天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2019年11月

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私ね、インターネットに接続した時に初めて思ったのは、世界はどのように動いているのかしらということだったの。ウィンドウズ98だったから二十年越しね。そしてね、前の記事で竜と獣と偽預言者のこと書けるまでに理解が進んだのよ。タブーに触れるから国名は伏せたけれど。タブーでない国は実名で書けるわよ。全て聖書の登場人物で表現できてしまうの。

 

ヨーロッパはパリサイパウロの国。ロシアも同じ。争いが絶えなかったのは政治哲学と地政学によるせめぎあいに見せかけた権力者たちの権力闘争ではなかったかしら。

 

アリストテレスの「政治学」だったかしら、今まで読んだ本の中で一番固い本なのだけれど、読んだことあるの。それで学問っていったい何だったのと考えるの。聖書のイスラエルが創造と救済を伝える媒体なのだと気が付かないのだけれども、頭の良い人が、他人の思いつかない説を構築してそれがいつの間にやら、学問のスタンダードとして確立されてしまったのではないのというのが私の理解なの。

 

その中で最悪なのが進化論。この国で受信料取りながら垂れ流している放送局があるでしょ。そしてこれら学問の発祥の地が今のパリサイパウロの国となっているのよ。キリスト・イエスが偽預言者に注意しなさいと言った通りでしょ。

 

そのほかではアラブ国家はイサクの兄のイシマエルの国ね。このイシマエルの国々とイスカリオテのユダの国が犬猿の仲なの。魔王がこの地帯を火薬庫にしてしまったのよ。魔王はこの地帯の石油から得られる収入の柱と火薬から得られる収入の柱をすべて独り占めにしたいという誘惑に駆られているのかしら。とにかく金と権力の権化なの。

 

この魔王の娼婦の国が表向きパリサイパウロの国でもあるの。人種のるつぼと化しているのだけれど、このるつぼから死の灰まき散らし続けているのよ。その内にメルトダウン起こすのではないかしら。英語なんか学ぶ必要ないでしょ。私はやめたわ。

 

お隣の国は反日国家でしょ。これなんかもろにアンチキリスト国でしょ。そのお隣の中国は腐敗で有名な中共が牛耳っている金と権力の国。共産主義とは唯物の無神論でしょ。この隣国たちを聖書の登場人物で表現すると「こらあかんわの国」となるのよ。コラとアカンというのはね、モーセやヨシュアの時代に神様の逆鱗に触れて一族郎党滅ぼされた人たちの名前なの。

 

そうそうインドも忘れてはならないわよね。インドはねブラフマ、ビシュヌ、シバという三柱の神の国でありながらバラモンが牛耳ってきたの。このバラモンは聖書には登場しないのだけれども、チベットで見つかった「聖イッサ伝」という書物の中でね、イエスがカースト下位の人たちに天の御父という神のことを教えていたので、頭にきてイエスを殺そうとしたと書かれているのよ。

 

そのバラモンのカースト上位にお墨付きを与えているのが転生輪廻の迷信なの。信仰心の厚さではインド人かイスラム教徒でしょ。その熱き信仰心でカースト下位の人たちまで迷信をこよなく信じているから、政府が禁止してもカースト制度はなくならないの。

 

アフリカの人たちを聖書中の人物で表現しようとしたらハム。ここはそれ以上ふれないわ。

 

このように大枠が理解出来てしまうとその国の人たちがどのような信仰でまとまっているかを見れば、表向きの善良ぶった政治姿勢などに惑わされることなく、わたし的には、そうか、世界はそのように動いているのかと理解できてしまうの。

 

神仏をどうとらえているかで透けて見えてしまうのよ。何しろ二つの目ではなく三つの目で見せられるから3D的に見えてしまうの。この国のことはこのブログで散々書いてきたからもうお分かりでしょ。破れ傘では雨ジャージャーなの。



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もうはっきりと竜と獣と偽預言者のこと見えてしまったわ。この獣と偽預言者が魔王と娼婦の関係性なのよね。そしてあの国とあの国がその破滅性の関係でしっかりと結ばれているの。そしてね、大きな傘を広げているのよ。

