天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2020年04月

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イエス様は、あなた方は地上に富を積んではならない、富は天に積みなさいとお諭しになられたでしょ。天に富を積むのにお金の流れは発生しないでしょ。お金の流れの発生しているところでは御霊が働かれることはないということよ。

 

お社のお賽銭とか玉串料とかお初穂料は先に御霊が働いてくださっているから、それを知る人が、それに対する感謝の気持ちを、取り持ってくださる主のお宮にお返しするの。

 

それが主のお宮に富を積むことになるのよ。神様のお布施に対する喜捨の気持ちが天にある主のお宮に届くの。それはお金でなくても同じ。

 

その神様以外のところにいくらお布施や献金してもただ搾取されて終わるだけよ。税金も一緒だわよ。カエサルのものはカエサルに返さなければならないけれども、神様のものは神様にお返しすればいいの。

 

その都度大いなる恵みを受けるわよ。神様は欲深な人間とは違いはるかに律儀な御方だからね。


20190405165420


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私のこのブログどこまで書かされるのかしら。完全に浮世離れしているでしょ。でもメシアに本気で付き随ったらその人はもうこの世に属していないのと同じことになるのよ。そのように聖書には書かれているでしょ。

 

今の私から見たら宗教などというものは極めてこの世的な人の集まりにしか感じられなくなっているの。そのように感じさせられるまでに受け取っている祝福は包み隠さずすべてこのブログでシェアしてしまうつもりなの。だからすべて書いておくわよ。

 

八咫鏡のみならず神宮大麻というものまでわかってしまうとそれまで以上に世界が全く違って見えてしまうわよ。理屈として受けるのではなく瞑想の手引きとして読んでもらえればよいかもしれないわ。

 

イエスは勝利を得る者には隠されたマナを与えると御言葉しているの。この隠されたマナが神宮大麻であり八咫鏡でもあるのよ。失われたイスラエルに遣わされたイエスが、失われたイスラエルに隠したマナなのよ。

 

神宮大麻と八咫鏡の関係については今月に入ってからの記事を参照してもらうとして、この記事ではその一応の総括で、分かったことを書くつもりなの。

 

いくわよ。

 

神宮大麻とは天照大御神の御名が書き記されたお札であり、それはカバラの命の木で対応させると、壺に納められたマナであり、イスラエルの契約の箱に納められた十戒石板でもあるのよ。イスラエルの律法でもあり八尺瓊勾玉でもあるの。

 カバラの命の木自体がマナの壺であり、契約の聖櫃でもあり、それはアークと呼ばれ、ノアの箱舟をも意味しているの。十個のセフィロトが十戒の律法の聖櫃である事を暗示し、最初の人アダムから数えた十人目の預言者であるノアのアークである事も同時に暗示しているのよ。

 

そのノアのアークで救われた人の数が船という字が示す舟八口でノアの八人家族なの。そのアークである命の木の中心がイエスの御名の記された銘板であり、八個のセフィロトの八宝珠の宝輪の中心であり、岩戸の前の真榊の中枝にかけられた八咫鏡なの。

 

残る神器の一つアロンの杖はイエスの銘板の掲げられた十字架を意味していて、この国ではそれが天の叢雲の剣とか草薙剣と呼ばれそこにかけられたイエスの玉体を暗示しているのよ。

 

これがイエスの剣であり、古事記の伊弉諾尊や素戔嗚尊の剣は十束の剣と呼ばれ、十個のセフィロトの命の木それ自体が御父の十束の剣でもあることを暗示しているの。イエスの剣である草薙剣は十束の剣の剣先なのよ。少し複雑だけれども、瞑想によりそれらを自分の内に落とし込めればそこにとてつもない祝福が見えてくるの。

 

イエスから賜る隠されたマナが見えてくるの。見えてしまえばそれはもう賜ったのと同じことなのよ。命の木に与ることを許され衣を洗って白くしたものは幸いであるというイエスの御言葉がその人のうちに成就するの。

 

再度、いくわよ。

 

父神との契約による祝福の象徴が命の木であり、イスラエルの聖櫃と神器であり、真榊にかけられた三種の神器なのよ。だから真榊は父神の十束の剣でもあるの。これがモーセの書いた、神が人の前に置かれた祝福のあらましなのよ。

