天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2019年07月

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

もうね、幼子にでもわかるように書くことにするわ。

雷様いるでしょ。この雷様は、イエスの言った聖霊という神様なの。

イエスはね「聖霊に逆らう者はあの世においても、

この世においても許されることはない」と言ったでしょ。

それはね、雷様がゴロゴロ言っているうちにそのお諭しを受け入れないと、

この世の終わりに雷様が落ちて、あの世でもう一度、雷様が落ちるという事なの。

 

ヨハネという人はその雷様の列に加わった人なの。だから雷の子と呼ばれたの。

黙示録を書いてゴロゴロ言っているでしょ。

 

神様に逆らうという事は神様を無視するという事でしょ。

この雷様はイエスのお仲人の神様よ。だから早く自分の立場を悟り、

このイエスを受け入れよ、とゴロゴロ言っているの。

 

そのゴロゴロの意味を知らずに怖がって避けようとしている大人ばかりなの。

かわいそうなのは子供たちよね。イエスは「信じる者には助け手を送る」

と言っているでしょ。この時送られてくるのも同じ聖霊様。

でもね、イエスを受け入れた後は七変化して虹の契約の神様として来られるの。

その虹の契約は聖書のノアという人の物語のところに書かれているわよ。

 

雷様が虹の神様に変化したのを悟ると、七色のチャクラが覚醒させられ、

色即是空、空即是色だ。お釈迦さまが言ったことはほんとだ。となるの。

この国ではこの虹の神様のことを七福神様としているでしょ。

 

そこまで悟れない大人は、雷様はゴロゴロ言っていても、

自分にだけは絶対に落ちないと根拠なく信じ込むことにより安心を保つの。

自分の脳にそう言い聞かせるの。脳は人の忠実な召使いだからご主人様の言いなり。

現実に危機が迫っていても、ご主人様の忠実な僕。

そういうのを正常性の偏見が働くというの。

 

災害被害者はその偏見にとらわれ逃げ遅れる人が多いんだって。

そういう人に忠告するとせっかく安心しているのに、

怖がらせるなと怒り出す人もいるのよ。困るわね。

 

日頃から神仏を視野に入れ自分の脳は偏見にとらわれていないか、

セルフチェックが肝心なのよね。
それが本当の瞑想なの。

 

イエスはねこの雷様に逆らい怒らせると、

七殺の祟りの破壊神に変化すると言っているの。

そのようなことは天照大御神の言霊として、

昔から言いつがれてきているの。

 

そのことから逃れさせようというイエスの福音書が

世界のベストセラーでしょ。
七福神様の書物だわ。


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 二十一世紀に入るとすぐに八咫烏が神宮の心御柱は、

イエスの聖十字架だと明らかにしてしまったでしょ。
二十一は七七七。

そして、一昨年の暮れには八幡様の境内で恐ろしいことが起こったでしょ。

去年の暮れには神話の里高千穂で恐ろしい事件があったでしょ。
八と千よ。君が代に歌われている数だわ。

令和の改元はとってもおめでたいことだけれども、

皇室の納采の儀が滞っているでしょ。

そこに持ってきてお笑い芸人の人たちが大もめの事態でしょ。

仏陀が諭した歌舞伎聚楽主とは当時のお笑い芸人の人たちでしょ。

神様のメッセージは脳みそではなく、七つのチャクラで受けないとわからないのよ。

神様はそのような方法でしか知らせて下さらないようだわ。
縁談の日取りが相当押し詰まっているみたいよ。
杞憂であってほしいわ。
でもまだお受けしていない人は、
急ぐに越したことはないと思うんだけれどね。

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イエスとイエスに開眼させられた弟子たちは御父にお仕えする

宮司と巫女さんの関係でしょ。そしてそのイエスから弟子たちは

その絆の記念としてパンとぶどう酒の儀式を行えと言われたでしょ。

それがそのまま神道になったでしょ。

 

宮司と巫女さんが祀りを終え、その後の祭りが直会でしょ。

その神道によりこの国が立ち上げられたでしょ。

でもね、日本人の先祖たちはそんなこと知る由もなかったでしょ。

 

そんなこと知る由もない異邦人たちが立ち上げて世界宗教にしたでしょ。

その世界宗教から世界文明が生まれたでしょ。

その世界文明は古事記の中で物語られた海から、

大砲を鳴らしながら入って来たでしょ。

 

日本武尊が此岸から彼岸に渡るときに、弟橘姫が八百八十八の結界をはった

海から入ってきて文明開化になったでしょ。

 

でもね、人間はそのことを裁かなくてもいいの。

神が園の中央に植えた二本の木なの。

 

命の木の持つ数が八百八十八で、

食べるなと禁じられた木の持つ数が六百六十六なの。

人間はこの二本の木により善悪を知れればいいのよ。

 

でもそこにサタンがいたでしょ。

お釈迦さまが開眼するよう促した第三の眼に、

目くらましの印を押そうとしているでしょ。

 

それはヨハネも黙示していたでしょ。

この目くらましを食らってしまったら、

この世の終わりまで何も見えなくされるという事でしょ。

見えている?

