このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

とってもためになるページ
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)
http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

 もう完全に書かされているわ。自分の生業させてもらえないもの。

破産したら神様が面倒みてくださるはずよ。そうでなければ死ぬわわたし。

 

とりあえず二十七歳のころまでさかのぼって自分のこと書いておく。

私ね、実は先年還暦を迎え、お社で還暦祝いの御祈祷受けた。

そんな老人が何でこんなスタイルで文章書いているの?って、

それは内容が内容だから理解してねっていつも言っているでしょ。

昔は昭和生まれの現代っ子という世代だったの。

その昔の現代っ子の語り口なのかしら?まあいいわ。

 

あのね、私は連れ合いいないし一人。それで良かったのだけれど、

二十七の時に結婚しかかったの。でもね、ものの見事に破断したの。

なぜかというと、すべて滞りなくすすめて、いざ結婚式をどうしましょう

というところまで来たら、完全に意見が真二つ。

相手の女性は教会でやるって言い放ったの。

私は、はあっ?神前でしかできないでしょ。それで一巻の終わり。

どちらも折れないので一巻の終わり。

私には相手の女性はただファッション性しか見えてないのが丸わかりだった。

だって教会に行ったのなんか一度も見たことなかったのだから。

それで一気に気持ちがしゅう~ってさめたの。

 

それでは私が信仰の人だったかというとそれも大違い。

その当時の私は米軍基地の従業員で脳内アメリカ人。

今考えると完全に日本人毛唐だったの。でもね、神前でなければ

結婚なんかしてはダメでしょとそれだけはなぜかゆずれなかったのよ。

不思議なの。でもね、今はよくわかったの。

そのころから天照大御神に首根っこ押さえつけられていたのだなと。

 

そのことから三年ぐらいしたら人生の転機が訪れたの。

ある人との出会いにより私の人生がまるっきり方向転換させられたの。

細かい経緯は省いておおよそのことだけ書くわね。

 

1988年8月8日8時8分8秒の八ヶ岳で原子力発電による

環境破壊と決別しようというスローガンのお祭りがあり、それに参加したの。

それは八の八並びで通称ハチハチと呼ばれ、その後の社会が

環境問題に着目せざるを得なくなる時代状況のさきがけでもあったの。


 八ヶ岳で1988年8月8日8時8分8秒を迎えた時に、

何かよくわからないけれどもこれはもう後もどりのきかない、

未知の世界に踏み込んでしまったと感じていたの。


 しかも他の人には八×八であっても私にはそうではなく八×九だったの。

それは私の誕生日が七月三十一日で、私がその八ヶ岳にキャンプインしたのが

その日だったのよ。だから8月8日は自分の誕生日からの八日間だったの。

だから八×九なの。しかも後から気が付いたのだけれども、

生まれて八日目というのはイスラエルにおける割礼の日にあたるのよ。

え?なにそれ。そんなの日本人の私にはまるで関係ないわよねと、

思っていたのだけれども、関係あったみたいなの。

イスラエルの割礼って重要な意味を人類に投げかけているじゃない

と気が付いた今では。
そのことは他の記事で示してあるから読んでね。

 

そんな経験が契機になり、六年半ほど勤めていた仕事もできなくなり

やめてしまった。そこから完全な迷走(瞑想?)人生。

米軍基地の勤務をやめ日本人毛唐をやめたつもりでいたのだけれど、

今考えると日本人ヒッピーでしかなかったわ。でもねその次にまた転機が訪れたの。

 

それはヒッピーでありながらも、求道者として聖書を読み続けていたから

訪れた転機であったと今は思うの。あの神前結婚に訳も分からずこだわったことで

天照大御神は自分にとっていったいなんなの?と感じながらも、

聖書のイエスの御言葉が心をとらえて離さないという状況が何年も続く中で、

ある時天照大御神とキリスト・イエスは同一神である、という情報が飛び込んできたの。

 

ちょっと待ちなさいよ、そんなおかしなことがあるわけないでしょう、

と受け止めていたわ。ところがある時、あれ?ちょっと待って、それで正解じゃないの。

全然矛盾してないじゃないと、頭より心が先に認めてしまったのよ。

そうしたら二十年来苦しめられていた胃潰瘍が完治して、ヒッピー卒業、

日本人愛国者へと転身してしまったの。

それで、「やった~」とか思いながら世間や、世界のこと色々見ていたの。

 

そしたらまた何年か後に落とし穴に嵌められたのよ。サタンの常とう手段。

ハニートラップ。独身男性だし女性に対する煩悩ってあるでしょ。

そこをそれは巧妙についてくるわよサタン君。

気が付いたら二人の女性の猛攻撃で進退窮まり降参。

どうしたかというと様子見をしていたキリスト教会に駆け込み避難。

それで難を逃れ、やれやれと胸を撫でおろしていたの。

 