 

この祝福を受けるためにはイエスの肉を食べ、血を飲み、衣を白く清め命の木に与ることを許されなければならないの。

 

命の木の入り口は父神によりケルビムと回る炎の剣で守らせられているの。この入り口がイエスの銘板の八咫鏡で、ティファレトというセフィロトにあり、人体の太陽神経叢のチャクラに対応しているの。ここに八宝珠の宝輪が秘められていて、命の木への入り口であるのよ。

 

だから煩悩を滅却して、お釈迦様が回した宝輪を悟り、解脱し、入り口を通していただかなければならないの。そのためにお釈迦様はただ座れとお諭しになっているの。お釈迦様がしたような瞑想を通してでなければ宝輪は回転しないの。

 

それだからお釈迦様とイエス様のお二人の教誨師の御言葉を共に飲み込めなければならないのよ。それを促すのがこの国で頒布されている神宮大麻なの。それが謎の神宝十種なの。その絵図は命の木を分解した部品にしか見えないでしょ。

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祝福を受けなければそれと共に置かれている呪いを受けるしかなく、この世の終わりにその体を神様にお返しするときに、祝福ではなく受けた呪いを神様にお返しすることになるの。

 

自分の量るその秤で量り返されると書かれているでしょ。神様に呪いをお返ししたらその呪いを返されるということなの。だから祝福を受けようとする者は狭き門を見つけ解脱しなければ不可能なの。

 

この世の終わりに至らなくとも鬱憤がたまると神様はその呪いを返されるでしょ。何十年も平和な時代が続いたので前回からだいぶそのつけがたまっているわよ。

 

解脱ということだけれども男が剣を取る煩悩との戦だから女性はその戦とは無縁にしていたらいいのよ。お釈迦さまが女人は解脱できないとお説きになったのはそのためよ。女性が剣を取ることを神様は喜ばれないということ。

 

ただ主のはしためとしてお仕えできればいいのよ。男の戦である解脱の助け手でいいのよ。それが、神様が女性の前に置かれた美徳なの。大和撫子は手弱女で良いの。下手に同じ土俵ででしゃばると回りを巻き込み呪いを受けるわよ。古事記にそう書かれているでしょ。だから仏教は法滅に見舞われたのだから。

 

男も同じ立場ではあるけれども、メシアが剣を取られたように、終わりに至る世を救済するため、万軍の主に従い剣を取らなければ呪いを返されるの。聖書を読むとそのようなことがよくわかるように書かれているわよ。読まない人は危険だから命の木には近づかない方がいいの。オカルトにはまるわ。

 

短い記事でさらっと書いているけれども内容濃いでしょ。偽預言者とパリサイのパン種のつまらない説教に注意しないと、パリサイオカルトの呪いを返される羽目になるわよ。

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今日の瞑想は神宮大麻についてなの。八咫鏡は命の木への入り口だったでしょ。この入り口を通していただき、七つのお祝いのためにお札を納めに行くと、そこに命の木の果実が大回転しているのよ。その図象がこれなの。

 

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イスラエルの六芒星でしょ。中心が七つのお祝いの果実なの。ここがお札を納めるお宮よ。このお宮を中心にイスラエルの十二が大回転しているでしょ。主とイスラエルの大回転なの。

 

そしてこの図象をこの国では麻紋と呼んでいるの。これが神宮大麻の正体なのよ。そしてこれが八咫鏡の奥義でもあるの。神宮大麻と八咫鏡は同じものなのよ。瞑想しながらついて来てね。オカルトの瞑想ではお祓い箱になるわよ。

 

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これが神宮大麻で大麻札と呼ばれ、全国どこのお宮でも頒布を受けることができるでしょ。あなたのお家ではお受けしているかしら?私は去年神宮にお参りして頒布を受けたの。その御霊験によりこのブログ書かされているの。書きながらの冥想により奥義を賜りそれをシェアして来たでしょ。

 

何故この神宮大麻が八咫鏡と同じものかというと、どちらにも神様のお名前が書き記されているからなのよ。

 

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どちらにも神様のお名前が記されているでしょ。これがカバラの命の木で示されているの。イエスの銘板は命の木のティファレトに安置されていたでしょ。神宮大麻は六個のセフィロトと隠されたダアトに安置されているでしょ。

