天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2020年03月

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 今しがた仕事の息抜きでニュースをチェックしていて気が付いてしまったの。

 

春分の日の天皇陛下と皇后陛下の春季皇霊祭のこと。天皇陛下は天皇しか着ることのできない黄櫨染のおめしものと、後に続く皇后陛下は十二単のお召し物で儀式に臨まれたでしょ。

 

これって主と十二人の僕の随伴と完全に相似象でしょ。そして肝心なのは春分の日がお彼岸の中日にあたるということなの。

 

イエスと十二弟子の随伴の相似象だけではなくヨシュアとイスラエルの十二支族の随伴とも相似象なのよ。しかもヨシュアとはイスラエルにおいてはイエスと同名なの。イエスとして有名だけれどもアラム語の発音はメシアのヨシュアなのよ。

 

旧約においてはヨシュアが十二支族を率いてヨルダン河を渡ったの。新約においてはメシアのヨシュアが十二弟子を率いたの。しかも旧約のヨシュアがヨルダン河を渡った時には河の真ん中でイスラエルの契約の箱が待機している最中に河の水がせき止められて、それでイスラエルの十二支族が彼岸の約束の地入りしているのよ。

 

このヨルダン川の渡河はモーセが十二支族を率いた時の紅海割れとも相似象なのよ。注目は旧約のヨシュアの渡河。河の中間点で契約の箱が水をせき止めているということ。

 

お彼岸の中日の黄櫨染と十二単の夫唱婦随と完全に相似象でしょ。しかもね、お彼岸とは七日間でその中日とは四日目でしょ。これは私の見立てなのだけれども、お釈迦さまは神様の七日間の四日目にお生まれになっているのよ。イエスが五日目。

 

お釈迦さまが中日に生まれイエスに先駆け、お彼岸への渡り方をお説きになっていたのよ。もうね、将棋倒しというか芋づる式というかそのような感じなのよ。

 

去年の年末の七日間もすごかったけれども、このお彼岸の七日間も、あまり記事にしなかったけれども結構すごかったの。そして今日二十三日でお彼岸が明けるでしょ。

 

私ねこの七日間でまた一つ渡河させられてしまったの。一端だけ書いておくと、天照大御神の岩戸開きは、素戔嗚尊の大蛇退治の前振りにしか過ぎなかったという結末なのよ。今日は時間がないからもうすこし落ち着いたらすべて書くからね。またまた乞うご期待よ。


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お彼岸の中日に聖火が到着したらしいわね。航空隊が描いた五色の五輪は強風に掻き消され、新幹線の遅れで遅刻者が出るというハプニングがあったと報道されたわよね。

 

現代の歌舞伎聚楽主さんが式典に花を添えたでしょ。この歌舞伎聚楽主さんたちのお笑い芸、私も嫌いではないの。しばらく忌避していたけれどもワクチン接種して抗体ができ再感染の心配がなくなったのでたまに見るわよ。

 

ところで強風にあおられて掻き消された五輪なのだけれど、私は内宮の上空の焼夷弾を吹き飛ばしてしまった強風のことを思い出すのよ。ウイルスのパンデミックも、五輪を掻き消した強風も、内宮を炎上から救った神風(しんぷう)によるお示しのような気がするでしょ。人によるかもしれないけれども。

 

この国の神様はオリンピアの聖火をはっきりと嫌っていらっしゃるわよ。顰蹙大臣が四十年ごとに呪われているオリンピックなどと発言したらしいのだけれど、過去には首相経験のある人が日本は天皇を中心とした神の国だと言って顰蹙を買っているでしょ。その人が五輪の組織委員長なのよ。

 

神の国における四十年とは聖書に従えば神の約束の土地に関する重要な含みがあるでしょ。為政者たちはまるで意識していないでしょうけれども。

 

神様はクリスマス同様この国にオリンピックの聖火が持ち込まれることを歓迎していないわよ。私がなぜそこまで言い切れるのかがこの記事の主旨なの。

 

ひとつ前の記事でこの世は煩悩感染患者たちの世だと書いてしまったの。遂にそこまで書かされてしまったというのが正直な気持ち。

 

その視点で直近の世相を見ると見えてくることがあるの。感染患者たちの症状は国民性や民族性により様々だということなのよ。

 

