天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2019年11月

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「後のものが先になり、先のものが後になるという」聖句が聖書に書かれているのよ。もうどこの何章何節などということはどうでもいいでしょ。聖書を読めばそう書いてあるのだから。この「後のものが先になり、先のものが後になる」という聖句を「先のものが後になり、後のものが先になる」と逆さまに記憶していたとしても何の問題もないわよ。

 

神学を学ぶ教会キリスト教では×だとしてもね。要はどのように読解しているかということ。この聖句はね神様の農場で働いた人は先に来て働いていた人も、一日の終わり近くに来て働いた人も、後から雇われた人から順に、同じく3万円支払ってもらえるということなの。聖書では1デナリオンとなっていたとしてもその金額すら問題にならないわ。

 

要は、支払いは同額なのだと読解できればいいの。聖書の聖句はね、その解釈が教会キリスト教徒の独壇場でしょ。日本人の教会キリスト教徒の比率は約百人に一人なの。それほど日本人に嫌われているということなの。逆に教会キリスト教徒にすれば百人に一人という枠の中で救われていると思うのでしょうけれどね。教会の空中携挙なんか金輪際ないわよ。そのようなことは聖書中に一字一句も見いだせないの。ローマ人がイスラエルの神の道を自分たちの好みに合わせ宗教化して編み出した、自分たち教会は救われる論なの。だから日本人から嫌われるの。そのことが日本人を聖書理解から遠ざけるという猛毒をはらんでいるのよ。だから日本人教会クリスチャンに同情する気はさらさらないのよ私は。

 

でもね、聖句はね天照大御神の真言なの。「後のものが先になり、先のものが後になるという」真言を日本人はどう読解するべきかというとね、大御神の僕としてこの世で働きに出た者は、古代の先見者であろうと、ダビデやソロモンという王であろうと現代の市井の凡夫であろうと、人種に関わらず、分け隔てなく同じ報酬をいただけるということなの。

 

奴隷船から下船し、この世で神様の農場で働く働き人となった人は菩薩とされ、後の世でみな等しく如来とされ、先見者も、預言者も凡夫も分け隔てのない報酬に浴するとお釈迦さまはお示しになっていたの。それが命の木から取って食べることを許され、永遠の命に与ることを許されるという天照大御神の真言なの。

 

逆もまた真なりでその賜物に隔てはないの。どちらを賜るとしても神様の賜物だから有難く、お愛でたいの。それが日本人のお正月のお屠蘇の盃なの。

 

次のターゲットは葬式仏教徒かしら。今の日本人は9割がたがこの教徒。お呼びがかかれば否応なく黒ずくめでしょ。私もそのしきたりには従うけれども日本人の弔いは仏教でなくても何の問題もないわよ。仏さんの生前の遺志と喪主さん次第ね。


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ブログの記事を書けば書くほど風景が鮮明に見えるのよね。初めの頃はジグソーパズルのピースをはめ込んでいたのだけれど完成してみたらとんでもない風景だったの。知恵の輪をカチャカチャやっていたらある時、あら外れちゃったという感じなのよ。

 

このブログ立ち上げたのが今年の7月なのだけれどその時は奴隷船とかお屠蘇の上下車線などとはまるで構想していなかったからね。モノクロの絵がカラー化され3D化されそして細部が拡大して見えるデジタルの拡大鏡つけさせられている感じなの。

 

私ももう還暦過ぎの老境なので人里離れたところで花鳥風月を愛でながらひっそりと静かに終われたら良いのだけれどなぜかそうさせてもらえない感じなの。私の走行している上り車線は下りの車線とどうしても隣り合わせなのでその喧噪が嫌でも目に飛び込んでくるのよ。

 

それでこの下りの奴隷船がどのように上り車線から見えるのかというとね、この船には売春宿はあるわ、詐欺師が巣くっているわ、いじめが蔓延しているわ、次々に前科者を生み出しているわ、その他諸々でしょ。いったい何が起こっているのか正常に認識しようとする人が見当たらないの。

 

メシアはこの世で「私のことを信じない者が私を殺すのである」と言い、その書物はこの奴隷船の中でもベストセラーであるにもかかわらずなの。この奴隷船内の奴隷たちのメシア殺しの重罪をすべて肩代わりして、十字架上で救いの御業がおこなわれたの。しかし奴隷たちはそれを信じないのよ。許されたのにそれを信じずにそのとんでもない重罪を抱えたまま大船の中で、平和に暮らせればよいという正常性のバイアスにとらわれているの。

