天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2019年07月

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神道の深層あばくわ。

六六六に対応している言霊が神道にかくされているのは以前から気が付いていたけれども、

あまりにえぐいから出すのは控えていたの。この辺で出してしまおうかしらと思うの。

 

六六六というのはヨハネが黙示した獣の印よね。獣のレッテルを張られる

ということでしょ。日本にもあるわよ、それに匹敵する言葉が。

 

使い方を誤ると人の怒りを招くという意味においては、

ヨハネの六六六より強力な言霊。

 

それは・・・「馬鹿」。

 

この言葉は神道による言霊よ。

禊祓詞(みそぎはらいのことば)という祝詞の最後に

「天の斑駒(ふちこま)の耳振り立てて聞食せ(きこしめせ)

怖み怖み(かしこみかしこみ)も白(まお)す」という言葉があるの。

この言葉の中に「聞食せ(きこしめせ)」というのがあるでしょ。

これは聞くことは食べることだと理解していると取れるでしょ。

メシアの言葉を聞くということは食物をいただくことなのよ。

注目は「天の斑駒(ふちこま)」よ。馬なの。

 

それとは別に卜部神道の祝詞で「左男鹿(さおしか)の八(やつ)の耳(おんみみ)を振立てて
聞食せ(きこしめせ)と申す」という言葉が最後に出て来るものがあるの。

こちらは「左男鹿(さおしか)」 鹿なの。私の解釈では神道における左は左近桜の左。

その意味するところは神の禁断の木。数は六六六なの。

 

馬と鹿の耳にメシアである天照大御神の御言葉を聞食し、

禊をさせ悟らせてやってください、としか私には聞こえないのよ。


 神の禁断の木と知らず取って食べていながら気が付かない人間の、
右の手と額に張られるレッテルが六六六。神道ではそれが馬と鹿なのよ。


 この六六六の印を受けた者は、

神の怒りの酒船でふまれると黙示されているの。

神の怒りと直結しているのよ。だからこの「馬鹿」という言葉は

使い方を誤ると人の怒りに直結するの。

色即是空の空境において直結しているの。

それが日本人の感性なの。

 

神の怒りを招く者は獣以下よ。

獣は神の怒りを招かないでしょ。

それがこの数と言葉の意味すること。

第三の眼の開眼は必須なの。

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今の日本人は決定的に思いやりにかけているのね。それがよく判ったわ。

そんなことに気が付くのに三十年もかかってしまったのよ。

なぜか天照大御神に首根っこ押さえられ生きてきて、

気が付くのに人生の半分費やしたわ。

 

 信仰心っていうとむずかしく感じるでしょ。平たく言えば神様を思いやる心なの。

日本人は親切で礼儀正しいと知られているけれども、

神様を思いやる心が決定的に欠如しているの。それが人間の煩悩の正体だわ。

それが日本人同士のよそよそしさなの。

 

思いやりにかけていても仕方がないわよね。相手のこと知らないでは

思いやることなんかできないから。でもね。日本人にとって神仏は大切でしょ。

おろそかにできないわよね。だから神棚や仏壇が家にあるのよね。

そのように形だけ整えて相手の気持ちはまるっきり考えてみようとしないのが

日本人の信仰心の正体なの。自分さえよければいいの。

 

でもね日本人の考える神仏は神様の歴史の中で、はっきりと言葉を残しているわ。

仏陀の言葉が後世にのこったのは梵天という神様のこころざしでしょ。

神様の書物が世界中でベストセラーなのはイエスをお遣わしになった御父の御旨でしょ。

古事記に神代のことが記されているのも同じ。

そのように諭されながら、この世のことは人間の悟りにゆだねられてきたの。

そして今の時代があるの。


 

梵天も天の御父も同じ神様よ。その神様が緑の地球をつくり、

そこに人間を住ませたと書いてあるの。古事記には天照大御神より尊い神様がいますと

はっきり書いてあるの。でもそれは神様が嘘をついて天照大御神を

引っ張り出した物語として理解されているわ。

それでは平気で嘘がつけるはずだわ。

 

