天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

2019年07月

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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

やっとここまで書いてきて筆が止まったわ。

私の知り得たこと全部洗いざらい、そのエッセンスはこのブログに

一か月たらずで書いてしまった。もう逆さまにしても何も出てこない。

この後はもう何を書いても枝葉の事で、のれんに腕押しのような気がする。

 

日本人が天照大御神を悟り、その大御神をお遣わしになられた神様の坐すことを悟り、

その覚醒が大きなうねりになり得れば世界は変わるわよ。

そうなるのかどうかはわからないけれど。

 

何かとてつもなく希有壮大なテーマをはらんでしまったようなの。

そのことが、このブログを読みに来た一人一人の日本人が

何を感じるかということに直結しているように思うわ。

世界のことは天照大御神に守護されている日本人すべてにかかっているの。

 

わたしが書いてきたことは私の哲学なのではなく、神様がその書物を通して

人に悟らせんとしていたことだったということは読み取ってもらえるはず。

それが読み取れれば、この日本という国のもつ空前絶後の筆舌に尽くしがたい

ありさまに気が付いてしまうはずなの。

 

この天照大御神に守護された日本という国には
この先どんなことが待ち受けているのかしら。



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人間は何のために生きるのかという哲学的な問いってあるでしょ。

いろんな哲学者がそれぞれもっともらしいことを言って残し、

それが学問になっているでしょ。私は全部却下。

三柱の神様とその御旨という事を知ってからは、はい、

人間は神様とこの世において盃を交わすために生まれて来ています。

この世とは神様との盃事の世です、と決着がついてしまったの。

 

神様と水臭い水杯を交わし今生の別れとなるか、

御神酒の結び固めの杯をいただくか二つに一つ。神様は人の幸せのために、

御神酒の結び固めをしてこの世を終え、幽世の父の家に嫁として入りなさいと

諭してこられたのに、人間は、何のために生きるのかという学問を

太古からいまだに続けているの。星の王子様になった気分でしょ。

 

はっきり言ってしまえば、そんなこととも知らずに、この世に名声を残した人たちって、

私に言わせれば裸の恥をさらしてしまったのね、御気の毒にとなってしまうの。

そう思わない?あのアダムとイブはサタンにそそのかされ神の戒めに背いたときに、

その罪の果実の苦さを知り、即座にはだかの恥を悟り信仰の象徴の、

いちじくで体をおおったと示されているのよ。

それをイブの原罪などという神学にしてしまった人たちも同じ。

はだかの恥をさらしているわ。今日おかげ参り毒舌マックス、全開モードだわ。
私ってそういうところあるから理解してね。
その人たちが誤った聖書解釈を世に広めた元凶の人たち。

 

信仰の象徴のいちじくで裸の恥をおおって、神様に懺悔したから、

皮の衣を賜り着せていただき結ばれたと書いてあるの。これキリストによる救いの預言よ。

アダムとイブは神の似姿に造られたの。それは御父と御子に似せて造られたという事。

イブはアダムの助け手として作られているでしょ。

御子は御父の助け手として「光あれ」という言葉により生まれたでしょ。

そしてその後に神に似せ男女が造られ、そこに光の神とその助け手、

神のしもべとしての人間が創られ、そこに救いの御業が暗示されているというカバラを、

異邦人はこの世の終わりまで悟らず、はだかの恥をさらすんでないのとか思ってしまうのよ。

 

キリスト教神学なんていうのは哲学に決着をつけることのできない、

裸の恥のさらし合いとあたしの目に映ってしまうからそのようにはっきり書いておくわ。

あ~あ、書き出しはこんなこと書くつもりでなかったのに、書いてしまった。

 

あのね、男女の美徳とは一体何なのという高尚なテーマについて語りたかったのに、

のっけから育ちの悪さを露呈してしまった。仕方がないわね。

自分を取り繕ってよく見せようなどと思わないからそのままにしておくわ。

 

何が言いたかったかというと、この世が神様との盃事の世であれば、

その似姿につくられている男女の間の盃事などは、

神様の御旨を悟ればどうあるべきか一目瞭然、そこに哲学の入り込む隙間は一ミリもなし。

ということなの。

 

御父と御子を悟ればそこに、男の美徳とするべきことと、女の美徳とするべき事、

そして男と女が結ばれようとするのであれば、

双方が何を美徳として結ばれるべきかということまで、旧約聖書の冒頭の、

神による最初の男女の創造にすべて記されていたのよということなの。

私が聖書を読むともはやそのようにしか読めないもん。

 

一体何ということかしら。何でそんなことがこれまで明かされずに、

縁談の日取りが極まろうとしているの?