 

前科者も非前科者も宗教者も科学者も貧者も富豪も死刑囚もメシアの言葉の前で皆一蓮托生なの。重罪を抱えたまま平気で結界を超えようとしているのよ。一度目と二度目の死がある事迄はっきりと書かれていて、最初の復活と二度目の復活の違いについても示されているのにもかかわらず。

 

メシアを悟っていたお釈迦さまが、弟子たちに菩薩と如来について伝えたのに読解しようとしないの。将来如来となることを約された菩薩というものを理解しようとしないの。

 

メシア殺しの重罪犯が起訴され留置され審理のために二度目に復活させられると書いてあるのよ聖書には。この犯罪者たちの右の手か額に六百六十六という印がつけられているの。獣の印と呼ばれているでしょ。なぜ獣とみなされるかというと、動物たちは神を分別しないでしょ。神を分別しない人間は獣とみなされるということ。ここにはさらに奥が有るの。動物たちは神を分別しなくても神の怒りはかわないでしょ。神を分別しない人間には怒りの日と裁きの日があるの。裁かれる人間は獣以下なの。動物は神の怒りを買い地獄に堕ちるということはないけれども人間は堕ちるわよ。サタンと獣と偽預言者のいる所と示されているでしょ。古事記では永遠の腐乱ゾンビの黄泉と示されているわ。

 

もう私ね、読者の目の前真っ暗にすること平気になってしまったわ。真っ暗の闇に覆われるから光がさし初め岩戸が開けるのよ。日本人にとってこの重罪とは天照大御神殺しなの。誰が考えたって重罪でしょ。もう私のいる上り車線からはそのようにしか見えないのよ。見たくない風景なの。

 

でもね、神様により奴隷から救われてしまったら見て見ぬ振りできないの。神様にお仕えしなければならないの。地獄とか悪趣に堕ちるということは悪魔であるサタンのハーレムで囲われ、その結界の中で仕えさせられるということなの。みな天照大御神にお仕えできるように命の息と分別を与えられながらイスカリオテのユダのように裏切るのよ。これが上りの車線から見える風景なの。

あなたは無縁でいられるかしら。

 重たい記事しか書けなくなってしまったわ。

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羊飼いの声を聞き分ける時にはその妨げになる煩悩の滅却が絶対に必要なのよ。その作法が解脱でしょ。前の記事に書いたけれど女性は解脱を必要とされていないわよ。解脱の助け手としての悔い改めが必要なの。それはメシアに対する信仰があればさほど難しいことではないでしょ。

 

問題は男の解脱。これは阿修羅君たちが独自の瞑想で悟ればよいと思って今まで書かなかったのだけれど、もう日取りが大分押しているのだから阿修羅たちの解脱の時間短縮のために書けと神様がおっしゃるの。だから書くわ。

 

男の目から見た女性の美が最大のネックなの。花鳥風月の美に目を奪われることはあるけれど欲情しないでしょ。女性の美は男にとっては花鳥風月の美をはるかに凌駕しているということなのよ。その故に風俗産業が繁盛しているの。男の煩悩にその需要があるからなくならないの。

 

そのような男の煩悩に対してイエスは「右の眼が罪を犯すのであれば抉り出して捨てなさい」と御言葉したの。自分の妻以外はすべて他人の妻でしょ。その他人の妻に対して目で犯す罪のことをイエスは言っていたでしょ。

 

では右の眼を抉りださずに済ますにはどうしたらよいのか。私は瞑想しながらそれを考えていて抉り出さずに済ますことに成功したわよ。だから書けるのだけれども。なぜ女性の美は男性にとって花鳥風月の美をはるかに凌駕しているのか。一歩間違えばその虜になり、犯罪を犯しかねないそのような危険性をはらんでいるのかなのよ。毎日一歩間違えた人のニュースが後を絶たないでしょ。

 

  ここでもその鍵を握っているのはアダムとイブなの。このブログでもう何度も書いていることなのだけれど男女にはね創造主と救世主の主従がまず初めに反映されているの。創造主である神様が「光あれ」という言葉を発して救世主である光の神様が生まれたの。救世主であるイエスは御父の子なの。男と女はこの父と子の似姿でありそこには主従の関係があるの。そして従者であるメシアの光が女性に反映されているの。このメシアの光とはカバラの命の木で示されているように慈悲の光なの。