一番わかりやすいのがお隣の国。彼らの自己分析によれば反日種族主義という症状らしいでしょ。反日が種族の主義であるということならば、日本があるからこそ成り立つわけでしょ。実際の歴史上においてもそのとおりでしょ。その自己矛盾に気が付かずに反日ってさ、かなり重篤な症状でしょ。救いがたいところまで進行しているでしょ。個々の人がみなその範疇に収まらないことは承知で書くからね。

 

オリンピックで感じることはね公式種目になっている水泳競技において黒人の選手がいないということなの。これは昔どこかで読んだ記事にもとづくのだけれども、ある時ある日本人大学生がアメリカ留学中に富豪の屋敷のパーティーに招待され、そのパーティーのさなかに豪邸のプールに飛び込んだらしいの。

 

そしたらそのプールにつかっていた白人たちが皆上がってしまったらしいのよ。それが水泳という競技にアスリートとしての黒人がいないことの理由らしいのよ。白人種の人種差別は信条を超えた皮膚感覚らしいのよ。この人達の症状もかなり重篤でしょ。私なら銭湯に黒人さんが一緒につかっていても別になにも思わないけれどね。

 

そのような重篤な症状を抱えながらの白人至上主義による、世界覇権のバトンタッチにより文明が開化して来ているということでしょ。クリスマスやオリンピックはその象徴でしょ。その文明の旗手たちの思想信条が天賦の人権なの。

 

この思想信条は私に言わせるとただの強弁にしか思えないのよ。同時に聖でも何でもないただの火を聖火と強弁しているだけなのねという理解。相当重篤でしょ。

 

パンデミックでブレーキがかかっているのにどうして現代の日本で強行しなければならないかというと、神殿商人とその他の協力者たちの経済合理性にかなうからなのよ。ここにこの国の感染者たちの重篤性が現れているでしょ。

 

私は神に聖別された囲いの中における感染者にはさらに秘められた重篤性もあるような気がするわよ。過去にはそのような囲いの中にメシアが降臨して強力なブレーキをかけたのに、その囲いはそれを無視して暴走したでしょ。

 

この国でも政権担当者は隠蔽体質があたりまえになっているし、暴走モードに入っているでしょ。

 

ではどうしたらいいのと言ったら、個々にできることは信仰という代価を支払いメシアからワクチンを買うことしかないの。

 このワクチンはね超強力で目はよく見えるようになるし、持病は消えるわよ。それは私の経験に基づいて言えることなの。未経験なのは死んでも生き返らされ二度目の死を免れるという効能。

 でも接種すれば、あ~、これは効くわとわかるわよ。


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 この世とは警告が発せられている川の中州でのバーベキューで、増水したら自力で避難不可能の罹災現場だと思ったの。それで、そのような記事を書いたら、それではたとえが甘いと示され、やがて流され沈没する大バビロン河の奴隷船になぞらえたのが去年までのことだったの。

 

 その過程で気持ちが滅入りもうこのブログやめましょ、と思ったことなども記事にしてきたでしょ。でもね、そういうことって慣らされるのよ。汲めども尽きぬ井戸みたいなもので奥行きが底知れないの。

 

この三月に汲んでしまった命の水のことを書いておくわよ。人にとってこの世とはね、煩悩という絶体絶命のヴィールスに感染した患者たちの巷なの。本人が自覚的にワクチン接種を受けなければ絶対に絶命するのよ。

 

その自覚を促したのが釈尊で、ワクチンをもたらす薬師如来の降臨までをも魔訶般若波羅蜜多と呼ばれる偉大な悟りの智慧の完成と共に預言していたでしょ。そしてその如来が降臨して「私の肉を食べ、その血を飲まなければ父の御国には受けいれられない」と御言葉したでしょ。

 

 私ね、若いころから世間に対する違和感とか嫌悪感というのがあったのだけれどその正体をこの歳になって知らされたわよ。

 

明日はお彼岸の中日だから、まだ中州で遊んでいる人はこれを機にワクチンの接種を受け、此岸から彼岸にとっとと避難した方が得策と思うわよ。一人一人の増水はいつ襲ってくるのかわからないのだから。

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神のイスラエルとはね神様が植えられた果樹なの。そのご神木に根っこと幹があって、そこに神の祝福と呪いが秘められているの。

 

そのご神木に生った真の果実がメシアでしょ。それが天照大御神の心御柱なの。そのご神木から賜物を賜り、メシアにならい真の果実としていただくための作法が、仏陀の解脱であり、大御神の大祓でしょ。聖書ではそのことにより自らを解毒しなければ悪果の毒ぶどうとして焼却されると示されているでしょ。

