天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2020年05月

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仏陀が初めて回したとされる法輪には八本の矢があるでしょ。これが破魔矢なのよ。八本の破魔矢だから八咫鏡とされて八咫烏がお祭りしているの。


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その中心は太陽系では文字どおり太陽であるし、人体では太陽神経叢とされているの。個々の人体においては八本の矢が整わないと回転しないの。

 

太陽系の八咫鏡には始まりがあり終わりがあり、しかもその回転は永遠なのよ。

 

阿吽として知られるそのことわりは古くはインドで知られアートマンとブラフマン、ブラーフマナとして示されてきたの。インドにはそのすべてが示されているのよ。でもね示されていてもそれを行う人がいないから宝の持ち腐れになっているのよ。

 

そのブラーフマナの阿吽の呼吸の御神璽は八咫烏が預かりこの国の神社でお祀りされているの。だから日本人は何者かに守られているのよ。ファクターXよ。

 

神とは申で示すという字でしょ。それはこの形で示されているということでしょ。

 

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古くはこの形が神からの賜物として示されてきていたの。そこに八本の矢を持つ法輪の中心があるでしょ。この中心が八咫鏡として知られたのは大御神の岩戸が開けた時なのよ。

 

この時八咫鏡が中心の中の枝にかけられたと古事記に書かれているでしょ。

 

この後に時至りそれがお社で示されるようになったのよ。お社とは土で示すと書くでしょ。十字架で示すと読めるでしょ。

 

申で示された形の中によく見ると同じ形をした十字架が三つあるでしょ。それはこの宝輪は三柱の神様の阿吽の呼吸で回転しているということを示しているの。

 

公転と自転と月の公転なのよ。それが天照大御神と素戔嗚尊と月読命の御働きなの。

 

そのことわりを示す八咫鏡が神のお社でお祀りされるようになったきっかけの時から今日まで、法輪は二千六百八十回転もしているということなのよ。

 

古い神道にはお社が無く神籬や磐境で神をお祀りしていたでしょ。大神神社の三輪山は有名よね。

 

その時代を経て神武天皇の法輪の弓の先に金鵄が舞い降りて以降、お社で八咫鏡をお祀りするようになったのではなかったかしら。

 

だから神社は神様の阿吽の呼吸を悟るための文字通り神様のお社なの。

 

この国に生まれ日本人同士として阿吽の呼吸で空気が読めていても、終息までに神様と息が合わないと宝の持ち腐れ、地中に宝を埋没させて終わってしまうことにならないかしら。

 

西暦の起源からはすでに二千二十回転もしているわよ。八咫鏡を預かっている八咫烏は三五七をお祀りの日取りと定めているでしょ。それはこの世に来てから三回転、五回転、七回転目をお祭りと見定めているということなの。

 

ペテロの第二の手紙

三章八節 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

 

このペテロという人は大御神の一番弟子だった人だからね。私は鶏鳴三声のペテロと呼んでいるの。

 

このペテロの言葉によると自転の一回転も公転の千回転も主にあっては同じことだとなるでしょ。三日、五日、七日も、三年、五年、七年も、三千年、五千年、七千年もみな主にあっては同じお祭りの日取りということなのよ。

 

お釈迦様はそれを知り弥勒菩薩の降臨を五十六億七千万回転としたの。五百六十七回転であり、五日、六日、七日の事でもあるのよ。七日目の神様の安息日のお祭りなの。

 

そのような色即是空の法輪の回転を悟るべき場所が神社なの。どこの神社でも鏡をお祀りしているでしょ。

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お神楽の歌の一つに阿知女作法というのがあるのよ。この歌は「あ~じめ~」とか、「お~け~」というまるで呪文のようなフレーズの繰り返しで、鎮魂のための歌とか神様の降臨を喜ぶ歌とか諸説があるのだけれどもその意味が不明とされているのよ。

 

でもね、お神楽の発祥は古事記の岩戸開きの時の天鈿女命の舞が発祥であるというのは定説になっているの。そこまで定説になっているのであればこの歌の意味はサクッと理解するべきだと最近の私は強く感じているのよ。

 

あじめとはうずめの事であり桶を伏せてその上で踊った天鈿女命の事だとその道の権威は認めたがらないのよ。多分低俗な語呂合わせにおいて学究的な権威が損なわれると思っているのよ。

 

それでも阿知女作法のあじめとは天鈿女命の事なのよ。

 

最近気が付いたのだけれども天鈿女命とはやはり天照大御神の事なのよ。岩戸からお出ましになった大御神と同一神なの。

 

天鈿女命は桶の上で乳房をかき出し衣の帯を御陰まで垂らし舞い踊ったと古事記には書かれているの。何故そのような悩ましい姿態で踊らなければいけなかったの?というのが大問題なのよ。

 

そのような姿態に目を奪われ惑わされるのは男だからそのことをもって、天照大御神は男神と示唆しているのだという俗説があるのよ。カルト視されているキリスト教会の教会員の説なの。しかも八咫烏から大御神の心御柱の真相を聞き出して公開したご仁でもあるのだから何をかいわんやでしょ。

 

なぜ御陰を露わにしなければならなかったかというと古事記ではそれが鳥居の象徴であるからなのよ。その鳥居の象徴に致命傷を受け落命した女神である伊弉冉尊と天照大御神は天鈿女命と同一神であると示唆しているのよ。

 

そしてその正体はやはりキリスト・イエスなの。

 

今の私にとって御神楽とはねイエスの降誕と復活を喜ぶ楽の音となってしまっているの。


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この像がキリスト・イエスの降誕と復活を示しているのよ。そしてその意味するところはこの形なの。


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伏せられた桶とは伏せられたマナの壺でありそれは契約の聖櫃と同義だったでしょ。

 

阿知女とは阿吽を知らしめる巫女という意味なのよ。

 

ヨハネの黙示録でイエスは、私はアルファでありオメガである。最初のものであり最後のものである。初めであり終わりである。と語っているでしょ。このアルファとオメガをそのまま日本語にすると「あ」と「ん」でしょ。阿吽なのよ。

 

この阿吽ということもその道の権威の禅坊主とかに言わせると仏教とともに伝来したインドに淵源をもつ外来思想であるとなるのよ。

 

そうではなくて大御神の神遣八咫烏がシルクロードを上りながらこの国まで引っ提げてきた「あ」と「ん」なのよ。

 

