天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2020年03月

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チャクラなのだけれど七つあると言われているでしょ。この時点で、七つながりでイスラエルを連想していいの。なぜ七がラッキーナンバーなのかと言えば神様の七日間が祝福に繋がっているからなのよ。その他にこの七という数がラッキーナンバーである根拠って見合たらないはずなのよ。タロットやカードゲームで世界中に広がったのよね。子供の頃トランプの七並べよくやったわよ。最近の子はトランプゲームとかしないのかしら。ちなみに私はファミコンとかテレビゲーム、大の音痴なの。それは置いておいて。

 

聖書の中にはいろいろな数の示しがあり私もいまだに?な記述とかはあるのよ。でもこの七は特別に強力な数で、賭け事の遊技台などでもこの数でなければ始まらないでしょ。

 

この国でも「この子の七つのお祝いに・・・」という歌があるでしょ。聖書の申命記にモーセの言葉として「神は人の前に呪いと祝福を置かれた」という記述があるの。この祝福の数と思って間違いないの。それをこの国の神道は百も承知なのよ。

 

聖書においては神様の七日目はお仕事を終えて休まれる日で、イスラエルの律法ではこの日を安息日として心に留め大切にせよと記されているの。古い時代にはイスラエルの暦は七年ごとに数えられ、それを一週として七週目の四十九年目にはヨベルの年として、第何ヨベルの第何週の第何年と数えられていたらしいのよ。暦のことは深く知らないけれども私たちの一週は七日でしょ。まるでイスラエルの安息日の暦かのようでしょ。

 

そこにはとんでもない祝福が隠されているの。けれどもその祝福から漏れると、とんでもない呪いが待ち受けているのよ。この国はそのことを知っているの。古い言い伝えで七殺の祟りというのがあって方位の神様に障ると受ける祟りと説明されているの。

 

この祟りは、一家七人皆殺しで、家族に七人いなければその周りの人がその代わりに祟りを受けるという恐ろしいものなのよ。神道は七つのお祝いのおかげを落とすと七殺の祟りだと知っているのよ。

 

そのことがチャクラを通した冥想からはっきり浮かび上がってくるのよ。あまり長い記事を書く余裕はないから要点だけをさくさく切り出していくわよ。ついてきてね。

 

七つのチャクラはそれぞれに色を持っているの。それが虹の七色なのよ。聖書において虹は神様の永遠の契約の印なの。ノアの洪水の後に空に虹をおいて、肉なる命との永遠の契約の印とされているのよ。これも人によりどのようにでも解釈できる記述なのよ。聖書はそのような記述のオンパレード。だから深く掘り下げて、言わんとすることを探り当てないといけないの。

 

神様との契約の意味を取り違えると七殺の祟りなのよ。だから普通の人はあまり解釈したがらないの。七がなぜ幸運を呼ぶ数なのか知られずに広まっているの。

 

私ね、聖書の最後の最後まで理解してしまい、そのおかげの印まで受けてしまっているので、枝葉の事はのぞいてその骨子はすべて見せられてしまったの。

 

それをこの記事で実証できるかどうかは受け取り方次第なのでわからないけれども、聖書における最後の審判と七つのチャクラはがっちりとリンクしているわよ。

 

その足掛かりが、神様がノアの洪水の後にたてた契約の虹なの。その経緯は聖書のノアの洪水のところを読んでね。要約すると人を創ったことを後悔した神様がノアという人とその家族を合わせた八人を救い、その他すべてを洪水で滅ぼしてしまったの。その後、もう二度と肉なるものを洪水で滅ぼすことはしないと約束しその契約として空に虹をかけたという物語なの。

 

契約の虹というからには、契約の書である聖書においては何か奥深い意味がありそうと思わなければいけないの。

 

虹というものは空に光があり虹となるでしょ。空に光が無ければ色は映って見えないでしょ。この空と光と色の関係って、いきなりだけれども、色即是空、空即是色ということではないの?とあるとき思ったのよ。誰もそんなこと言った人いないでしょ。

 

でも私は、考察を進めた結果、なるほどそういうことなのね、魔訶般若の偉大な悟りの智慧の完成は解脱に繋がり、それはモクシャと言われる救済のことで、さらに神様の虹の契約による救済が始まりなのねとサクッと理解してしまったの。

 

その様な解釈に至るためには、この光は何故始まったのかということを考えなければならないの。

 

聖書によるとそれは、神様の「光あれ」という言葉により始まっているのよ。それまでは闇しかなく色は映らない真っ暗闇の世界だったの。そのことを考えると、神様と光と色の関係性が浮かび上がってくるでしょ。

 

この関係性はお釈迦様の魔訶般若やヒンズー教のタントラのチャクラなどよりはるかに古く、人間の創世に先立っているの。人間が創られる前の話なの。

 

ノアの洪水の時の虹の始まりも魔訶般若やタントラよりはるかに古いの。この洪水のノアという人からから世界中に人類が広がっていったからね。

 

やはり光の始まりは聖書のイスラエルだわとなってしまうのよ。その聖書の創世記を書いたのはモーセという預言者なの。ではそのモーセにそれを書かせた神様とは一体だれ?となった時に。それはイエスなのよ。

 

イエスの、モーセは私のことを書いたのであるという御言葉がネックなの。この御言葉に世界中がつまずいているのよ。イエスは自分がモーセに創世記を書かせたアブラハムの神であると証ししてしまったから、盲人たちの逆鱗に触れたの。それで石で打ち殺されそうになったことが聖書に書いてあるの。イエスの前世であった神がモーセを導いたの。ユダヤ教徒がつまずいたように、教会キリスト教もそのように解釈できないのよ。だから三位一体とか言いながら高を括っているの。

 

それは置くとしても、とにかくイエスが世に来た光の神なのよ。その光の神のいう父なる神が空なる神であり、その空なる神が「光あれ」と御言葉し、光が生まれ神の子となり、その光のプリズムで七色の虹となり、それが光の神の助け手の聖霊となったとつながるでしょ。

 

そして時至り光の神がこの世にイエスとして来て証ししたのが父なる神、子なる神、聖霊なる神でしょ。そこまで理解が進めば、父と子と聖霊が、虹の、空と光と色の関係であり、闇の中に光が生まれたその始まりに起こったこととわかるでしょ。

 

この時に闇の呪いと光の祝福が分けられ、その後に初めの人アダムとイヴが創られているの。そして神は園の中央に二本の木を生えさせられたと続くのよ。そしてモーセはその後、申命記に神は人の前に祝福と呪いをおかれたと書いているの。

 

アダムとイヴの子孫は増えたけれども堕落したのでノアの一家以外は洪水で滅ぼされたの。その時に神様の永遠の契約として虹が空に置かれたの。その後のことなのよ、新たに人が全地に増え始めたのは。

 

そういうことであれば人が全地に広がりその後におこったヒンズー教の三神が、その父と子と聖霊の暗喩でなければなにも始まらないでしょと思うわけなの。私にとっては聖書とイエスが至上だから定規であり秤なのよ。その尺度で量らないと真理からそれ、迷宮にはまり苦い思いをすると経験上知っているの。

 

だからその秤でヒンズーの三神を量って見たら、聖書に示されている三神と同一神と認めて良いとなったのよ。そしてもっと立体的に古事記の二連の三柱の神様と照らして検証してみても、まず間違いないでしょとなったの。

