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前の記事からつづく

昭和の敗戦と復興にともない私の注目するあることが起こっていたの。京雛の左上右下に加え関東雛の逆の並びが新しく加わったことなの。それは昭和天皇に先立つ大正天皇が、天皇皇后の並び方を左上右下から、外国の右側優位に変更したことによるの。大正天皇は即位前の明治時代に東京大神宮で神前結婚式をしており、それが民間に広まり現在のような神前結婚式が一般的になったということからも目が離せないの。

 

ユダヤ教もキリスト教も気が付かなかった御父と御子と聖霊による人類とのいいなづけ婚による人類創造という、カバラにとって重要な役割を果たしていた天皇であったという気付きなの。それは明治の文明開化に伴い天皇の御座所が京都から東京に移ったこととも大きく関わっていると思うの。京都から東の京都なのよ。東京都制は終戦前の昭和18年に戦時法制により施工されているの。終戦の二年前よ。終戦に伴い東京府は東京都となり東の京都と改められているのよ。そして法制上は東と西に都が二つあることになっているの。京都から東京に遷都されたことにはなっていないのよ。

 

一体何なのこれと思ってしまうのよ。一連の流れを追うと、明治天皇の時に天皇の御座所が京都から東京に移り、大正天皇の時に天皇皇后の並びが変わり、昭和の敗戦間直に東京府が東の京都に変わり、終戦後に関東雛が普及し今日のように京雛と併存しているの。神前結婚が普及しつつ京都と東の京都が併存しているの。

 

このブログでは雛人形は古事記の須佐之男命と天照大御神の誓約による密意を含んだ、命の木の象徴と読み込んできたでしょ。

西と東で命の木が併存しているのよ。順序は西から東なの。旧約創世記の「エデンの園の東にケルビムときらめく炎の剣をおいて命の木への道を守らせられた」という言葉。天照大御神をいただく失われたイスラエルで起こったことなの。

 

そしてこれは中東のエルサレムと極東のエルサレムの併存と相似の関係なの。エルサレムとはエルシャロームで神の平安という意味なの。神の平安の都なの。だから平安京都なの。西の平安京都と東の平安京都なの。それが中東と極東、関西と関東において併存している形なのよ。中東から極東への移動はイスラエルから失われたイスラエルの都への移動なの。関西から関東へは失われたイスラエル内での移動なの。

 

そしてこのことを深く読み込むと、中東から関西へ、そして関東への移動なの。中東の平安京、関西の平安京、関東の平安京なの。エデンの園から東へ、また東へなの。これで三つ揃ったでしょ。命の木の三つ揃いはそう、割礼、洗礼、復活なの。割礼の都、洗礼の都、復活の都なの。

 

割礼の都から洗礼の都への変遷は、このブログでこれまでたくさん語ってきたことなの。問題は洗礼の都から復活の都への変遷なの。京都から東京都への変遷よ。それは文明開化に伴うでしょ。弟橘姫の八八八の走水の海から黒船が入ってきたことがそのさきぶれなのよ。古事記預言と言ってもいいのでは?そしてその後の明治、大正、昭和の時代が、これがまた三つ揃いで、文明開化の割礼、洗礼、復活に対応しているのよ。一番わかりやすいのは、昭和の時代が失われたイスラエルにとっての死と復活の時代だったということなの。

 

神のイスラエルと失われたイスラエルの歴史を通して、割礼、洗礼、復活の儀式は既に済んでいるということなのよ。


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