 

しかしね、神仏を忖度し、そう信じる人よりも、神殿商人や娯楽提供者たちのデマを信じ、それに踊らされる人の世なのよこの世は。現代ではマイクロホンとスピーカーを通して語られている音声はそのほとんどすべてがデマとみて差し支えないと思うわよ、私は。一言も真理を宿していないからね。

 

そこにメシアの縄のむちが振るわれ神殿から追い払われるの。神殿から追い払われるということは高天原から追い払われるということを示しているでしょ。

 

人はこの世に来たら死ぬでしょ。それが神様の篩い分けなのよ。その篩い分けにおいて取り出された天叢雲剣が大御神に献上されるの。

 

献上するのは素戔嗚尊よ。


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もうね、去年の半年間で天照大御神の大祓のことは記事にしてしまったから、今年は心安く平安に過ごせると思っていたのよ。ところが今は三月でしょ。気が付いたら今年の夏越の祓は例年になく厳しいお祓いの時期になってしまっているのよ。

 

気安く外を歩けないでしょ。夏越しの祓は三月、五月を経て七月につながるでしょ。なぜそのようなことになっているのかと思ったらね、例によって冥想において知らされたわよ。

 

今年の夏はこの国において聖火のお祭りが開催予定でしょ。この聖火なのだけれど、この大御神の国において本当に聖なる火であると思っている人などいるのかしら。オリンピアの神を聖と崇めている人などいるのかしら。いないわよね。

 

大御神のことを知らずに崇めている人たちが大半のこの国で、異国の神を聖と崇める人などいるわけがないでしょ。

 

つまるところは経済利益が大目的なのよ。そのことに大御神の縄のむちが篩われているのではないの?大御神すなわちイエスだったでしょ。イエスは神さまにかこつけて商いをする神殿商人たちを縄のむちで追い払ったでしょ。イエスの言動や挙動はそれ自体が終わりに至るまでの預言なのよ。

 

オリンピアのお祭りは過去にもこの国において開催されたことがあるけれども、その時はこの国が皇御親神伊弉諾尊(すめみおやかむいざなぎのみこと)の祝福の大風に吹きあおられた大発展の時だったの。

 

モーセは申命記の中で、神は人の前に祝福と呪いを置かれたと記しているわよ。その深いことわりを理解しない令和の神殿商人たちが追い払われようとしているのではないの?その開催地の首長は経歴詐称の公職選挙法違反だなどと報道されてしまっている始末なの。

 

伊弉諾景気の恩恵により祝福を受けたにもかかわらず、その祝福に対して感謝を示すどころか、神様の逆鱗に触れるようなことしかしてこなかったでしょこの国は。縄のむちも、むべなるかな、と思えるのは私一人だけかしら。

 

モーセの示した祝福と呪いが、神様が園の中央に生えさせられた二本の木なの。モーセはそのことを主なる神、すなわちイエス、すなわち大御神により示され聖書に書き残していたの。イエスは「モーセはわたしのことを書いたのである」と御言葉していたでしょ。

 

その大御神は伊弉諾尊の禊によりお生まれになっていたでしょ。その伊弉諾尊、すなわちイエスの天の父の御旨が二本の木により示されてきたの。それが大御神の倒語の根幹なのよ。

 

それを悟ることがイエスの言われた狭き門なの。私の見る限りにおいてはこの門は狭すぎて、だれも見つけることのできない、かすかな隙間としか感じられないくらいのものなのよ。

 

なぜそれほどまでに狭いのかというと神様が求めるものは量より質だからなの。その質とは聖性なの。その聖性を侮るから道に迷い呪いを受けるの。

 

この事を小賢しい神学や哲学を排して、子供にでもわかるように記述したらどうなるかしらというのがこの記事の主旨なの。狭すぎてだれも理解しないからもう書くのをやめましょう、このブログもこのままフェードアウトしてしまえばいいでしょと思っていたら、それではと、誰にでもわかるように、このように書けと示されてしまったことなのよ。

 

いくわよ。

 

園の中央の二本の木とは神様の祝福と呪いのことなの。これをどのように理解すればよいのかということ。

 

イエスはたとえを用いないでは何事も語られなかったけれども、ご自分の弟子にはすべてをお話になったとされているのよ。そのたとえを解説しようというのだから私っていったい何者?といつもながらの疑問。でももう慣れたわ。

 

