このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
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神道の禊とは伊弉諾尊の禊よね。その伊弉諾尊が、おどのあわぎがはらで禊をして、

最後に天照大御神と月読命と須佐之男命が生りいでたのよね。

この伊弉諾尊と須佐之男命は同一神なの。神道の禊の隠し持つ意味は、

黄泉の国で腐乱死体として生きるほどの穢れを祓い清めるためには、

三柱の神様に生りいでていただかなければならないという事なの。

 

それが天の主宰神である伊弉諾尊の御旨であると示されているのよ。

その三柱の神様について今の世の中は何も知らないに等しいでしょ。

その三柱の神様について証したメシアの書物は世界中で一番読まれているというのに、

この世は読みそこなっているでしょ。

 

それは天の主宰神の御旨に沿い禊するものが非常に少ないということでしょ。

それは、皆知っていても信じていないということでしょ。

神様に対する信仰を欠いているから、黄泉の国で腐乱死体として生きるほどの穢れを

祓い清めそこなっているということでしょ。

 

イスラエルのカバラ、神様の賜物により、三柱の神様の存在を知り、

その神様を知り得たということだけで、自分は救われていると

勘違いしている人なんかもいるわよ。知ることと信じることとは別物だと

気が付かない人たちなの。

 

でもね、それが非常に難しいことであるのはまちがいないわ。

神様を信じ、神様とのご縁が結ばれるということは、

神様からコンタクトを受けるという事なの。

ご神霊からコンタクト受けるということなの。

それは誰もがこの世ならぬことと感じるでしょ。危ない世界と感じるでしょ。

 

でもね、それはイエスの「信じる者には助け手を送る」という御言葉の結実なの。

イエスは神よ。神の言葉であるがゆえにその結実はこの世のものとは思われない、

人がこの世に来て未だかつて知り得なかったほどの神変をともなうの。

しかもそれが聖霊であるがゆえに、非常に霊妙な静けさのなかでの出来事になるの。

 

そしてそのご神霊からのコンタクトにより、この世にありながら

もうこの世のものでなくされるの。福音書を書いたヨハネはそう証ししているわ。

本当に眼を開かされ、三貴子を知り、その三貴子と結ばれてしまったと悟るの。

それを今だに知らない肉親よりも、三貴子と親しい関係に置かれてしまったと悟るの。

 

それは知るだけではだめなのよ。信仰のない人はイエスといえども癒せなかったでしょ。

その意味においては信仰が試されているということもできるわね。

この世において取り違いをしているうちは、

神霊界から洗礼を受けるための禊がまだ十分でないという事なの。

 

そしてその信仰を増し加え、磨きをかけるには

イエスの御言葉によらないでは不可能なの。

他の何事にそれても一生を棒に振るだけ。

それが主宰神の御旨だから。

イエスは主宰神の言葉の代弁者、

主宰神の預言者であり神であったの。

三日目に蘇るなんてことは主宰神と救世神がタッグを組めば

朝飯前だったという事。


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