縁談の日取りは神道で三五七と示されているからね。

日取りがあるということは日、一日とそれが迫っているということよ。

神様は盃事の縁談においてその日取りをあいまいにしたまま進めるような、

唐変木であるわけがないでしょ。

 

そんなことにも気が付かずにこの世を終えた私たちのご先祖様が、

かなりの唐変木だったということ。ここまで書いていいかしら。

だれも来なくなる?だけどね、そのご先祖様たちがいたから今私がいて、

この世で四苦八苦の七転八倒、阿鼻叫喚を繰り返しながらも、

やっとのことで神様のお諭しに気が付いたの。

 

これって日本語で千載一遇というらしいわよ。

そこには一日の千年換算というイスラエルのカバラ、

頭頂のサハスラーラチャクラの覚醒には千の花びらが開くということと関連し、

九九九の御父の数プラス一という千と一の関係、三千年に一度開く優曇華の花など、

私にとって神仏のお諭しは、現世と幽世を表裏一体として悟る、八咫鏡の瞑想により

もたらされたものなの。瞑想ってね謎々の解き明かしみたいなものよ。

哲学的なアプローチでは何も見えないわよ。

その経験がないと雲をつかむような話にしか聞こえないわよね。

でも敢えて書いておくわ。

 

そのことを一言で言えば、結果として、なぜかわからないけれど

カバラのマスターキーを渡されてしまい、そのキーを使うとどこのカバラの扉でも

空いてしまい賜物がそこいらじゅうに、ごろごろ転がっているということなの。

この世的な金品の話じゃないわよ。

 

これを独り占めにする気などさらさらないから早くみんなも、

このマスターキー神様から受け取ってというのがこのブログの主旨なの。

ご先祖様は気の毒だけれども、はだかの恥をさらしてこの世を去る人というのは、

ご先祖様だけではないでしょ、あなたの肉親にもそのようなことになる人はいるはずよ。

私の肉親がそうだもの。そうなってしまったらすべてはもう覆水盆に返らずと

諦めるしかないの。神様がそう決めているの。あなたは諦めるの?

私は御免だわと思っていたから賜わったの。

 

イエスは「叩きなさい、そうすれば開けてもらえる」と言ったでしょ。

イエスの言った「狭き門より入れ」という言葉あるでしょ。どのくらい狭き門と思う?

私はここでも千載一遇という言葉が連想され、

千人に一人の狭き門なのかしらと思ってしまうの。

でも入学試験はカバラの謎々だからね。

誰でもその気になれば入れるのに入らない人が多いというだけなの。

みんな見えていないだけなのよ。



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もうこの辺から読みに来る人を、深い瞑想の世界に引きずり込まなければいけない

段階に入っているのかしら。宗教じゃないから安心してね。

六六六の無明の世界から八八八の光明の世界に引きずり込むということだからね。

 

この世界のことは言葉で説明しようとしても無理があるの。

だからカバラにおいては数が多用されるの。八咫鏡の八。この八が光明の八なのよ。

メシアの数なの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)

やはりどうしてもこのページは私のブログの根幹なの。

稗田阿礼さんはこの根付きの真榊に八咫鏡をかけてしまったの。

この真榊は幹と根っこで生える方向が天と地ほども違う二本の木で、

それは神様が園の中央に生えさせられた二本の木だと示していたの。

それは命の木と、善悪を知る木としてよく知られているのよ。

 

この善悪を知る木は死の木なのよ。この死の木と命の木を両方味わうことにより

人は善悪を知ることになるということなの。神道は太古からそのことは織り込み済みなの。

その悟りの智慧により神道を立ち上げさらに日本を立ち上げたの。

その悟りの智慧に関しては仏陀が言葉を残しているけれども、

仏教もそれを継承していないでしょ。仏陀は道の人と呼ばれていたの。

悟りの智慧は道において悟られるべきことで、人の教え、宗教では悟り得ないという事なの。

 

人はこの世に来てその悟りの智慧を道において悟るまでは

六六六の彼岸に置かれているという事なの。宗教というのはすべて、

この六六六の世界で勘違いした偽預言者が立ち上げたものと理解してまちがいないの。

八八八の八正道により開眼し悟りを広めようと思う人は、

教祖になど金輪際ならないわよ。

 