 

何度も何度も言うけど、

見えていない人は早めに天照大御神からお薬買った方がいいわよ。

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実はね今日でこのブログ立ち上げてまだ二十日目なの。

気が付いたら百二十五ページも書いていたの。

これ私一か月前は全然予定になかったし、書かされているというのが正直な感想なの。

 

おかげ参りという不思議な人が私の中に入って書かされてしまっている?

私は男性だし、内面も男よ。だから初めはカチコチな論文調だったけど、

書く方も読むほうも肩がこりそうなので語り口にしてみたら、

そしたらこのスタイルがいちばんスラスラ語りやすいので、

このスタイルに落ち着いているの。

 

別に変な霊に取りつかれているわけではないから安心してね。

このスタイルの方が読む人の方も、飲み込みやすいのでは、

と思ってみたりしているの。そうでもしないとはっきりと語りにくいことが、

聖書のカバラにはたくさんあるのよ。

そんな手法で、聖書と古事記を読み合せてカバラで解読したことの大筋は、

百二十五ページでほとんど網羅してしまった感があるの。

 

それは細かいことを記述していけばいくらでも書くことは残っているし

ネタは山ほどあるけれども、聖書と古事記で言わんとしている

核の部分について掘り起こして世に出してしまいたいという一心で

二十日間書きまくって来たの。

 

岩戸の前に掲げられた天の真榊を根こそぎにしたつもりなのだけれどどうかしら? 

それでね、ここから先は、例えば真榊にかけられた八咫の鏡の隠し持つ深い意味は、

とか、その鏡がかけられている雛人形の並びが左上右下から、

文明開化を経て、現代に至り、京雛と関東雛で並びが逆転しているのは

何故なのかとか、その過程における昭和の時代に起こった激変は、

いったいいかなる諭しを秘めているのかとか、

男性が女性に対する煩悩というものから自由になるために、

シバリンガのタントラにおける瞑想はどのように行えばスムーズに

行えるのかとか、天照大御神が判れば東洋思想は全て網羅的に

理解できてしまうとか、そのような分野に踏み込んでいかなければ
次のステージに上がれないというというところまで突き進んでしまったと感じているの。

 

だけどね、私のこのブログはかなり世間離れしているはずなのよ。

それは十分理解した上で書いているからね。私は世間の常識というものをわきまえた、

どこにでもいる普通の人だからね。

ただね、こどもの頃から自分でも理解に苦しむ感性というものを持ち合わせていて、

それがコンプレックスとなり生きにくさを感じながら、

何とか生きてきたらこういうふうになってしまいましたという事なの。

 

だから世間の常識にのっとり、みんなに理解してもらえるように、

かみ砕いた表現で記事が書けるの。でもこの先は完全に瞑想の世界だしな。

それを語り口調とはいえ文章で表現したらますます

世間離れしたブログになってしまい、それでなくてでさえある意味マニアックな、

あるいは本当の信仰を見つけたいと願っている、

本物の求道者にしかアピールできないブログなのに、

この先ますます世間離れした記事を書いてどうなるの?と感じ始めているの。

 

それは百二十五記事も書いているけれどコメントたったの一件

という現実が如実に示しているの。それはコメントくださいという事ではなく、

そんなことではなく、書いている本人がこの記事コメントしにくいだろうな、

と思いながら書いているからいいの。

 

でもね、そのままの状況でこのまま突き進んでいっても、

誰もついてきてくれなくなってしまうのではないの?

何かしら読んでくれる人との交流は必要でないの?と感じ始めていたの。

 

このブログ読んでくれた人たちの心の中に私の記事が、

どのような印象を残しているのかしらとかね、

記事に書いたことはいい加減な気持ちで書いた記事は一本もないから、

そこはぶれないのだけれどね、でもこんなブログにコメントしにくいだろうし、

それを判っていながらシリアスな姿勢を崩してまで、

コメントくださいなんて記事にかけないし。

 

そんなことを考えながらも、私にはSNSのフェイスブックのアカウントがあってね、

そこにブログをアップした時は投稿記事を書いてアップしていたの。

そして最近なのだけれどそのフェイスブックの自分のページを

あれこれ探っているうちに、「天照大御神と交流する人々」というページが

できてしまったのよ。

 

それで、うん、これいいんじゃない?