神様のお立場と自分の立場を良くわきまえ、

それを知れば、神様が人間をどれほど思ってくださっているのか、

いやというほど知れるはずなの。

 

そしてその御旨に思いをはせ、それに沿って生きようと思えば、

神様が人間をこの世で生かしているのは、四苦八苦の煩悩を抱えたまま死ぬことの

ためではないと、はっきりわかるはずなの。

 

それが判らないのは神様に思われて生きていながら、その思いやりに

全く気が付かないお馬鹿さんの生き方。人間の抱える問題はすべてそこから

生まれるの。気がつけば問題は問題でなくなるわ。

気がつかなければ神様の御旨に反したところに置かれざるを得ないと、

神仏は言っているの。

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 何か書こうかしら。

テーマが決まっていない時って、思いつくままに書くとけっこう、おお、

ってなる記事がかけてしまったりするの。

 

うーん。モーセっという名前が浮かんできたわ。

このモーセという人はね今までこのブログで取り上げたことなかったけど、

旧約聖書の筆記者で創世記から始まるモーセ五書を書いた人とされているの。

 

イスラエルの信仰の父、アブラハムより新しい時代の人なのだけれど、

どうして天地創造を知り、アダムとイブと、神が園の中央に植えた二本の木を知り、

そこにとんでもなく深いカバラの叡智を埋め込むことができたのかしらね。

 

そう考えるとやはりその鍵は、イエスの言葉が握っているのよね。

イエスは「モーセは私のことを書いたのである」と言ったわ。

聖書でこの言葉を読んだことある人いるかしら。いたらこの言葉の意味を少し考えてみて欲しいの。私も折に触れその言葉を味わい、少しずつ理解を深めたのだけれど、

最終的に判ったことは、イエスは、モーセに悟りの智慧を授け、

聖書を書かせたのは私だと言っていたのよ。

 

モーセが記したイスラエルの神は受肉前の私だと言っていたのイエスは。

そのようにはっきり言い切ってしまったから、お前はユダヤの王なのかと

ねちねち尋問されたの。イエスがそのように語ったことは、

はっきりとその様に聖書に書かれているわ。

 

それはヤハウェ神がイエスの前世であったという事。

そのヤハウェ神はモーセに名を尋ねられ「わたしはある」と答えたの。

イエスはある時アブラハムのことでパリサイ人と論争していて、

最後に「アブラハムが生まれる前からわたしはある」と答え、

パリサイ人から石で殺されそうになったの。

それはモーセが書いていたアブラハムを祝福した神は、

私だと言ってしまったからなの。イエスの神様宣言だったのよ。

 

聖書を、読解力をもってして読めばそのようにしか読めないはずなの。

ところが世界宗教は、父なるヤハウェとイエスと聖霊は三位一体の神だ、

というわけのわからない神学で成り立っているの。不思議でしょ。

 

イエスが神様宣言したのにそれを悟れなかったパリサイ人と同じ人たちなの。

なぜイエスが「アブラハムが生まれる前からわたしはある」と言ったか

考えてみようともしない人たちの宗教なの。

 

私は考えたわ。そして分かった。神様が天地創造の以前の闇に覆われていた時に

「光あれ」と言葉を発してそのようになったと書いてあるの。

それが光の神であるイエスなの。受肉前の神ヤハウェなの。

父なる神が「光あれ」と語ったから「わたしはある」なの。

 

そのすべてのことを神ヤハウェとしてモーセに知らせ準備を整え、

光の神として、救世主として降臨したのがイエスなの。

堕落したユダヤ人たちはそれを信じなかった。

異邦人たちはイエスが何を言っていたのか、

さっぱりわからずに世界宗教にしてしまった。

 

しかしよく目を凝らしてみれば、先見者たちに悟りの智慧が

賜物として授けられ、その智慧が神道になり、人知れず

日本という天照大御神の国としてなっていたという事が見えるの。

 

昇天後のイエスを天照大御神として祀り、

イスラエルと神の契約を引き継いでいる国に生かされているという事が見えるの。

それが神の道であり、宗教、学問、文明などというものは、

神の道に人間がばら撒いた邪魔なだけの石ころだと理解できるの。

 

また一記事書けちゃったわ。やはりアドリブのほうが毒舌きいていて
私らしいいい記事書けるわ。タイトル何にしよ。

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本当の信仰を身につけるということはどういうことかわかる?