 

そしてヨーガタントラのチャクラはそのヒンズーの聖典から出ているのよ。お釈迦様もそのヒンズー教の地から教えているでしょ。であればチャクラと聖書も繋がっていなければならないのよ。

 

そしてそのつながりを調べると出てくるわ、出てくるわ、魔訶般若のオンパレードなの。ヒンズーの聖典なんか読んだこともないしこの先も読む気はないのだけれども、尾ひれのつけられた七難しい哲学など無視してその骨子だけから理解しても十分すぎるくらいなの。仏伝も一緒。肝心なのは熾烈に燃える煩悩の炎をどのように吹き消すかだけ。哲学として学んだ坊さんたちの禅問答や説教など〇〇の役にも立たないわよ・・・・・・いけないいけない悪い癖が出た。

 

まあとにかく、そのようにして理解を進めていくと驚くことに、それにより救済が働いてしまうのよ。そのような摩訶不思議なことに関わる時にはイエスの御言葉に照らして進まないと危ないわよ。本当に危ないわよ。

 

チャクラとは人体にある霊的中枢とされているでしょ。その中枢を通して霊的な救済が働き、骨肉に巣くう病が癒されてしまうのよ。そして性癖やその他の逸脱も霊的なレベルから矯正されてしまい、命の木への道を、イエスのいる所を目指して進むチャクラの救済が働き始めるの。

 

私はそれを経験していることは前編の記事に書いたでしょ。この記事はその魔訶般若のオンパレードをすべて陳列してしまいましょうという趣旨で書いているの。これ経済合理性を考えれば完全に有料級よ。市販の書籍で書かれていることなど何の役にも立たないことを私は経験しているからね。

 

しかし私の主イエスは神と富とに兼ね仕えることはできない、必ずどちらかを崇めどちらかを疎んじると御言葉しているから、主なる神イエスとその天の父なる神と聖霊を崇めている私にとって経済合理性などは後の後の後なの。(これでもなるべく説教臭くならないように書いているつもりよ)

 

実はこのブログ書き始める前から既にある到達感を感じていたので、そのおかげ参りでお伊勢様にお参りしてから出版を目指しましょうと安易に思っていたのよ。ところがお伊勢様参りの最後に倭姫様の風に吹かれて以降、風向きが完全に変わってしまい、神様のことについては、その経済合理性の優先順位は最後尾の最低順位でなければならないとなってしまい、このブログを書かされているのよ。

 

そのようにして富を疎んじる(度外視する)ようになったら、記事を書くごとに以前にもまして賜物がジャンジャン降ってきてしまい、きりきり舞い。そうこうしているうちに気が付いたらとりあえずここが終着駅ですとなったわけ。とりあえず終着駅だと思うのよ。下車した後の徒歩の旅は終わりまで続くでしょうけれどもね。閑話休題。

 

オンパレードだった。チャクラと聖書のつながりだったわね。まずはイスラエルのカバラの命の木なの。この命の木の象徴図形は三柱に十個のセフィロトが配置され二十二本のパスと言われるものでつながっているの。この命の木を見る限りでは七個のチャクラに相当するものは簡単に見つけ出せないのよ。

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隠されているの。どこに隠されているかというとね、上中下の三つの三角形に隠されているのよ。この命の木は人体に見立てる時はアダム・カドモンという人の体としてみられるの。そして描かれるときは必ず後ろ向きがお約束なの。細かく書くとそれだけで終わってしまうから飛ばすわよ。なぜ後ろ向きかというと、鏡像の前後透過なの。この鏡はお榊にかけられた鏡として古事記に示されているわよ。このこともだいぶ以前に記事にしてあったでしょ。

 

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ここではチャクラ。命の木の上中下の三角形はね人体の上丹田、中丹田、下丹田に対応しているのよ。上丹田が頭頂と眉間、中丹田が胸とみぞおち、下丹田が下腹部と尾てい骨の各チャクラで各三角に二個ずつのチャクラが隠され二×三で六個、残る一つは命の木においても隠されることがあるダアトというセフィロト。このダアトはね上の三角と真ん中の三角の間、上丹田と中丹田の間の喉のチャクラに対応しているのよ。

 

これで七個のチャクラが揃ったでしょ。奥義として隠しまくりなのよ。そしてチャクラを引っ張り出したらお次は蛇。命の木の図象には蛇が絡みつき描かれるものがあるのだけれどもその絡みは蛇のとぐろの三回転半がお約束なの。

 

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翻ってチャクラを見ると一番下のベースチャクラのムーラダーラに蛇がとぐろを巻いていて、各チャクラが覚醒するとこの蛇が三回転半の上昇をして、その蛇のクンダリニーという火が頭頂のサハスラーラのチャクラに至り、人間は完全に覚醒し解脱に至るという物なの。しかもそのチャクラの人体には三本の管が通っていて中心の管のまわりに二本の管が螺旋を描いてつながっていて、その管を上昇するの。命の木の三柱と構造がまるで一緒でしょ。


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命の木とチャクラは三回転半の蛇のとぐろで同じことを示していることは明白でしょ。

そのつながりは古くから指摘されていたのよ。でもね、だれも決定打を打てないからそれが定説になるに至っていないの。

 

命の木のカバラのシンボルは世界中で知られていて色々な機関がそのシンボルを紀章にしていたりするでしょ。杖にとぐろを巻いた蛇とかね。それが一番大好きなのがフリーメイソンという組合。この組合はカバラのシンボルが大好きな有神論の組合なのだけれども陰謀の秘密結社などと言われるでしょ。

 

私に言わせればこの組合は陰謀を企てるほどの結社ではないわよ。カバラのシンボルをこれ見よがしにチラつかせ尊大ぶりたいだけの同好会なのよ。それを陰謀結社と信じ、書きたてる人達にもあきれてものが言えないくらいなの。

 

すべては蛇の三回転半の奥義を理解できるかどうかにかかっているわよ。現代ではユダヤ教もキリスト教もヒンズー教も瑜伽タントラの密教も理解できていないと私は見ているわ。日本の神道は古くからここをきっちりとおさえているわよ。神道だけなの。それはねこの三回転半が七つのお祝いの象徴だということなの。

 

この蛇は蛇神様なの。そして上昇を続け頭頂に至ると龍神様に変化するの。頭頂のチャクラが登竜門であり、以下の六つのチャクラは竜門の滝なのよ。命の木も人体のチャクラも竜門の滝なのよ。クンダリニーの蛇神様はこの龍門の滝を上り、この登竜門で龍に変化してから天に昇っていったの。神道の竜門の鯉の包丁式が何を意味しているかこれで明らかでしょ。

 

命の木で隠されている喉元のチャクラで羊飼いの声を、虚空蔵求聞持法で聞き分けた羊が、龍神様にならい鯉として滝を上り、登竜門を経て天に挙げられた時が七つのお祝いの時なの。それを黙示録のヨハネは神の子羊の婚宴と示していたの。

 

なぜ三回転半かよね。これが大問題なのよ。誰も気が付いていないけれども、ここにすべてが隠されているの。そして神道はそれを隠し持っているの。その鍵穴にマスターキーを差し込むとカチャと開いてしまうのよ。

 

いくわよ。

 