 

その傘の外にあるのがこの国なのだけれども、それに気が付かない国民がその傘の下で守られているという皮肉。政治屋さんたちはその下でやれ右や左だと議論しているけれどもその本心は、その傘の下でより上席を占めたいだけなのよ。それにはお金と権力は絶対に必要なの。魔王と娼婦がさしている傘がそれでなり立っているのだからどうしてもそうなるのよね。だからその魔王と娼婦の傘の下でみんな右の手か額に六百六十六と印を受けるの。でもね、その傘印はこの世限りなのよ。結界を超えてしまったら何の役にも立たない破れ傘よ。

 

その魔王と娼婦なのだけれどヨハネは二匹の獣と表現しているでしょ。一匹の獣は頭に打撃を受け、死んだかと思われたけれどもその傷も癒えてしまったと書かれているでしょ。その傷が癒えて頭角を現したのが、この国で傘が二回も大爆発した直後なのよね。いったい何ということかしら。

 

その破れ傘が見えてしまったらそこから非難するしかないでしょ。どこに避難するかというとメシアとその許嫁の傘の下。この傘は別名、創造と救済の傘だから結界を超えても破れ傘にはならないわよ。

 

この傘の下に避難するにはみ使いから額に印を受けなければならないのよ。ヨハネはそのように示唆しているでしょ。私はその印は八百八十八だと思っているのよ。額にその印を受けると三つめの目が開くわよ。頭頂の千の花びらも開いてしまうの。お釈迦さまはその印を受けることを梵天灌頂と言ったのではなかったかしら。三千年に一度開く優曇華の花かしら。

 

でも三千年に一度では頻度少なすぎるでしょ。この国においてはその大輪の花が大挙して咲き乱れる、そのような時代が来てもいい頃だと思うのだけど、どうなのかしら。痩せたお花畑のまま終わるのかしら。

聖書によれば、イスラエルには超大輪の花が開いたけれども、畑は痩せたまま荒れ果てたでしょ。失われたイスラエルにはその花が開きっぱなしだったのだけれど、畑は痩せたままでしょ。同じこと繰り返すのかしら?それとも・・・・


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このブログ読みに来てくれる人たちはペテロの国とイスカリオテのユダの国のことはっきりと見えているかしら。

 

最近そのイスカリオテの国に近い田舎の王様がペテロの国の王様にあいさつに来たらしいのよ。そしてその田舎の王様はペテロの国が見舞われた惨劇を思い起こし、地獄爆弾の廃絶を訴えたらしいの。しかしペテロの国の王様は軽率にそのようなことを口走らないの。

 

なぜかというとその王様から国政を預かっているその国の役人たちはイスカリオテの国ととても仲の良い国がもたらす、爆弾の傘の下にいるのが最も安全だと公言しているからなの。

 

以前そのイスカリオテの国の事はっきり書いたら一晩で記事削除された。この記事は多分大丈夫かな?

 

ペテロの国の核になる発電所の保守管理はすべてイスカリオテの国の会社が請け負っているらしいわよ。みんな知っていても報道できないのよね。そんなことすると首になると暗黙の了解でもあるのかしら。その会社は海外ではその事宣伝しているらしいの。


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わたしね、今でも人と話していると、意見の相違によりあなた真面目なのねとよく言われることがあるの。そのたびにその言葉の裏腹に、あんた馬鹿正直ねという意味をくみ取りいやな心持になることが昔からけっこうあったの。

 

でもね、そのような性格だったからこそ、おかしいと思うことは突き詰めて納得がいくまで考えつくさないと気が済まず、とことん考えつくすのが当たり前になっていたの。

 

その結果わかったことは、神様はそのような人の性格の奥の奥まですべて目を光らせているということなの。ひとから馬鹿真面目、くそ真面目と蔑みの目で見られるくらいに考えつくさないと三つの眼は開かれないわよ。

 

その目が開かれたときに三人の神様と目が合ってしまうのよ。そして私のことは全て御存知で、私が悔い改めるのをじっと見つめていらっしゃった、すべて見られていたと気が付くの。