それは梵我一如だと理解すること。イエスが「父と私とはひとつである」

と言ったことを理解すること。

 

神さまに印をつけられるという事がどういうことかわかる?

それはキリストの花嫁と印をつけられるということ。

 

666の印を受けるという事がどういうことかわかる?

それはキリストのいいなづけでありながらサタンに騙されたままの、

サタンの妾という印を受けること。

 

悔い改めってどういうことかわかる?

それはサタンに騙され神に不品行を犯したことを悟り、悔い、あらため、

神様に許しをこうこと。

 

悔い改めるとどうなるの?

神さまを知ることになるの。神様が光の神様を生み、

その光の神様により助け手を送られたことの意味を知り、

それぞれの神様の御立場を知り、自分の立場をわきまえるようになるの。

そうすると、神様が、私たちと一如となるように、

私たちを創られたのだと理解するの。

 

なぜ人は悟るのが難しいの?

サタンの示した毒ぶどう(リンゴじゃないわよ)を取って食べおいしく感じ、

それに満足するから。サタンの妾で満足してしまうの。

サタンの後宮がどんなに穢い、穢れたとろか気が付いていないの。

生きたまま腐れ、ウジ虫にたかられると古事記に書いてあるの。

 

キリストの十字架ってどんな意味?

キリストのいいなづけたちの不品行・裏切りの罪をあがなうための死で、

慈悲の神として遣わされたキリストの御父の御慈悲の顕現だったの。

その御父の御慈悲によりこの宇宙は成り立っているとわかれば、梵我一如でしょ。

 

仏陀はどうしてキリスト・弥勒菩薩の降臨の数百年前にすべてを知ることができたの?

そんなことまで私にはわからないわ。

 

神様に逆らうと何故人は二度死ぬの?

一度目は、この世に来て不品行を犯したから。

二度目はその不品行を許すための神の御慈悲により悔い改めなかったから。

 

サタンは何を狙って人をだますの。

人が二度死ねば自分の後宮で囲うことができるから。

 

人間の煩悩っていったいなんなの?

神さまなしで生きているという正常性の偏見のこと。

それをもってあの世に行けば当然二度目の死を受けることになるの。

神さまはそれを生きたまま腐れ、

ウジ虫にたかられるほどの穢れとしてお嫌いになるから。

禊とはその穢れを祓うことなの。

それが仏陀の示した解脱。

キリストの御言葉による開眼。

 

イエスから助け手を送られると何が起きるの?

それは高級神霊からのコンタクトだから、自分にしかわからない神変と感じるはずよ。

イエスの復活の時は弟子たちが集団でその神変を受けたと書いてあるわ。

イエスに対する信仰なしに神変を感じる時はよくよく注意する必要があるわよ。

 