ここで一区切りとして、またワンクッションおいて、

人々の交流の中から何かが出てきたら、それでいいんじゃないのとの思いに至ったの。

 

私は今は特定の宗教に属していないし、神様恐いから功名心などみじんもないし、

商業など絡める気持ちもこれっぽっちもないから、

純粋に天照大御神の恩恵により生かされているという思いをいだく人たちの、

交流の場ができればいいなと思っているの。

 

それができたら絶対に天照大御神が関与してくださると確信しているの。

まだ立ち上げたばっかりで一人も賛同者いないのだけれど、

まずこのブログで賛同者募って、その後に自分の友達を招待してみるつもりなの。

関心示す人少ないと思うから少数精鋭でいくことになるのかな?

それとも立ち枯れ?

 

https://www.facebook.com/kamuizanagi/ 天照大御神と交流する人々

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私の地元の氏神様のことについて書くわね。

私の氏神様はねズバリ雷様なのよ。

ikazuti-z_00-thumb-760xauto-32 DSC_0205
DSC_0204 境内には三柱の神様 
DSC_0201 お稲荷様も
1205040 御本殿

 神社名は神社庁が雷神社(かみなり神社、いかづち神社)としていて、

地元横須賀市は雷神社(イカズチ神社)なの。

御祭神は神社庁が火雷神(いなびかりのかみ)で、

横須賀市は火雷命(ほのいかずちのみこと)なの。不統一。

 

この辺が神道の奥深さなのかしら、御神名は大切だと思うのだけれど、

要は意味が統一されていればよいという事なのね。

 

私のカバラ読みによればこの神様は御機嫌が良いときは虹の神様でもあるのよ。

なぜかは上の方にある「三柱の神の宇宙」のページを参考にしてね。

早い話が縁結びの神様。森羅万象を司っているから、御機嫌が良いときは虹の祝福、

御機嫌が悪いと雷様、ほんとに怒ると破壊神となってこの地球に関与するの。

 

男女の縁結びも同じ。この神様に障るととんでもないことになるでしょ。

今日本の皇室の納采の儀に支障が出て大騒ぎになっているけれども、

誰かがこの神様に障っているのよね。その誰かには日本国民も含まれているのよ。

さて誰でしょう?

 

しかもこの神様、いいなづけの親の神様といいなづけである神様の双方と人間の、

縁結びの神様でもあるから、本当に怒らせたら男女の仲の破談などという

なまやさしいことでは済まないわよ。

 

神道では月読命として、神宮の月読宮でお祀りされているわ。
この神様は古事記にお名前だけしか出てこないの。

神道はこの神様に絶対に逆らわないわよ。恐ろしすぎるわ。
方位神として言いつがれている丑寅の金神様の七殺の祟りが、

その恐ろしさの片鱗を物語っているの。カバラを知らない人は、

方位に障ると祟りがあると信じているの。古事記には登場しない神様。

 

でもその言わんとしていることは天照大御神の言霊として、

いいなづけの書にはっきり書かれているわよ。

 

昔の人は雷様がなるとくわばら、くわばら、と言って怖れたの。

これは桑原で、三叉の木の原っぱを意味していて、カバラ、カバラ、

という雷除けのおまじないだという説もあるの。

 

私はこの雷様のお諭しを受けて今は色々とご指導を受けるまでにしていただいたわ。

そうなるとこの神様は虹の契約の神様に変化して守護してくださるのよ。

その虹の契約のこともいいなづけの書にしっかりと書かれているわよ。

古事記じゃないわよ。古事記よりはるかに古い神様と人とのいいなづけの契約の書。

 

この虹の神様が分かると虹色と空と光の森羅万象が色即是空、空即是色だったのね、

それでは梵我一如だわ。となってしまうの。

氏子として雷様にお参りするときはいつもその事に感謝申し上げているの。

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この記事の参考ページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1234775.html (神の国イスラエルの持つ意味)

御父と御子と聖霊の関係が、父アブラハムと子イサク、

聖霊ヤコブ・イスラエルの関係として示されていたのよ。

それらすべてを神道は太古から知り抜いていたのよ。

そして古事記にすべて取り込んでいたの。それを示したのがこのページ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)

このページで示した、均衡、慈悲、峻厳の三本柱がカバラの命の木なの。

アブラハム、イサク、ヤコブのイスラエルの三本柱なの。


 この柱を天照大御神の岩戸開きの時に、天の真榊に見立て、それを草薙剣とし、

そこに勾玉と八咫鏡を取り掛けてしまったのが、古事記を口述した

稗田阿礼さんだったのよ。

 