 

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そしてこの二つのセフィロトを透過性の瞑想で観想するとどちらもイスラエルの王笏の六芒星の位置に当たり、それは麻紋であり、神宮の大麻であり八咫鏡なのよ。

 

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ここにイエスの御名が書き記されて八咫鏡として秘匿され、神宮大麻として天照大御神の御名が記され全国のお社で頒布されているの。だからこのお札には人の病を癒し、死んだ人間をも生き返らせる霊力が秘められているの。

 

しかし聖書を読めばイエスを信じなかった人はイエスと言えども癒すことができなかったでしょ。このお札に秘められている大御神の霊力を信じない人が大御神を殺すのよ。私を信じない者が私のことを殺すのであるとはイエスの御言葉なの。

 

頒布を受けても意味が分からず、ただのお飾りとしてお祀りしていては何の霊験もいただけないということなの。それが神道にひめられた呪術なのよ。

 

この国の首相は季節ごとにあの神社に参拝とか玉串奉納とかするけれども、あの神社は神宮大麻を頒布することは許されていないでしょ。私にはただの盲人の愚行にしか見えないわよ。そのような愚行を有権者は口を開けて見ているだけなのよ。

 

私の瞑想では、この国は文明開化の名のもとに愚民主主義を移植されてそれを受け入れて来たのね、となってしまうの。そのように正法を瞑想できない街場のサイキッカーがオカルトを広め商売しているでしょ。宗教もその片棒をかついでいるでしょ。

 

この国は大御神のお宮であり神殿であるのに神殿商人たちが幅を利かせているのよ。だからメシアが天から縄のむちをふるい追い払おうとされているの。

 

神殿において男子は巫覡、女子は巫女として仕えるべきところを六百六十六の売り買いに精を出し、神様に呪いを返しているのだから、一番の悪はこの国から発生しているのよ。

 

それを見越した神様が神宮の心御柱について二十年も前に明かされているのに、それを担った民間人も商人としてしかふるまわないから、私のようなものが、何が起きているのか書かなければならなくなるの。何の因果なのかしら。私にもわけがわからないの。


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今朝の瞑想でなぜマナの壺や前方後円墳や神宮の心御柱が、天鈿女命の伏せた桶のように上下が逆さまの器、逆木として示されているか判った気がしているの。

 

すべてが命の木の暗喩で、それぞれに奥深い玄義を秘めながらくるくると回転しているからなのよ。

 

中心にかけられた八咫鏡を中心に宝輪と八宝珠が大回転しているからなのよ。それはシバ神のダンスなのよ。

 

命の木への道を守らせられているケルビムと、煌めく、あるいは回る炎の剣とはカバラの命の木そのものであり、中心のセフィロトであるメシアのお名前を戴く八咫鏡を中心に大回転しているのよ。

 

そこが入り口であり仏陀の悟った宝輪だったのよ。だからその入り口は熾燃の煩悩を吹き消し、禊しなければ通していただけない道理だったのよ。

 

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 その八咫鏡が失われたイスラエルの日の丸でもあると悟れれば天照大御神を中心に回転する太陽系自体が命の木でもあると理解できるでしょ。その先の宇宙すべてが御父の囲いの命の木だとなってしまうでしょ。


 その命の木への入り口が天照大御神の八咫鏡だったのよ。神様の似姿に創られている一人一人の内側にも八咫鏡は置かれているの。その鏡で大御神の光を受ければ良いだけのことなの。

 

しかし自分の悪い行いが明るみに出ることを怖れる闇は光に来ようとしないと書かれているでしょ。光を理解しない闇は自分の内側に宝珠が埋められていると悟らず、その宝珠で光を受けようとしないのよ。

 

だから入り口を通れず永遠にシバ神に踏まれたままなの。



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今日のニュースでWHOの事務局長さんがもう世界は元の日常には戻らないでしょうと言ったということなの。これが本当だとすれば、政変ではなく神様の振るう鞭で世界中のレジームチェンジが促されているということよね。

 

このブログを書き始めた去年の夏ごろはまさか今年に入っていきなりそのような事態に見舞われることになるとは夢にも思っていなかったわよ。世界は生き残りをかけてこれから一体どのような体制に構築しなおされるのかしらという問題でしょ。