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その証拠に阿吽の呼吸などということは日本人以外では通用しないではないの。初めであり終わりであり全てであり宇宙であり永遠であるとされていても、そのような高尚な事とは無縁に非言語的な暗黙の了解で日本人はコミュニケートし合っているでしょ。

 

それが外国人に通用するとは思えないでしょ。それはすべて天照大御神の阿吽の呼吸に由来するのよ。

 

だからまず日本人が大御神の御旨を暗黙裡に了解しなければ何も始まらないの。その了解を妨げる煩悩を滅却して解脱しなければ何も始まらないうちに終息するのよ。

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 この法輪が神武紀元から七十四年後の紀元前586年のユダヤのバビロン捕囚の前後から回転し始めたのよ。それは梵天灌頂により仏陀となったお釈迦様の初転法輪であり、当時の預言者エゼキエルが見た幻の、神様の戦車の車輪の回転だったの。

 

戦車で思い出すのはイスラエルがモーセに率いられエジプトから脱出した時に、割れた海の道を追ってきたパロの軍勢と戦車が海の藻屑と消えたことなの。

 

イスラエルの神は戦車の法輪によりイスラエル人を導き行軍しているというイメージかしら。その意味においてはお釈迦様の初転法輪の以前からこの神の戦車の法輪は大回転していたということになるのよ。

 

そのことを悟った仏陀が梵天により、そのことを広く明らかにするために灌頂されたということなのではなかったかしら。

 

エゼキエルの見た幻では四つの顔と翼を持った生き物が見え傍らの車輪には目があったと書かれているの。同じ四つの生き物はヨハネも黙示録の中に書いていて、それは人の顔、獅子、牛、鷲とエゼキエルの幻と共通なの。

 

ヨハネはこの生き物に六つずつ翼がありその内側も外も目でいっぱいであると書いているの。この目とは何かと言ったらこれのことではないかと思うのよ。


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 法輪には宝珠が付き物でしょ。如意輪観音様の法輪と宝珠なのよ。

 

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では四つの生き物とは何を示すかと言えばこれではないの。

 

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この八つの矢を持つ法輪は神の玉座でもあるのよ。そして玉座は四方を天使に守られているのがお約束なのよ。上の図形は逆さまにすると神道の包丁式の、包丁と箸による十字架と読み解いたでしょ。そこには日の丸の原型が見えるでしょ。さらに一霊四魂だとか陰陽五行などもすべてここが源なのねと理解するとすべてがつながってしまうのよ。

 

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これらなどもすべて同じ源から発しているでしょ。神の玉座であり戦車とその車輪でもあるのよ。そしてそこにはイスラエルの神との契約があるの。

 

その契約により王笏を賜りそれを八咫鏡として保持しお祀りしているのがこの国の八咫烏なの。六芒星の国はその印を保持していないという悩ましい現実があるのよ。

 

そしてその八咫烏に導かれた神武天皇までが一日目だったのよ。では二日目はどうなるのかというと神武紀元から千年を下ると一日目だったでしょ。それが西暦340年だからさらに千年下った二日目は1340年ごろまでなのよ。

 

そしてこの国の1340年代を見てみると、なんとこれが南北朝時代なのよ。南北朝の両統迭立の時代の南朝の初代が後醍醐天皇でその治世は1339年までなの。1340年というのはその両統迭立が本格化した時代だったのよ。

 

両統迭立などというと聞こえはいいけれどもその本質は天照大御神により王笏を賜った神武天皇の仰せにより、八紘(あめのした)をおおって一つの宇(いえ)となった天皇家の分裂なのよ。

 

これはね日本人は誰もそうとは気が付かないけれども北朝イスラエルと南朝ユダヤの分裂と寸分の狂いもなく同じことなのよ。イスラエルの南北朝は神により建てられたダビデ家の分裂だったでしょ。それはイザヤ、エレミヤ、エゼキエルが預言したように背信と裏切りの象徴なの。そしてダビデの子として来られたイエスすなわち天照大御神により失われたイスラエルに再建された王統もダビデ家の王統であるのよ。

 

失われたイスラエルにおいても神武紀元から二千年後すなわち二日後に背信と裏切りにより王家が分裂し、後の乱世につながったのよ。

 

今の私の歴史観ではこの時までが八咫鏡の平安時代なの。だから神武紀元から数えたら一日目が神代で二日目が大和朝廷の平安時代なの。この時代の貴人に詠まれた和歌などには古事記の神代をはっきりと悟り詠まれていたのねと思える歌がたくさんあるのよ。

 

ここまでが二日目なの。二日目は前方後円墳から南北朝までの時代よ。そして三日目に入っていくの。イスラエルのカバラにおいては三日目に神様が介入されるのがお約束だったでしょ。その時代は戦国の乱世から江戸時代が含まれているの。けれどもすでに現代にいたるまで背信と裏切りの時代が続いているのよ

 

その時代背景の中で私が眼を開かれるのが三日目の始まりである1340年から600年後の1940年なの。この区切りをカバラで理解しようとすると第三の時代の600年後すなわち七日目の始まりにおこった出来事なのよ。この時この国において八紘一宇が国是とされているのよ。第三の時代の七日目に八紘一宇という言葉が流行語になったのよ。それは神武紀元2600年後の事だったの。

 

ところがその五年後の1945年に大敗北を喫しているでしょ。そして皇国史観や八紘一宇という言葉まで禁止され占領軍に国家を改造されて今に至るのよ。

 

八紘一宇とはね神武紀元にその源がありそれは天が下の一つの家族という契約の法輪を意味しているのよ。八咫烏は知り抜いていたでしょうけれども日本人は誰一人それが天照大御神をお遣わしになられた尊い神様の御旨だったなどとは知らずに生きて来ていたの。

 

その八紘一宇が神変不可思議な方法で国是とされたのが神武紀元2600年の事だったの。その尊い神様の御旨はイエスが聖書の中でこれでもかと言わんばかりにお説きになっているのに世界中が背信と裏切りに取り憑かれているの。進化論は肯定され、政治哲学においては万人の万人に対する闘争などというのが受け入れられ修羅場と化しているでしょ。

 

そのような中で神武天皇の八紘一宇が現代において蘇ってからその60年後に天照大御神の心御柱がキリスト・イエスの十字架と銘板であり、八咫鏡の御神璽として神宮の地下殿でお祭りされていると八咫烏により明らかにされたのよ。

 

ここでも60という数で六日目が示唆されているでしょ。六日目とはね七日目の七つのお祝いの夜明けの晩なのよ。

 

