このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)
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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/947242.html (イエスは御父による人類のいいなづけだった)
仏陀が初めて回したとされる法輪には八本の矢があるでしょ。これが破魔矢なのよ。八本の破魔矢だから八咫鏡とされて八咫烏がお祭りしているの。
その中心は太陽系では文字どおり太陽であるし、人体では太陽神経叢とされているの。個々の人体においては八本の矢が整わないと回転しないの。
太陽系の八咫鏡には始まりがあり終わりがあり、しかもその回転は永遠なのよ。
阿吽として知られるそのことわりは古くはインドで知られアートマンとブラフマン、ブラーフマナとして示されてきたの。インドにはそのすべてが示されているのよ。でもね示されていてもそれを行う人がいないから宝の持ち腐れになっているのよ。
そのブラーフマナの阿吽の呼吸の御神璽は八咫烏が預かりこの国の神社でお祀りされているの。だから日本人は何者かに守られているのよ。ファクターXよ。
神とは申で示すという字でしょ。それはこの形で示されているということでしょ。
古くはこの形が神からの賜物として示されてきていたの。そこに八本の矢を持つ法輪の中心があるでしょ。この中心が八咫鏡として知られたのは大御神の岩戸が開けた時なのよ。
この時八咫鏡が中心の中の枝にかけられたと古事記に書かれているでしょ。
この後に時至りそれがお社で示されるようになったのよ。お社とは土で示すと書くでしょ。十字架で示すと読めるでしょ。
申で示された形の中によく見ると同じ形をした十字架が三つあるでしょ。それはこの宝輪は三柱の神様の阿吽の呼吸で回転しているということを示しているの。
公転と自転と月の公転なのよ。それが天照大御神と素戔嗚尊と月読命の御働きなの。
そのことわりを示す八咫鏡が神のお社でお祀りされるようになったきっかけの時から今日まで、法輪は二千六百八十回転もしているということなのよ。
古い神道にはお社が無く神籬や磐境で神をお祀りしていたでしょ。大神神社の三輪山は有名よね。
その時代を経て神武天皇の法輪の弓の先に金鵄が舞い降りて以降、お社で八咫鏡をお祀りするようになったのではなかったかしら。
だから神社は神様の阿吽の呼吸を悟るための文字通り神様のお社なの。
この国に生まれ日本人同士として阿吽の呼吸で空気が読めていても、終息までに神様と息が合わないと宝の持ち腐れ、地中に宝を埋没させて終わってしまうことにならないかしら。
西暦の起源からはすでに二千二十回転もしているわよ。八咫鏡を預かっている八咫烏は三五七をお祀りの日取りと定めているでしょ。それはこの世に来てから三回転、五回転、七回転目をお祭りと見定めているということなの。
ペテロの第二の手紙
三章八節 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
このペテロという人は大御神の一番弟子だった人だからね。私は鶏鳴三声のペテロと呼んでいるの。
このペテロの言葉によると自転の一回転も公転の千回転も主にあっては同じことだとなるでしょ。三日、五日、七日も、三年、五年、七年も、三千年、五千年、七千年もみな主にあっては同じお祭りの日取りということなのよ。
お釈迦様はそれを知り弥勒菩薩の降臨を五十六億七千万回転としたの。五百六十七回転であり、五日、六日、七日の事でもあるのよ。七日目の神様の安息日のお祭りなの。
そのような色即是空の法輪の回転を悟るべき場所が神社なの。どこの神社でも鏡をお祀りしているでしょ。
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