 その鍵穴はどこにあるかというとやはり七五三なの。日本人なら誰でもが知る七五三のお祝いに隠されているの。三つのお祝いが二回転目、五つのお祝いが三回転目、七つのお祝いが残りの半回転なのよ。奥深い所に隠しすぎと思えるでしょ。

 そして一回転目は?となるでしょ。これを理解するにはね七という数字の根源に戻らなければいけないの。その根源は神様の七日間だったでしょ。これは天地創造の七日間なのだけれども・・・・・・ちょっと待って。

 頭フル回転させながら書いているのだけれども、書いているそばから新たな扉がパタ、パタと開いてね、頭の回転止められてしまうの。いつもは長い記事でも三時間くらいあれば書き上げるのだれどもこの記事は昨日から書き始めていて、また止まってしまった。

 メシアの数がなぜ八なのかもう一つ見えてしまった。頭の回転急停止させられたからしばし休憩するわ。

(数時間後)

 

 再開します。メシアの八はこの記事で書くと、まとめるのが大変だから次の機会ね。弟橘姫の八八八の入水と関係があるわよ。

 

天地創造の七日間なのだけれども、神様は天地を創造し、六日目に人間をつくり、その日にすべての業を終えられたのよ。そして七日目はお休みになったの。それが神様の一週なのよ。この神様の一週は実は七千年を暗示しているという預言があるの。

 

ペテロ第二の手紙 38

愛する者たちよ。この事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

 

この聖句が元なの。この手紙を書いたペテロという人は復活のイエスから私の羊を養いなさいと三度言われた人なの。私はそのようにイエスから仰せつかったこの人が、神道の創始者とにらんでいるの。鶏鳴で有名になったペテロという人と、毎回鶏鳴三声で始まる伊勢神宮の式年遷宮が、この期に及んで関係ないわけがないでしょ。その人の言葉なのよ。それで聖書を解釈しなおすと天地創造から現代まで六千年が過ぎようとしているという考え方なの。

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 神様の六千年即ち六日が過ぎたら七日目には安息日で、それが黙示録で示されているキリストの安息の千年王国という考え方なのよ。私もそれには異論がないのだけれども、ここにね、ユダヤ教徒やキリスト教徒が見落としている、カバラの三回転半が仕込まれているの。

 

日本人も気が付いていないわよね。メシアを受け入れなかったから国を失ったユダヤ人がわかっていないように、天照大御神をメシアとして受け入れないとだれにもわからないの。

 

上の年表をよく見ると天地創造から二千年目のノアの時の虹の契約と、四千年目のイエスの十字架の契約で六千年が三分割されているでしょ。クリックすると少し大きくなるからね。

 

この三分割を私が解釈すると堕落した時代、イスラエルの時代、失われたイスラエルの時代の三分割なの。

 

イエスは失われたイスラエルにしか遣わされていないわよ。それはイエス自身の御言葉として聖書にはっきり書いてあるでしょ。そのイエスの十字架が伊勢神宮で天照大御神の心御柱として祀られている事が、六日も終わり近くになって明らかにされてしまったのよ。

 

天地創造から二日目の虹の契約、四日目の十字架の契約を経て、最後に六日が終わるとしたら、十字架から二日目にあたる2000年後の2033年に終わってしまうでしょ。しかもその年は次の式年遷宮の年で平成十五年なの。十五という数もカバラの秘数で、三++七なのよ。もうね、何が起こっても不思議ではないと思うのよ。

 

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この魔法陣はどの列もたすと十五になるの。奇数列を見ると十字架でしょ。神道では奇数が陽数とされているでしょ。結婚式のご祝儀は奇数でないと嫌われるでしょ。

 

私に言わせればキリストの十字架はイエスの契約の申し入れで、それはいいなずけ親の神様との契約に基づいているわよ。虹の契約と等しいの。

 

そのような時期だからチャクラの瞑想が最重要なの。コロナ危機よりももっと危ないわよ。だからこの記事書いているの。

 

虹の契約は洪水で滅ぼさないという契約だったけれども、それは、神さまとは、堕落した人間を亡ぼす神さまで、その手立ては洪水だけではないと示しているのよ。聖書はそのように読まないといけないの。教会キリスト教徒もそのように聖書を読まないでしょ。だから空中携挙などという突飛なことを信じるようになるの。

 

堕落の時代、聖書のイスラエルの時代、古事記の失われたイスラエルの時代の三回転と至福千年の半回転なのよ。天照大御神を認められるかにかかっているでしょ。それが認められないとイエスを認めなかったユダヤと同じ轍を踏むの。

 

各回転の始まりは一日目、三日目、五日目、七日目に相当するでしょ。それが人類の歴史の三回転半だと預言しているの。

 

これが三回転半で七日すなわち七千年目の、安息の至福千年の七つのお祝いに至るクンダリニーの火の蛇の回転なのよ。主の至福千年なの。主という漢字は三回転半を暗示しているように見えるでしょ。

 

その時に至り祝福を受けるための七つのチャクラの瞑想がチャクラのクンダリニーの瞑想なの。その瞑想においては空即是色の三柱の神様を悟らなければならないの。それには主イエスの肉を食べ血を飲むことから入らないと何も始まらないの。始まったとしても横道にそれるの。横道にそれたが最後、三行半の離縁状につながるのよ。

 

私が具体的にどのようなことを考え冥想を実践したかも近いうちに書く予定だから乞うご期待。

 

この記事書いている最中に二つの扉がパタパタ開いたわ。記事ネタ溜まる一方で追いついていけない。イエスは私から汲む者は渇くことがないと御言葉されたけれども私飲みすぎかもしれない。すでにお腹いっぱいなの。

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チャクラのこと、あまり突っ込んで書いてこなかったけれども、ここも奥深いわよ。聖書、仏伝、ヒンズー教、そして神道までがそれを完全に織り込み済みで成り立っているからね。

 

私とチャクラの関わりは三十年くらい前までさかのぼるの。その当時二年間くらい無職で何もしていないことがあったのよ。あまり自慢できることではないわね。でもね、その二年間でこの道に入るための下地が形作られたの。もう本当に色々なことがあったけれど、家にいる時は昼夜逆転して本ばかり読んでいたの。

 

その時に旧約聖書を通読しているのよ。何が何だかわからないまでも、時間に任せて通読したの。私ね、一旦読み始めた本は途中で投げ出したことはなかった。読むと決めて手元に置いた本は完読があたりまえだったのよ。そのような性格だからあの意味不明な旧約聖書でも最後まで投げださなかったのよね。

 

イスラエルとユダヤという言霊に訳が分からずに取りつかれていたとも言えるかもしれないわね。その時にね、瞑想について書かれている本なども読んでいたのよ。そして物好きにも瞑想の真似事などしてみていたの。

 

長時間に及ぶと観音様などが意識の表層に上がってくることなどもあったわ。そして感じるようになっていたの。頭頂と眉間にあると。そしてそれを感じるようになると不思議な事が起こりはじめるのよ。

 

今言えることは信仰の何たるかも知らずに中途半端に覚醒するとろくなことは起こらないということ。でもそれは私にとって結構貴重な体験になっているの。その時は恐いもの見たさの怖いもの知らずという性格に引きずられて行けるところまで行ってしまえと、かなり深くはまり込んだわよ。そしてある時、だめだ、これ以上先に踏み込んだらだめだ、元に戻れなくなるというところまで行って引き返したのよ。