 

そのようにアイコンタクトでお許しを受けずに目を逸らしてばかりいると、肝心な時に神様から目を逸らされるわよ。プロビデンスの目ではないの。天照大御神の左目なの。月読命の右目なの。眉間にあるのが素戔嗚尊の千里眼なの。

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キリストは十字架上ですべての人間の罪を贖ったの。だから御父によりすべての人間の罪は許されたの。キリストを殺した人たちの罪も許されているの。サタンとその僕だけはその限りではないのよね。キリストを殺したキリストの敵の罪までキリスト・イエスにより贖われているの。

 

だから全ての人間は一度目の死という結界を超えた後に、復活にあずかるのよ。問題はその時に礼服で正装しているかどうかということなの。この礼服はこの世にあるうちにキリストから送られる助け手により、結納の品として贈られるの。

 

婚宴に招かれた男が正装に身を包んでいなかったので、その場から追い払われる譬え話があったでしょ。創世記のイブはサタンにそそのかされ禁断の果実を食べたでしょ。手渡されたアダムもそれを食べた時に二人の眼が開かれ、自分たちの裸に気が付き、いちじくの葉で体をおおったの。その後に神様に懺悔したの。それで神様は二人に皮の衣を賜ったと書かれているでしょ。

 

この賜物の衣が命の木の婚宴のための礼服なの。イエスは「命の木に与ることを許され、門を通って都に入るために衣を聖くしたものは幸いである」と言っているわ。ヨハネの黙示録ではすでに結界をこえた聖徒たちがその時はいつになるか尋ねたところ、その時が来るまでしばらく待つようにと「白い衣」が与えられたと書かれているわよ。

 

この与えられる衣が礼服なの。どのように与えられるかというと、大自在天の納采の儀により結納の品として与えられるの。礼服を賜った菩薩たちはその服をまとい復活させられるの。賜わらなかった阿修羅たちは普段着のままその場に復活させられるの。神の子羊の婚宴の場に普段着で復活させられるの。そこで裸の恥を知らされるのではないかしら。

 

その後どうなるかというとね、その場から追い払われるのよ。神のイスラエルとはね、人類に神の創造と救済を知らせる媒体として選ばれているの。だからイスラエルを通してすべて知らされているの。モーセによりエジプトから導き出されたイスラエルが約束の地カナンに達した時に、神様はそこにいた異邦人を皆殺しにして一人も生かしておくなと命令しているでしょ。

 

神様のお気に入りではない者は皆殺しなのよ。菩薩は将来如来となることを約されているでしょ。その菩薩たちが如来とされるべく、正装で約束の地に達した時に、そこで普段着でたむろする阿修羅たちは神様に気に入っていただけるのかしらということなの。


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通りゃんせ 通りゃんせ


ここはどこの細道じゃ


天神様の細道じゃ


ちっと通してくだしゃんせ


御用のないもの通しゃせぬ


この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります


行きはよいよい帰りは恐い


怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ


なんか歌ってみたかったの。虚空に開ける狭き入り口の歌。

この歌の言う怖さは半端ではないわよ。

わたし通ってしまったから知らされたわよ。

龍神様の逆鱗に触れたら結界のあちら側でひとたまりもなくみなごろしという怖さ。

その怖さを領解して神様の恐ろしさを知るの。白黒はっきりつけさせられるの。

神様に対する畏敬と畏怖を知らないものが御用のないものなの。

グレーゾーンで遊んでいた方が楽しめると思ってしまうのも無理はないのよね。


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新たな賜物拝受。ただで受けたのだからただでおすそ分け。今日の賜物は「夫唱婦随」 この「夫唱婦随」という言葉なのだけれど、この国では古くから美俗とされてきたでしょ。昨今ではそれを年若い婦人に唱えるとセクハラと言われるの。この言葉はね単なる美俗とかではなくはっきりと神仏が示したもうた美徳なの。その美徳を理解しようとせずにはっきりと異を唱えるのが現代社会なの、というお話が今日の記事。

 