まず一つの譬えでは神様によるいいなづけ婚と示されていたでしょ。人は前世においてメシアのいいなづけとされこの世に来るの。それを拒んだ者たちは、はなからこの世に生まれることを許されず、この世においては悪霊とされているの。

 

この世に来たいいなづけ達は悪霊の頭の蛇にそそのかされ煩悩の毒をまとい、いいなづけでありながら神に敵対するのよ。だから呪いを受けみな死ぬの。

 

しかし死ぬまでの間に祝福の鍵が置かれているのよ。その鍵を天父から預かったのがメシアであり、そのメシアにより鍵を託されたのが預言者なの。その預言者の中でも、煩悩の毒を除くことの重要性をお説きになった釈迦牟尼という仏陀がキーマンなの。

 

ここまでをまとめると、この世で神に敵対した不品行ないいなづけの罪を贖い、ご自分のいいなづけとして買い戻すために来られたのがメシアなの。そして全てのいいなづけの不品行はメシアにより贖われたの。だからメシアがそうであったように全員必ず復活するの。

 

ここにひとつの祝福があるでしょ。しかし皆がこの祝福を悟るわけではないでしょ。メシアなど信じない人の方が多いのだから。そこに呪いの継続があるでしょ。煩悩を払拭しようとしないのだから。

 

メシアにより贖われたと知りつつ煩悩を払拭しようとしないいいなづけにも呪いは継続中よ。

 

メシアと天父は煩悩をまとったままの毒嫁など欲するはずがないでしょ。その故に、モーセの時とキリスト降臨の時の間に仏陀釈迦牟尼が天父の灌頂を受け、煩悩解毒の重要性をお説きになったの。それが解脱として知られているのよ。

 

それらの理を理解しキリストをメシアとして受け入れた時に、助け手が送られ煩悩解毒のための大祓がその人の身に成就し、大御神による禊祓いがなるの。それがなった時に人は今世における祝福ということが実感できるの。それはメシアの求婚にお答えし、ただのいいなづけが婚約者とされるということなの。

 

私は自分の経験の中でこの時に天の皇室から納采の儀をお受けしてしまったと勘違いしていたわよ。しかしそれは婚約内定にしかすぎないの。

 

結納とは本人同士だけでなく家において結ばれるでしょ。天父の家からのお使者を待たなければ結ばれないの。そこにおいて更なる祝福を受けるの。その祝福を受けるとどのような事を感じるかということは、受けた人が感じればよいことなのでここでは書かないわよ。

 

でもそのことは仏陀の解脱と梵天による灌頂として世に知られているのよ。そのようなことなの。

 

天父からメシアの嫁として納采の儀を受けることが祝福であって、贖われていながら悔い改めない毒婦たちには呪いが待っているのよ。恐ろしいでしょ。

 

でもね、それが慈悲と峻厳で均衡を保つ天父の御旨なの。そこに聖なる父の威厳があるのよ。そのことを悟るための分別はすべての人が仏性として神により授かっているの。だから神を侮り、呪いを受けるのも自業自得なの。

 

これらのことを分かりやすくするためにいろいろなたとえで語られているのが大御神の倒語なの。それは授かった仏性により、悟られるべき事柄として、たとえで示されているのよ。

 

この事をさらに立体的に理解するために、私が正見させられた別の角度からも示しておくわね。

 

二本の木が植えられた園とは神様の果樹園なのよ。祝福と呪いとは、実は一本の果樹の根と幹なの。根付きの真榊なの。果樹とは根と幹が無ければ果実を産し得ないでしょ。根は地中で陽の目を見ずにいなければその役割を達し得ないでしょ。その根があるから幹は果実を生らせることができるでしょ。

 

そこに神様の置かれた祝福と呪いがあるの。故に神様は祝福も呪いも自業自得で善しとされているということなのよ。そうでありながら果樹園においては善因の善果が結実されることが、この農園主である天父の御旨に他ならないということはだれでもが理解できるでしょ。

 

その農園の働き人がメシアであり預言者であり仏陀なの。私たち被造物はその作物なの。神により仏性を供えられた作物なの。メシアであるキリスト・イエスの御言葉によりそのことはこれまでに示されてきていたでしょ。

 

預言者により、悔い改めにふさわしい実を結ばない木の根元には斧が置かれていると示されてきたでしょ。麦は倉に納め、殻は消えない火で焼却するとも。

 