本当に開眼した人は八八八のメシアを指し示すことしかしないわ。

他に救われる方法など、この世にもあの世にも存在しないから。

この道に余計な囲いを設けることの愚かしさを十分知っているはずなの。

 

八八八と六六六は二本でワンセットなの。だからキリストを証しする聖書の中に、

偽預言者の説教がまじっているわよ。誰も気が付いていないけれど、

キリストが警告した偽預言者の説教が聖句として信じられているの。

そのことは別の機会に書くわ。

 

人はこの世に無垢で生まれてくるでしょ。赤ちゃんのえもいわれぬ可愛さは

それを示しているでしょ。私、人は無垢で永遠の命を受けこの世に来ているのではないの?

と思ったりすることもあるわよ。しかしそこにサタンがいるでしょ。

皆だまされるの。そして六六六の印を受けるの。

気がつかなければ一巻の終わりでさようなら。

 

ところがイブは気が付き神に懺悔したでしょ。アダムはイブの罪を背負ったでしょ。

このアダムとイブは最初の男女でありながら、イエスと人間の暗喩にもなっているの。

このアダムとイブがいちじくが示す信仰を身につけることにより、

神様から皮の衣を賜り、その後結ばれたということが命の木への道行きを示しているのよ。

 

それを知り抜いていた神道の八咫烏の一羽である稗田阿礼さんが、

その命の木に八咫鏡を懸けて示したの。

その鏡がイエスの示していた狭き門の入り口で、通りゃんせの天神様の細道の入り口で、

うしろの正面だあれ?と、三柱の神様のうしろの正面を示していたの。

 

そのことを知っただけで、めでたし、めでたしとはならないわよ。

その三柱の神様と自分との関係を、神さまの言葉をとおして良く咀嚼し、味わい、

飲み込めなければ自分の腹に納まらないでしょ。

だからイエスは「私の肉を食べ、私の血を飲め」と言ったの。

お釈迦さまはそのために「ただ座れ」といったの。

瞑想により自分の中に落とし込めという事。

 

だから「三柱の神の宇宙」が自分の中に、知識としてだけ蓄えられるのではなく、

自分の腑に落ち、血肉にならないと何も起こらないという事なの。

 

やっとここまでたどり着いた。何が言いたいかというと八咫鏡が

その瞑想の助けになるという事。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1305340.html (八咫鏡の真実)

このページで書いたけれど、鏡像とは前面の後面に透過する像なの。

これ前後を表裏とすれば、表裏一体を見せられているということでしょ。

ここに六六六の彼岸から、七七七、八八八、九九九、七八九の空境涅槃、

色即是空の梵我一如の此岸にわたるための秘訣が隠されているのよ。

 

神が園の中央に植えた二本の木とはこの世そのものの暗喩とも理解できるでしょ。

そこに八咫鏡がかけられているということは、この現世と幽世に

鏡がかけられていると理解できるでしょ。この現世と幽世は表裏一体なの。

だから心霊現象などはあってあたりまえだし、幽霊も出るのよ。悪霊の憑依もある、

悪霊が神様のふりをすることもある。だまされている偽預言者が宗教も起こすの。

神霊を思わせる不思議な偶然の一致により霊感を刺激されることもあるのよ。

それは一般に危ない世界と考えられているでしょ。

だから瞑想しながらそのような危ない世界にチャンネルが合うとほんとに危ないでしょ。

私も経験あるわよ。その当時は八咫鏡なんか知らなかったから、

本物の魔女に遭遇したからねあたしは。向こうも私に正体見抜かれて、

かなり面食らっていたわよ。

 

だからと言って怖がって瞑想しなければ現世と幽世の表裏など悟れないでしょ。

瞑想においてそのような六六六の世界でしかない危ない世界を避けながら、

命の木への道をたどる最善の方法がイエスの御言葉を杖にするという事なの。

そのほかのものは何物をも杖と頼ってはいけないの。そのイエスの御言葉が、

イスラエルの三種の神器であり、皇室の三種の神器になっているの。

その代表格が八咫鏡なの。この八咫鏡からこの道に入れば天照大御神の御守護により

安全に道を行けるわ。

 