 

そのようにしてイエスという救世主の光のまぶしさが女性の美に反映されていると理解したら、イエスに従うことを決意した従者は女性の光を見てどう反応するのかしらという問題なの。すべてが他人の妻であるのだから欲情の対象ではありえなくなるでしょ。そこには花鳥風月の美を凌駕した聖性の美であり慈悲の光が誰にも知られずに秘められていたのという理解。


 そこまで悟れればもう右の眼を抉りだす必要はなくなるわよ。だからと言って男性が生殖能力をうしなうわけではないでしょ。でも生理現象をともなうから次第に体を慣らすということは必要かもしれないわよ。

 

そうして初めて男と女の関係に次の段階のメシアと僕の関係が反映されていてそこに救いがあると理解できるのかもしれないわね。

 

このようなことは瑜伽タントラの密教を意識しながら、シバリンガを瞑想の対象とすることから私は入っていったわ。最終的にはやはり虚空蔵の求聞持法で悟らせていただいたということになるのよね。羊は羊飼いの声を聞き分け悟るの。それが永遠のお約束なの。

 

このようなことも教会キリスト教や葬式仏教では教えてくれないでしょ。だから奴隷船の中の宗教なの。

 

お釈迦さまは「ただ座れ」とお諭しになったの。下船した後の瞑想が一番効くわよ。


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高潔な阿修羅君たちがいて自分の細君や子供たちと共に上り車線にスイッチしようとしたらそれはかなり大変なことになるでしょうね。でもね、神道ではその型が示されているでしょ。巫覡(ふげき)と巫女(ふじょ)。天照大御神にお仕えする宮司と巫女さんなのよ。

 

家庭に神棚をお祀りすればその型は一応完成するでしょ。でもね、型通りには済まないのが現実でしょ。ではどうしたらいいのとなるでしょ。そこでもやはり虚空蔵の求聞持法は外せないの。解脱、悔い改め、禊は外せないの。

 

思いつくところから書いていくことにするわ。まずお釈迦様は、女人は解脱できないと御説きになったでしょ。女人は変性男子として生まれなければ解脱はできないとして出家をお許しにならなかったの。弟子がその戒めを理解せずにごり押ししたから比丘尼が生まれたの。そのことはかなり重要な悟りの余地があるわよ。

 

釈迦族は太陽の末裔としていたお釈迦さまはアダムとイブの物語など知っていたはずなの。聖書の預言者で言えばイザヤとほぼ同時代に生きた人だからね。このアダムとイブが梵天と弥勒菩薩、さらに弥勒菩薩と救われるその僕たちの暗喩になっている事を悟っていたのではないかしらと思うわけ。創造主と救世主、救世主とその僕たち、主とその僕の関係性なの。

 

その神の創造の似姿と、救世の似姿が男女に投影されて人は作られているのよ。だからイブはアダムの助け手として作られているの。それはメシアが神の助け手として神の「光あれ」という言葉で創造されて始まったの。イエスは御父の代弁者として完璧に御言葉をのべているでしょ。

 

男と女はその救世主と僕の関係を踏襲しなければ救いはないの。だから男はメシアがそうしたように自分の十字架を背負ってメシアに従わなければならないの。それには解脱、悔い改め、禊の求聞持により羊飼いの声を聞き分けなければならないの。そうすることにより男は女や子供たちのメシアとして完成されるの。

 

でもね、女はその限りではないのよ。そのことは古事記において伊弉諾尊と伊弉冉尊が子生みをやり直しさせられたことに示されているでしょ。男女同権は神にたてつく猛毒理論なの。現代は男女の美徳の相違などと発言するとセクハラなどと言われるけれども完全に毒が回っている証なの。

 

女性は解脱を必要とされていないのよ、助け手だから。でもね、解脱の助け手としての責務は有るのよ。現代では男の解脱の妨げになるような女の人ばかりでしょ。それが下り車線の奴隷船の中で起きている事なの。

 

お釈迦さまはそれを悟らせようとしたけれど、釈迦族での育ての親である母と、同じく釈迦族出身の側近の弟子がついていけなかったの。それでお釈迦さまは弟子の力量を見抜き末法の世になると喝破し、釈迦族のお釈迦様周辺の女性たちが大挙して出家してしまったから釈迦族は滅んだの。