この2001年におこったことは背信のユダヤが捕囚を解かれたけれどもメシアが来られた時にはローマの属国に堕ちていたことと相似象よ。

 

背信の失われたイスラエルで天照大御神の心御柱が降臨した時に気が付いてみたら、覇権国により改造され安全保障の美名のもとに占領基地を置かれていたということなの。

 

西暦紀元から神武紀元迄660年さかのぼって見るとイスラエルとユダヤの分裂後の捕囚の時代であり、2000年から660年さかのぼって見ると失われたイスラエルの南北朝分裂の時代なのよ。

 

それ以降1340年からこちらが三日目の出来事なの。そしてまだ三日目は継続中でしょ。

 イエスが復活して現人神として来られた時にそのお姿を拝したのは聖書によれば120人ほどと示されているのよ。

 

その弟子のひとりに「あなたは私を見たから信じたのか、見ないで信じる者は幸いである」と御言葉されているでしょ。この御言葉は後に失われたイスラエルで起こる事の布石として語られた御言葉だったと私は受け止めるの。それを何人ぐらいが信じるのかしらといつも思うのよ。

 

そしてこの話はまだ続きがあるのよ。大御神にまつわる暦は神武紀元と西暦だけではないでしょ。和暦も連動しているわよ。

 西暦1940年は神武紀元2600年で八紘一宇が国是となっていたでしょ。それは昭和十五年だったのよ。三五七の法輪にふさわしい年でしょ。

 

そして昭和は暮れの七日間が元年で年明けの七日間が最後の年だったという不思議な一致があったの。それで今の令和は一体何なのかしらと思い考察してみたら一応の終わりが見えてしまうのよ。一応のね。

 

今年は令和二年でしょ。そして2020年でしょ。心御柱が降臨してから20年目なのよ。そして初めて令和としてお正月を迎えた最初の年でしょ。そうしたらいきなり全世界を巻き込む国難の年になってしまったの。

 

それで以前から気になっていたのが、2033年に次の式年遷宮がありそれは令和十五年なるということなのよ。どのような年周りになるのかしらと思っていたの。

 

ところが八紘一宇で神武紀元を意識しだしたら2040年に神武紀元2700年を迎えることに気が付いたの。

 

カバラの777は聖書に頻繁に出てくるし、666もヨハネが黙示録で書いていたでしょ。888はそれとなく古事記の弟橘姫の入水の場面で示されているのよ。絶対どこかに999が出てくるはずだとずっと探していたのよ。そうしたら神武紀元2700年がその999だったのよ。

 

そしてその年は大御神の心御柱が降臨してから40年後なの。この40年という年限は最大の警戒が必要なの。しかもその年は令和十五年の式年遷宮から七年後の令和21年で777の年周りなのよ。

 

ノアの時の洪水は4040夜降り続いたの。イスラエルは400年エジプトに寄留してから脱出し、40年間荒野で試しを受け約束の地カナンにたどり着いたの。イエスはヨハネによる洗礼を受けた後、悪魔に試みられるために40日間荒野に退いたの。そして復活後は40日間にわたり弟子の前に現れているの。思いつくだけでもこれだけあって、聖書においてはこの40という日数は大いなる試みの日数なのよ。

 

気が付いたら大御神の心御柱が降臨してからすでに20年たっていて折り返しの年なのよ。しかも2040年は1940年の八紘一宇の年から100年目にあたるでしょ。その1940年から数えれば70年目すなわち七日目に大御神の心御柱が降臨しているの。

 

八紘一宇の西暦1940年から神武紀元2700年までの百年すなわち十日間なの。十種の神宝は一から十を数え死んだ人間を生き返らせる神宝とされているのよ。

 

あと二十年なの。何かを感じる人は八咫鏡の法輪により背信と裏切りから解脱しておいた方が得策と思うの。私のことを信じない者が私を殺すのであるというのがイエスの御言葉だったでしょ。もうとうに三日目も半ばを過ぎてしまっているからね。

 

神の裁きは剣と飢饉と疫病と預言者により示されているわよ。この国では剣は鞘に納めてしまっているから問題は飢饉と疫病なの。

 

八咫鏡の法輪の回転とともに穏やかな日々が続きますように。

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四月に命の木の契約シリーズの記事を書きあげて八咫鏡でこのブログも終息するかと思っていたのよ。そうこうしながらその後気が付いたことを書き綴っていたらいきなり八紘一宇というキーワードが降りてきてしまったの。

 

このキーワードは核爆弾級のとんでもない言霊だわよ。この国は古代から言霊の幸わう国と言われていたでしょ。この国においては人口に膾炙する言葉が神様の言霊として幸わう神変の国だったの。国民がその言霊についていけていないだけなのよ。

 

どこから書いたらいいかしら。やはり神武天皇からかしらね。このブログのタイトルになっている倒語(さかしまごと)という言葉は再三記述しているけれども神武天皇が初めて国の政を創めたもうた日に用い始められたと日本書紀に書かれているの。

 

それに先立ち都の造営をするに際して、国の中を一つにして都を開き八紘(あめのした)をおおって宇(いえ)とすることはよいことではないかと、橿原の地に都を造ろうと仰せ出されたとも書かれているの。

 

この仰せが八紘一宇として皇紀2600年にあたる西暦1940年に至り、この国の内閣に於いて国是として定められ当時の流行語になったの。その当時の雰囲気を伝えるのがこの写真なの。

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 私が日本書記から神武天皇の仰せを読み解くと八紘(あめのした)の国の中を一つの宇(いえ)とするというように読めるの。

 

この八紘一宇が1940年に国是となった当時は国難の一歩手前の時期だったのよ。東亜は欧米列強の植民地として蹂躙されていた時代でしょ。その列強の一角を日露戦争で破り、東亜に独立の機運をもたらしてしまったりしていたでしょ。

 

当然欧米列強との軋轢が生じるわよね。そのような中で嫌がらせを受けなければならない難しい時代だったのよ。その難しい事態に際して国学者たちの学問の果てに出て来たのが八紘一宇というスローガンだったのよ。

 

それが当時の政局と結びつき大東亜共栄圏という政治思想を生み出してしまったの。しかしね、この八紘一宇という神武天皇由来の言霊は大東亜では狭すぎるの。八紘とは天が下なのよ。

 

政治家では取り扱えない言霊であり、だから核爆弾級なの。たとえが悪いかしら。しかし今はうまいたとえが思い浮かばないの。

 