 そこには瑜伽タントラなどの密教で言われている事などすべて含まれているわよ。

私の場合は、虹の七色をともなってこられたから、七つのチャクラなど覚醒させられて、

体調に不良がなくなり、頭頂のチャクラの千の花びらとはそういうことだったのかとか、

千座の置戸や、千引の岩戸とはそういうことだったのかという世界なの。

 

でもね、安全であっても怖いわよ。それはね今まで目を背けていた神様の

本当の怖さを知らされるから。そのようにして神様を侮っていたことが知れ、

本当の神様に対する畏怖を知るの。そうして禊と祓いが整えられるの。

 

奥深いわよこのブログ。



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神道の禊とは伊弉諾尊の禊よね。その伊弉諾尊が、おどのあわぎがはらで禊をして、

最後に天照大御神と月読命と須佐之男命が生りいでたのよね。

この伊弉諾尊と須佐之男命は同一神なの。神道の禊の隠し持つ意味は、

黄泉の国で腐乱死体として生きるほどの穢れを祓い清めるためには、

三柱の神様に生りいでていただかなければならないという事なの。

 

それが天の主宰神である伊弉諾尊の御旨であると示されているのよ。

その三柱の神様について今の世の中は何も知らないに等しいでしょ。

その三柱の神様について証したメシアの書物は世界中で一番読まれているというのに、

この世は読みそこなっているでしょ。

 

それは天の主宰神の御旨に沿い禊するものが非常に少ないということでしょ。

それは、皆知っていても信じていないということでしょ。

神様に対する信仰を欠いているから、黄泉の国で腐乱死体として生きるほどの穢れを

祓い清めそこなっているということでしょ。

 

イスラエルのカバラ、神様の賜物により、三柱の神様の存在を知り、

その神様を知り得たということだけで、自分は救われていると

勘違いしている人なんかもいるわよ。知ることと信じることとは別物だと

気が付かない人たちなの。

 

でもね、それが非常に難しいことであるのはまちがいないわ。

神様を信じ、神様とのご縁が結ばれるということは、

神様からコンタクトを受けるという事なの。

ご神霊からコンタクト受けるということなの。

それは誰もがこの世ならぬことと感じるでしょ。危ない世界と感じるでしょ。

 

でもね、それはイエスの「信じる者には助け手を送る」という御言葉の結実なの。

イエスは神よ。神の言葉であるがゆえにその結実はこの世のものとは思われない、

人がこの世に来て未だかつて知り得なかったほどの神変をともなうの。

しかもそれが聖霊であるがゆえに、非常に霊妙な静けさのなかでの出来事になるの。

 

そしてそのご神霊からのコンタクトにより、この世にありながら

もうこの世のものでなくされるの。福音書を書いたヨハネはそう証ししているわ。

本当に眼を開かされ、三貴子を知り、その三貴子と結ばれてしまったと悟るの。

それを今だに知らない肉親よりも、三貴子と親しい関係に置かれてしまったと悟るの。

 

それは知るだけではだめなのよ。信仰のない人はイエスといえども癒せなかったでしょ。

その意味においては信仰が試されているということもできるわね。

この世において取り違いをしているうちは、

神霊界から洗礼を受けるための禊がまだ十分でないという事なの。

 

そしてその信仰を増し加え、磨きをかけるには

イエスの御言葉によらないでは不可能なの。

他の何事にそれても一生を棒に振るだけ。

それが主宰神の御旨だから。

イエスは主宰神の言葉の代弁者、

主宰神の預言者であり神であったの。

三日目に蘇るなんてことは主宰神と救世神がタッグを組めば

朝飯前だったという事。


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とてもセンシティブな事に気が付いたわ。

私ねこのブログは、神霊界とか、前世とか、アセンションとか、スピリチャルとか、

ニューエイジとか、霊能者とか、オカルトとか、その類を排して、

純粋に聖書、古事記という神典に基づいた神様の世界のことを書いてきたつもりなの。

それはね、日本人の善男、善女はそのような世界とは無縁だから、

そのような人たちに神様の世界を知ってほしいという思いからなの。

 

でもね、よく考えてみるまでもなく、神様の世界はやはりこの世的ならぬ

ご神霊の世界なの。この世的な現世と幽世の交差というか、二重写しというか、

とにかく神変不可思議な世界であることは間違いないの。

 