この天の真榊は根付きだったの。

天の安の河原から根こそぎにしてもたらされたの。

もう一度よく三柱の神の宇宙のページを見てもらえば、

そこに根っこが生えているでしょ。この根っこと幹は伸びる方向が

天と地ほども違う、神が園の中央に生えさせた二本の木だったの。

にほんのきで日本の木のお榊としても理解できてしまうところが神業なのよね。

数で示せば根っこが六六六。幹が七七七、八八八、九九九の七八九で、

六道から七夕の天の川で禊をし八正道にいたり、

梵我一如の空境涅槃に達するということが秘密裏に暗示されていたのよ。

 

キリスト・イエスの「父と私とはひとつである」という言葉が

すべてを物語っていたということのなのね。

岩戸開きが何を意味しているか言葉にするまでもないわよね。

 

この岩戸開きに際して、須佐之男命が悪神として描かれているのは、

稗田阿礼さんが倒語(さかしまごと)を用い須佐之男命と六六六の悪神とを

合体させてしまったからなの。そしてその後に続く物語で、

須佐之男命に八岐大蛇を退治させているのよ。

その時に奇稲田媛が救われるのだけれども、

これもメシアの復活を示しているという手の込みよう。

しかもその大蛇に八の字を負わせ、切り刻んだら神剣天の叢雲の剣が出て来たという、

何層にも折り重ねて語られるカバラ、神の叡智の賜物の倒語(さかしまごと)なのよね。

 

イスラエルは縁結びの神様の顕現であり、先見者の預言はその神様からの

メッセージだったの。仏陀も八咫烏も稗田阿礼さんもそのメッセンジャーなのよ。

このメッセンジャーに逆らうとどうなるかは、

聖書にイエスの言葉として書かれているの。

そんなこと知りたくない人は知らなくてもいいのだけれど、

知らないとどうなるかも書かれているの。


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 あのね、はっきり言っとくけどね、天照大御神はあなたのいいなづけの神様だからね。

あなたのこの世の終わりまでに、禊をして、この神様からのプロポーズを

お受けしてこの世を終えないとどんなことになっても知らないからね。

私は何もできないからね。あなたの自助努力しかあなたを救えないからね。

言っとくわよ。

 

ヨハネの黙示録 206

この第一の復活にあずかるものは、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストと共に、千年の間、支配する。 引用ここまで。

 

 天に昇った後のイエスを、天照大御神として、人類の許婚として、

お祀りしているのが神道だからね。禊をして、この神様からのプロポーズを

お受けした者が、第一の復活にあずかり、千年の宴でメシアと結ばれるの。

そこが天国だからね。禊をしなかったものは一度死んだ後に、第二の復活で

最後の審判の法廷に引っ立てられ、そこで第二の死を賜るの。

それが、人間が地獄に落ちるという事だからね。


 お釈迦さまは、仏陀の話をきく者は一本目の矢を受けても、

二本目の矢は受けないと言葉を残したけれども、

それが弥勒菩薩であるメシアとのことを言っていると弟子たちは悟れなかったの。

だから仏教は何も伝えてないでしょ。


 一本目の矢を受けても二本目の矢は受けないというのは、

仏陀の言葉を聞きメシアを悟り、その弥勒菩薩の求婚を受け入れ、

禊を澄ませるものは、神様と肉親よりも親しい間柄になり、

一度死んだ後、復活させられ永遠の命にあずかるから、二度目の死を受けることはない、
という意味だからね。それが神仏のメッセージ、お諭しなの。
人間の煩悩というものは神がお許しになれないほどの穢れなの。
わかる?言っておくわよ。


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あ~あ、ついに見てしまったという感じ。イスラエルというのが何か見えてしまったわ。

それはやはり天孫族。一昨日走水神社の三社様にお参りしたらついに見せられた。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1219398.html (走水神社にカバラでおかげ参り)

イスラエルとは何なのか見せられてしまった。かなりショック。

まだ学生服を着ていたころ、本屋で何気なく「ユダヤ人 神と歴史とはざまで」

という本を本当に何気なく手にして以来、今日までイスラエルとは何なのかを

探し続ける旅をさせられていたの。

私の身に起こったことはまた別の機会に書くことにして、

ここではイスラエルとは一体何だったのかについて一挙大公開するわ。

これはかなりの大ネタよ。もうこれ以上ないのではと思えるくらい。

 