この八紘一宇という言霊について解き明かし、記述してしまおうという大胆な試みの段階に踏み込もうとしているのこのブログ。

 

神武天皇という人は倒語(さかしまごと)の人なのよ。天照大御神の倒語(さかしまごと)の人なの。当然古事記や日本書紀も味方にだけ通じる倒語(さかしまごと)で書かれているのよ。その鍵は神武紀元に置かれているのよ。

 

いくわよ。

 

神武紀元は紀元前660年なの。この時に何が起こっていたのかなのよ。八咫烏は多分知っているのよ。でも明かされない限り誰にも分らないの。わからない以上は推測に頼るしかないの。

 

私の場合はやはりカバラの鍵がものをいうの。それでこの時代がどのような時代であったのかカバラの虎の巻で見てみると預言者イザヤの時代なの。

 

紀元前721年にイスラエルの十支族がアッシリアに捕囚されてから六十一年後が神武紀元なのよ。

 

イザヤ書を読むとイスラエルの背信とユダの裏切りに対する神の警告がびっしりと書き込まれているのよ。そのような時代背景にあったのよ。

 

そして神武紀元から三十七年後の紀元前623年にお釈迦様が生まれているの。お釈迦様の生年に定説はないから私なりに導き出した年限よ。

 

タイやラオスでは紀元前543年が仏滅紀元とされているの。ということはお釈迦様が通説通りに八十歳で入滅していたとすればその八十年前の紀元前623が生年でしょ。

 

神武紀元の三十七年後生まれなのよ。諸説ある中でここでは葬式仏教ではなくて上座部仏教の説を取り入れるとそうなるの。

 

そしてさらに時代を下るとお釈迦様生誕の紀元前623年から三十七年後にユダヤのバビロン捕囚が起こっているのよ。

 お釈迦様の成道による解脱が三十五歳の十二月八日の事であったということを当てはめると、お釈迦様が解脱した仏陀となられて二年後にユダヤがバビロン捕囚という縄目を受けていたことになるのよ。

 

お釈迦様の解脱後は初転法輪へとつながるでしょ。この時代はイザヤの時代を過ぎその次のエレミヤという預言者の時代がバビロン捕囚まで続いていた時期で、エレミヤという人もイザヤに輪をかけて、イスラエルの背信とユダの裏切りによる神の裁きを警告していた人だったの。

 

そしてついに紀元前586年にユダヤのバビロン捕囚となりエルサレムの神殿はバビロン軍により破壊しつくされてしまったの。そしてエレミヤの後を継いだエゼキエルという預言者が登場しているのよ。

 

このエゼキエルという預言者はイザヤとエレミヤの、背信と裏切りに対する裁きの警告の成就してしまったときに現れた人だったの。

 

そのような私の調べによるとお釈迦様とまったく同時代の人なのよ。そしてそのエゼキエル書にとても興味深い記述があるのよ。最後は新しい神殿の幻で終わっていたりしていてヨハネの黙示録と通じるところがあるのだけれど、焦眉は神の戦車なの。

 

幻の中で四つの顔を持ち翼のはえた生き物の幻を見たことが書かれているのだけれども、これが全く意味不明なのよ。これはカバラにおいては神の戦車、メルカバーと呼ばれたりしているのよ。それがこれ。

 

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そして今月になり、八紘一宇というキーワードが飛び込んできて気が付いたのだけれども、エゼキエルと同時代の仏陀が初めて回転させた法輪とはこの神の戦車、メルカバーの車輪のことなのよ。八咫烏はそんなことは多分大昔から百も承知だったのねと気が付いたの。

 

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 そして仏陀となられたお釈迦様はバビロン捕囚の43年後の紀元前543年まで法輪を回してから入滅されているの。

 

その五百六十七年後が西暦紀元24年なの。イエスが二十代の頃にどこで何をしていたかはチベットの寺院で見つかった「聖イッサ伝」という書物に書かれているのよ。

 

それによればインドで聖典を学び終えた後に、お釈迦様が法輪を回したインドのブッダガヤに赴き仏伝を学んでいたと書かれているの。これが仏陀の預言通りの入滅後五百六十七年後ではなかったのかしら。神仏の連携だから寸分の狂いがなく実現していたとしても私は何も驚かないの。

 

そしてこの時代が初転法輪の時代であったことと紀元前660年の神武紀元とは多分つながっているのよ。ここ最近の記事で法輪は宝輪であり、その中心は御船に隠されている八咫鏡だと解釈して来たでしょ。

 

この八咫鏡がイスラエルの三種の神器と皇室の三種の神器を仲介する、神とイスラエルの契約のど真ん中にある契約の神璽だったでしょ。

 

そしてそれは十字架に掲げられたイエスの銘板だったでしょ。この八咫鏡は初転法輪の時代にはまだこの世に来ていなかったのよ。

 

紀元前660年以前にはエルサレムの神殿には契約の箱が神璽としてあり、その神殿でイザヤは神に仕え預言していたはずなのよ。そしてイスラエルの十支族がアッシリアに連れ去られ、次はユダヤの番だというのはイザヤとエレミヤが預言していたことだったのよ。

 

そして案の定ユダヤのバビロン捕囚という縄目にとらわれていくのよ。そして神殿は破壊されたの。

 

しかしねこの時を境に契約の箱が失われているのよ。そして私の推測ではこの契約の箱の神隠しを八咫烏が神武紀元としているのねという理解に、いやでもたどり着いてしまうのよ。

 

その契約の箱とイエスの十字架が神宮の心御柱として地下殿に安置されていると今から二十年も前に八咫烏が明かしてしまっているのよ。

 

八咫烏とは太陽に住む鴉と言われていて、八咫鏡とはひとつであり梵我一如の鴉ということなのよ。イスラエルの契約の箱とは祭祀氏族のレビ族しか触れてはならない神璽だからその辺の事情が大いに関係しているのよ。

 

契約の箱と心御柱の来歴など当たり前のように巻物に記述して保持しているはずでしょ。

 

そして八紘一宇ということが国是とされたことと神武紀元は密接に関連しているわよ。

 ここからが私がこの記事で書きたかったことなの。ここまでが前振りなの。

 

またまた、いくわよ。

 

神武紀元から六百六十年後が西暦の起源でしょ。イエスの十字架上の死と復活は私の見立てでは紀元三十三年頃なのよ。それからきっかり四十年後にユダヤはマサダ砦で玉砕しているの。紀元66年に反乱が始まりその七年後の紀元73年のことなのよ。

 