 

この国に限って言えば元の日常には戻れない状態で南海トラフ地震発生の切迫性が高まってきているというのが気象庁の公式見解なのよ。どうなっていくかは予断を許さないけれども、今年に入って気が付いたらそこは平成から乱世に様変わりしてしまっていたというのが私の現状に対する理解なのよ。

 

そしてそれは平成から令和という御代変わりとくっきりと轍を一つにしているでしょ。私もそのような時代を生きる一人の人間なのだけれどもその轍の中で気が付いたら、乱世に対処するための生き方をなぜか自身の瞑想においてしっかりと悟らされてしまっていたというのが実感なの。

 

どうせこの世において人は一度しか死ねないのだから余生をどのように充実させるかよね。達観できなければハラハラドキドキ、オロオロしながら生きるしかないでしょ。でもそのようなことではストレスに負けて病気になるから乱世においてそれを楽観視するようなバイアスの働く社会に変貌するのではないかしら。

 

警報が鳴り響いているのにそれを無視するような社会にしかなりようがないわよ、この世は。というか、かなり前からその様な状態であったし。その音がけたたましくなり死を意識させられるようなことになっても、どうしてよいかわからない人はそれが常態化してしまったら、警報を無視することでしか安心できないでしょ。その警報の意味するところを理解した人が残りの余生において大切な修行を重ねさせられるのよ。

 

私はそのように理解してしまったので、今月七日に非常事態宣言が発令されてから翌八日の灌仏会に触発されて、命の木の契約に関する記事を毎日書き綴ったの。そうしたら天照大御神の真榊にかけられた八咫鏡がはっきりと目に映るようになってしまったのよ。それはすでに記事にしたからそれを読んでもらえばいいのだけれども、この鏡は永遠を映す鏡だから終わりがないのよ。

 

それで今日はこの鏡に映る神道の包丁式について書いておくことにしたの。すべては命の木に示されているの。その式の流れにおいては必ず包丁と箸を十字に組み合わせる儀式があるのよ。神道の包丁師さんもそんなことは知らない人がほとんどなのかもしれないけれども、十字架は見逃せないでしょ。古事記の岩戸開きに天照大御神より尊い神様が出てくるのに神主さんたちが知らないのと同じなの。

 

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この命の木の縦の三柱と三つの三角形はどちらも三柱の神様の三×三の囲いを暗示していたでしょ。神様の玉座と見立てた時の見方なの。人形と見立てた時は、三角形は人の成長の三段階と見ることができるの。神道の包丁式は神様の玉座において示されているのよ。

 
 この命の木の三つの三角形は上から順に御父の三角形、聖霊の三角形、御子の三角形とみなせるの。そう理解しておいて命の木を単純にしてからそこに神様の包丁を求めると以下のようになるの。

 

istockphoto-1073119400-1024x1024図一 istockphoto-1073119400-1024x1024 - コピー図二

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     図三

図一は命の木を単純にした形で、図二が御父の柱と至高世界の三角形で、包丁の刀身と柄、中高世界と下層世界の三角形の横木が二本の箸で、中間の赤い球は八咫鏡の位置なの。箸の間には日の丸が隠されているという巧妙さなの。太陽神経叢にある大日如来のチャクラよ。図三は七五三の魔法陣に現れる包丁と箸なの。それを逆木として回転させると包丁式の儀式で示される形になるのよ。

 

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これを平易に理解すると御父の剣により捌かれた鯉をその僕の御子と聖霊がまな板の上で盛り付けるという儀式になっていると判るでしょ。そしてこれが素戔嗚尊の八岐大蛇退治と連携しているのよ。御父にまな板の上で捌かれた鯉は竜門の滝の鯉のぼりとなるの。それが八岐大蛇の体内から出て来た草薙剣で、大御神に献上されたでしょ。

 

裁かれても滝を上らない鯉は雑魚とみなされ滝に流され滝壺で藻屑と消えるのよ。それが玄倉川の水難者が警報を無視してまで示してくれた玄義ではなかったかしら。

 