この「夫唱婦随」という言葉が神仏の道なのよ。私はそれをどこに見出すかというとやはり聖書。神が始めに「光あれ」という言葉を発しそのようになったと書かれているでしょ。創造主が唱えたので光の神・救世主がそれに随いお生まれになったの。これが「夫唱婦随」の玄義なの。

 

このブログで再三指摘してきたように創造主と救世主の有り様に似せて男女が創造されているの。だからこの創造主と救世主の関係性は父性と母性の関係性の玄義でもあるの。イスラエルのカバラの命の木においては、それが峻厳の柱と慈悲の柱として伝えられているの。神道はそれを悟っていたからこの父性の神と母性の神を伊弉諾尊と伊弉冉尊という男神と女神に擬したの。そして子生みに際して女神が先に言葉を発したので子をなせず、「夫唱婦随」で改めさせられたと記しているの。これが玄義なのよ。

 

女神が先に言葉を発したということには、最初の女性イブがサタンにそそのかされたということも暗示されているでしょ。女性がサタンにそそのかされるということは、魔王と淫婦の「夫唱婦随」の関係に堕ちるということ。その堕ちたイブから渡された禁断の木の実をアダムが食べることによりイブが救われ元のアダムとの「夫唱婦随」の関係を取り戻し、神様から賜物を賜り命の木への道を守らせられたと書いてあるの。

 

救世主と救われる人の形にもアダムとイブは似せて創造されているということなの。創造主と救世主の「夫唱婦随」と救世主と救われる人の「夫唱婦随」が両方そのまま男と女の夫唱婦随ということに反映されているの。お釈迦さまはそれを悟っていたのね。だからその関係性の中で女性は解脱できないと御説きになったの。そのことは少し前の記事で詳しく書いておいたわよ。

 

そしてお釈迦さまはこの「夫唱婦随」の関係性に気が付き救われ仏陀となったのよ。だから神と仏の関係性も「夫唱婦随」の関係性と言い得るの。それは如来と菩薩の関係性も同じこと。神による許婚男性と許嫁女性の関係性なの。

 

菩薩とされる許嫁女性はこの世で神による許婚男性からの求婚を受け入れ婚約者とされるの。その時には許婚男性の父の家からお仲人が遣わされ結納が交わされるの。このお仲人は天の父の家、天の皇室からのお使者でその結納だから私は納采の儀と呼んでいるの。大自在天の納采の儀であり全て虚空蔵の求聞持法において執り行われるわよ。

 

神による許婚男性であるメシアは「羊は羊飼いの声を聞き分ける」として許嫁女性に求婚しているわよ。その求婚をお受けした時に創造と救済の「夫唱婦随」の道を歩き始めるの。

 

それらを悟ろうとせず、悟れずにいる男女が迷える子羊でしょ。白黒はっきりつけずにグレーゾーンで遊んでいた方が楽しめると思っているわよ。それが世の中の男女。少し前の記事で奴隷船に譬えた通りなの。

 

グレーゾーンで遊んでいるかぎり、サタンにそそのかされた許嫁女性が淫婦に堕ち、破滅性を帯びた魔王との「夫唱婦随」の道を歩んでいるなどとは夢にも思わないでしょうね。

 

そのことを、黙示録を書いたヨハネは「姦淫の杯に酔いしれるバビロンの淫婦」と表現したの。大バビロン河の奴隷船で遊び惚ける淫婦たちなのよ。神仏が「夫唱婦随」の関係にあるなど金輪際気が付きたくないのではないかしら。ヨハネが「大バビロンは倒れた」と言っている以上、この奴隷船はやがて滝つぼに落とされ沈没するわよ。

 

イエスは「天の父の御旨を行う者が御国にはいるのである」と言っているでしょ。この豊葦原瑞穂の国に天照大御神によりまかれた言霊をもってすれば、天の父の御旨はただの一言、漢字四文字で悟れるということなの。天の父の御旨、言葉にして説明しなくても分かる人にはわかるでしょ。一言主の神様なの。