神ヤハウェの旧約聖書、イエスの新約聖書、天照大御神の古事記

全て神様の書物に太古から記されている事ばかりでしょ。


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 もう私も腹くくった。歯に衣着せずに書くことにした。

どう思われようと関係ない。

私は神さまとむすばれてしまったから関係ない。

その神様がはっきり言ってしまえと言っている。


 神さまと手を握っていないと二度死ぬわよ。

そう聖書に書いてあるからね。


 宗教になんかはまっていると二度死ぬわよ。

神さまが備えた道に余計な囲いもうけて、神様の邪魔をしていると二度死ぬわよ。


 この世での金儲けになんかに気を奪われていると二度死ぬわよ。

富豪になったってその富一円たりともあの世に持って行けないでしょ。


 今が良ければいいとか思って、この世で娯楽にふけっていると二度死ぬわよ。

神さまが二度の死から免れさせようと戒めを与えていることなど気が付けないからね。


 この世の煩悩に同調して煩悩の共有再生産に手を染めていると二度死ぬわよ。

お釈迦さまは人の煩悩をあおったら地獄に落ちると言ったからね。


 この世は全滅だわ。

あたしは知らない。


 まずいと感じる人はよくよく注意してね。


 明日からどんな記事書こうかしら。


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 もう完全に書かされているわ。自分の生業させてもらえないもの。

破産したら神様が面倒みてくださるはずよ。そうでなければ死ぬわわたし。

 

とりあえず二十七歳のころまでさかのぼって自分のこと書いておく。

私ね、実は先年還暦を迎え、お社で還暦祝いの御祈祷受けた。

そんな老人が何でこんなスタイルで文章書いているの?って、

それは内容が内容だから理解してねっていつも言っているでしょ。

昔は昭和生まれの現代っ子という世代だったの。

その昔の現代っ子の語り口なのかしら?まあいいわ。

 

あのね、私は連れ合いいないし一人。それで良かったのだけれど、

二十七の時に結婚しかかったの。でもね、ものの見事に破断したの。

なぜかというと、すべて滞りなくすすめて、いざ結婚式をどうしましょう

というところまで来たら、完全に意見が真二つ。

相手の女性は教会でやるって言い放ったの。

私は、はあっ?神前でしかできないでしょ。それで一巻の終わり。

どちらも折れないので一巻の終わり。

私には相手の女性はただファッション性しか見えてないのが丸わかりだった。

だって教会に行ったのなんか一度も見たことなかったのだから。

それで一気に気持ちがしゅう~ってさめたの。

 

それでは私が信仰の人だったかというとそれも大違い。

その当時の私は米軍基地の従業員で脳内アメリカ人。

今考えると完全に日本人毛唐だったの。でもね、神前でなければ

結婚なんかしてはダメでしょとそれだけはなぜかゆずれなかったのよ。

不思議なの。でもね、今はよくわかったの。

そのころから天照大御神に首根っこ押さえつけられていたのだなと。

 

そのことから三年ぐらいしたら人生の転機が訪れたの。

ある人との出会いにより私の人生がまるっきり方向転換させられたの。

細かい経緯は省いておおよそのことだけ書くわね。

 

1988年8月8日8時8分8秒の八ヶ岳で原子力発電による

環境破壊と決別しようというスローガンのお祭りがあり、それに参加したの。

それは八の八並びで通称ハチハチと呼ばれ、その後の社会が

環境問題に着目せざるを得なくなる時代状況のさきがけでもあったの。


 八ヶ岳で1988年8月8日8時8分8秒を迎えた時に、

何かよくわからないけれどもこれはもう後もどりのきかない、

未知の世界に踏み込んでしまったと感じていたの。


 しかも他の人には八×八であっても私にはそうではなく八×九だったの。

それは私の誕生日が七月三十一日で、私がその八ヶ岳にキャンプインしたのが

その日だったのよ。だから8月8日は自分の誕生日からの八日間だったの。

だから八×九なの。しかも後から気が付いたのだけれども、

生まれて八日目というのはイスラエルにおける割礼の日にあたるのよ。

え?なにそれ。そんなの日本人の私にはまるで関係ないわよねと、

思っていたのだけれども、関係あったみたいなの。

イスラエルの割礼って重要な意味を人類に投げかけているじゃない

と気が付いた今では。
そのことは他の記事で示してあるから読んでね。

 

そんな経験が契機になり、六年半ほど勤めていた仕事もできなくなり

やめてしまった。そこから完全な迷走(瞑想?)人生。

米軍基地の勤務をやめ日本人毛唐をやめたつもりでいたのだけれど、

今考えると日本人ヒッピーでしかなかったわ。でもねその次にまた転機が訪れたの。

 