聖書と古事記はそのような不可思議世界を記述した神様の書物なの。

そして重要なのは、この世にはそのご神霊の御旨、神様と人との契約を

全く無視した形のオカルトの世界もあたりまえのように実在しているということなの。

それが街場の占い師、霊能者、宗教教祖、ニューエイジのチャネラーやヒーラーの世界なの。

 

その類がネット上で当たり前のように情報配信している世の中でしょ。

そのような状況にあって、注意深い善男、善女がそのような情報に安易に近づくのは、

はっきり言って愚かなことなのよ。私もその世界の人だけれども、

ネット上のそのようなサイトには、だいたい見切りをつけているの。

たまに、ん?と思うとのぞくけれど、やっぱりここも六六六だ、終わっていると。

と引き返すの。

 

数で示せばそのほとんどが六六六よ。ここは八八八だと安心できるサイトなんか

一つもないからね。私のこのブログだけよ八八八で安心してよいのは。

 

なぜそこまで私が自信をもって言い切れるかというと、

一時期六六六の精神世界にどっぷりはまっていたことがあるから。

あの死刑になった教祖さんいたでしょ。あの人と同じレベルまで

一時期はまっていたわよ私は。あの教祖さんと私の違いは、

私はそれを自分の内側で見つめるだけで決して行動に移そうとしなかったこと。

ただ見せられながら、行動に移したら破滅すると示されながら見せられていた

ともいえるような状況だったわ。

 

ただあの教祖さんの行動はまるっきり支離滅裂で、一度も聖書なんか

読んだことないのではないの?と思わせられるのだけれどね。

そういう意味では世間の善男、善女から見れば危ない人よ私は。

それは十分自覚しているの。でもねそこまで深く六六六の世界に引きずり込まれ、

そこでまずいと思ったから、聖書のキリスト・イエスの御言葉を

深く味わうことにより生還できたという経験が今につながっているの。

 

私はこのブログでぶっ飛んだこと書いているわよ。
でもね、それは全てイエスの御言葉に基づくの。

そうでないことは一言も書いていないつもり。

 

それはね善男、善女としてこの世を終えてしまっては、解脱、悔い改め、
禊による、御神霊からのコンタクトを受ける機会を逸してしまい、

それはそれで六六六の世界にはまるという神変不可思議な世界に

私たちは生きているということを判ってもらいたいからなの。

 

だからこのブログを読む人は、なんだこのおかげ参りという危ないやつは、

と思いながらも、そこに私が書いている事を、神様の書物である、

聖書と古事記に照らして判断してもらえればいいの。

神様の書物を知らずに、いい加減なことを吹聴している、街場の霊能者や、

サイキッカー、占い師といっしょにしないでね。

 

私が言いたいのは天にあげられ、天照大御神として祀られている、

イエスの御言葉は真理であり、死んだ人間をも生き返らすと言うことだけなの。
そう聖書に書いてあるから。



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日本の古史古伝に偽書などただの一つもないわよ。

それをもっともらしく、しかも何の根拠もなく自分の判断を真と考え、

その正常性の偏見において、いにしえ人の伝える深い悟りの智慧を、

自分の悪い頭で悟れないと、偽書と決めるの。

 

そのことに、おかげ参りは憤りを感じるわ。

ほんとうは憐れむべきかもしれないけれども。

そのような「馬鹿」(敢えてこの言葉つかわせてもらうわ)が最高学府で

教鞭取っているということでしょ。憐れみを通り越して憤りを感じるわよ。

その「馬鹿」を信じたおかげで何万?何千万?何億?の人が

人生を棒に振ると思っているの?とね。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1299285.html (天の斑駒と左男鹿の八の耳と六六六)


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カバラの命の木ってあるでしょ。

あれは日本のお榊なの。

このブログではもう何度も紹介しているはず。

なぜおさかきかというとお逆木なの。

命の木の西洋版の図象などでは、根っこと幹の上下が逆さまに

描かれているもの等がそれ。その故にお逆木とは上下の逆転、

左右の逆転などとの解釈がまかり通り、そこに訳の分からない

オカルト思想などがへばりついて、タロットに結びついたり、

カバラの哲学思想や神智学や秘密結社のオカルト思想などと

危ながる解釈がされているのよ。

 

ひとつ前の記事で書いたけれど、

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1305340.html (八咫鏡の真実)

鏡像反転は左右が逆転しているように見えるけれども、実は前後の透過なの。

鏡に映っても右手は右手のままなの。この命の木は正面ではなく後面のお逆木で

神さまの木だからお榊なの。だから後ろの正面だあれ?なの。

 

