いの声を聞き分けないとどこに行ったらよいのかわからないの。貴船も烏たちも至聖所の奥深くに隠されているからね。その実体は有っても霊的な貴船でもあるから人の目には映らないのよ。

 

イスラエルに降ろされた契約も律法も霊的な事物なのよ。だから御子は、神は霊だから霊において礼拝しなければならないと御言葉しているの。人がその様に神を礼拝するためにはその助け手である聖霊を御子から送られ霊的に強化されないと道に迷い貴船にたどり着けないのよ。

 

それがモーセと御子により示された契約と律法なのよ。

 私?私はもう乗り込んでしまったから御用の向きを悟る男女のためにこのブログでサインを送っているでしょ。神によりその僕とされると、死にかけている残りの者を強めよと仰せつかるのよ。

 

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

神道ランキング

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html  (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/6984756.html (イスラエルの十二と永遠の命)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/7077308.html (聖書に書かれていたお釈迦様のこと)

今月に入ってから知ったのだけれども右手の親指と左手の親指の第一関節に仏眼相があったの。この仏眼相がある人は霊感とか直感が働きやすいということが手相占いの世界ではかなりポピュラーな事実らしいのよ。それが両手にあるというのはかなりレアなことらしいの。

 

そしてこの先が問題なのだけれども占い師の先生により右手が先天的なことを示し左手が後天的なことを示すとか、その反対だったりして統一されていないのよ。そこで私がそのことを鋭いはずの直感により判断すると一目瞭然なのよ。右手の仏眼は天照大御神の目で左の仏眼が月読命の目なのよ。どちらも伊弉諾尊の禊の時にお生まれになっているの。

 

古事記では天照大御神は伊弉諾尊が左の目を洗ったときにお生まれになったとされているけれども、天照大御神を見る時は八咫鏡に映る前面の後面透過として見なければならないの。それで伊弉諾尊の左目のように映っても実は後面に透過した右目なのよ。それがカバラの命の木の正しい見方なのよ。神様の姿を正面から見てしまったら人は死ぬのよ。だからなの。

 

それが仏眼と呼ばれるのは瞑想により開眼したお釈迦さまは神の両目と鼻から生まれた三貴子のことはお見通しだったという事なのよ。この三貴子について悟るから梵我一如の境地に引き込まれるの。私自身の生い立ちに照らして瞑想するとそうなるのよね。

 

生まれる前から大御神の目で見守られていて、生まれてからは月読命に見守られながら後天的な修行を積んでいたという事なのよ。そのように瞑想すると、私っていったい何者なのという疑問がなるほどそういう事なのと合点してしまう自分がいるのよ。仏眼相恐るべしなの。仏眼相が顕れていなくても人はみなそのような運命と宿命の律法、因果律に縛られていると感じるの。

 

月読命は大御神のお使者として働く聖霊とか御霊の神様でヒンドゥー教のシバ神と同一神なのよ。シバ神は破壊神として有名だから何か違和感があるでしょ。以前からそこを不思議に感じていたのだけれども、左手の仏眼にお伺いしたらやはり月読命も逆らうとそれは恐ろしい破壊神だったのよ。

 



 

 この本によればノアの大洪水の時に四十日間降り続いた雨は、月の内側にあった膨大な量の水が地球に降り注いできたという、天体規模の大異変だったという事なの。天照大御神の烏たちはそのようなことが記述された秘記も継承しているらしいわよ。ノアの八人家族だけだったのよ神様に逆らわなかったのは。その洪水が水による洗礼だったの。

 

マタイによる福音書 3

11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

 

上の洗礼者ヨハネの言葉が預言であるとするならば終わりの時には破壊神の火による天体規模の洗礼により浄められるということになるのよ。

 

この水と火による二度の洗礼は一年に二度ある大祓と相似象のようでしょ。夏越の祓いと年越しの祓いで新年を迎えることと相似なのよ。それは生まれにより洗礼を受け命の終わりの時に再度洗礼を受けることとも相似なのよ。

 

その間に逆らうから破壊に見舞われるのよ。それがモーセの律法なのよ。エジプトで過ぎ越しを受け紅海を渡り、荒野を経てヨルダン川の渡御で再度洗礼を受け約束の地に達していたの。

 

しかしエジプトで小羊の血による過ぎ越しの最初の洗礼を受けた当の世代は、律法を知らされた荒野で神に背き子牛の像を拝んだのよ。それで二人の人を除いてその当の世代は約束の地を見ることなくすべて荒野で死滅しているの。二度の洗礼の狭間である、人の一生がモーセにより荒野と暗示されているのよ。

 

そこで律法に逆らい御霊をお受けしようとしないから約束の地に達することができないというのが、神がイスラエルを通してお示しになられた契約と律法なの。

 

この国の三つと五つと七つのお祝いが、いいなずけと婚約と成婚のお祝いの寓意だったでしょ。三つの時にいいなづけとして水の洗礼を受け、五つの時に婚約者として聖霊による洗礼を受け、七つのお祝いの前に火の洗礼を受け、御子から婚約者として御霊をお受けしたしもべが第一の復活を果たし、婚宴に招かれると律法と聖書が暗示しているのよ。

 

水の洗礼を受けこの世に来た人は荒野で神に逆らわずに、御子から御霊による洗礼をお受けしないでは火の洗礼を受け死ねないはずなのよ。

 

そうでなくては契約の地に入れないとイスラエルと御子の律法が暗示しているの。そう直感するのよ。 

ume-min阿吽



スピリチュアルランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

聖書・聖句ランキング
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
にほんブログ村

精神世界ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