それはヒッピーでありながらも、求道者として聖書を読み続けていたから

訪れた転機であったと今は思うの。あの神前結婚に訳も分からずこだわったことで

天照大御神は自分にとっていったいなんなの?と感じながらも、

聖書のイエスの御言葉が心をとらえて離さないという状況が何年も続く中で、

ある時天照大御神とキリスト・イエスは同一神である、という情報が飛び込んできたの。

 

ちょっと待ちなさいよ、そんなおかしなことがあるわけないでしょう、

と受け止めていたわ。ところがある時、あれ?ちょっと待って、それで正解じゃないの。

全然矛盾してないじゃないと、頭より心が先に認めてしまったのよ。

そうしたら二十年来苦しめられていた胃潰瘍が完治して、ヒッピー卒業、

日本人愛国者へと転身してしまったの。

それで、「やった~」とか思いながら世間や、世界のこと色々見ていたの。

 

そしたらまた何年か後に落とし穴に嵌められたのよ。サタンの常とう手段。

ハニートラップ。独身男性だし女性に対する煩悩ってあるでしょ。

そこをそれは巧妙についてくるわよサタン君。

気が付いたら二人の女性の猛攻撃で進退窮まり降参。

どうしたかというと様子見をしていたキリスト教会に駆け込み避難。

それで難を逃れ、やれやれと胸を撫でおろしていたの。

 

さすがイエスの教会もう大丈夫、このまま行けると大安心。

そしてその教会で二年半ほど過ごした時期に、

その教会の通過儀礼を受けることになったの。

その日取りをいつにしましょうかという話で、

私の誕生日が近かったので七月三十一日でお願いしたの。

ところがその介添えの人の事情でその日は流れて次はいつ?となった時に、

またまた八月八日に決まってしまったの。

 

きた八八、しかもまたぞろ誕生日から八日間流れの八八八で、割礼の日。

これはきっとイエスの祝福に違いない、必ずそうに違いないと、

この状況なら誰でも思うでしょ。ところがそうでなかったの。全然違ったの。

その時は儀式を受け祝福を受けたつもりだったのだけれども、その後、

正体不明、原因不明のうつ、もう完全に破滅させれられるというほどの消沈。

それを教会の日曜学校の教会員たちの前で言わされるというほどの、

最悪の精神状態が待っていたの。それでもまた不思議な機縁にめぐまれ、

ある時この教会は真理ではありえないとふっと感じ、

その時を境に脱会してしまったの。

 

それからよ、すごかったのは。脱会を決意したその日のうちに、うつが完全に晴れ、

とても神気に満ちた気分がいきなりやって来たので、ちょっと待って、

これってもしかしたら解脱?などという考えが浮かび、それから瞑想三昧。

 

そしてこのブログに書いているようなことをすべて知らされたの。

私の二度にわたる八月八日の不思議な体験が機縁になり、八八八という数は

メシアの数で、それはヤハウェ、イエス、天照大御神の数に相違ない。

その理解は聖書中のイエスの御言葉に忠実に従う事で、初めて知らされ、

それは六六六の数を象徴するサタンを見極め、

完全に退ける戦いでもあったと知らされたの。

 

それにより、八八八が命の木の数で、六六六が、神が取って食べるなと禁じた、

善悪を知る木の数だとはっきり理解したの。

それはカバラということに対する理解であったの。

神様がくだされようとしている賜物に対する理解だったの。

 

なぜこの記事を書くつもりになったかというと、

私のブログを読みに来てくれている人に、

はっきり知ってもらいたいことがあるからなの。

 

神様が園の中央に植えた二本の木を悟り、八八八の命の木の主、

イエスと完全につながったとしっかり意識できていないうちは、

その人の額にはまだ六六六の印が押されたままだという事を、

はっきり知ってもらいたいからなの。

 

