このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
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イエスの十字架上の死と復活あるでしょ。これ信じることできている?これを信じることができなければ何も始まらないわよ。復活したイエスはトマスという使徒に「あなたは私を見たから信じたのか、見ないで信じる者は幸いである」と言ったでしょ。御言葉によりこの十字架上のメシアの神変を受け入れ、信じることができなければ何も始まらないわ。そこが狭き門の入り口なの。

 

この神変を見たわけでもないのに、信仰により心の底から信じた人でなければイエスから信仰の賜物として聖霊を降されることはできないわよ。聖霊の降臨とは超高級神霊の降臨だからね。受け手側に神変を受け入れる心の準備がなければ頭が変になるでしょ。至福感を伴う心霊体験なの。

 

これが空境涅槃か、梵我一如とはこのことだったのかと有無を言わさず悟らされるわ。そのための梵天による仏陀の灌頂だったの。人が弥勒菩薩を悟った時には神変を受けるの。その時に魔訶般若波羅蜜多ということを少しでも知っていてソフトランディングできるようにとの梵天のお計らいだったと思うわ。

 

天照大御神に対する信仰というものはそのような神変を通してでなければ完成の域に達しないの。だからこそのメシアでしょ。そのように考えれば、古神道の書物はすべてそのための賜物だと理解できるのよ。神様の神変により生かされているという信仰を身につけなければ、せっかくこの世に生かしていただいたことも、すべては水泡に帰すの。

 

そのようにならないようにおかげ参りはこのブログで毒舌を吐くの。すべてはこのブログを読みに来てくれた人のことを思えばこそなの。

 

感謝してね、私にではなく天照大御神に。

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