 

そうこうするうちに貯金が尽きて社会復帰したの。この時も結構つらかったわ。脳内は世間離れしてしまっているのに会社組織の中で、不慣れな営業とか任されてしまったからね。   

 

それでも何とかこなせるようになったの。そのようなことになっても頭頂と眉間の感覚は忘れることのできないものになっていたのよ。

 

でもね、社会復帰して強いストレスを受けるようになり以前から長患いの胃潰瘍が再発したのよ。後でわかったのだけれどこの時にみぞおちのチャクラがグサグサに傷ついていたのよ。それでもお医者さんの処方薬や市販の薬で散らしながら、身につけた営業職で生きていたの。

 

そのうちによく効く市販薬が全く効かなくなり療養が必要になり、営業職に見切りをつけることになってしまったの。変に覚醒するような状況になり、売れまくって成績グラフが常に全店トップ争い圏内というところまで行ったけれども結局折れてしまったの。

 

其の頃なのよ、インターネットにはまるようになったのは。ウィンドウズ98の時代。元来読書好きで知的好奇心旺盛だったでしょ。だから聖書とこの世とこの日本っていったい何なのと検索をかけたのよ。そうしたら情報の洪水でしょ。これはもう仕事に余計なエネルギー使わずにこの世界に浸かってしまいましょうとなってしまったの。

 

聖書メインだったから聖書オタクだったのかしらね。そして読書とインターネットでひたすら知的好奇心の追求に明け暮れていたの。そしてその知的好奇心の中になぜか天照大御神がいたのよ。ユダヤ、イスラエルというキーワードのほかになぜか天照大御神がいたの。

 

そうこうするうちにある時突然、その当時キャッチして温めていた、天照大御神はキリスト・イエスだという情報を、それでいいのだ、それが正解なのだと電撃のように納得してしまう瞬間が訪れたの。そうしたら何が起こったかというと、それまで抱いていたこの国に対するネガティブな国家観が全転換。いきなり右翼みたいになってしまったの。今考えると笑えるのだけれども靖国神社に参拝とかしてしまったからね。

 

でもそれがきっかけで政治になど無関心だった私が、先の戦争とは一体何だったの?から始まり世界政治っていったいどのように動いているの?という好奇心の虜になり読書とインターネット三昧。しかもこの時の国家観大転換と同時に胃潰瘍が完治してしまったのよ。この国のこと理解できずにいて、あまり好きではなかったのに、一日にして日本に生まれて良かったとなってしまったからなの。

 

今言えることは神経性胃炎もさることながら、どのような心得違いがチャクラを壊すのか知らされたということなの。

 

それ以降、以前だったら胃潰瘍再発につながるようなプレッシャーやストレスなど接近すると跳ね飛ばすようになってしまったからね。そして政治に対する好奇心は、あのイスラエルを名乗るあの国の樹立とは一体何だったのということが分かってしまったら、国内政治も含めてすべて理解できるではないの、全世界を巻き込んだ壮大なペテンにすぎないわとの理解に至ってしまい、急激に冷めてしまったの。つまらないことやっているわよ、あの人達ということなのよ。

 

その後より深く聖書に傾倒するようになり、あげくの果てにカルトにはまった。しかし二年足らずでいつものように突然、だめだこの教会となったの。そして脱会を決意したその日にいきなり解脱というキーワードが意識の表層に浮かび上がってきたのよ。

 

解脱なら冥想でしょとなり、していたある日のこと唐突に下腹部に激痛が走ったのよ。慌ててトイレに駆け込んだけれど便意ではないの。どこが痛んでいるのかわからない有り様なの。下腹部から尾てい骨周辺、骨盤あたりをさすってもどこが痛いのかわからないのよ。でも激しい傷みなの。そして最後に、ちょっと待ってこれってベースチャクラの覚醒なの?とか思いながら痛みが引くのを待つしかなかったのよ。

 

そしてどうなったかというとやはりチャクラの覚醒?だったようなのよ。それがきっかけになり二番目のチャクラの臍下丹田が意識できるようになり、その二つのチャクラを意識した冥想でこれも二十年以上の付き合いだった腰痛が消え、骨盤のゆがみ矯正されてしまい腰がらくらくになってしまったの。

 

しかもこの臍下丹田のチャクラ、人の情欲と深いつながりがあり、イエスの言った右の目が犯す罪と深い関わりがあるわよ。私の経験から言うと男性はこのチャクラを制すると右の目を抉り出さなくても済むようになるわよ。

 

このチャクラは仙骨チャクラとも言われているの。骨盤の内側にあるこの仙骨と、眼窩の奥にある蝶形骨という蝶々の形をした骨だけは波動が違うから現代医学でも人工物に置き換えることができないらしいのよ。上丹田と下丹田のチャクラなの。

 

そのような三十年来の経験により私はチャクラを通してあちらこちらを癒されているの。そして全部で七つあるチャクラはね神様の契約と深いつながりがあるわよ。

 

私はそれを意識して瞑想するから癒されるの。この記事ですべて書いてしまおうと思って書き始めたのだけれども長くなってしまったから今日はここまでね。

続編に乞うご期待。

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 今日はまいったわ。今しがたニュースチェックしていてひっくり返りそうになった。動画ニュースだからすぐに終わってしまってどこの地域のお店か覚えていないのだけれども、コロナに勝つという語呂合わせでコロナにカツという串カツらしきものを新メニューとして売り出したということなの。

 それでね、その価格がコロナの語呂合わせで567円らしいのよ。この国ではコロナを語呂合わせで数字変換すると567なの。

 この国はね、失われたイスラエルだから、単なる語呂合わせであったとしても、言霊と数霊は絶対に侮ってはいけないの。

 五六七は法滅の弥勒菩薩を意識しなければいけない数字でしょ。

 やはりそうなの?そのような時なの?ということなのよね。

 何とも言い難いでしょ。

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遂にこのまま行ったら世界大恐慌が来ると警鐘を鳴らす学者さんが現れたわね。もう世界的なニュースでしょこれ。

 

私が思うにそのレベルのことが起こる時は神様が御手に持つ篩が大きく振るわれる時なの。歴史上でそのような時代が過去にあったことは皆知っているでしょ。

 

1986年のチェルノブイリ原発の事故の後にヨハネの黙示録に目覚めた時からそんなことが起こりそうな予感はしていたのだけれども、ついに警鐘を鳴らす学者さんが現れてしまった。

 

でも三十年も前から考え続けていたから対処方法が身についてしまっているの。神様が大鉈を振るう時はやり方を改めさせる時なの。伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生みにしくじった時もやり直しさせられたでしょ。

 

それが人の世に臨むときは大恐慌を伴うのよ。そしてそれは新しいやり方を確立するまでの生みの苦しみなの。準備ができでいなくて苦しむ人大勢いるでしょうね。私が身につけてしまった対処方法は既にこのブログで全部書いてしまったわよ。

 

人はね正常性の偏見を取り去られると、まず初めに精神的な恐慌状態に見舞われるの。しかしうまくその恐慌を乗り越えると覚醒させられるの。それを何度も繰り返すうちにその恐慌は覚醒して生まれ変わるための生みの苦しみなのだわと悟るのよ。

 