人は神様が植えたこの二本の木を避けては通れないの。

この世に来た以上はみなサタンにそそのかされ、この六六六の木から取って食べ、

その印を押されたままなの。その六六六の毒は、

八八八の神様に対する信仰によってしか解毒されないのよ。

 

そのことを通してでなければ人は救われようがないという事なの。

聖書にそのことがはっきり書かれているにもかかわらず、

人はみな、自分は善人でそのようないまわしいこととは無縁だと、

誰しもが思っているはず。

 

しかしみな六六六の毒を盛られ、それに気が付かずに正常性の偏見にとらわれ、

死にかけているのよ。私は不思議な機縁でそのことを知らされた。

なぜが天照大御神に首根っこを押さえつけられそのことを知らされたの。

 

それはそのような経験がなければ絶対に知り得ないでしょう、

そのような経験がない人にそのことを話ししても、

変人奇人扱いされて終わるだけでしょう、勘弁してくださいと思いながらも、

神様に首根っこを押さえつけられ、何のために特異な経験をさせ、空境涅槃の

梵我一如の境地に入らせたと思っているのか、いいから書きなさい、

と言われながら書かされているの。変でしょ。でも仕方がないの。

 

だから結びを書くわね。

八八八の神様と肉親以上の親しい関係に入っていない人の額には、

例外なく六六六の印が押されているわ。

八八八の神様は常に救いの手を差し伸べていらっしゃるわ。

それに対して人は傍観を決め込んでいて、

行動してその手にすがることをしないだけなの。

神様に対して傍観を決め込んでいると、その救いが絶対に必要になった時に、

神様から傍観されるわよ。

他人事と思い、傍観を決め込むのはよして、

今すぐ神様がしなさいということをし始めないと間に合わないわよ。


 文明開化によりもたらされた昨今の世界普遍価値、

グローバリズムなんてものの正体は六六六の刻印の

総仕上げにしかすぎないからね。

そのようなことに救いをもたらすかに見える宗教もサタンのわな。

はまると二度死ぬわよ。

日本人は、失われかけているこの国の伝統を大切にし、

日本人が培ってきた来た古代からの日本の固有価値でしか救われないわよ。

 旧約聖書のヤハウェ神、新約聖書のキリスト・イエス、
古事記の天照大御神は三柱の同一神。
この国の守り神だわ。


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DSC_0271

 この写真は神奈川県横須賀市の走水神社から走水の海をうつしているの。

この海は古事記で語られた海なのよ。

そこで八百八十八という数を弟橘姫が示しているの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1198963.html (倭建命と弟橘姫 命の木への道行き)

そしてここに黒船が入ってきて文明開化につながったのよ。

私ねこの文明開化ということが日本人にとって六百六十六という意味を持つとしか
思えなくなったの。

 

 横須賀生まれで子供のころこの海でよく海水浴したの。

成人したら横須賀の米海軍基地に六年半ほど勤務して、先行きが見えてきて、

よしと思っていたら急に回心させられて退職してしまったの。

その後いろいろ知らされて、今では六百六十六の基地だから

やめさせられたのだわと思っているの。

 

私の住んでいたのは佐野町というところで、

そこから平坂という坂を下って六百六十六の基地まで通っていたのよ。

佐野町(さのまち)の佐野は、さぬ、と読めば神武天皇の別名なのよ。

そこからこの世との境にある黄泉平坂を下って黄泉の国に通っていた?

などという妄想もわいてくるの。

 

横須賀という町は文明開化が進むに従い軍港の街となり、

戦後は米海軍の街なのよ。横須賀市の観光の売りは、海軍カレー、

ネイビーバーガー、黒船祭りなの。

 

ひとつ前の記事に書いたけれど、旧約聖書、新約聖書、古事記は

ひとつらなりの神の書物で、ヤハウェの書、イエスの書、天照大御神の書として

読むべきものだというのが見えて来たの。すべて同一神なの。

 

そこでよく考えてみると、私はその神の書物に記述されている

極めて重要な土地に生まれていたの?