さすがイエスの教会もう大丈夫、このまま行けると大安心。

そしてその教会で二年半ほど過ごした時期に、

その教会の通過儀礼を受けることになったの。

その日取りをいつにしましょうかという話で、

私の誕生日が近かったので七月三十一日でお願いしたの。

ところがその介添えの人の事情でその日は流れて次はいつ?となった時に、

またまた八月八日に決まってしまったの。

 

きた八八、しかもまたぞろ誕生日から八日間流れの八八八で、割礼の日。

これはきっとイエスの祝福に違いない、必ずそうに違いないと、

この状況なら誰でも思うでしょ。ところがそうでなかったの。全然違ったの。

その時は儀式を受け祝福を受けたつもりだったのだけれども、その後、

正体不明、原因不明のうつ、もう完全に破滅させれられるというほどの消沈。

それを教会の日曜学校の教会員たちの前で言わされるというほどの、

最悪の精神状態が待っていたの。それでもまた不思議な機縁にめぐまれ、

ある時この教会は真理ではありえないとふっと感じ、

その時を境に脱会してしまったの。

 

それからよ、すごかったのは。脱会を決意したその日のうちに、うつが完全に晴れ、

とても神気に満ちた気分がいきなりやって来たので、ちょっと待って、

これってもしかしたら解脱?などという考えが浮かび、それから瞑想三昧。

 

そしてこのブログに書いているようなことをすべて知らされたの。

私の二度にわたる八月八日の不思議な体験が機縁になり、八八八という数は

メシアの数で、それはヤハウェ、イエス、天照大御神の数に相違ない。

その理解は聖書中のイエスの御言葉に忠実に従う事で、初めて知らされ、

それは六六六の数を象徴するサタンを見極め、

完全に退ける戦いでもあったと知らされたの。

 

それにより、八八八が命の木の数で、六六六が、神が取って食べるなと禁じた、

善悪を知る木の数だとはっきり理解したの。

それはカバラということに対する理解であったの。

神様がくだされようとしている賜物に対する理解だったの。

 

なぜこの記事を書くつもりになったかというと、

私のブログを読みに来てくれている人に、

はっきり知ってもらいたいことがあるからなの。

 

神様が園の中央に植えた二本の木を悟り、八八八の命の木の主、

イエスと完全につながったとしっかり意識できていないうちは、

その人の額にはまだ六六六の印が押されたままだという事を、

はっきり知ってもらいたいからなの。

 

人は神様が植えたこの二本の木を避けては通れないの。

この世に来た以上はみなサタンにそそのかされ、この六六六の木から取って食べ、

その印を押されたままなの。その六六六の毒は、

八八八の神様に対する信仰によってしか解毒されないのよ。

 

そのことを通してでなければ人は救われようがないという事なの。

聖書にそのことがはっきり書かれているにもかかわらず、

人はみな、自分は善人でそのようないまわしいこととは無縁だと、

誰しもが思っているはず。

 

しかしみな六六六の毒を盛られ、それに気が付かずに正常性の偏見にとらわれ、

死にかけているのよ。私は不思議な機縁でそのことを知らされた。

なぜが天照大御神に首根っこを押さえつけられそのことを知らされたの。

 

それはそのような経験がなければ絶対に知り得ないでしょう、

そのような経験がない人にそのことを話ししても、

変人奇人扱いされて終わるだけでしょう、勘弁してくださいと思いながらも、

神様に首根っこを押さえつけられ、何のために特異な経験をさせ、空境涅槃の

梵我一如の境地に入らせたと思っているのか、いいから書きなさい、

と言われながら書かされているの。変でしょ。でも仕方がないの。

 

だから結びを書くわね。

八八八の神様と肉親以上の親しい関係に入っていない人の額には、

例外なく六六六の印が押されているわ。

八八八の神様は常に救いの手を差し伸べていらっしゃるわ。

それに対して人は傍観を決め込んでいて、

行動してその手にすがることをしないだけなの。

神様に対して傍観を決め込んでいると、その救いが絶対に必要になった時に、

神様から傍観されるわよ。

他人事と思い、傍観を決め込むのはよして、

今すぐ神様がしなさいということをし始めないと間に合わないわよ。


 文明開化によりもたらされた昨今の世界普遍価値、

グローバリズムなんてものの正体は六六六の刻印の

総仕上げにしかすぎないからね。

そのようなことに救いをもたらすかに見える宗教もサタンのわな。

はまると二度死ぬわよ。

日本人は、失われかけているこの国の伝統を大切にし、

日本人が培ってきた来た古代からの日本の固有価値でしか救われないわよ。

 旧約聖書のヤハウェ神、新約聖書のキリスト・イエス、
古事記の天照大御神は三柱の同一神。
この国の守り神だわ。


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