 

末裔は生きているらしいのだけれどインドのカーストの下層で教養もなく釈迦族の仏陀など知らない民になっていると本で読んだことがあるわ。

 

伊弉諾尊と伊弉冉尊が子生みをやり直しさせられたのも、むべなるかなでしょ。神道では神事の土俵に女人を上げないのは滅びを危惧してのことなの。阿修羅君と細君がそのことを共に悟れるような縁で結ばれているかどうかがカギを握るの。天照大御神の御神前で結ばれているご夫婦ならその確率は高いと思うのだけれど。

 

巫覡と巫女はそのように解脱者とその助け手として息を合わせ大御神にお仕えできた時に上り車線にスイッチできるはずと思うわよ。私は独身だからその経験がないけれども、男も女も男性原理と女性原理を受けているでしょ。自分の内側に御父と御子が映されているからその様に言えるの。そこに男性の美徳と、女性の美徳の違いが隠されているの。

 

男女同権の人権思想がこの国をものすごい勢いでむしばんでいるでしょ。その流れに抗い遡上する真鯉と緋鯉と子供たちとならなければならないのよ。言うは易しよ。でも不可能ではないわ。神様に不可能はないでしょ。お仕えできるかどうかの問題よ。

 

このようなことは奴隷船内の教会キリスト教や葬式仏教では説かれないでしょ。早く家族連れて下船しなさい。

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この世の奴隷船とはね下り車線なの。当然上り車線もあるわよ。この下りの車線と上りの車線が、神様が園の中央に生えさせられた日本の木なの。まちがえた。二本の木なの。下りの車線が善悪を知る木。人はこの世に来てまだ裸でも恥ずかしいと思わない頃に、サタンの唆しを受けこの下り車線を走行し始めるのよ。物心ついたときにはそれが当たり前になっていて、その行為自体が神により、死ぬから取って食べるなと戒められているなどとは思ってもみないの。だからこの世に来たら人は神の言葉の通りに一度死ぬの。

 

でもそこには神様の奥義があり死は二度ある事がイエスの弟子により明らかにされているでしょ。最初に取って食べたのはアダムの助け手として創られたイブだったけれども、アダムもイブから手渡され食べたでしょ。そうしたら裸である事に気が付きいちじくの葉で体を隠したでしょ。そして神に呼ばれたときに「サタンがだましたので取って食べました」と懺悔して、神様から皮衣を賜ったの。

 

そして神様はもう一方の命の木からも取って食べ神のように永遠に生きるかもしれないとして、エデンの園の東にケルビムときらめく炎の剣をおいて命の木への道を守らせられたの。

 

このアダムとイブの物語はメシアとその助け手の僕の暗喩なの。その僕たちの罪を身代わりになり肩代わりしたメシアが僕たちと結ばれ、命の木への道を守らせられているの。創世記の冒頭から神様の救済方法が暗示されていたのよ。

 

人はみなこの下り車線を走行しながら奴隷船の中で暮らしているの。その奴隷船に仏陀やキリストが遣わされ救済をお説きになったの。しかし奴隷たちは馬耳東風。しかしね、その奴隷船の中には、そこでの常識が手かせ、足かせになり重荷に感じ、なんとか自由に生きられないものかと模索する奴隷たちもたまにいるのよ。そのように救われることを望む奴隷がメシアである羊飼いの声を徐々に聞き分けるの。そして奴隷船から脱出し川面に飛び込み遡上を始めるの。

 

これは何のための遡上かというと下りの車線から上りの車線に乗り換えるための遡上でもあるの。下り車線の出口から降り、上り車線の入り口を見つけるまで右往左往するのよ。この上り車線の入り口がケルビムときらめく炎の剣で守らせられていると創世記に示唆されているの。御用のないもの通しやせぬ、と守らせられているでしょ。

 

この入り口を見出すのがイエスの御言葉の「狭き門から入れ」ということでしょ。「求めなさい、そうすれば与えられる。叩きなさい、そうすれば開けてもらえる」とも御言葉にあるでしょ。

 