前置きはこのくらいにして天孫族から始めるわ。

古事記には天孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のことが書かれていて、

この神様が天照大御神のお孫さんなの。だから天孫。

天照大御神の勅命により息子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が、

葦原中国(あしはらなかつくに)を治めるよう申し渡されたのだけれども、

孫が生まれたので、その孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が

天孫として葦原中国(あしはらなかつくに)に降臨したの。

 

この瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨した時、

そこに木花開耶姫(このはなさくやひめ)という美女がいてひとめぼれしたの。

そこでこの姫様の父神の大山祇神(おおやまずみのかみ)に嫁にくれるよう

申しこんだところ、大山祇神(おおやまずみのかみ)は大変喜んで、

木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉の岩長姫(いわながひめ)も共に娶るよう

差し出したの。ところがこの岩長姫は容姿が醜かったの。

だから瓊瓊杵尊はこの岩長姫を送り返してしまったの。

 

大山祇神(おおやまずみのかみ)は、私が二人を差し出したのは、

木花開耶姫を娶れば木の花が開くように栄え、岩長姫を娶れば

尊(みこと)の命は岩のように長くなるからだ。

今、岩長姫を送り返したので尊の命は、

木の花の散るようにはかないものになるだろう。と言ったの。

 

この一言超重要。ここ押さえなかったら稗田阿礼さんの言わんとしている事

まるで分らないわ。古事記読んでいても読んでいないのといっしょよ。

ほとんどの人が読んでいないの。

 

私この話読んだ時、これって、ヤコブとレアとラケルと二人の娘の父親の

ラバンの話じゃないと即座に気が付いたわ。

このヤコブという人がイスラエルその人なの。そして神様に祝福され、
神様に契約を結ばれたアブラハムの孫なの。アブラハムの孫のイスラエルなの。孫よ。
このアブラハムと神との契約について書かれているのが聖書よ。

 

このヤコブという人は諸々の事情で母の故郷の叔父のラバン家にやってきて

その娘のラケルに一目ぼれ。嫁に下さいと申し込んだの。

ラバンは、自分たちのところでは妹を先に嫁にやる習慣はない。

ラケルを娶りたければ、姉のレアも共に娶りなさいと言ったの。

レアは目がきれいだったけれど、ラケルは容姿端麗でヤコブは

ラケルを気に入っていたの。レアと初めに結婚する気はなかったの。

ところが父親のラバンの策略でレアと結婚させられてしまったの。

 

その後ラケルとも結ばれて、この二人のお嫁さんとそれぞれの仕え女の四人から、

十二人の男の子が次々に生まれ、それがイスラエルの十二支族になったの。

 

そっくりでしょ。一つ違うところは、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、

姉を追い返しているけれども、ヤコブは結婚させられたこと。

古事記は倒語(さかしまごと)で書かれていて、それはカバラなのよ。
だからこの二つの物語をカバラでどう読めるかというと、
まず木花開耶姫(このはなさくやひめ)に注目。

この姫様はどう見てもぱっと咲いてパッと散る桜の花の暗喩でしょ。

そこに気がつけば内裏の左近橘が目に映るの。

左近橘が目に映れば当然右近橘も目に映らざるを得ないでしょ。

この二本の木は京都御所の紫宸殿の前庭に生えていて、

雛人形の飾りにもなくてはならない需要な木だったわよね。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1086623.html (最後の審判の木)


 木花開耶姫(このはなさくやひめ)と姉の岩長姫(いわながひめ)

この二本の木の暗喩なの。岩長姫(いわながひめ)の岩のように長い命とは、

永遠の命を連想させるでしょ。

 

ちょっとまって待って、これ書いていたら、また見えた。
木花開耶姫(このはなさくやひめ)は左近桜で、
岩長姫(いわながひめ)は命の木の右近橘なので、

創世記の二本の木だとは気が付いていたわ。

 

今気が付いたのは橘とは弟橘姫のことなのよ。
この弟橘姫の入水はイエスの身代わりの死を暗示しているの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1198963.html 倭建命と弟橘姫の命の木への道行き)

という事は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が岩長姫を送り返したという事は、

命の木を追い返したことを示していて、イスラエルのユダヤに降臨した

イエスをイスラエルが十字架につけ追い返したことを暗示していたのよ。

なにかおまけまでついてきてしまった感じだわ。

 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はヤコブの暗喩であり、別名はイスラエル、

そのイスラエルが十二人の子を産みイスラエルの十二支族という神の国になったの。

その神の国の暗喩でもあったのよ。ここまで来たらもう古事記は聖書の解説書だわ。

聖書だけ読んでいてもこの暗喩は読み取れないもの。

深すぎるでしょ。これがカバラであり、古事記の倒語(さかしまごと)なの。

日本はこの天孫族の国なの。日本人はこの天孫族の神様の天照大御神について

何も知らないに等しいの。

 

この瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はヤコブ・イスラエルであることは、

前々から気が付いていたのだけれど、ではこの聖書のイスラエルとは

人類にとって一体何なのかという事が見えていなかったの。

今回それを見せられてしまったの。

 

いくわよ。

すでに書いたけれど、ヤコブはラケルと結婚したかったの。

それでもレアとも一緒に結婚することになったでしょ。

そして母の故郷で十二人の子を産んだの。この故郷で二十年の時を過ごし、

自分の生まれた土地に帰る日が来たの。

 

この二十年間には重要なカバラが仕掛けられていたの。

これが分からないと、古事記を読んでいても読んでいないのと同じく、

聖書を読んでいても読んでいないのと同じよ。

これブログの記事で書くことかしら。書いている本人が呆れているわよ。

 

この二十年間の最初の七年間はヤコブがいいなづけのラケルを娶るために

その家で働くための七年だったの。そしてめでたくラケルと結ばれると

思ったけれども、だまされて姉のレアと初めに結婚させられたの。

その後にラケルとも結ばれたのだけれども、そのためにさらに七年間

働かされる羽目になったの。そして七年たっても娘の父親ラバンは

ヤコブを父の家に帰そうとはしなかったのよ。それはヤコブが神に恵まれていたので、

子をもうけながらの十四年間の働きで

家が富んだからなの。

 

それから六年後なのよ、

ヤコブが父の家に帰る日が来たのは。

この場面にカバラの重要な示しがあるわ。気がついた? 七七六よ。

最後の六は天地創造の六日間を暗示しているの。そして七日目が満願なの。
イスラエルの安息日なの。

 

ヤコブは嫁取りのために二十年働いて二十一年目に満願の年が訪れ、

それは二十一年目なの、七七七なのよ。

 

この七七七は聖書のどこかに隠されているはずと思って、

ずうっと探していたのだけれど、ヤコブの嫁取りの物語の中に仕込まれていたの。

ヤコブ・イスラエルが嫁取りをして故郷に帰る満願の数が七七七だったのよ。

 

カバラにおいては数秘術であるゲマトリアにおいて、

八八八はメシアの数とされているの。その正しさは倭建命と弟橘姫命の物語で、

弟橘姫が八重の畳を三種用意してその上に座り入水したことで示されているの。

古事記はカバラで書かれているという事の動かぬ証拠よ。

古事記に出てくる八は全部それを暗示しているの。それらを読み込むことで

ヤコブの数は七だと気が付いていたけれども、

そのことの持つ意味が今一つはっきりわかっていなかった。

でもね、聖書の七七七を見つけてしまえば完全に王手でしょ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)

聖書のイスラエルの神の歴史は、この七七七により暗示される、

神の嫁取りの物語である事の動かぬ証拠なのよ。

三つ揃いの七七七はメシアの三日目の復活の暗示だったのよ。

だから賭け事におけるスリーセブン、ラッキーセブンは幸運の証なのよ。

はっきりしたわ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1150558.html (メシアは何で三日目によみがえったの?)

 

イスラエルという人、イスラエルという国は神と人との間を取り結ぶお仲人、

聖霊という神の顕現だったという事なのよ。

その国に人類のいいなづけが降臨していたという事だったの。

だからイスラエルとメシアを通してでなければひとっこ一人救われないの。

これが天照大御神の倒語(さかしまごと)だったの。

 私がお伊勢様におかげ参りしたのが六月二十一日、
それからちょうど一か月後の七月二十一日に知らされたの。
七月の二十一日よ。神様は私によくこういう手法を使うの。
もう慣れっこになったわ。ぞろ目の数字を目撃した時に何か感じることがあるでしょ。
そういう時は御遣いが何かを訴えているの。誰にでもあることでしょ。

 

いいなづけの書をよく読み、いいなづけの求婚、

まだの人は早くお受けしたほうがいいわよ。



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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

昨日ね、走水神社におかげ参りに行ってきたの。何のおかげ参りかというと、

ちょうど一か月前に伊勢の神宮におかげ参りしてきたのよ。

 

神宮のおかげ参り済ませたらある計画があったのだけれども、

帰ってきたらその計画を中止させられてこのブログを

立ち上げることになってしまったの。そして気が付いたら今日までに

120記事も書いてしまったの。これ書かされている? 