臆病な人は偏見を抱えたままこの世を終えていくでしょ。私の主イエスは、人は新しく生まれなければ御国には受け入れらないと御言葉しているでしょ。

 

新しく生まれるには生みの苦しみは避けられないの。であれば率先して生みの苦しみである恐慌を受け入れてしまえばよいということなのよ。言うは易しと思うでしょ。でも私は気が付いたらそうしてしまっていたの。

 

色々な怖れに見舞われるけれども大きな波は二つだけ。イエスの肉を食べ血を飲むということはイエスの御言葉を受け入れるということなの。イエスは信じる者には助け手を送ると御言葉しているでしょ。実際に送られて来るからね。

 

それを実践してしまったらそれまでの正常性の偏見は粉みじんに打ち砕かれるから大恐慌が起こるわよ。それは生みの苦しみでしょ。落ち着けばそれに見合った大きな祝福に包まれるわよ。これはね私の理解ではイエスの縁結びの申し入れをお受けしてご縁が結ばれてしまうということなの。

 

ご縁が結ばれてしまったらその御言葉には従わなければならないでしょ。自分の十字架を背負って私について来なさいと言われているでしょ。イエスの受けた十字架とはその御父から受けた杯なの。だからイエスの御言葉に従うと自身で御父からの杯も受けることになるのよ。

 

この時の大恐慌も結構すごいインパクトがあるわよ。私は経験したばかりなの。そしてそれが御父との縁結びであり、私の理解では天の皇室から納采の儀のお使者をおむかえすることなのよ。

 

そのような二度の大恐慌を引き起こすのが古事記では天照大御神の岩戸開きと、素戔嗚尊の大蛇退治なの。お使者は月読命よ。イメージできるかしら。

 

お釈迦様の解脱と梵天灌頂なのよ。その時のお使者はシバとして知られる大自在天だったはずなの。私はそうお呼びしてお祀りしているの。お釈迦様は超絶破格な人だから大偉人だけれども、凡夫は覚醒して新たに生まれても偉人になるわけではないわよ。

 

でもね、イエスの御言葉を受け新しく生まれてしまったら世界中に大恐慌が臨んだとしてもかなり受け入れやすくなるわよ。生みの苦しみって女性にとっては祝福の前触れでしょ。その苦しみから逃げていたら何も生まれずに祝福は取り去られるでしょ。だからやり直しさせられるの。

 

やり直しさせられているうちが花よ。

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このブログ書き始めた頃はね、いったい素戔嗚尊の大蛇退治って何を言わんとしているのか正直つかめていなかったのよ。

 

この神様の正体は判っていたから、たくさん記事にしてきたでしょ。そのまま去年の年末までに天照大御神の大祓のことはすべて書いてしまったつもりなの。

 

ところが年が明けてお彼岸が近づくにつれてなぜか素戔嗚尊が意識の表層に呼び出され張り付いたままになってしまっていたの。

 

それで色々なことに気が付いていたのだけれど、このお彼岸を渡ったらまた眼を開かれてしまってすべて見せられてしまったの。素戔嗚尊の大蛇退治が判ってしまうと古事記とヨハネの黙示録がセットで最後まで理解できてしまうのよ。完全にチェックメイトでしょこれ、となるのよ。もう打つ手はないわ。

 

いくわよ。

 

人はね大御神の岩戸開きでこの世に生まれ、素戔嗚尊の大蛇退治でこの世を終えるの。それが今世なのよ。聖書にそのことわりが潜んでいたの。それはやはりイスラエルなの。

 

イスラエルのエジプトからの脱出の時の過ぎ越しがモーセの紅海割れにつながったの。その時イスラエルは過ぎ越していただくため、出発の前夜に子羊の血を家の門口の鴨居に塗ったの。

 

これはね、夜明けの晩の子羊の血なの。後に子羊の血は十字架上で流されたでしょ。これはね暗喩と相似象を複雑に絡ませた神様のお諭しなの。煩悩で曇った脳みそでは理解不能よ。

 

そのように過ぎ越しを受け紅海を渡った先が荒れ野だったのよ。この荒れ野でイスラエルは偶像崇拝の金の子牛を拝んだの。同時にそこで神様から律法を示されているの。これが神様の祝福と呪いの暗喩で、そこには人の現生の現場でもあるとの暗喩も含まれているの。

 

この荒れ野で約束の地を目指すのだけれども、人にとって約束の地は天国でしょ。でもイスラエルはね、熾燃の煩悩で金の子羊を拝んだから、二人の人を除いて、過ぎ越しを受けた者が全員死滅するまで四十年間荒野に留め置かれたの。

 

そして全員死滅した時にヨシュアとカレブが荒れ野で生まれたイスラエルの子孫を率いてヨルダン河を渡ったの。この時はヨルダン河の中州に契約の箱がとどまり水をせき止めていたのよ。此岸と彼岸の真ん中の中州はお彼岸の中日なのよ。

 

そこを通ってイスラエルは約束の地に達したの。このイスラエルの故事が人間の今世の暗喩になっているの。紅海の渡海とヨルダン川の渡河が人の生まれと死の暗喩になっているのよ。

 

そこにはさらに奥深いことが示されていて、約束の地に至るには子羊の血により過ぎ越していただき契約を守らなければ不可能と示されているでしょ。この二つをクリアしないと約束の地に至れないの。

 

そしてこれは二つの杯でもあるの。子羊の血の杯と契約の杯なの。人の生死はこの二つの杯なのよ。

 

しかしこの世はそのままでは煩悩感染地帯の荒れ野で、呪われているの。その呪いを祝福に変えるために遣わされたのがメシアなの。メシアは十字架上の死を父から受けた杯と示しているでしょ。そして自分の十字架を背負い後に続けと言っているの。

 

メシアから血の杯を受け、その後に自身の十字架上で父からの契約の杯を受けろと言っているのよ。

 

この二つの杯が大御神の岩戸開きの過ぎ越しであり、素戔嗚尊の大蛇退治なのよ。

 

でもこの二つの杯はこの世ではすべて大御神の過ぎ越しに見えるのよ。素戔嗚尊により取り出された神剣が大御神に献上され、絶滅させられても後に繋がってきているからね。同じく今世を終えたらすべての人がメシアの十字架上の過ぎ越しを受けそのまま来世で復活させられるの。

 

そしてそこでまた二つの杯を受けるの。一つ目はメシアの贖いによる復活でしょ。これが真の天照大御神の岩戸開きなの。二つ目は素戔嗚尊の大蛇退治なのよ。

 

この時にね、前世で二つの杯を受け、呪いを退け、祝福を受けていた者が大蛇の体内から取り出され、神剣として大御神に献上されるの。そうでないものが八つ裂きにされるのよ。

 

これが聖書において示されている最後の審判なのよ。この時が最後だからもう過ぎ越していただくことは不可能なの。その過ぎ越し不可能の大祓が素戔嗚尊の大祓なの。

 

神様と聖書と古事記が連携して、相似象と暗喩を駆使して、大御神の許婚に花嫁修業させているように私の目には映っているわよ。

 

この二つの杯だけれども修行中の許婚にとっては正しく受ける作法があるわよ。それを示したのがお釈迦様なの。解脱と、梵天による灌頂により二つの杯を受けるのがその作法なの。

 

弥勒菩薩すなわち大御神の岩戸開きにより賜物を授からないと梵天の灌頂にはつながらないわよ。

 