この入り口を見出し通してもらうにはイエスから助け手を送られなければ無理なの。大自在天という助け手の虚空蔵求聞持法によらなければ見いだせないし、扉は開かれないの。そこで示されているのが神仏による解脱、悔い改め、禊の作法なの。この作法を正しく修することにより、命の木に与ることを許され衣を洗い清めるということなの。聖霊の洗礼を受けなければ聖しとされないのよ。

 

でもそれに成功するとね、入り口を示されETCカードを賜物として受けるから、手前にまで達すれば入り口のバーはすっと上がりスルスルと入っていけるの。実際その渦中にあるとすべてが神変と感じるはずだけれども。ケルビムときらめく炎の剣の入り口を通らされるからね。

 

遡上を始めてから竜門の滝を上らされるという一連の流れは、この上下線の乗り換えの譬えでは下り車線の出口から降り上り車線の入り口を通過するまでのことなの。神の禁じた善悪を知る木から取って食べ、善悪を知り神様に懺悔し、悔い改めの禊を通して命の木に与ることを許されるということなの。

 

さらっと書いているけれどもその渦中では動揺しっぱなしだったわ。上りの車線を走行させられて、最初のPAで相当長い時間振り返りのための休憩取ったからね。そしてね、そうさせていただいたおかげ参りとしてお伊勢様に参拝したの。そこで不思議な風にあおられたことはだいぶ前の記事に書いておいたわ。そして帰ってきたらこのブログを立ち上げさせられたのよ。別のこと考えていたのだけれど。

 

今ではね毎朝起きると天の真名井の龍神様の井戸から生ける命の水がこんこんと湧いて出でて、死にかけている残りの者を強めなさいとお諭しを受けているの。生き死ににかかわる問題なのよ。死にかけている人を見たら、見ない振りできないでしょ。それはメシアに諭される以前の問題でしょ。そんなことを考えながら、菩薩とか如来とか虚空蔵とか考えていたら神道の本物の恐ろしさ見せられてしまったわよ。

 

やはりね、最後は天照大御神の神の道なの。下り車線と上り車線が表裏一体の日本の木なのよ。また間違えた。二本の木。それは神道でどのように示されているかというと、お正月のお屠蘇の盃なの。屠りの木と蘇りの木なの。下り車線は行きつくところまで行っても、大晦日に切り倒される屠りの木なの。善い実を結ばない木の根元には斧が置かれているのよ。

 

羊飼いの声を聞き分け上り車線に乗り換えた羊は大晦日に如来として復活させられそこでメシアと三々九度の固めの盃を交わすの。菩薩ヨハネはそれを子羊の婚宴と示しているでしょ。神様は六日でこの天地を創造され七日目にはすべての業を終え休まれたのよ。この七日目が子羊の婚宴で、七つのお祝いの安息日の大晦日なの。だから人はこの世に来て六日目までに良いお正月を迎える準備を整えなければならないの。七日目の大晦日の一夜飾りでは間に合わないの。

 

この七日目は七千年目として千年の宴が催されるのだけれど、サタンはその千年の間縛っておかれ、千年紀の最後に縄を解かれ暴れるけれども最終的に闇に放り込まれ、そこにはあの獣や偽預言者もいるとヨハネは示しているでしょ。この獣や偽預言が奴隷船の中で奴隷を囲っていた盲人の頭たちでしょ。

 

古事記では千座の置戸を負わされ祓われるとか、千曳の岩戸閉めと示されているけれども皆七日目の千年紀の禍事を示していたのかしらね。下り車線の大晦日の一夜飾りでは年を越せないの。年を越すにはね神様がその業を終えられる六日目までに求聞持法で上り車線に乗り換えてなければならないの。この六日目までとは人にとっては命の息のあるうちなの。

 

この上り車線が将来如来となる事を約された菩薩たちの菩薩道であり命の木へと至る道であり、神の道の神道であり、通りゃんせの八正道の細道なの。反対車線が六道の悪趣へ至る道なの。この六道から八正道へと大自在天の大自在七力によりポイントが切り替えられるの。八正道へと切り替えられた菩薩にとってはこの大自在天が七福神なの。逆らった奴隷たちは七殺の祟りで大晦日に雷に打たれ死ぬの。

 