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 天照大御神が倒語(さかしまごと)で何を語っていたのかということのまとめ記事を書いてみるわね。この倒語(さかしまごと)とは味方だけに通じる言葉を使い妖気を祓い平らげることと日本書記に記されていて、それは神武天皇の御代の始まりの日に定められたことになっているの。

 

 私はこの倒語(さかしまごと)をイスラエルの命の木のカバラ、お釈迦さまが伝えた虚空蔵求聞持法と理解したの。それを判りやすく一言で表現してしまったらどうなるかしらというのがこの記事の主旨。古事記には一言主などという神様も登場しているわ。

 

私の中では天照大御神がキリスト・イエスであることはもう疑い得ないのよ。ではキリスト・イエスは味方にだけ通じる言葉で何を語っていたの?味方とはだれ?

 

味方とはねイエスにより救われた解放奴隷たちなの。その開放奴隷たちに倒語(さかしまごと)の隠喩を用い、まだ開放されていない奴隷たちを救うようにお示しになっていたの。だから開放奴隷たちが残した聖書、お釈迦様の仏伝、神道及び古事記は隠喩のオンパレードなの。

 

なぜ隠喩を用いるかというとね、悟りが絶対の必要条件なのよ。悟りが無ければ解放され得ないの。解脱、悔い改め、禊という救済に対する悟りの智慧が無ければ解放され得ないの。

 

イエスのお遣わしになる助け手としての聖霊、ブラフマとビシュヌの介添えのシバ、須佐之男命と天照大神の介添えの月読命、天御中主神と高皇産霊神の介添えである神皇産霊神様たちはすべて同一神で、私は大自在天とお呼びしているのだけれど、この大自在天の洗礼を受けるためには悟りによりサタンの妖気を、まず自力で払い平らげなければならないの。

 

解脱、悔い改め、禊を自力でなしてサタンの妖気を排した後に、大御神と大自在天の他力による禊により梵天に菩薩として認められるの。

 

仏陀釈迦牟尼の仏伝と、聖書の真言からなった神道においてその日取りが七五三と示されているの。それはね三日目と五日目を経た六日目で神さまはその手の業を終え、七日目には安息日として休まれるからそれまでには七日目と八日目を迎える準備は終わっていなければいけないということなの。

 

聖書の十戒の中の「安息日を心に留め、これを大切にせよ」というのはそういうことなの。神様がその手の業を終えられるということは何を示しているかというと、その日にすべての菩薩枠が埋まるということよ。それはヨハネの黙示録にも示されているわ。そうなった時に七日目の安息日に入り神様は休まれるの。だから六日目までに準備ができていない者たちは油断した愚かなおとめとみなされると諭されているでしょ。

 

その六日間とはね現代の神道においては、神様が取って食べるなと禁じられたクリスマスの木から取って食べてから晦日迄の六日間と示されているわよ。晦日までにその悔い改めをし、大晦日と翌元旦を迎える準備が整っていないと年を越せないのよ。七日目の安息日の終わりに油断したおとめたちはサタンの後宮に放り込まれ、鎖で縛られサタンと共に石打の刑に処されるの。それは愚かなおとめたち阿修羅が奴隷のまま復活させられ二度目の死を受けるとも解放奴隷たちの聖言で示されているでしょ。だから大晦日の一夜飾りでは間に合わないのよ。

 

この二度目の死を免れるのが、菩薩とされ、其のまま復活させられて如来と婚宴で結ばれる羊たちと示されているの。お釈迦さまは菩薩となったものは一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないと言い残しているけれども、菩薩はサタンと共に二度目の死を受けることは免れるということなの。

 

この世でまだ人間が生きているということは神様の六日目の業がまだ終わらず菩薩枠はまだ残っているということなの。この枠が埋まった時に神様の六日目が終わるの。大分押し詰まっているわよ。ヨハネの黙示録よく読んでね。


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先日今上天皇の大嘗祭が執り行われたけれどもイスラエルの王と日本の天皇のことなど考えていたらまた奥深いことに気が付かされたわ。

 