その前後まではイエスの心御柱はエルサレムにあったはずなの。根拠はと言えばイエスが弟子たちに語った御言葉だったでしょ。復活したイエスから弟子たちに、父の約束したものを送る、高い所からの力を受けるまで都にいて祈っていなさいと告げられたと聖書に書いてあるの。

 

そしてその弟子たちはユダヤのローマに対する反乱を境にこれがまた神隠しにあってしまっているのよ。この国にイエスの銘板を心御柱として持ち込めたのはこの弟子たち以外に考えられないでしょ。そして全ては藪の中となるかと思いきやさにあらず。

 

イエスは隠されていることで露わにされないことはないと御言葉しているでしょ。だから食い下がって探そうとするの。ここでのキーワードはイエスから、私の羊を養いなさいと三度告げられたペテロの御言葉なの。

 伊勢神宮の式年遷宮の鶏鳴三声のペテロよ。

 

ペテロの第二の手紙

三章八節 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

 

この御言葉が鍵穴に合いそうだと差し込んでみるのよ。そうして神武紀元に千年を足してみると西暦紀元340年になるのよ。そうすると、なにこれ、この国の謎の四世紀のことじゃないとなるでしょ。邪馬台国から大和朝廷に至る建国の歴史が隠されてしまっていて藪の中となっている時代なのよ。そしてこの時代を境に古墳が巨大化するのよ。

 

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この古墳が契約のマナの壺を伏せた形だと読み解いたでしょ。古事記で神武天皇と饒速日命がしるしを見せ合い同じ天津神の子だと認め合ったとか、日本書記では八咫烏に導かれた神武天皇の弓の先に天から飛来した金の鳶がとまり雌雄を決しただとか、この謎の四世紀のことをみな倒語(さかしまごと)で記述しているのよ。

 

だからその当時からの味方同志は理解できているのよ。八咫烏は、物部氏は徐福と共に来たと語っているのよ。

 

邪馬台国から大和朝廷への流れなどはすべて記録として持っていながら表に出そうとはしないのよ。それは神隠しに合いながらも高い所からの力を受けてしまった味方同志にしか顕わにできない神聖なことだからなのではないのかしら。

 

京都丹後の籠神社の宮司さんは神武、崇神、応神と神という字を持つ天皇は多次元同時存在の法則で、人であり神であり同一神だと明かしているのよ。

 

それは神武紀元からの千年間の天津神の事績がこの最初の天皇の時代であり、はつくにしらすすめらみことの時代なのよ。

 

だから第十五代応神天皇の次代の仁徳天皇の陵墓が教科書でよく知っている大和朝廷発現のシンボルなのではないのかしら。

 

しかも応神天皇迄の架空?の天皇で十五代って三++七=十五で始まっている古事記の始まりとまったく同じなの。


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そしてここまでが一日目なのよ。

 

最後まで書ききってしまうつもりだったけれどもやはり長くなってしまったから二日目へと続く。

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火の蛇の三回転半で八咫鏡と八紘一宇の宝輪を回転させていると、雅楽と君が代でかなり良質のトリップが出来るようになるわよ。

 ポップスなどうざくて聞く気になれなくなるの。毎日でも行けるわよ。終わりまでこのまま行けるわという感じ。命の息がある限り覚醒には限りがないからトリップが深くなり飽きが来ないのよ。


君が代のすべて
国歌
キングレコード
2000-12-06





日本古代歌謡の世界
東京楽所
日本コロムビア
1994-11-21


music for 陰陽師
ブライアン・イーノ
ビクターエンタテインメント
2000-02-26


招杜羅紫苑
伶楽舎
日本コロムビア
1995-12-21


私の一押しアルバムたち。ブラーフマナの八紘一宇なの。

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皇室の神器八咫鏡は八釼と八宝珠の宝輪だったでしょ。それは天皇家の王笏の宝輪でもあったでしょ。(記事のリンク貼ろうと思ったけれども増えすぎてどの記事で書いたかわからなくなっているの。過去記事よく読んでね)

 

この宝輪を最初に回したのは梵天から灌頂を受けたお釈迦様だったわよね。解脱、救済、モクシャの初転法輪だったのよ。宝輪であり法輪でもあるのよ。

 

それを数のカバラで示すと八釼と八宝珠の八と、中心にある八咫鏡という宝輪一つで、八+一は究、もしくは八+一は救となるでしょ。

 

このことわりを日本語で言うと八紘一宇になるのよ。

 

それは八正道の法輪の大回転が八紘一宇の宝輪の大回転で、その中心が八咫鏡だったということなのよ。

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この八紘一宇ということは先の大戦のときに喧伝され広められた大義だったでしょ。しかし大負けしてしまったわよね。神の国イスラエルが神と共に戦わなかったときはすべて負け戦になったでしょ。それは失われたイスラエルにおいても当たり前のように継承されている神理なの。

 

八紘一宇の本質を悟らずにそれを大義として戦して負けるのは、その大義が空念仏だからなのよ。

 

それが聖書において示されている神の国イスラエルの悲哀なの。それは大御神の岩戸開きによりなった失われたイスラエルにおいても同じなの。

 

この国は大御神の神勅によりなったと祝詞がはっきりと証ししているのに、大戦当時も今もそれを空念仏のようにしか日本人は受け止めていないのよ。

 

叡智により神様をお祀りしている一部を除きこの国は昔から空念仏の国だったのよ。そして大敗北を喫してからどうなったのかというと空念仏に懲り、異教徒の学問で身を立てることに邁進する破目に陥ったの。

 

この学問が聖書のイスラエルなどということを全く意に介さない学問なのよ。たとえて言えば主人のぶどう畑をそれと気が付かず、そこにりんごの種を植え良しとするような使用人たちの学問なのよ。

 

イエスが私は真のぶどうの木であると言ったことなどまるでわからずに、リンゴの種をまき、他の使用人たちにもそれを強制するような学問なの。

 

この主人のぶどう畑は永遠の命の果実を生らせる神変の畑だから、蒔く種が悪いと病害虫が発生し根絶やしにされるかもしれないのよ。そうならなくても刈り入れの時に毒果の木は伐り倒され焼却されると神理の書が証ししているの。

 

その神理の書から八紘一宇の大義を悟る僕は、その畑に主人の望む種を植える梵我一如の働き人とされるのよ。そこに主なる神の救いがあるの。空念仏の毒果栽培からの解脱なのよ。それが八紘一宇の悟りなの。今日知らされてまだ湯気が立っているわよ。