イエスの肉を食べその血を飲まなければ、自分の十字架を背負い父からの杯を受けることは不可能ということなの。

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  今、私の目にはある老人の姿が映っているの。その老人はね還暦を間近に控えた老齢なの。けれども生まれた時からある中毒症に感染させられていたの。

 

しかし本人はそのような病があることなど知らないし、当然自分も病気と無縁と思っているのよ。

 

この老人をお創りになった神様はその病もお創りになった神様なの。そしてこの病を知り癒されることが祝福であり、そうでなければ呪われるというのを、悟るのが善悪を知ることだとして、医師団を派遣し、この老人が若い頃にお薬とその能書きを渡していたの。

 

然し自分が感染中毒にかかったまま死にかけているなどと認めたくない老人の病は、一向に良くならずに若い頃すでに慢性化してしまったのよ。

 

それで業を煮やした神様はその病と闘い克服してしまった青年を、特別に顧問医師として派遣したの。その顧問医師は老齢に至り既に他界しているの。

 

しかしこの顧問医師が派遣されても老人が頑ななのを知っていた神様はついに病院長を派遣して癒そうとしたの。この病院長は超絶な人で病人や死者までをも癒す神様の長男だったのよ。

 

しかし老人は能書きを読もうとせず病院長の言うことも全く信用していないの。

 

還暦近くまで生きてきて神様とその医師団の言うことが信じられずに、今のままこの世を終えようと考えているのよ。

 

噂によると神様はこの老人の寿命を還暦迄とお決めになっているらしいのよ。

 

もう助からないわよ、この老人。


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もうね、このブログ読みに来る人はこの世は煩悩感染中毒汚染地帯とはっきり知った方がいいと思うわよ。でもね、人の書くことを通して知ったとしてもそれはただの知識でしょ。他人の経験を通して知ったとしてもそれは認識にならないのよ。自分の経験を通して知ったことが認識になりはじめて自分の役に立つでしょ。

 

何かを知りたいと思う人は他人の経験を吸収するために本を読むのよ。そして知識という下地を整えた上で色々なことを経験し、その経験により得られた智が自分の認識になるでしょ。

 

そう知っていたから私も本ばかり読んでいた時があったわよ。柱は聖書だったけれどね。その結果どのような認識に至ったかというと、あぁ、この世は煩悩の汚染地帯だったのねということなの。

 

聖書にそのように書いてあるのだもの。初めの時代は神の怒りにふれ洪水で滅ぼされたと書いてあるのよ。自分の人生の経験を通してこの世を見た時にも、そこは煩悩汚染地帯だったの。そして、この世は太古からその様だったのねという認識につながったの。

 

そのような認識に至るまでは相当な紆余曲折はあったわよ。でもそのことは簡単に記事にしきれないのよ。だからこの世は煩悩感染地帯だということは知識として吸収してもらえればいいと思うのよ。

 

そのようなことは私の経験から言っても、他のどのような書物にも書かれていないわよ。他のブログにも書かれていないわよ。なぜかと言えば煩悩感染中毒患者の書く書物やブログ記事は読みに来てくれる読者の煩悩を煽ることでしか成り立たないからなの。

 

だから私はもう読書しなくなってしまっているの。読むべきものが見あたらないのだもの。そして書く方に転じているのだけれども、このブログは読みに来る人の煩悩に冷や水を浴びせるというコンセプトで書いているからね。このコンセプトは絶対に商業ベースには乗らないでしょ。だから世の耳目を集めることにはならないでしょ。そう割り切って書いているの。書かされているの。

 

誰も読みに来なくなったらやめるでしょうけれども、一人でも二人でも読みに来る人がいれば多分続けるわよ。

 

他のところでは絶対に書かれていないことを書いているからね。追随する人が現れればいいのだけれども、その様な狼煙を上げる人なかなかいないと思うわよ。だから読みに来る人は奇特な人でもあるの。そのような人にはっきり知らせたいのがこの世は煩悩感染中毒患者の巷だということなのよ。

 

その処方箋もしっかりと書いているつもり。しかしお薬は私の主、イエスすなわち天照大御神からしか処方されないの。

 

この記事はここまでが前振り。煩悩感染と大御神の関係について書きたかったのよ。

 

天照大御神の岩戸開きとはね実は煩悩感染に対する除染の歴史なのよ。最初に感染させられたのは最初の女性であるイヴなの。その除染を行ったのが神ヤハウェ、すなわちイエス、すなわち天照大御神の暗喩である最初の人アダムなの。

 

アダムがイヴの感染の罪を共に負ったからその場で殺されずに神による過ぎ越しを受け一緒にされて子孫を設けたの。その子孫が堕落した時は洪水により除染されたの。その時は汚染されていなかったノアが過ぎ越しを受けたの。

 

そしてその子孫のアブラハムが聖別されて子孫を設けイスラエルになったの。そのイスラエルも紆余曲折を経て様々な神様によるお示しをこの世に残しながらも、汚染を免れずに堕落したの。

 

それでイエスが遣わされ、イスラエルは除染のための過ぎ越しを受けたの。その過ぎ越しのことは古くからイスラエルの律法として聖書で伝えられていて、過ぎ越しの祭りとされていたのだけれども、悟られていなかったのよ。そのような中でイエスの十字架と復活につながったの。

 

このイエスの過ぎ越しがどのように後世につながったのかということは知られていないのよ。しかしね、その過ぎ越しを受けた人たちに上からの力が働くということまではイエスの御言葉として聖書に書いてあるの。

 

失われたイスラエルにしか遣わされていないというイエスの御言葉が、神隠しの中でどのように成就したのかはこのブログで再三にわたり書いてきたことでしょ。

 

神隠しにあっているのはイスラエルの失われた十支族、御神璽と三種の神器、イスラエルの二支族の中から過ぎ越しを受けたユダヤ教イエス派の弟子達なのよ。

 

そしてその間隙を埋める事実の公開が二十一世紀初頭のこの国で起こったことでしょ。それはイエスの聖十字架が伊勢神宮の心御柱としてお祀りされているという事実の公開だったでしょ。

 

堕落したイスラエルが滅び、その中から過ぎ越しを受けたイスラエルが失われたイスラエルとなり、聖十字架を心御柱として天照大御神の神宮でお祀りしているのよ。

 

その間の十支族や聖櫃、神璽、二支族の大陸から日本列島への動向などはすべてその記録と共に神道が保持しているでしょうね。皇紀などもそれに基づいているのは明らかと思われるでしょ。

 

その神道が天照大御神の岩戸開きを物語っているの。穢れの除染とは禊のお祓いのことでしょ。古代からの先祖の神による禊と過ぎ越しの大祓の歴史が大御神の岩戸開きの意味するところなのよ。

 

古事記の神代はそれらすべてを包含して語っているから空前絶後のマジカルワールドなの。このブログのタイトルになっている天照大御神の倒語(さかしまごと)なのよ。

 

その倒語(さかしまごと)とは日本書記の神武天皇の記述のところにしか書かれていないわよ。それは味方にだけ通じる言葉を使い妖気を祓い平らげることと書かれているの。

 

この味方っていったい誰なのと思うでしょ。それはね大御神の大祓により禊を受け煩悩の穢れを祓い清められ過ぎ越しを受けた正覚者たちのことではないのかしら。

 