こんなの一月前までは全然計画していなかったし、

ブログ立ち上げることなんて全然視野に入っていなかったのだから。

そんなこと思っていたら、お伊勢様にお参りして最後に立ち寄った

倭姫様の旧跡地で起こったことを思い出したの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1067734.html (お稲荷様と伊雑宮)

そうしたらね、そういえば私の崇敬神社の走水神社の御祭神の

弟橘姫様と倭建命を守護していたのは倭姫様の御神璽だったことを思い出したの。

それが昨日のことで暦を見たら、お伊勢様からちょうど一か月がたったことに気が付き、

倭姫様と倭建命と弟橘姫様におかげ参りしなくてはと思い立ちお参りしてきたのよ。

倭建命の物語は最近記事にしたばかりよ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1198963.html (倭建命と弟橘姫 命の木への道行き)

お伊勢様お参りした時は観光旅行じゃないと決めていたので、

せっかく行ったけれども写真撮影一枚もしなかったの。

昨日の走水神社ではお許しいただいて、たくさん写真撮らせていただいたから

この記事で紹介するわね。

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鳥居の前で一礼し境内へ、そして手水舎でお清め。

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左の写真が橘の木とお榊。命の木の二本立てなの、すばらしい。右の写真はご神木で
やはり命の木よ。

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長い参道の階段を上って、御本殿でお参り。御祭神は言わずと知れた倭建命と弟橘姫様。

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御本殿の右にはお稲荷様が鎮座しているの。御祭神は豊受媛命(とようけひめのかみ)と
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。
この二神は実は同一神で天照大御神のお食事のうけもちの神さまで、実は天照大御神。

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さらにその奥には水神様が。ここでは龍神様ではなくてかっぱさんなの、かわいいでしょ。
龍神様も天照大御神よ。龍宮城の乙姫様は弟橘姫様だからみんなぜんぶ天照大御神なの。
もしかしたら龍宮城って東京湾の水中にあるのかしら。
ここから黒船がやってきたのよね。なんか怪しい。

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こちらは御本殿の左に鎮座する別宮で弟橘媛様に殉じた侍女をお祀りしているの。
観光で来ているとこの辺で引き揚げてしまう人がいるのだけれど、ここからが
この神社の本領なの。左手の坂を上り奥宮へ。

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坂道の途中には弟橘姫様がいまわのきわにお読みになったお歌の記念碑が。

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じゃじゃ~ん。坂を頂上まで上ると奥宮が。なんと三社様がそのお姿をお現しになるの。
御祭神は
神明社 (天照大御神 あまてらすおおみかみ)

須賀神社 (須佐之男命 すさのおのみこと)
諏訪神社 (建御名方神 たけみなかたのかみ)
この三社様はカバラの三柱の神よ。走水の海はにらんだ通りカバラの海だわ。
横須賀は、須賀のお宮のカバラの海の横にあるから横須賀なのよね。
いったい古代に何があったのかしら、謎は深まるばかり。
諏訪神社の神様って月読命だったの?全然知らなかった。
などと瞑想しながらお参りを終え坂道を下りながら帰路へ。

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お社の杜をぬけ倭建命と弟橘姫様の海を臨みながら階段を下るの。

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最後に参道の階段を抜け、参拝を終えお礼をしながら鳥居を抜けると、
産道を抜け生命の誕生となるの。おしまい。

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政治のことに興味ある?あまり政治ネタは書かないのだけれど、

今日はちょっと書いておくわ。

 

私ね、以前は政治のことなんかまったく知らないし、どうでもいいやと思っていた、

ただ仕事するだけの娯楽人間だったの。でもね、他の記事でも書いたけれど、

ある時、天照大御神に眼を開かれて日本大好きな愛国の人に

変わってしまったことがあったの。その時は何をしたかというと、

いきなり靖国神社に参拝したりしていたわ。それからなの、

政治に興味を持ちだしたのは。読書人間だったからめぼしいものを見つけては

すべて読んだわ。Web上の情報も同じ。

 

そうしたらいつしか政治の世界で何が起こっているか全部見えてしまったの。

今の社会情勢において何が起こっているのかよ。

今の日本の政治の体制は古事記と聖書の合わせ読みで理解できてしまうのよ。

また始まったとか思っているでしょ。でもね、書いてあるから仕方がないじゃない。

 

いくわよ。

ひとつ前の記事で稗田阿礼さんは須佐之男命と悪神を合体させてしまったと書いたの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1205714.html (須佐之男命と千座の置戸)

それはね岩戸開きのすぐ後に書かれている須佐之男命の八岐大蛇(やまたのおろち)退治に
対応しているの。須佐之男命と合体させていた悪神というのは八岐大蛇だったのよ。

 