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結局のところ信仰って何かというとね、みんな今生きているでしょ。でも必ず終わりの時が来るでしょ。その時が来たらその後どうするかと命がけで真剣に考えることなのよ。

 

私がそのように考えた時に、あてになるのはキリスト・イエスとお釈迦様だけなのよ。それ以外ではこのお二人の御言葉を受け入れて悟った先見者だけなの。

 

神仏と先見者がこの世に残した御言葉はすべて同じことを証ししているわよ。そしてその証は私たちが感受できるこの世の森羅に映されているのよ。

 

そのようなことはこの世にしか目のない人には無縁なのよ。この世とあの世を貫いて生きておられる神様とは無縁ということなの。そのご縁を命がけで結ぼうとするから摩訶不思議な神変を見せられ信じるしかなくなるの。

 

解脱とはね、この世的な不信仰から命がけで逃れることなのよ。この世にしがみついていて、神様仏様を命がけで思わない人には、後で何が待っていようが無縁なのよ。

 

今の私には、この世的なご利益信仰や徒党を組んだ宗教などは娯楽や遊びの類に見えるの。それはそれで仕方がないのよ。

 

イエスは招かれるものは多いが選ばれるものは少ないと御言葉しているでしょ。皆が皆招かれているのよ。イエスの十字架はそのためだからね。しかし神を侮り、自分のさじ加減でいい加減に生きていると選考基準を満たさず落第するのよ。

 

ノアの時の洪水は天体規模の異変だったらしいわよ。それは水による洗礼だったの。イエスに先立って来た洗礼者ヨハネは水で洗礼を施し、後から来るイエスは火と聖霊により洗礼を授けると御言葉していたでしょ。

 

そのイエスは十字架上で死に、三日目に復活したことにより、地上における、聖霊と共なる過ぎ越しのための洗礼をすでに終えられているでしょ。

 

終わりの時には天体規模の火の洗礼が待っているらしいわよ。その時には生きている人もすでに死んでいる人も、同じく、天と地を巻きこむ神の炎で焼かれるらしいわよ。

 

私はすでに、命がけで解脱してイエスと天の御父から聖霊の助けによる固めの盃を受けておかなければ過ぎ越しを受けることはできないと理解させられているの。

 

仏陀の言葉を聞き弥勒菩薩から洗礼を受けた人は、一度死んでも二度目の死からはすでに過ぎ越していただいているということなの。

 

聖書や古事記の預言は娯楽じゃないわよ。真剣に求めると神様の剣により悟らされるからね。

 

そして神剣である天叢雲剣とされ大御神に献上されるの。

 

そして新たな始まりの千代に八千代のお正月へと続くの。

 

苔の生すまでよ。

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解脱って一般的ではないわよね。奇異な事と理解されているでしょ。私なんかそれを意識せざるを得なくなり、当時同じ仕事をしていた人が私の発言に疑問を感じ問いかけて来たのではっきりと、解脱なのよと言ったらすごく驚かれた経験があるのよ。

 

それから何年か経つのだけれども今では解脱には梵天灌頂は付き物で切っても切れないことなのねとサクッと理解してしまっているの。人には理解されないわよね。

 

でもね、聖書のイエスの御言葉が飛び込んでくるとそうならざるを得ないわよ。地上にいくら富を蓄えても天に富を積んでおかなければ破滅だわと真剣に思えるからね。

 

それは信仰の問題なのだけれども宗教とは別物よ。お釈迦様は良い友を求めよ、求めて得られなければサイの角のようにただ一人歩めとお諭しになったの。党派心で徒党を組んでも百害あって一利もないわよ。

 

何故お釈迦様が女人は解脱できないとお諭しになったのか腑に堕ちなければ無理よ。この世とは太古から男性社会でしょ。男が主、女が従なの。それは神様が主、人間は従ということを反映しているの。この部分の信仰は私にとってかなり重要なウエイトを占めているの。

 

神様の似姿に創造されている人間の社会も神様の理を反映しているのよ。その社会の中で男たちは父であったり夫であったりしながら主人として振舞ってきたわけでしょ。

 

しかしその主人である男たちが創造の主である神様を悟らず、ないがしろにしてきたことは、古代から現代にいたるまでの世の紊乱した風俗を見れば明らかでしょ。

 

お釈迦様のお説きになった解脱とはその男性社会の矯正に資するためだったのよ。しかし弟子たちがそれを理解しなかったの。だから仕方なく窮余の策で比丘尼を誕生させたでしょ。そして正法、像法、末法、法滅を預言されたの。

 

それは弟子たちに男女の主従が神様由来であると教えることはお釈迦さまでも手に余る事だったのよ。それは当時の時代背景とその地域における信仰と宗教ということがお釈迦様の足枷になっていたからなの。

 

しかしその問題はやがて来られる五六七の弥勒菩薩が全て解決すると預言されていたでしょ。お釈迦様の梵天による灌頂はそのための露払いだったのよ。お釈迦様は救世主ではないし、宗教も世を救えない、ただ救世主だけがそのためにやって来られるということを、お遣わしになる梵天がお釈迦様を通してあらかじめ示されていた事象だったのよ。

 

それらを全て御存知だったお釈迦様が女人は解脱できないとお諭しになっていたの。

 

同じことは古事記の中で男神と女神の国生みの時に女神が先に言葉を発して国生みに失敗したことで示されているわよ。この世においては女性が男性と同じ土俵で勝負しようとするとどちらも滅ぶということなの。神様の男性社会が壊れるでしょ。それでなくても紊乱した破滅しやすい社会なのだから。

 

それとも女性は救世主たり得るかしら。無理よね。救世主が創造主を差し置いて何かできると思うことに無理があるでしょ。それはキリスト・イエスが天の御父を差し置いて侮るということと同じでしょ。そのようなことはあり得ないでしょ。でも人間社会ではそれが常態化しているの。

 

この星が大地母神ガイアだったとしてもその畑に種を蒔く父神に対する信仰が無ければ同じことに陥るの。そのことを百も承知の神道は神事の土俵に女の人が立つことを絶対に許さないの。国が亡びるわよ。

 

男尊女卑ではないわよ。男女同権はアダムズアップルたちが御神田にまき散らす毒麦の種とはっきり見定めて、お祓いをしながら神様をお祀りしているのよ。

 

それがお釈迦様の頃の時代背景と弥勒菩薩が降臨して二千年近く経た現代との時代背景の違いなの。

 