働き人イエスは自身を真のぶどうの木としたでしょ。十字架上で善因の永遠の善果として結実し、悪果を善果として贖い買い戻したでしょ。そのイエスの善果を受けることにより悟り、自身を十字架上で天父に対するお供物の善果としなさいとお諭しになっていたでしょ。そのようにして天父からの祝福を受け取りなさいとお諭しになられているの。

 

そうしなければ伐り倒され、後には陽の目を見ない根っこと切株が残るだけなの。悪因の悪果とはこの天父の農園に生える偽りの木の毒ぶどうなの。

 

それを悟り働き手の農夫であるメシアに手を入れていただいて解毒剤を散布していただくの。それが仏伝で示されている薬師如来の施薬なのよ。弥勒菩薩として来られたメシアが十字架上で死に、復活後、如来として来られたでしょ。

 

そしてよく見えるようになるために私から目薬を買いなさい。私の肉を食べ私の血を飲みなさいと御言葉したの。元弥勒菩薩であった如来の施薬を受けなければ解毒されないの。それが菩薩や如来との関わりで示される仏陀の解脱なの。

 

そのように解毒されて善果となった時にメシアと婚約が成立するの。そしてその善果は農園主の天父から御朱印を受けるのよ。善い実が生ったので刈り入れの時に倉に納めようと御朱印を受けるの。それが婚約における納采の儀なの。

 

その儀を受けこの世を終え刈り入れられた聖徒たちは天父の農園の倉に納められているの。別のたとえでは、最後の一人の刈り入れが済むまでしばらく待つようにと白い衣が与えられたと示されているでしょ。

 

その倉に納められている作物が天父に対するお供物なの。すべての刈り入れが済んだらそれらのお供物が子羊の婚宴に供されるのよ。毒嫁や毒ぶどうがその婚宴で供されるわけがないでしょ。

 

天父の善い作物の倉とは花嫁たちの控室と考えることもできるでしょ。子羊の婚宴の控室で真っ白な式服を賜り今や遅しとくつろいでいるのよ。

 

神様の喜捨により穀物や水で養われ、さらにメシアというパンをお布施として賜ったのだから、それらを仏性により分別し、悟り、毒を滅ぼし尽くした自身をお供物としてご神前にお供えしなさいということなの。

 

そのようにしてメシアがしたのと同じく自身で天父から杯を受け、二度目の死から自分を贖うの。

 

それらの、神様と人のお供物の饗宴が神道の直会の儀なの。七つのお祝いとして示される子羊の婚宴なのよ。毒婦や毒ぶどうは正しく呪われているでしょ。

 

そのように理解して聖書を読むと、園の中央に生えさせられた二本の木が、神の祝福と呪いである事がよく飲み込めるはずと思うのだけれどもどうかしら。

 

その過程においては毒婦と毒ぶどうと悪霊たちが引き起こす神秘体験などということもあるから注意が必要よ。パリサイ人のパン種と偽預言者に注意するよう促されているでしょ。

 

メシアの御言葉が引き起こす神秘体験であれば鬼に金棒なの。それが個々に対する天照大御神による清めの大祓なの。

 

人が一人通れるかどうかの狭き門であったとしても、羊は羊飼いの声を聞き分けてそこを通らなければならないの。

 この口調だけれども私男性だからさ、いつも解脱を強調せずにはいられないのだけれども女性は解脱できないわよ。それはお釈迦様がそういうのだからね。女性は肩ひじ張って男性と同じ土俵で解脱しなければなどと考えない方がいいわよ。そのようなことも去年までに過去記事にしてあるから読んでみてね。


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 聖書読んだことのある人ならわかると思うのだけれど、疫病とは神様の怒りによって引き起こされるでしょ。そのことに関してはイスラエルも異邦人も一蓮托生のはずよ。聖書にはそのように書かれているからね。

 

日本が平成から令和に御代が移ったと思ったらいきなりなのだもの。その御代の代替わりにおいて皇室の納采の儀は滞ったままだし。潮目が変わったと感じている人いるかしら。

 

このままいけば次の式年遷宮は2033年になるわよ。それは令和十五年。キリストの十字架上の死から2000年が過ぎるの。

 

そのような時を間直に控えながらの人間たちの煩悩まみれ。私の目には末期的に映るの。でもそれは私の単なる主観よ。そして主観と客観とは対立関係にあるでしょ。

 

でもね、神様が園の中央に生えさせられた二本の木も一蓮托生でありながら対立関係にあるわよ。


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