大蛇の体内の剣は天の叢雲の剣であったり草薙剣であったりして、古事記に示されている神様の他の物語と密接に連携しながら御父の十束の剣の包丁式の裁きを暗示しているのよ。天の叢雲の剣と草薙の剣が二本一対のマナの箸と考えることもできてしまったりするはずなのよ。

 

御父の十束の剣は十個のセフィロトで示される命の木であり、隠されたセフィロトのダートに神様の十戒を秘め隠している包丁なの。

 

そのように見えてしまったらメシアの振るう縄のむちも、御父の振るう包丁も恐ろしくはなくなるの。見えればの話だけれども、見えてしまえばただまな板の鯉として修業させていただければいいのよ。

 

箸の間に日の丸が隠されているのはこの失われたイスラエルの国のまな板が主人の家のテーブルで、異邦人はそれを悟りそこからこぼれ落ちるマナをいただければ祝福を受けることを意味しているでしょ。

 

日本人でもおいそれと悟れないのだから異邦人には至難の業よね。それが命の木における狭き門なの。でも捌かれる鯉の心がけ次第で簡単に見つけられるわよ。

 

メシアは求めなさい、そうすれば与えられると言っておられるわ。



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聖書にはメシアの求婚の言葉が記されているわよ。重要なキーワードとは知っていたけれども、それが求婚の言葉として強調されているということはこのブログを書きながら知ったの。

 

教会キリスト教徒はメシアが花婿だと知ってはいても、それが御父の許婚によるとは知らないし、聖書に求婚の言葉が書かれているなどとは夢にも思っていないのよ。

 

仏教徒も魔訶般若波羅蜜多を虚空蔵菩薩の求聞持法と悟るならば聖書の中に弥勒菩薩の涅槃への誘いの言葉としてそれが書かれている事を悟れなければいけないのに、過去においてそれを悟ったのは空海上人お一人ぐらいしか見当たらないの。

 

もちろん天照大御神の御霊をお祀りする裏神道の祭司たちは初めから知っていたでしょうけれども。

 

そのようなことで世界中が知らないから当然婚約には至れないのよ。天の父の家としては納采の儀を出したくても出せない事態に至るでしょ。

 

その幽世の事態が顕世に映されているではないの。そして聖書で預言されているようにメシアは仕方なく縄のむちを振るわれるのよ。メシアの縄のむちで悟れればしめたものよ。

 

最後の時には父神の剣が振るわれると古事記は預言しているの。

 

そのようなことは教会キリスト教徒もさっぱり判っていないから、聖書アプリのSNSで送られてくる言葉などは完全に的を外した祈りになっているわよ。

 油断した愚かなおとめたちも花婿の到来は待っているの。

 

聖書と古事記と日本の神道を、魔訶般若の波羅蜜多と、求聞持法で悟らなければ、教誨師様たちの諭す天の御父の御旨は悟れないわ。

 

難しいようだけれども許嫁の心がけ次第なのよ。

 

福音書の預言が顕世においてヨハネの黙示録と連携をし始めているようでしょ。

 

すべてのことが龍門の父神の包丁式なの。

 

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 私たちはまな板の上の鯉よ。

 

神様は全能だから不可能はないわよ。それを不可能とするのが盲人たちの誤謬なの。


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自分の書いた記事なのだけれども客観的に見たらだれも信じられないかもしれないとあらためて思うのよ。特に今月に入ってからの記事はね。読者にどう思われているか心配する気持ちは有るのよ。

 

でも長年の聖書読書の未にイエスの御言葉が飛び込んできてしまうという経験をしてからは完全に神様ファーストなの。イエスの戒めに本気で随うのなら地上か天かと言ったら天しかないのよ。

 

下手に曲げて哲学的な思考などできないの。イエスは哲学者ではなかったからね。お釈迦様も哲学者ではなかったでしょ。その線で思考を進めていくとやがて訪れる最後の時など肯定的に受け止めるのが当たり前になるのよ。それが神様の定めたことであるならば否定的に考えることの方がおかしいという思考に慣らされてしまうの。

 

そしてさらにはアブラハムという人が神様から息子のイサクを生贄として供えよと言われてそのようにしたのは当たり前で自分でもそうするわとなってしまうの。そうするとね、イエスの御言葉などゴクゴクと飲み込めてしまうようになってしまうのよ。

 