七福の固めの盃の婚宴の翌日は晴れて夫婦の暁でしょ。その時にはすでに悪因悪果の木は切り倒され、残された善因善果の命の木が都の中央に生えているの。天のエルサレム、高天原の平安京への上り車線なのよ。その暁の時が真の岩戸の開ける時で、お屠蘇の盃の本当のお正月なの。君が代では千代に八千代にと謳われているでしょ。三々九度の固めの盃と、お屠蘇の盃のお祝いの歌よ。

 

日本人にとっては自分の先祖、親族たちと袂を分かち、自分だけ上り車線に乗り換えるということは、目の前が真っ暗になるような、身を切られるような思いが去来するの。外人さんたちには馬耳東風でしょうね。寝耳に水かしら。

 

それが失われたイスラエルに課された定めなの。目の前が真っ暗になり闇に閉ざされなければ天照大御神の岩戸は開けないのよ。そこに神様の恐ろしさを感じるでしょ。その畏怖の念をしっかりと受けとめ、すべてを捨てて神様に僕としてつき従うという覚悟がなければ乗り換えることはできないわ。

 

奴隷船の中で政治や宗教を極めたとしてもこの世限り。その他の学芸や娯楽も同じこと。奴隷船の中のミュージアム、スタジアム、コンサートホール、寄席、魅惑的に肥大化しているゲームセンターやアニメやハリウッドなどは奴隷を奴隷船につなぎ止めておくための六百六十六の鎖なの。

 

早く断ち切って川に飛び込んだ方が良いと思うの。切り倒されるわよ。と、ここまで書いて思うのだけれど、たとえそうだったとしても、この世で結び固められた愛妻や子供たちを残して自分だけ離脱できないと思うような高潔な阿修羅君たちもいるはずよね。そのような阿修羅君たちは愛妻や子供たちのために自分がこの世でメシアとならなければ済まないという定めを負っているはず。そのようなことも追々書いてみようかしらね。

 

この記事詰め込み過ぎかしら?お屠蘇なのよカバラは。


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イエスはね聖書の中で弟子たちに「死にかけている残りの者を強めよ」と御言葉しているでしょ。私はね、この御言葉に従い、死にかけている残りの者を強めようとしたらね「あなたそんな生き方していると死んだ後にもう一度死ぬわよ。二度死ぬわよ」となるの。でもそれではだれも飲み込めないでしょ。だから奴隷船の例えとかで記事とか書いているの。奴隷船の記事読んだ人飲み込めたかしら。近日中にもっとわかりやすいたとえ話公開予定よ。乞うご期待ね。


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龍神様のうろこって81枚あるのだって。今日初めて知ったわ。九九八十一でしょ。菊理媛(くくりひめ)と龍神様は同一神と言っているのよ。白山比咩神も同じ。この八十一枚の内の喉に生えている一枚が逆さまに生えていてその逆鱗に触れると怒りを買い即座に殺されるのだって。

 

龍神様はイエスでしょ。イエスは「私のことを信じない者が私を殺すのである」と御言葉しているでしょ。神仏を信仰している気になっている篤信家は世の中にたくさんいると思うのだけれど、イエスの御言葉に従い悔い改め、その僕としてこの世を終えなかったらキリスト殺しの罪を帯びたまま結界を超え、龍神様の逆鱗に触れると理解している篤信家はどのくらいいるのかしら。

 

仏弟子でも成仏せずに結界を超えるのが当たり前の世の中でしょ。世俗ではなおさらなの。誰にも親族がいて高齢者から順番に結界を超えてゆくでしょ。その時にこの世で成仏できなくても、あの世で成仏し冥福がありますようにという遺族のニーズがあるでしょ。そのニーズに呼応しているのが今の葬式仏教なのだけれど、弥勒菩薩の御言葉を真っ向から無視しているでしょ。

 

この世で成仏しない者は時代を遡って、十字架上で弥勒菩薩を殺した罪をまとい結界を超えるとはっきり悟ろうとしないのよ。弥勒菩薩は慈悲の救世主であるけれども、逆鱗に触れた者には峻厳さをもって大ナタを振るわなければ、従った僕たちに示しをつけバランスを保つことはできないなどと思ってもみようとしないのよ。

 

この世で放蕩していても仏陀の御慈悲で成仏させてもらえるという甘ったれた宗教と化しているの。そのことはね、同じ釈迦族出身の弟子により教えを無視された仏陀の時代に既に萌芽していたの。

 