はっきり見定めた先見者、解脱者でなければ神様をお祀りすることはできないの。神様から賜物を受け、お祀りすることはできないの。それはお釈迦様がその生き方でお示しになられた喜捨とお布施の乞食の関係なの。

 

解脱とは真鯉の滝登りのことなの。緋鯉は真鯉に夫唱婦随で付き随うからその緋が映え、輝くように神様がお創りになっているのよ。だから解脱しようとしない真鯉は緋鯉と子供たちを巻き込んでお陀仏になるの。そのような神様の理の社会で自分の有り様を理解しない緋鯉のうろこは、くすんで、ぼろけてしまうのよ。滝を上れず法滅に至るでしょ。それが一般の社会で起こっている事なの。

 

それが神様仏様の定めなのよ。だから滅びに至る門は広く大きいの。

 

イエスは、立ってはいけないものが、立ってはいけないところに立つのを見たら山に逃げろとお諭しになっているでしょ。私にはそれがくっきりとはっきりと見えてしまったから山に逃げたわよ。

 

山とはイスラエルのカバラが示す命の木よ。三本の柱で示されるお山の形をしているでしょ。何故そのようなことになるかというと、イエスは、私は失われたイスラエルにしか遣わされてないと御言葉していたでしょ。だから失われたイスラエルは社会が紊乱していても、上からの力が働いてその文化、文明の中に神様のことを悟るための言霊の鍵がそこここに置かれるように創られているからなのよ。

 

このお山に逃れるための防災の備えを、先見者たちが梵天の灌頂によりあの手この手でこの世に残してきたの。それが避難誘導路となり、最終的に、失われたイスラエルに遣わされた天照大御神の神道として定められ大成しているの。

 

だから今の私にとって神道とはお山に逃れる避難のための誘導路なのよ。その誘導路の入り口をお釈迦様がお示しになっていたの。モーセの五書がトーラーと呼ばれ、それを虎の巻とする言霊の書にもその入り口のことははっきりと書かれているの。

 

その入り口を探してそこから入るようにイエスは促しておられたの。その入り口から入れていただく人は道に迷わないように、コンパクトにまとめられた防災リュックを賜るのよ。

 

すべてその中に詰め込まれていてそれにより難を逃れることができるの。私にとってそのリュックとはカバラの命の木であり、根付きの真榊であり、契約の聖櫃であり、マナの壺であり、真名井なの。

 

そのリュックの中にイスラエルの三種の神器、イエスの三種の神器、神道の三種の神器がすべて詰め込まれているの。

 

それらを適切に用いることによりお釈迦様が御説きになった宝輪が目に映り、メシアの八正道を悟るのよ。そして六百六十六から解脱して八百八十八を理解するの。

 

そうすると八釼の宝輪がメシアをお遣わしになられた尊い神様の、上からの力によりゆっくりと回転し始めるのよ。


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昨日は五月五日のこどもの日だったでしょ。七月七日に向けた夏越のお祓いの重要なお祭り日だというのにネットのニュースサイトを見るとコロナ禍でオロオロしているばかりで子供の日のこの字も出てこないのよ。

 

いよいよここまで日本人は馬鹿になったのねとはっきり実感するの。

 

馬鹿とはね、馬や鹿の事。それを人間に使う時は動物たちと違って神様から分別というものを与えられていながら、馬や鹿のように分別が働かず神仏を悟らないないそのような人間のことよ。

 

五月五日と言えば夏越のお祓いにとっても年越しのお祓いにとっても極めて重要なお節句だからね、今日の記事は気合を入れて書くわよ。

 

三月三日もそうだけれども五月五日も素戔嗚尊と天照大御神の誓約に関するお祭り日で、五色の吹き流しと鯉のぼりの、極めて重要なお祭りの日なの。

 

しかし日本人は誰も知らないし、このようなことを真顔で人に言ったら狂人扱いされかねないのよ。でもね、私はブログに書いておくわよ。

 

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この写真はネットで拾った写真なのだけれども五輪のオカルト性が判るかしら。1940年に開催予定だった東京五輪に向けた記念撮影なのよ。この時は紀元二千六百年に東京でオリンピックをということで盛り上がり開催が決定したらしいのだけれども、今の私から言わせればよくもそんなオカルトじみたことを真顔でやる気になれたものだわとなってしまうのよ。

 

武士道精神とオリンピック精神は水と油なのに当時の為政者たちは大興奮だったらしいの。その挙句に戦争によるオリンピック中止と大敗北を招来したのよ。

 

上の写真のナチスの旗は当時の同盟国の旗でしょ。これがとんでもないオカルト旗なのよ。日の丸の赤と白を逆転させ赤地に白丸を染め、その中心に逆卍を描き四十五度回転させているでしょ。日の丸は太陽宝輪のシンボルだからね。それを赤白逆転させその宝輪を逆回転させていたのが同盟国のナチスドイツだったの。そのオカルトナチスのしでかしたホロコーストが契機となってもっとすごい国が樹立されて今に至っているでしょ。

 

皇紀紀元を大切に思いながらも当時から日本人はオカルトにはめられ、八十年たった今ではその泥沼から完全に抜け出せなくなっているのよ。そしてまたぞろオリンピックの中止。延期ではなくて中止になるのではないのかしら。難しい理屈は嫌いだからカバラの象徴で示すわよ。欧米の五輪のお祭りなどというのは喉に林檎の芯をつまらせた異邦人たちの空騒ぎなの。

 

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日本人にとっての五色のお祭りは五色の吹き流しに守られ、緋鯉と子供たちを連れて滝を遡上する真鯉の武士道のお祭りなの。だから男の子のお祭りなの。理解できるかしら。

 

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 そのようなことをトンと理解できないアダムズアップルたちに侮られながらオカルトに引きずり込まれて、右往左往しているのが今の日本人の現状なのよ。天照大御神の国に生を受けそのような事だから馬や鹿といっしょでしょ。五月五日の秘数五は数の中心であり、宝輪の中心の五なの。

 

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この五という数字は真鯉に解脱を促しているわよ。オカルトからの解脱を。

 

長くなるから次の記事で日本人なら誰でもが納得いくように、お釈迦様が示した解脱ということを記述するように予定しておくわね。乞うご期待よ。


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オカルトと虚空蔵求聞持法の違いについて書いておこうと思うの。私ね、この道に目覚めた初めの頃に瞑想していたら頭頂部と眉間にチャクラがあると、なぜか感知してしまったのよ。

 

