このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

もうこの辺から読みに来る人を、深い瞑想の世界に引きずり込まなければいけない

段階に入っているのかしら。宗教じゃないから安心してね。

六六六の無明の世界から八八八の光明の世界に引きずり込むということだからね。

 

この世界のことは言葉で説明しようとしても無理があるの。

だからカバラにおいては数が多用されるの。八咫鏡の八。この八が光明の八なのよ。

メシアの数なの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)

やはりどうしてもこのページは私のブログの根幹なの。

稗田阿礼さんはこの根付きの真榊に八咫鏡をかけてしまったの。

この真榊は幹と根っこで生える方向が天と地ほども違う二本の木で、

それは神様が園の中央に生えさせられた二本の木だと示していたの。

それは命の木と、善悪を知る木としてよく知られているのよ。

 

この善悪を知る木は死の木なのよ。この死の木と命の木を両方味わうことにより

人は善悪を知ることになるということなの。神道は太古からそのことは織り込み済みなの。

その悟りの智慧により神道を立ち上げさらに日本を立ち上げたの。

その悟りの智慧に関しては仏陀が言葉を残しているけれども、

仏教もそれを継承していないでしょ。仏陀は道の人と呼ばれていたの。

悟りの智慧は道において悟られるべきことで、人の教え、宗教では悟り得ないという事なの。

 

人はこの世に来てその悟りの智慧を道において悟るまでは

六六六の彼岸に置かれているという事なの。宗教というのはすべて、

この六六六の世界で勘違いした偽預言者が立ち上げたものと理解してまちがいないの。

八八八の八正道により開眼し悟りを広めようと思う人は、

教祖になど金輪際ならないわよ。

 

本当に開眼した人は八八八のメシアを指し示すことしかしないわ。

他に救われる方法など、この世にもあの世にも存在しないから。

この道に余計な囲いを設けることの愚かしさを十分知っているはずなの。

 

八八八と六六六は二本でワンセットなの。だからキリストを証しする聖書の中に、

偽預言者の説教がまじっているわよ。誰も気が付いていないけれど、

キリストが警告した偽預言者の説教が聖句として信じられているの。

そのことは別の機会に書くわ。

 

人はこの世に無垢で生まれてくるでしょ。赤ちゃんのえもいわれぬ可愛さは

それを示しているでしょ。私、人は無垢で永遠の命を受けこの世に来ているのではないの?

と思ったりすることもあるわよ。しかしそこにサタンがいるでしょ。

皆だまされるの。そして六六六の印を受けるの。

気がつかなければ一巻の終わりでさようなら。

 

ところがイブは気が付き神に懺悔したでしょ。アダムはイブの罪を背負ったでしょ。

このアダムとイブは最初の男女でありながら、イエスと人間の暗喩にもなっているの。

このアダムとイブがいちじくが示す信仰を身につけることにより、

神様から皮の衣を賜り、その後結ばれたということが命の木への道行きを示しているのよ。

 

それを知り抜いていた神道の八咫烏の一羽である稗田阿礼さんが、

その命の木に八咫鏡を懸けて示したの。

その鏡がイエスの示していた狭き門の入り口で、通りゃんせの天神様の細道の入り口で、

うしろの正面だあれ?と、三柱の神様のうしろの正面を示していたの。

 

そのことを知っただけで、めでたし、めでたしとはならないわよ。

その三柱の神様と自分との関係を、神さまの言葉をとおして良く咀嚼し、味わい、

飲み込めなければ自分の腹に納まらないでしょ。

だからイエスは「私の肉を食べ、私の血を飲め」と言ったの。

お釈迦さまはそのために「ただ座れ」といったの。

瞑想により自分の中に落とし込めという事。

 

だから「三柱の神の宇宙」が自分の中に、知識としてだけ蓄えられるのではなく、

自分の腑に落ち、血肉にならないと何も起こらないという事なの。

 

やっとここまでたどり着いた。何が言いたいかというと八咫鏡が

その瞑想の助けになるという事。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1305340.html (八咫鏡の真実)

このページで書いたけれど、鏡像とは前面の後面に透過する像なの。

これ前後を表裏とすれば、表裏一体を見せられているということでしょ。

ここに六六六の彼岸から、七七七、八八八、九九九、七八九の空境涅槃、

色即是空の梵我一如の此岸にわたるための秘訣が隠されているのよ。

 

神が園の中央に植えた二本の木とはこの世そのものの暗喩とも理解できるでしょ。

そこに八咫鏡がかけられているということは、この現世と幽世に

鏡がかけられていると理解できるでしょ。この現世と幽世は表裏一体なの。

だから心霊現象などはあってあたりまえだし、幽霊も出るのよ。悪霊の憑依もある、

悪霊が神様のふりをすることもある。だまされている偽預言者が宗教も起こすの。

神霊を思わせる不思議な偶然の一致により霊感を刺激されることもあるのよ。

それは一般に危ない世界と考えられているでしょ。

だから瞑想しながらそのような危ない世界にチャンネルが合うとほんとに危ないでしょ。

私も経験あるわよ。その当時は八咫鏡なんか知らなかったから、

本物の魔女に遭遇したからねあたしは。向こうも私に正体見抜かれて、

かなり面食らっていたわよ。

 

だからと言って怖がって瞑想しなければ現世と幽世の表裏など悟れないでしょ。

瞑想においてそのような六六六の世界でしかない危ない世界を避けながら、

命の木への道をたどる最善の方法がイエスの御言葉を杖にするという事なの。

そのほかのものは何物をも杖と頼ってはいけないの。そのイエスの御言葉が、

イスラエルの三種の神器であり、皇室の三種の神器になっているの。

その代表格が八咫鏡なの。この八咫鏡からこの道に入れば天照大御神の御守護により

安全に道を行けるわ。

 

 そこには瑜伽タントラなどの密教で言われている事などすべて含まれているわよ。

私の場合は、虹の七色をともなってこられたから、七つのチャクラなど覚醒させられて、

体調に不良がなくなり、頭頂のチャクラの千の花びらとはそういうことだったのかとか、

千座の置戸や、千引の岩戸とはそういうことだったのかという世界なの。

 

でもね、安全であっても怖いわよ。それはね今まで目を背けていた神様の

本当の怖さを知らされるから。そのようにして神様を侮っていたことが知れ、

本当の神様に対する畏怖を知るの。そうして禊と祓いが整えられるの。

 

奥深いわよこのブログ。



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