でもね、そのようなことを人に教えようとするとその人の正常性バイアスにふれることになり、人はそこにふれられるのをだれもが極端に嫌がるから無理に諭そうとするとその人の逆鱗に触れることにつながるのよ。もはや私のブログは友人知人に記事更新通知出せないレベル。

 

「善い実を結ばない木の根元には斧が置かれている」と言ったのは洗礼者ヨハネなの。この斧は、弥勒菩薩は振るわないと思うの。慈悲の神様として許しっぱなしなのよ。大鉈を振るうのは破壊神として知られる大自在天と私は思うの。この慈悲の柱と峻厳の柱で均衡を保つのが梵天として知られる天御中主の神様なの。慈悲に甘えることばかりでなく峻厳な目でこの世を正見しないと結界を超えた後にバランス保てないわよ。神様の怖さ知ろうとしない阿修羅ばかりなのよ。


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最近よく虚空蔵求聞持法について書いているでしょ。でもね、私はキリストの言葉が飛び込んでくるまで仏陀の解脱なんか一切意識したことなかったし、当然密教の虚空蔵求聞持法なんか知らなかったのよ。

 

虚空蔵菩薩とは明けの明星の化身とされているらしいのだけれど、空海上人が求聞持法を修した時に金星が飛び込んできたらしいのよ。前の記事でも書いたけれど「勝利を得る者には明けの明星を与える」と御言葉したのはイエスなの。空海上人は唐に行き景教を通して聖書を学びその御言葉は知っていたはずなの。

 

その求聞持法なのだけれど、密教の真言マントラをある場所で百日間に百万回唱えると、あらゆる経典を記憶し、理解し、忘れることがなくなるというものらしいのよ。でもね、密教のマントラなんかわけのわからない発声の羅列で、そのようなものを百日間に百万回唱えるなんてばかばかしいと思うでしょ。中には現代でも修する人はいるらしいのだけれど。

 

私はねそのような密教の真言マントラなんか知らなくても虚空蔵求聞持法を修することは市井の片隅に生きる凡夫でも可能と思っているの。明けの明星はイエスの暗喩で金星が飛び込んできたというのはイエスの御言葉が虚空蔵菩薩の言葉として飛び込んできたということなの。私その経験してしまったもの。

 

「私の肉を食べ、その血を飲まなければ天の国には入れない」というイエスの御言葉が真言なの。私の場合は「私を見ないのに信じる者は幸いである」という御言葉が飛び込んできたの。聖書なんか何度も読んでいるから何度も目にしていた御言葉のはずなのに初めてその時はっとしてしまったの。

 

その時はまだ解脱とか仏陀など意識していなかったように記憶しているの。でもそれから後は将棋倒しのように次から次へと御言葉が飛び込んできてしまったの。

 

聖書のイエスの御言葉はそのすべてが真言なの。それが密教とされているのは受け手側が頑なに悟るのを拒むものだから、密教とならざるを得ず、求聞持法が広まることができないからではないかしらと思えるくらいなの。私は全く意識せずにそれを修してしまったの。「羊は羊飼いの声を聞き分ける」という真言もあったでしょ。

 

私は聖書でイエスにふれ、メシアに違いないと感じた当初から、イエスが聖書で教えている「主の祈り」という聖句で祈ってから就寝するという習慣を身につけていたの。天の父に祈れと教えられているでしょ。梵天に祈る真言を教えていたのよイエスは。それもわけのわからない呪文ではなく、各国語に翻訳されてもはっきりと理解できる言語においてね。

 

私の場合はそれとば知らずに、煩悩にまみれながらだったから明けの明星が飛び込んでくるまでに二十年以上かかったわよ。今でもその習慣は続いていて一生涯やめるつもりはないの。弥勒菩薩の虚空蔵真言マントラはその時が来れば大自在天の力が加わって強力に作用するの。


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この世の不信仰な人たちは警報が出ている川の中州でバーベキューを楽しむ迂闊な人たちと思ったのだけれど甘かったわ。川が増水したら手遅れで、河流れになるその様があの水難事故の映像とオーバーラップして恐い気持ちになりしばらくブログ公開する気になれなかったの。でもね、しばらくお休みしているうちにまた示されたの。もう歯に衣着せずにきついと思うこともはっきりと洗いざらい書くことにするわ。自分は羊飼いの声を聞き分けたいと思う人だけ読んでね。パスワードかけておくことにするわ。


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