これって実はとっても危険なことなのよ。信仰の何たるかも知らないうちに中途半端に覚醒をしてしまうと身辺におかしなことが起こり始めるのよ。それでさらに覚醒しようなどと試みると完全にオカルトの世界にはまっていくという経験を何度もしたわよ。

 

それでチャクラの瞑想から身を引いたの。過去にその様なオカルト経験があるから今では虚空蔵求聞持法とオカルトの違いがはっきりと理解できるようになったのよ。そのことは論理的に説明を試みようとしても理解され得ないと思うのよ。だから象徴を用いるの。役に立つのはやはりカバラの象徴なの。

 

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これは宮崎県高千穂町の天の岩戸神社にある天鈿女命の像なの。なんともシュールでしょ。古事記の天の岩戸開きの場面で桶を伏せその上で舞い踊り天照大御神の岩戸開きのきっかけを作った神様なのよ。

 

この場面が御神楽のもとになっているの。そのように見ると伏せた桶はお神楽の舞台に見えるでしょ。その舞台の上で大御神に「あなた様より尊き神がいますゆえ喜び笑らき遊んでいるのです」と言いながら舞い踊ったのよ。

 

その言葉を大御神の気を引き、力づくで引っ張り出すための虚偽の言葉と表の神道では説明しているのよ。天照大御神の岩戸開きという極めて重要な御神事の場で、神々により虚偽が語られたなどと信じていることが今の私に言わせるともうすでにオカルトなの。オカルトではお神楽を理解できないのよ。

 

ではお神楽の本質とは何かと言ったらすべて伏せられた桶の中に隠されているのよ。この中に天照大御神の真名が隠されているの。それはイエスが勝利を得る者には隠されたマナを与えると言った真名なのよ。そしてこの伏せられた桶は壺でもあるのよ。

 

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この壺が隠されたマナの壺なの。虚空蔵の求聞持法は論理的な説明が不可能なのですべてこのようなカバラの象徴で示されるの。

 

そしてこの壺はイスラエルのセフィロトの木、すなわち命の木の型映しなの。そしてそれは大御神の岩戸の前に掲げられた根付きの真榊としても型が映されているのよ。真榊というその名称が逆木を暗示していて、さらに天鈿女命の伏せた桶と連携して、命の木は伏せられたマナの壺だと暗示しているのよ。その辺の関連は少し前の命の木の契約という記事のシリーズであらまし書いておいたでしょ。

 

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この命の木が伏せられた壺としてそこに真名が隠されているの。そしてこの伏せられた壺はイスラエルの契約の聖櫃の型示しにもなっているのよ。だからその中に隠されている神璽はすべて契約の神璽なの。

 

そしてこの契約に与り隠された真名を受けるためには真榊の中の枝にかけられた八咫鏡によらなければ不可能で、それが論理的に説明の難しい作法によるので私は虚空蔵求聞持法と呼んでいるの。その型が八咫鏡のセフィロトであるティファレトを中心とした八宝珠の宝輪なのよ。

 

そしてその宝輪の囲いから外れた最下部のところにマルクトという根のセフィロトがあるでしょ。このセフィロトがオカルトのセフィロトなの。陽の目を見ない闇にある根っこ、宝輪から外れた闇のオカルトのセフィロトなの。ここにそそのかす蛇がかくまわれているの。

 

この根っこごと岩戸の前に掲げられてしまったのよ。それは暗闇に隠れた人の悪い行いが大御神の御光にさらされた瞬間だったの。それはいずれこのオカルトの闇が大御神の御光により駆逐されるという預言とも理解できるでしょ。

 

それがイスラエルを媒体としてもたらされた契約の概要なのよ。だからその契約を無視したところで語られるカバラ、行われるお祭り、法要などは私に言わせるとすべて契約を度外視したオカルトとしか感じられないの。

 

かくいう私も以前はまんまとその罠にはまっていた一人なの。

 

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上の絵はね、ある少年が森に入って祈ったら創造主と救世主が現れ預言者とされたという絵なの。この少年が預言者となり、一般からカルト視されているキリスト教会を導き、その教会員のカリスマとなっているの。

 

私も一時期所属していたことがあるのよ。私はカバラに興味があったし、そのような情報をもたらす先生がこの教会の教会員だったことがきっかけなのよ。

 

でもね、私は聖書を真剣に読み込んでいたから、ある時創造主と救世主が信仰も知らない不良少年の前に姿を現すなどということはイスラエルと神との契約に照らして全くあり得ないと気が付き、以降即座に脱会したの。

 

それが契機となりお釈迦様を意識し始め、少し宝輪が見え始めたのよ。

 

今言えることはね、いくら分厚い契約書を手にしてその知識が豊富であっても、双方の同意によりその契約が交わされなければ何の意味もないということ。

 

そのようなことが伏せられた器の中に隠されているということなのよ。

 

件の先生は今でもその豊富なカバラの知識でご商売に精を出していらっしゃるのだけれども、以前日本の天皇は将来そのカルトに改宗すると言っていたわよ。そして救いを求める者はその教会を見出さなければならないというのが先生の御商売のモチベーションになっているのは、今も変わっていないはずなの。脱会したという話は聞いていないからね。

 

何故この話を書いたかと言えば私がはまっていたカルトだったからなの。でもね、イスラエルのカバラの契約に関する重要な情報はだいぶ購入させてもらって、それが契機になりはっきりと見分けがつくようになったのも事実なのよ。天照大御神はキリスト・イエスであると初めに言い切ったのもこの先生だからね。

 

そのおかげで今では聖書の中に偽預言者がいてそれが根っこのオカルトの役割を果たしてきたことがはっきり見えるようになったし、この国にも神示などというものが降ろされオカルトが根を張っている事も見えるようになったわよ。根っこにはそそのかす蛇がいて、この蛇がオカルトを引き起こしているのよ。

 

根っこと幹は神様が園の中央に生えさせられた二本の木で、モーセが書いた、神は人の前に呪いと祝福をおかれたということを意味していたのよ。呪いが置かれたのは唆す蛇を追い払う修練のためなのよ。

 

そして呪いのオカルトと契約の祝福は命の木のセフィロトではっきりと示されていて、それが根付きの真榊として岩戸の前にさらされされていたのよ。


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祝福を望むものはイエスがそうしたようにそそのかす蛇を追い払い、伏せられている桶に水を汲み、宴会の世話役のもとに運ばなければならないと福音書を書いたヨハネが教えてくれていたの。



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