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五十六億七千万年後なんて人間に何も関係ないわよね。これは仏陀の魔訶般若で、聖書のカバラ、神道の倒語
(さかしまごと)と同じものだと思うのよ。三五七の人類の創世の日取りの五日目にイエスが生まれ、六日目を経た七日目に婚宴が開かれるという預言だと思っているの。

 

それとは別に仏陀の入滅から五百六十七年後をみてみると、イエスは二十四歳くらいなのよ。聖書にはイエスの十三歳から二十九歳までの記述が全くないでしょ。ところが1894年にロシアの探検家がチベットの寺院で「聖イッサ伝」の写本を発見したらしいの。イッサとはインドでのイエスの呼び名で、十四歳から二十九歳までのイエスのことが書かれているらしいの。

 

それによれば初めはインドでカースト下位のバイシャやシュードラを相手に天の父なる神と人の正しい生き方を教えていたらしいの。初めの六年はインドの経典を学びながら、経典や神を教えカースト下位の彼らと平和の裡に暮らしたいたのだけれど、それを祭祀と貴族階級であるバラモンやクシャトリアがよく思わず教えをやめるよう迫ったと書いてあるの。しかしイエスは、差別は神の教えに反すると逆に激しく糾弾してしまい教え続けたらしいの。こういうところにしびれるのよね。

 

ところがバラモンが殺意を抱き身に危険が迫ったのでそこを退き、次に何と仏陀釈迦牟尼の生誕の地でパーリ語を完全に習得し、仏典の研究をし、六年の後には聖なる教えを広めるための聖典の口述者になっていたと書いてあるのよ。この時イエス二十六歳。二十四歳の時は仏典の研究に専心していたと書いてあるの。この書物が正確で私の読み方が間違っていなければ、仏陀の入滅から五百六十七年後にイエスは仏典を研究していたのよ。これもしかしてビンゴなのじゃないの?

 

仏陀を灌頂した梵天はイエスの言う天の父なる神としか思えないでしょ。仏陀はイエスと同じ複雑な複合預言の使い手だったのよ。でも手法はただの謎々でしょ。だから信仰よりも学問にしか目がいかず、そのこだわりを捨てられない学者には解けないの。仏陀は弥勒菩薩としてイエスを知っており、イエスは自分のことを預言した仏陀のことを知っていたの。

 

イエスは二匹の魚とパンの奇跡で五千人を満腹させたことがあったけれど、後には七つのパンで四千人を満腹させているの。この謎をまだ悟らないのかと弟子を御叱りになったことがあったのだけれど、この五千人というのは五千年目に現れたイエスであり、四千人というのは四千年目に現れイエスを預言した仏陀のことを言っていたのよ。

 

二匹の魚と五つのパンは七の天地創造と十二というイスラエルの数を暗示していて、七つのパンもイスラエルの創造の数なのよ。仏陀は、私の中では完全にイスラエルの預言者で、弥勒菩薩はイエス確定なの。神道はそれを知っていたのよ。でなければ穢れを最大限に嫌う神道、失われたイスラエルの神道が弥勒菩薩を受け入れるはずがないのよ。イスラエルにとり異教は最大の害悪だからね。

 

仏陀と弥勒菩薩は両方ともイスラエルの預言者として、聖徳太子により神道に受け入れられたの。そして神仏となったの。命の木への道はそのような叡智の賜物、魔訶般若のカバラで敷き詰められているのよ。しかし教える立場の人たちはいつになったら気が付くの?



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