倭建命のことを神代に語った稗田阿礼という人はいったい何が見えていたの?

と思ってしまうのよ。

 

神が園の中央に植えた命の木の数字が八百八十八で、

神が禁じた善悪を知る木の数字が六百六十六だなんて知り抜いていたはずなの。

その二つが走水の海で千数百年の時をまたぎクロスしているの。

 

そのような時が来るのを知っていて、都が西から東に移されるのまで見据えた

預言だった?中東から極東に神都がうつされたことなど当然知っていて、

それが日本の国の中でもう一度繰り返されるのを知っていたの?

などといろいろなことを瞑想してしまうの。妄想かしら?

 

でもねこの国を立ち上げその経緯を全部知り抜いていながら、

その歴史をすべて隠しおおせているのよ八咫烏は。

そう考えれば神様からすべてを知らされていたと考えてもおかしくないのよね。

この走水の海で起こったことなど全てお見通しのはずなの。

 

それらのことから私が言えるのは、東の京都のおひざ元の走水の海には、

八百八十八の命の木と六百六十六の善悪を知る木が生えているという事なの。

この二本の木は神様が人間に善悪を知らしめるために生えさせられた二本の木で、

その両方を味わわないと善悪を知れないのよ。

 

私の地元の横須賀市民はそうとは気が付かずに、

六百六十六の木とお友達なの。

ネイビーフレンドシップデーなんてあるとみんな喜んでいくの。
そこに八百八十八の命の木が生えていることなどこれっぽちも知らないのよ。

そしてこの横須賀市民の状況とは全世界の人類の状況そのものなの。

 

もしこの記事を横須賀市の観光課に投稿したら、

どのようなリアクションが返ってくるかしら。

投稿しないけど。


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このブログなのだけれど、もう書いている本人が怖いレベルにはいってきた。

ひとつ前の記事で二匹の魚と五つのパンの解き明かしと、

最後に二千三十三年と神宮の式年遷宮のことを書いたの。

この二千三十三年のことは、かなり前から気になっていたのだけれど、

怖いから絶対に書けないと思っていたら、書いてしまった。

それが昨日のことなの。そして今日目が覚めたらまた知らされた。

神宮の二十年に一度の式年遷宮ってヤコブの事績をそのまま踏襲しているじゃないって。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1234775.html (神の国イスラエルと天孫族)

二十年に一度って、一日の十年換算で考えれば、二日たったら三日目には遷宮で、
メシアの三日目の復活に対応しているとずっと思っていたの。
それだけではなかった。七七七の満願だったのよ。イスラエルの満願だったのよ。
二十年たったら二十一年目には式年遷宮に入っていたのよ。
イスラエルを見据えた八咫烏の神事だったのよ。

 

このサイクルを世紀換算すると二十世紀を経た二十一世紀と対応しているでしょ。
二十一世紀に入ったらいきなり八咫鴉が、神宮の心御柱は
イエスの十字架だって明かしてしまったの。これたまたまの偶然の一致?

 

ぞろ目の三つ揃いはメシアの三日目の復活。

聖書における三は神との契約の三なのよ。三日目にいいなづけの誓約、
それから三日たった五日目に婚約の誓約、それからまた三日たった七日目に成婚の誓約。

これが神の天地創造の七日間で、千年換算で進行中なの。七五三なの。カバラなの。

 

メシアの三日目の復活は前世、現世、来生の意味も合わせ持つのよ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1150558.html (メシアは何で三日目によみがえったの?)