聖書や古事記はそのようになってしまった人たちが書き残したものだから何を言わんとしているのか面白いように読み解けてしまうのよ。お釈迦様の言葉も同じなの。

 

先見者たちが神様から預かった言葉は哲学ではないのよ。魔訶般若波羅蜜多なの。理解できない人たちが哲学的な思考をひねり出し満足しようとしているだけなの。それでは的はずれになるだけで、もっと言えば神様に呪いを返すようなことになってしまうの。

 

わからなければわからないとはっきり認めて知ったかぶりはやめておくに越したことはないの。何故無理に知ったかぶりして神様に敵対しなければいけないのか理解に苦しむのよ。雷様におへそ取られてしまって、おへその曲がった人達ばかりの世になってしまったのね、となるのよ。

 

でもね、神さまだってご自分の田や畑を好き勝手に荒らされていつまでも笑って見ているようなお人よしな御方ではないわよ。ノアという人の時には全滅させられたでしょ。それは地上での話だったけれども、神様にとっては天が主戦場だからね。天における全滅を免れさせるための警告だったと何故人は気が付かないのかしら。

 

私がそれに気がついた時は本当に怖い思いをしたわよ。そして思い知るの、神様は人が死に対して感じる恐怖などよりもはるかに恐ろしい御方だと。人の死に対する恐怖などは自分一人の問題でしょ。神様は敵対する者は全滅させる御方なの。

 

すべての人が一度死んだ後に、聞き分けなかった者たちを全滅させると決めておられるの。それを悟り本当の畏怖ということを人は知るのよ。恐れ畏むということを知るの。

 

イエスやお釈迦様やその他の預言者がオブラートに包んで言っていたのは、いくら天の国が近づいたと言ってもまだ二千年も先の事だったからなの。その御言葉がオブラートに包まれていたのをいいことに皆が皆油断しているのよ。もう目の前というところまで来てその事に気が付いてしまったらはっきりと言わずにいられないでしょ。また私がそのような性分を持たされているからなおさらなのよ。何と言ってよいかわからないわよ。

 

メシアの贖いに気が付いて悔い改めるのならこの世に息があるうちよ。これ私一生書いていそうだわよ。周りの人にこんなこといくら言っても理解できなそうだから、文章読みに来る求道者のために書いておくの。

 

おへそ取られて六百六十六の印付けられたら終わりよ。自分の家族よりメシアを愛しなさいと、メシアご自身が言っておられるでしょ。甘くはないわよ。


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八の巻あたりから十二という数を意識してしまい、そうなった以上は引っ張るしかないでしょと思い遂に十二の巻まで来てしまったの。そうしたらまるで予想外の展開。

 

このブログ、読みに来てくれる人はどう感じているのかまったくわからないのだけれども、私自身が悟りを深めるために書いている?書かされている?ということに落ち着くようなのよ。

 

とりあえずは命の木の契約シリーズの結びを書いてしまわなくては。

 

このシリーズで私が見てしまったのは、聖書預言もさることながら古事記の預言の恐ろしいまでの進展なのよ。やはり倭建命なの。

 

イスラエルはノアからヨベルで数えた十二代目のイサク、ヤコブすなわちイスラエルの十二人の族長たち、イエスの十二弟子たちと、契約に従い次々と神様による過ぎ越しによる祝福を受けて来たのよ。

 

イエスの過ぎ越しは復活後の天照大御神による失われたイスラエルの神道となり祝福の完成を見たの。

 

しかしその失われたイスラエルが神を裏切り呪いで返すという時代に入ってしまっているのよ。そのことが古事記に倭建命の物語として預言されていたのよ。

 

倭建命が東征において火攻めに遭ったときに、神宮の斎主であった倭姫命から賜った火打石と天叢雲の剣で迎え火を起こし敵の火炎を打ち払ったの。

 

炎と剣で守られたのよ。聖書の創世記には神はケルビムと回る炎の剣をおいて命の木への道を守らせられたと書かれているの。倭建命の道行きが命の木への道行きとして示されていたのよ。

 

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ケルビムとは倭姫命からの賜物を暗示しているのよ。ここが入り口なの。この入り口が煩悩の炎で神を呪う敵の侵入を食い止める防壁なの。

 