このブログではね男性と女性に、父なる神と子なる神の関係性が創造性の反映として、子なる神メシアと救われる僕の関係性が救済性の反映として共に映されていると説いてきたの。そして今になってもう一つの関係性に気が付かされたの。

 

それはなんと破滅性の反映なのよ。この関係性はねサタンと淫婦の関係性なの。つまるところこの関係性が奴隷船内の男女の関係性なのよ。この奴隷船においてメシアは「右の眼が罪を犯すならえぐり出してすてなさい」と御説きになったの。この目で犯す罪というのはサタンの属性なの。この世で命の息を与えられた人間とはみなメシアのいいなづけとしてそうされているの。そのメシアのいいなづけを自分の後宮に引きずり込もうとするのがサタンなの。これが他人の妻に眼で犯す罪でサタンと同罪なの。神様の十戒では「隣人のものをほしがってはいけない」と示されているからね。

 

その後宮に引きずり込まれることを免れようとしたら男は右の眼を抉り出すか、そうせずに済ませるために解脱するしかないの。その方法は少し前の記事に「阿修羅の解脱」として記事にしておいたでしょ。

 

さらにメシアは姦淫の現場で捉えられ引きずり出された女を、石打の刑から免れさせ、お許しになり、もうその罪を犯すことはないようにと諭され、行かせたでしょ。これがね、メシアのお説きになった悔い改めなのよ。

 

このサタンと淫婦の破滅の関係性を免れるための作法が解脱と悔い改めなの。これが男性原理と女性原理が破滅から免れるための原則なのよ。男の右の目の犯す罪にサタンの悪魔性が潜んでいるというのは判りやすいわよね。問題は一般の女性たちの中にひそんでいる娼婦性なの。

 

これは見過ごされがちでしょ。そこで思考実験。ある一人の心のきれいな清純無垢な女の人がいて、その人の職業が女優業だったとするでしょ。この女優さんはね、より多くいい仕事をしてたくさんの報酬を得て、成功したいと思ったら自分の長所や短所までをもフルに生かして、世の他人の夫たちの目をくぎ付けにすることが職業的に要求されるでしょ。それがアイドル業で、その世界ではより過激なファッションに身を包んだほうが効率的でしょ。行き過ぎると失敗するでしょうけれど。でも昨今は行きつくところまで行きつくアイドル業が隆盛を極めているでしょ。

 

一般女性はそこまで堕ちないとしても娼婦性を秘めたアイドルたちのファッションが現代的でしょ。その意味ではミニスカートや過激に胸元の開いたファッションは、男の目で犯す罪を誘発して楽しんでいると言えるでしょ。夏場の水着ファッションなどは誰も悪いこととは思わないけれどもその典型でしょ。そこに秘められた現代女性の無意識、無自覚な娼婦性があると思うのよね。

 

その娼婦性がイスラエルにおいては石打の刑と定められていたの。男を外の闇に放り出させるほどの罪を誘発する罪に対する無自覚さ。そのことに悔い改めを促すメシアの心があるでしょ。年配に至った女性であればそのようなことは理解できるとしても、若いころはどうだったかしら。メシアの言葉によりそのころのことにまでさかのぼって悔い改めないと石打の刑は免れ得ない可能性はない?

 

私はそのような性の問題から、その他のことまでを神様の十戒に照らして、物心ついてからこのかた犯した罪について全て神様に懺悔したわよ。そこまで悔い改めないとお釈迦さまが女性は解脱できないと言ったことの意味は理解できないわよ。

 

私に言わせれば、男性原理に求められるのが解脱、女性原理に求められるのが悔い改めなの。そして男と女はどちらもこの男性原理と女性原理を共に埋め込まれているでしょ。だから男は解脱と悔い改めは必須なの。女性は悔い改め優先なの。女性においては女性原理が優先されるべきで、メシアのお説きになった悔い改めをまず先に悟ることにより、お釈迦さまが女性は解脱できないと御説きになったのは、女性原理の悔い改めが、解脱の助け手となるべきだからだと悟るの。そのようにして女性は男性の解脱の助け手として働いたときに、神によりその美徳を賞賛され救われるはずのものなのよ。と私は思うの。

 