そのメシアの前世がヤハウェ神で、現世がキリスト・イエス、

復活後の来世が天照大御神なの。それぞれ旧約聖書、新約聖書、

古事記に対応していて一つらなりのカバラ・賜物を形成していたの。

それが神と人間の前世と現世と来世における関係性を示してきたのよ。

順に創造、救済、復活を示していて、さらにいいなづけ、

婚約、成婚に対応しながら示されているのよ。

 

それを人間に悟らせんがための、園の中央の二本の木だったのよ。

その二本の木を味わうことにより、善悪を知った者が、

天の父の家から納采の儀を受け輿入れするの。

 

ここまで明らかになれば、人の選択肢なんか迷わずに一つしかないわよね。

もう私完全に書かされているわ。

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

イエスはある時群衆に食べ物を与えるように弟子たちに言ったわよね。

その時は二匹の魚と五つのパンを群集に配ったら男五千人が満腹して、

残ったパンくずを拾い集めたら十二のかごいっぱいになったと書かれているでしょ。

 

後にその出来事を弟子たちに示してまだ悟らないのかと御叱りになったでしょ。

このカバラ世界中でいまだに謎で誰も意味不明でしょ。

八咫烏は古代からその意味知っていたわよ。稗田阿礼さんが

それを倒語(さかしまごと)で古事記に記しているもの。

これもまるっきり子供の謎々だわ。

 

いくわよ。

古事記の神代七代はよく読めば、一人神二柱と、夫婦神が一組で五組、

二柱と五組で神代七代なのね。最後の夫婦神が伊弉諾尊と伊弉冉尊。

この二柱と五組が二つのパンと五匹の魚なの。足して七になるでしょ。

この七は天地創造の七日間。七が出てきたら天地創造の七なの。

そして聖書には一日の千年換算という約束事があるの。

それがカバラの暦と理解されているの。

 

ペトロの手紙の第2の手紙 38

 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。

 

天地創造の七日間は七千年の暗喩なの。二匹の魚と五つのパン、

二柱の神と五組の神は、二千年と五千年の暗喩なの。

これを聖書の暦に当てはめると、最初の二千年で、神様は人間を

洪水で滅ぼしてしまっているの。その後生き残ったノアの時に虹を証しとして、

セムの天幕の契約を立て、同じ三千年目にアブラハム、イサク、ヤコブとの

イスラエルと契約を立てているの。

 

この契約の三千年から七千年目までの五千年間がイスラエルの契約の時代なの。

それを合わせて二匹の魚と五つのパンの時代なの。

 

そこに含まれるさらに深い解き明かしを稗田阿礼さんがしているの、

二匹の魚と五つのパンとは、二柱の神と五組の夫婦神のことで、合わせて十二柱でしょ。

しかも二柱と十柱で、イスラエルの二支族と、失われた十支族に対応しているでしょ。

 

イエスはそのイスラエルの十二支族を養うメシアだから、

残ったパンくずは十二のかごいっぱいになったの。

同時に七千年を通して全人類を養うメシアだという稗田阿礼さんのお示しなの。

五千人が満腹したというのは、イエスの時が五千年目にあたるという暗喩なの。
七千年目はイスラエルにとっては七日目の安息日にとして聖別された日にあたり、
ヨハネはそれを千年の統治と示しているの。

それらすべてを悟った上で七五三をお祀りしているのよ神道は。

 

ヨハネの黙示録 206

第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

そしてイエスが生まれた時からはもうすでに二千年が過ぎているの。

二十一世紀に入ると同時に八咫烏が、神宮の心御柱はイエスの聖十字架だと

明かしてしまったの。マヤ歴がどうのと話題になった二千十二年は

聖書に記述された、イエスの十二歳の時の神殿での出来事から二千年目だったの。

 

イエスが、御国が近づいたと言った時代からもうすぐ二千年が過ぎようとしているの。

イエスの時というのは十字架の死と復活の時でしょ。

三十三歳だったという説があるでしょ。

 

二千三十三年は神宮の次の式年遷宮にあたっているし、

日本人はどのようにしてその時を超えていくのかしら。

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読書苦手の人用に聖書を音声で聞けるページ紹介しておくわ。
私もこのサイト知ってからは旧約も新約もほとんど音声で聞いているわ。


https://archive.org/details/john_22/Nt-04.mp3
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