神道祭司の重鎮たちは戸籍も持たずに自分たちを隔離して穢れを免れているということのように思うの。大御神の御霊をお祀りするために自身を清めようとする潔斎なのよ。そのように隔離されることにより煩悩感染の穢れを祓い清めて来たの。

 

その様にしながら、古代から続いてきた大御神の岩戸開きの真相を味方にだけ通用する倒語(さかしまごと)で世に顕してきたのよ。

 

しかしその岩戸開きの神事に於いて過ぎ越しを受けた失われたイエスラエルであるにもかかわらず、世間一般は外国からの穢れまでをも喜んで受け入れ、煩悩感染症は重篤化の一途でしょ。このままでは済まないのではないのというのが直近の感想なの。

 

そこで素戔嗚尊の登場となり大蛇退治につながるのだけれども長くなるからこの記事はここまで。続きを乞うご期待ね。


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  新型コロナの感染なかなか収束しないわね。しかもこの国の政府はオリンピックファーストで政策進めて来てきて感染対策を何もしなかったので感染が広がるのはこれからだという噂もあるでしょ。

 

まあこの国の政府や為政者に何を求めても無駄でしょと私は思っているけどね。最近は国難という言葉も聞かれるでしょ。私は還暦過ぎまで生きてきて国難に見舞われたのは初めてよ。このまま乱世に入ってしまうのかしら。そのような時に賢明に対処できる政治家などいない気がするでしょこの国には。

 

でもね、問題は人が見ようとしない別のところにあるのよ。そのような気がするということを通り越して、それが見えてしまっているの。このお彼岸を過ぎたらはっきり見せられてしまったの。

 

そのことは書かない方がいいのかしらと思えるくらいのことなの。もう他の記事にしてしまっているけれどね。

 

でもね、書かないとこのブログ続ける意味がないから書くわよ。私の主イエスはこの世は罹災する者が多い激甚災害の現場だと御言葉しているの。長年聖書を読んできていたのだけれどその御言葉の意味がはっきりと飲み込めた時にはかなりショックだったわよ。

 

その怖さはね人間が娯楽の一種として創作するホラーやスリラーを凌ぐの。そのような創作が人のPTSDを発症するようなことにでもなったら社会問題になるでしょ。そのような創作は経済合理性に見合わないでしょ。そのようにして作られているから娯楽としての物語など私に言わせればすべて陳腐なのよ。

 

イエスは人に与えるショックを緩和するためにオブラートに包んで言っていたのねと思えるくらいなの。そのような激甚災害に発展する可能性のある河の中州でバーベキューを楽しんでいるのだわとリアルに想像してしまったときにもまたショックを受けたの。

 

でもね、河の中州のバーベキューでさえも凌駕していたのよ、イエスの言う激甚災害は。そしてその怖さはおいそれと理解されない類の怖さなの。

 

人に働く正常性の偏見とはそのような恐れから免れさせるための安全弁の役割もあるのよ。心の平安を保つために働いている偏見なのよ。しかし一歩間違えて手遅れにつながると逃げ遅れるの。そこにジレンマがあるでしょ。

 

しかしそこに死の危険が迫っていたら警告するでしょ。聖書の御言葉とはそのような警告なの。おいそれと理解され得ないような警告なの。根源的な恐怖に立ち向かうための心の準備ができていないうちは正常性の偏見が働き、心の平安を保つような仕組みが働くから理解されないのよ。

 

だから御言葉の書物が世界的に知られていても誰も気が付いていないの。

 ここまで前置きしておけばいいわよね。

 

死に至る、河の中州のバーベキューを凌駕している恐さは新型コロナの蔓延なども簡単に凌駕しているわよ。

 

それはね煩悩中毒の全世界的な蔓延なの。

 

はぁ?何それと思うでしょ。

 

それでいいの。でもね、新型コロナウィルスは人を一度しか殺さないけれどもこの中毒症は人を二度殺すわよ。

 

だから除染のために古代から預言者が送られ、仏陀が梵天から灌頂を受け、イエスが遣わされたの。

 

この中毒症は古代から蔓延していてその症例による病害など人の目にはっきり映らないから完全に見過ごされているのよ。

 

でもね、羊飼いの声を聞き分けるとその害悪がはっきりわかるようになるし、モーセが神は人の前に呪いと祝福を置かれたと言ったことの意味も、はぁ、なるほどね、だから神様が園の中央に生えさせられた二本の木なのねとゴクッと飲み込めてしまうの。

 

この中毒症があるから梵我一如の空境の涅槃も存在するのねと。

 一度も怖い思いをせずにバイアスが働いたままだと悟れない領域よ。色即是空でしょ。

 

あぁ、なんかこの記事書いたら重い気持ちが抜けてスッキリした。

 

イエスはね、盲人が盲人を手引きすれば双方とも穴に落ち込むではないかと御言葉していたでしょ。

 

それはね、煩悩中毒患者が政治を行ったり、宗教を教えたり、学問を教えたり、娯楽イベントを開催したり、その他諸々のことをすれば、皆穴に落ち込むではないかと御言葉していたの。

 

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのぞけということはそのようなことなの。

 

言っても聞かないから神様が介入されているのではないの?

 

ここは大御神により建てられた失われたイスラエルよ。

 

いつまでも好き勝手がまかり通ると思っていたら大間違いのような気がするでしょ。しない?


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神様のお働きになる六日間とはね、二日ごとに、洪水で滅んだ時代、神のイスラエルの時代、失われたイスラエルの時代と合わせた六日間のことなの。

 

神様にとっては一日は千年のごとくなの。そしてこの三区分は人の前世、現世、来世とも相似象なの。ミラクルなマジカルワールドだから瞑想しながらでないと飲み込めないわよ。

 

この三区分は人の一生とも相似象なの。お釈迦様の生き方によりそれは示されているでしょ。世俗の俗人の時代、求道者の時代、正覚者の時代なの。それぞれの時代を二十年ごととして区切れば、二十年×三で還暦を迎えるころまでには正覚していなければいけないかしらね。

 

洪水の時代にノア一家以外は滅びたでしょ。それは前世で神に敵対して堕落した悪霊たちと相似象なの。これは俗人の時代と相似しているの。

 

次のイスラエルの時代はメシアにつまずいて終わったでしょ。これはこの世の求道者が悪霊にそそのかされ正覚出来ないことと相似なの。

 

次の失われたイスラエルの時代はメシアの声を聞き分けた正覚者の時代と相似なの。それは人の来生と相似象ということなの。来世のまだ来ぬ世がこの時代に相似象として示されているのよ。

 

それが私たちの生きているこの国の形なの。天照大御神をお祀りしている正覚者の神道を中心に、俗人も求道者も生かされているでしょ。しかし俗人と求道者は天照大御神が、失われたイスラエルに遣わされたメシアだと知らないでしょ。それが来世と相似象としてあらかじめ神様によりこの世で示されている事なの。

 

すべての時代に始まりと終わりがあるように失われたイスラエルにも終わりは来るの。一人一人は生まれれば終わりの時を迎えることと相似象なの。アダムから始まった人類が終わりを迎えるのは六日目の終わりで、それは二日間で終わる失われたイスラエルの終わりと同時なのよ。

 