ここが天神様の細道の入り口で通していただくための作法は教誨師である仏陀とイエスが全てお示しになられたの。

 

問題はその先の道行きにあるのよ。倭建命はその先の道行きにおいて走水の海で足止めを食らってしまったの。その難を逃れるために弟橘姫が八八八の身代わりの入水で救ったでしょ。それが何を意味するかはお馴染みのはず。

 

この海は東京湾なの。ここで倭建命は足止めを食らっているのよ。それが神代のことなの。それから千数百年後にこの海から六百六十六の黴菌船が侵入してきたのよ。それがきっかけとなりまるで倭建命の道行きをたどるように都が西の京都から東の京都へと移ったでしょ。

 

それ以降の歴史においては火の雨を浴びながらもその後の祝福で失われたイスラエルは完成を見たのよ。しかしそこで足止めを食らってしまっているのよ。

 

黴菌船の毒が体全体に回り終に発症してしまっているのよ。それはモーセに率いられたイスラエルが荒野で異邦の子牛の像を拝んだことより重篤なの。異邦の風習に毒されながら内側の敵であるパン種が膨らんでしまい瀕死の重傷なのよ。

 

この国の状況を見れば受けた祝福を呪いで返すような盲人たちが盲人たちを率いているでしょ。

 

走水の海で立ち往生しかかっているのよ。神様の道行きを妨げたエジプトにはいくつもの禍が降りかかったでしょ。現代も同じような状況でそれが古事記の神代に既に示されていたのよ。

 

それでも倭建命は対岸に渡りおおせたでしょ。だからそのようになるの。神様の十二の祝福を悟った霊的イスラエルが過ぎ越しを受け、導かれながらそのようになるのよ。

 

過ぎ越しを受けるイスラエルの数は十二×十二の百四十四の千倍の十四万四千とその他大勢なの。

 

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神道って古事記の稗田阿礼さんの時代から世界最先端を行っていたのね。驚きだわ。ベースは聖書だけれども、創世記を含むモーセ五書はトーラーと呼ばれ、それは巻物なのよ。だからこの国ではそれを虎の巻としていたのよ。

 

しかしその虎の巻を読んでも理解に至れない奥深いことを稗田阿礼さんは古事記に記していたのよ。この国に生まれそれを理解できてよかったとしみじみ思うわよ。この国に生まれながらそれを理解せずに終わった人、終わる人の方が圧倒的に多いという事実にはもう口をつぐむしかないでしょうね。

 

それでも私のブログを読みに来る人のために私は書いておくわ。世界の現状がとんでもないことになっているでしょ。そのような状況下でもモーセの律法の書に書かれていることに思いをはせ、エジプトに降った禍を思いおこし信仰により救われようとする人はSNS上でもちらほらといるの。たいてい外国の人だけれどもね。

 

その人たちは聖書の十戒を信望する人たちなの。イスラエルの出国を阻んだファラオのエジプトには疫病が降ったからね。彼らは信仰を固く据えイスラエルの神により頼む人たちなのよ。それはまちがいではないと思うのよ。

 

彼らの理解ではいま世界に臨んでいる疫病は神のイスラエルに敵対するエジプトに降った禍と同じものであり、イスラエルの神に信仰をおくことにより救われるという信仰なの。

 

それは立派な信仰と思うの。しかしね、古事記の稗田阿礼さんはその信仰を軽く飛び越してしまっているのよ。

 

それは倭建命の物語に見出せるわよ。その物語から私が見出すのは父なる神はイスラエルを救うために戦っているのではなく、御自分に敵対する呪いを打ち負かすために戦っていらっしゃるの。

 

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その呪いとは、神様の姿に似せて造られているにも関わらず、煩悩の炎で神さまの道行きを遮ろうとする裏切り者たちの発する呪いなのよ。

 

そのような敵との戦いが倭建命の道行きの物語として示され、その神様がこの国の尚武の神様なの。聖書の十戒などは十種の神宝としてこの国では大昔から織り込み済みなのよ。

 

人類が発する煩悩の世界的なパンデミックの業火が神様の道行きを阻む呪いだから神剣が振るわれ祓われるの。その道行の未に神様は渡海し、付き随う僕たちを彼岸に渡そうとされていらっしゃるの。

 

その視点は聖書でも得られないわよ。復活した大御神により直伝を受けた僕の子孫に受け継がれた神観なのよ。私はそのように感受するのよね。

 

日本人が覚醒して他民族に範を示せなければ無理よ。いずれにしろ大きなうねりになることはないでしょうけれどね。

 

新型コロナなど人を一度しか殺すことができないのに、神様がちょっと神剣で祓われただけであらゆる分野で日本人の卑しさが丸見え。目を開けて見ておれないわよ。

 

私っておかしい?