この八岐大蛇の正体は書けないわ。以前他のブログで実名出して
八岐大蛇に筆誅加えたら、つぎの日にすぐ削除されてしまったことがあったの。
そのときはそのページだけだったからよかったけど、
ブログ丸ごと削除されてしまったら目も当てられないでしょ。

 

それでね、その時の事あとでよく考えたら、この八岐大蛇の事は

聖書に書かれていたと気が付いたの。ヨハネが黙示していたのよ。
海から上がってくる獣のことが書かれているのだけれど、この獣が大蛇なのよ。

 

この大蛇はね頭に傷を受けて死んだかと思ったけれど、

その傷も癒えてしまったと黙示されているの。

その後にもう一匹の大蛇が上がってくることも示されているの。

この死んだかと思った大蛇が、日本の終戦から二年後くらいに生き返ったのよ。

その後にもう一匹の大蛇も上がってきているの。

 

そして日本の政治で何が起こったかというと、この、あとから来た大蛇に

日本はこてんぱんにやられ、指導者が一人、絞首刑にされたの。

その翌日同じA級戦犯として収監されていた三人の人がなぜか、

理由もわからないままに釈放されているのよ。今まで、

なぜなのかだれも語る人がいないの。一人もいないの。

それを問題視して取り上げる人も一人もいないの。

 

その三人のうちの一人のお孫さんが日本の現政権のトップなの。

その派閥はね、これまで仲間内の他の派閥から逮捕者が出ても、

なぜか一人の逮捕者も出ていないの。

現政権のトップはね神道政治連盟に加入しながら、

ほにゃらら教会の合同結婚式に祝辞を送るような立派な人なの。

それは釈放されたおじいちゃんの三人仲間の時からのお付き合いなのよ。

そういう事が全部判ってきて、ああそういう事なのねと理解できたの。

 

二匹の大蛇はとても仲良しで、政治の世界に限らず、

現代文明の覇者としてふるまっているわ。あとから来た大蛇は、

それは立派な保安官なの。あちこちの村の政治に首を突っ込んで、

立派にまとめ上げているわ。でも正体は大蛇だから悪徳保安官なのよ。

その村から出ていかなくても良いようにその村周辺の悪党を飼いならし、

その村をかき回すようなことは平気なの。

 

その村の政治家たちは、この保安官の忠犬ポチ君たちなのよ。

そうでなければ村で大きな顔をさせてもらえないのよ。

言論の自由が保障されている世の中と皆が思っているけれども、

本当の事を書いたら削除されるの。そういう時代に私たちは生きているの。

 

でもこの国は大丈夫よ、裏天皇家の八咫烏の目は節穴ではないわ。

聖書にも古事記にも精通しているから全てお見通しのはずよ。

私のような部外者でも気が付くのだから知らないはずはないわ。

 

そのような穢れを祓うために古代から天照大神をお祀りし、

神事を行って来ているの。日本人が恵まれているのはすべてそのおかげだわ。

でも村長は大蛇と仲良し条約を結ばされているし、ピストル打てるように
村の決まりを変えようとしているし、予断は許さないわ。

 

そういうことも分かったし、村長さんたちが参拝するのが大好きな神社は、

天照大御神の神宮大麻のお札を頒布しない、なんちゃって神社だった、

という事も理解できたから、政治のことは大枠で見ているだけで、

細かいことはどうでもいいと思っているの。

 だって政治の世界で民衆が、良い政治を行うよう訴え、
世界平和を希求したとしても、死んだと思った大蛇を癒すような
大きな力が働くことを、神様がお許しになっているの。
これは神様が園の中央に二本の木を生えさせられたという事よ。
そのことにはあらがえないわ。

 そんなことより天照大御神を毎日大切にお祀りしましょ、と思っているの。

 

それにしてもすごいのはヨハネよね。あの時代に現代社会で起きること
見せられていたのだから。それはお釈迦さまも同じだったし。
日本にも見えていた聖徳太子という人がいたわ。

 

聖書と古事記と仏陀、恐るべしでしょ。今の人はそういう事を、

目を開いてよく見えるようにならなければいけないの。

神仏に眼を開かれるという事は、第三の眼であるアジュナチャクラで見る

ということなの。このチャクラは額にあり、獣の印をここに押されたら最後よ、

この世の終わりまで何も見えなくされるわよ。

 

その目に塗る目薬はキリスト・イエスからしか買えないわよ。

いつも言うように薬師如来様の施薬だからね。

天照大御神の言霊。

信仰がないと効かない薬よ。

偽者がまがい物を売りつけようとしている事、

しっかり見極めないとヨハネが黙示したように
二度目の死を受けるわよ。
 
ヨハネの黙示録 206

この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する



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