しかも根っこと幹で二本の木を示す天照大御神の木だからにほんのき。

お榊は日本の木なの。だから当たり前のようにこのお榊には

日本の由緒までが示されているの。

 

命の木はセフィロトの木として、三本の柱に十個のセフィロト、

それらをつなぐ二十二本のパスで示されているでしょ。これだけで十分なのよ。

いつも言うようにカバラは謎々なの。オカルトの神秘主義ではないの。

十個のセフィロトは十戒を示しているという解釈は当たっていると思うわよ。

でもね、見落としている事があるの。

 

十という数はアダムから数えて十人目のノアを示しているの。

このノアがセムの天幕の父で、神様と虹の契約を結ばれた人だったの。

それから十二代目がイサクという人。十二代よ。この人がイスラエルの父なの。

そして二十二代目にあたる人なの。これが二十二本のパスの数。

イサクの父はアブラハムで二十一代目の人。二十一代よ。

この人もヤコブ・イスラエルとならぶ、七七七の満願の人だったの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1234775.html (神の国イスラエルと天孫族)

この記事を書いたときに聖書の中にひとつ目の七七七の満願を見つけたけれども、

またもうひとつみつけてしまったの。

 

アブラハムはイスラエルの契約の祖父なの。聖書にはアブラハムとイサクが

御父と御子の暗喩になっていることを示す記述まであるの。

その孫がヤコブ・イスラエルで天孫族の父なの。


 今では御父の独り子イエスが天孫族の契約の神、
いいなづけの天照大御神として神宮で祀られているの。

お榊とは御父と御子と天孫イスラエルの契約を証しする命の木なの。

それが古事記の示す須佐之男命と天照大御神の誓約(うけい)なの。

この契約を見いだせない人がカバラの迷宮にはまり、一生を棒に振るの。

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 今日も何か書いておこうかしら。

ここ一か月足らずだけれど根っこと幹を全部さらしたわ。

岩戸の前に掲げられた根付きの天の真榊の根っこと幹。

それがこのページ。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)

この真榊に八咫鏡がかけられたの。

天照大御神は伊弉諾尊が左の目をすすいだ時に生りいでたと

古事記に書かれているでしょ。

そこに鏡をかけるということは、この真榊の命の木が

実は鏡像だと示しているの。

 

鏡像とは自分の前面が後ろ姿に透過して見えるという

不思議な現象をともなうでしょ。

この命の木は神様の玉座の後ろ姿だと示唆しているの。

そう思ってみると、天照大御神は中央の神様の右に坐している事が分かるの。

キリスト・イエスは天照大御神として天に挙げられ、

御父の右に坐すと示しているのよ古事記は。
だから、うしろの正面だあれ?なの。


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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

あのね、日本人はね自分と皇室の紐帯しっかりと悟っていないと死ぬわよ。

それは天の皇室との紐帯の証しをしっかりと悟るという事。

その紐帯が切れている日本人ばかりだから今、日本の社会で、

アラートが発せられているでしょ。

納采の儀、お笑い芸人、アニメーション。
もう神様が介入し始めているという事。
わかる人にはわかるはず。

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天照大御神と交流する人々っていうけど、具体的にどう交流したらいいの?

そう思っている人いるかしら。

 

それはね天照大御神が私たちのいいなづけだと悟り、

天照大御神より尊い神様がそのいいなづけの親神様だと悟り。

この二柱の神様が天の皇室の天皇陛下と皇太子殿下であると悟り、

天の皇室からの納采の儀をお受けしないと交流不可能なの。

その交流ができない事態ということが今の日本の社会に一例として示されているでしょ。

納采の儀を受けられない事態というのは天照大御神と交流できない事態ということよ。

それは人の方に問題があるから。

だれにでもやってくるこの世の終わりまでにその問題を片付けないと、

どうなるかわかるでしょ。

ここまでわかりやすく説けるの、私、自分しか知らない。

それは私がその交流により、賜わったものを愛する日本人に分け与えてあげなさい、

と神様がおっしゃるから。

それらのことは神ヤハウェの書、イエスの書、天照大御神の書にすべて書いてあるの。

個々の問題は神様の書物と仏陀の言葉をよく読めば片付けられるよう、

この世の始めから、しっかり配慮がされているということよ。

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