男と女の主従はね、解脱者と解脱の助け手の主従なの。御父と御子の主従なの。メシアと僕の主従なの。この世が男社会なのは神の支配が行き届いているからなの。そこに男女同権の人権思想を持ち込むのが悪魔なの。神と悪魔も主従の関係性なの。悪魔はこの主従関係の中で神に敵対しているの。

 

そこに搾取と非搾取の無慈悲な主従関係が生まれ奴隷船の中ではその無慈悲が優先され増殖するの。昨今では男性原理と女性原理が転倒していてあいまいになったままのトランスジェンダーな人たちも当たり前のように出現しているでしょ。そのような人たちは奴隷船の中での芸能活動や風俗産業の中でしか陽の目を見ないでしょ。

 

そのような世界の芸能人が、お釈迦さまが示された歌舞伎聚楽主であり、ファンを悪趣に導く盲人たちなの。そのような事態は古代からあり、メシアが、「偽善者よ、自分の目から材木を取りのぞいてよく見えるようになりなさい。私から目薬を買いなさい」とお諭しになられたの。

 

五体満足で外の闇に放り出され、そこでの石打の刑から免れるためにはメシアの御言葉に従うしかないでしょ。サタンと娼婦の関係性からの解脱、悔い改めなの。それは大御神の禊によりもたらされるものなの。

 

サタンにそそのかされ、いいなづけであるメシアを裏切る娼婦には男も含まれるわよ。色即是空でしょ。


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出エジプト記の203節に「わたしは主、あなたの神、あなたを奴隷から自由に導いた神である」という御言葉から始まり十の戒めが記されているの。この御言葉はねモーセに導かれエジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエルに与えられているのだけれども、実はねイスラエルを媒体として全人類に伝えられた神様の言葉なの。

 

この御言葉の主が神の子羊であり羊飼いでもあるとして虚空蔵求聞持法で聞き分けなければ、人は解放奴隷として自由になれないのよ。

 

奴隷船内においてはねこの羊飼いの真言はイスラエルの他人事として認識されているの。だから誰も解放されないの。日本の奴隷船内ではね、船内放送において地上の星を崇めているのよ。この地上の星に、永遠の嘘をついてくれ、だとか、永遠の嘘をつきたくて、とか、永遠に種明かしをしないでくれなどと歌いながらお祈りをしているのよ。

 誰に何をお願いしているか全くわかっていないのよ。だから公共船内放送が「ダーウィンが来た」などと永遠に嘘をつき続けるのは明々白々なの。解放奴隷の神の十戒で「隣人に、うそをついてはいけない」と戒められ、それがお釈迦様の八正道の内の「正語」であるにもかかわらずにね。これが奴隷船内のクローズアップ現代なの。

 

私はそれを肌で感じていたから、まだ奴隷船内にいた頃にテレビを廃棄し受信料という形でのこの嘘つきとの関わりをやめたわ。そのように地上の星とそれを崇める歌舞伎聚楽主の嘘を見抜き、自分の身辺の嘘の垂れ流しを排除し、ふたをすることにより羊飼いの声を聞き分ける能力は高まるの。

 

そうするとねこの地上の星がしっぽを出すわよ。天から地に投げ落とされ最初の人アダムとイブをそそのかしたサタンだったと。そうしたらしっぽをつかんで今までよくもだまし続けたわねと言いながら顔面キック、「退けサタン」とメシアの口調をまねて蹴飛ばしてやるの。そうするともうだませないことを悟りしぶしぶと退散するわよ。

 

それと入れ替えに大自在天が遣わされるの。この地上の星にだまされたままでは天の皇室は納采の儀を出せないの。解放奴隷とされるわけにはいかないの。

 

奴隷船内で奴隷たちが地上の星の永遠の嘘を願い求めることも神さまは是とされているわよ。それは神様の賜物である命の息に自由という施しがあるから。その賜物である自由の中に奴隷と解放奴隷がいるのよ。これってミラクルでワンダーな事でしょ。その神秘を肌身で温かく感じられるようになれないと本当に解放されて自由にはなれないの。


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