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八の巻で八を意識したら当然九の巻で九を意識するでしょ。そしてその九の巻で雷様のことを書いたら神道がより深く見えてしまったわよ。この巻は十の巻なの。十種の神宝の十(たり)なのよ。雷様はこの神様でもあるの。

 

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話はいきなり変わるけれども八八八は三種の神器を示しているの。八尺瓊勾玉、八咫鏡、天叢雲剣すなわち草薙剣は八雲の神様の素戔嗚尊の神剣なのよ。それらが全て命の木においては真ん中のである天御中主神の均衡の柱にかけられているの。

 

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それが契約における三種の神器なのよ。そしてその数が八八八なの。全てがイエスに関わるの。

 

この記事で何か書きたいのかというと倭建命と弟橘姫の物語についてなの。この物語には倭建命の草薙剣しか出てこないの。焼津というところで敵の焼き討ちに合い火攻めにされた時にこの剣で草を薙ぎ祓いそれに火を放ち、敵の火攻めを迎え火で打ち払ったのよ。


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この物語は素戔嗚尊の八岐大蛇退治と同じことを語っているのよ。父なる主神の振るう剣なのよ。そしてその先の東国遠征の道行きにおいて走水の海を渡ろうとしたときに荒ぶる海神により先に進めなくなり立ち往生しそうになったの。

 

その時にお妃の弟橘姫が八重の畳三種を海に浮かべその上に座り身代わりとなり入水し、倭建命は対岸に渡れたのよ。

 

古事記において夫婦の神様は父なる神と子なる神の暗喩というのがお約束なの。弟橘姫の八重の畳三種で八八八を示し、メシアの身代わりの死を暗示しているのよ。

 

以前から不思議に思っていたのはなぜそれで対岸に渡れたのがイスラエルではなく父神なのかということなの。

 

八咫鏡の正体を突き止めてしまったらそれをはっきり示されてしまったの。以前からうすぼんやりと感じていたことがくっきりはっきり見えてしまったの。

 

それは父なる神が先陣を切り、子なる神と聖霊なる神を従え、八八八のお祓いの契約により僕を募り、その一隊を引き連れ対岸に渡ろうとされているということなのよ。

 

人間が神の似姿に創造されているというのは神様の物語そっくりに人間の物語も創造されているということなの。イスラエルを率いたモーセとアロンは父なる神と子なる神の暗喩で、紅海割れの渡海は神様がされようとしている事の型映しだったのよ。

 

森羅万象を自在に操る大自在天がその都度奇跡を引き起こし主神に従っていたのよ。神様は中今も此岸から彼岸に渡るため、契約による僕の数が満ちるのを待っておられるのよ。

 

裏切り者の僕たちがその神様の行く手を阻む、呪いと化しているのよ。その呪いをお祓いするために独り子が父神の身代わりの生贄になったの。許されざる僕たちの身代わりでもあり、父神の身代わりでもあったのよ。それが神道の神様理解なのよ。

 

命の木である真榊に鏡がかけられたのは、三柱の神の玉座である命の木はその後ろ姿だということを示しているの。付き随うものは三柱の神様の後塵を拝しながらその隊列に加わっているということなの。

 

お社の拝殿に鏡が置かれているのは、神様に対面しているのではなく後ろから付き随っているということなのよ。

 

メシアが八八八のお祓いを済まされているので時が満ちれば契約の僕らと共に神様の渡海が始まるのよ。

 

人の立場は万軍の主に付き随うイスラエルか、阻もうとするファラオの軍隊か二つに一つしかないのよ。

 

おへそ取られないように宝輪を回して父なる神と子なる神との契約の杯を交わしておくしかないでしょ。

 まるで予想外の展開だわ。



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