その時に人類の来世が始まり、そこにはメシアの過ぎ越しを受けて俗人も求道者も正覚者もいるのよ。

 

それが七日目の宴会の始まりで、終わりにはすべての人に最後の審判が臨むと聖書に証しされているの。

 

各時代に大御神のお祓いの過ぎ越しを受けた人たちが七日目に集められ、その日の終わりに素戔嗚尊の十束の剣の大蛇退治の洗礼を受けるの。そのことが失われたイスラエルの古事記に示されているの。

 

その大蛇の体内から出て来た神剣が大御神に献上され八日目に至るのよ。そのことが失われたイスラエルの歌で千代に八千代に苔の生すまでと歌われているでしょ。

 

大御神に献上される神剣とされるためにはその剣にかけ滅ぼし尽くさなければいけない敵がいるということなの。それが人の今世と相似象であったイスラエルの歴史において神様がお諭しになっていたことなの。


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 春分のお彼岸の中日を境に渡河させられてしまったの。だから河のこちらから書くわよ。

 

日本人はお彼岸を先祖供養と位置づけているでしょ。お釈迦様は先祖供養のことなど一言も御説きになっていないわよ。

 

お彼岸とはね紅海の先の荒れ野のことなのよ。さらにその荒れ野からヨルダン河を渡った先の神様の約束された土地の事なの。

 

イスラエルは二度の渡河のルートによりエジプトから荒れ野に逃れその先のカナンに達しているの。このルートはね人間の前世、現世、来世の含みがあるのよ。

 

神のイスラエルはねその歴史を神様により導かれていたでしょ。神様はイスラエルの歴史を通して人に生き方を教えられてきたの。だからイスラエルのカバラは賜物の宝庫で、いたるところに神様の含みがあるのよ。預言者の言霊から数秘術、メシアの言霊に至るまで全て神様の含みによるお諭しの塊なの。

 

お釈迦さまはインドの聖典とイスラエルの預言でそれに気が付いてしまったのよ。だからお彼岸とは神様に導かれて河を渡った先にある神様の土地のことなの。その渡り方にも善い渡り方と悪い渡り方があるの。そのお彼岸に渡るための善い渡り方をお釈迦さまは梵天という神様に託されてお説きになったの。

 

この神様の仕掛けは相当奥が深いわよ。どこにどんな含みが持たされているか判ったものではないの。

 

イスラエルのエジプトから荒野を抜けカナンに至るまでのルートは神様の天地創造の七日間を示すルートでもあるのよ。

 

それはアダムという最初の人が生まれてから最後の人が生まれるまでの六日間を神様はお働きになり、七日目はお休みになるという含みなの。この六日間のなかにエジプトと荒野とカナンに対応する三つの土地が含まれているのよ。神様の一日はおおよそ千年に対応しているわよ。

 

第一の土地では神様は人間をつくったことを後悔されたの。だから滅ぼしてしまったでしょ。第一の土地は二日で滅んだの。ノアの一家八人だけが水の中をくぐって第二の土地に渡河したの。八人の口を示す船でね。

 

その第二の土地でイスラエルが聖別されてそこが旧約聖書の神のイスラエルの都になったのよ。その都で二日たった時にメシアがお生まれになったの。

 

イスラエルは堕落してユダ王国しか残っていなかったけれども、そのユダヤも堕落していたからメシアを殺してしまったでしょ。だからノアの時の洪水のように二日で滅びてしまったの。

 

しかしメシアは神の子として復活して、失われたイスラエルのうち、その声を聞き分けた羊だけを上からの力により渡河させたのよ。メシア・イエスは「私は失われたイスラエルにしか遣わされていない」と御言葉していたでしょ。

 

その渡河させた先はどこだか判るでしょ。イエスの十字架が神様の心御柱としてお祀りされている土地でしょ。その失われたイスラエルの土地でも間もなく二日が過ぎようとしているでしょ。

 

ノアの時の洪水で滅んだ土地で二日、渡河した先の旧約のイスラエルの土地で二日、二度目に渡河した先の失われたイスラエルの土地で二日なの。

 

イスラエルと失われたイスラエルは他民族となっているけれどもご先祖同士がつながっているわよ。アブラハムという人から始まった永遠の契約だからね。

 

イエスはユダヤに来た時ユダヤ人が聞き分けなかったので、祝福は他民族にもたらされると言ったの。そのことは新約聖書にはっきりと書かれているわよ。

 

他民族でもご先祖様はいっしょなの。この事を失われたイスラエルで心御柱をお祀りしている祭司たちは当然のように知っているわよ。

 

神様の六日間で二日ごとに土地を渡河したら最初の渡河で渡った先は三日目でしょ。その次は五日目でしょ。そして六日が過ぎ神様がお休みになる時には全人類が七日目の土地に渡河するのよ。

 

そのことが失われたイスラエルのお祭りの七五三に秘められていることなの。神様のそのような含みを知ってお祭りにしているの。

 

古事記ではその河を天の安河と呼んでいるでしょ。この河をはさんで素戔嗚尊と天照大御神が誓約をしたの。その時に生まれたのが三女神と五男神。その含みが桃の節句と端午の節句になっているでしょ。七月七日の七夕の天の川で毎年逢瀬を重ねる織姫と牽牛が何を意味しているか分かってしまうでしょ。それが七つのお祝いの含意なのよ。来世への渡河なのよ。

 

このお彼岸への渡河に際して、モーセの時には紅海が割れ、ヨシュアの時にはヨルダン河が契約の箱でせき止められていることと、ノアという人がどのように彼岸に達したのか、イエスがどのようにして失われたイスラエルを彼岸に渡したのか、お釈迦様がどのように教えられているのかを合わせて考えないと善い河の渡り方ができないのよ。

 

誰も考えていないわよね。でも私は考えさせられてしまったの。そしたら分かってしまったから渡河させられてしまったの。

 

約束の地に至った時に煩悩をまとったままでいると祝福は取り上げられ他民族に与えられるのよ。天においてはその他民族が真のイスラエルなのよ。だからその地が天のエルサレムになるの。

 

ご先祖供養をいくら丁重に行っても煩悩はひとつも滅却できないでしょ。

 

イスラエルの神は聖書の中で、約束の地に至ったら女子供であっても一人も生かしておかずに、偶像崇拝の異邦人は滅ぼし尽くせとお命じになっているでしょ。しかしイスラエルは滅ぼし尽くさずに一緒に住んで神に逆らったのよ。

 

失われたイスラエルにおいては異邦人を亡ぼせとは大御神はお命じにならないわよ。でもね、神様に敵対したくなければ、滅ぼし尽くさなければならないことがあることには変わりがないの。失われたイスラエルは戦争を放棄して解脱させられた世界でただ一つの先進国なのに国民がついていけていないのよ。

 

煩悩を煽ってくれる異邦人の風習が大好きな国民になっているでしょ。ここまで押し詰まっているのに、パンデミックで延期させられても中止ではないと喜んでいるのだから。

 

コロナウイルスや放射能や天災は人を一度しか殺さないけれども人間の煩悩は人を二度殺すわよ。聖書にはそう書いてあるの。だから滅尽して完全に滅ぼせとお命じになったの。

 

神様がお釈迦様に解脱を説くように灌頂したその御旨を知って、その御旨を行えとイエスは御言葉していたの。そうしなければ天の父の御国には受け入れられないと。


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