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須佐之男命という神様いるでしょ。

この神様は天照大御神の弟神とされているけど、実は天照大御神より尊い神様よ。

古事記は倒語(さかしまごと)で書かれているの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/952145.html (天照大御神より尊い神様)

 

この尊い神様の須佐之男命が乱暴だったから天照大御神が岩戸にお隠れになり

世界中が闇に閉ざされたのよね。これって全く?でしょ。

古事記の倒語(さかしまごと)こじ開けるわ。

 

いくわよ。

天照大御神の岩戸閉めと岩戸開きは須佐之男命の御心だったの。

それを稗田阿礼さんは古事記のなかで身内のみで通用する言葉で語ったの。

どのようなテクニックを使ったかというと、岩戸開きを導いた尊い神様と、

天照大御神にさからった悪神を合体させてしまったのよ。

だから岩戸開きの場面では須佐之男命は悪神として描かれているの。

このテクニック阿礼さんは伊弉冉尊の黄泉降りの場面でも使っているわよ。

 

悪神として描かれた須佐之男命は最後に千座の置戸(ちくらのおきど)を負わされ、

神様の世界から追い払われたことになっているの。

この千座の置戸(ちくらのおきど)ってなんだかわからないでしょ。

神道の中にはこのような、なんだかさっぱりわからない物がたくさんあるでしょ。

そのひとつひとつにみんな全部深い意味があるの。

例えば天津金木、十種神宝、天真名井、天津菅麻等々、

これ神道の倒語(さかしまごと)をカバラと見て、考察すると全部意味が分かるの。

古神道家として知られている人たちもほとんど勘違いしていて、

意味が分かっていないわ。ここに挙げた一つ一つもこのブログのどこかで、

すでに解説したものもあるから検索してみてね。

 

ここでは千座の置戸(ちくらのおきど)の話をするわ。

この千座の置戸(ちくらのおきど)って聖書のそれこそ奥深い所に隠されていて、

容易に見出すのは相当むずかしいと思うの。

ただね、カバラは謎々だっていつも言っているわよね。この場合も同じ。

鍵は千という数にあるわ。この千という数に注目するといつものように

扉がカチャと音を立てて開いてしまうの。

 

聖書においてこの千という数字は極めて特殊な数よ。

一日の千年換算という概念があるの。

聖句を引用するわね

 

ヨハネの黙示録207節 

千年の期間が終わると、サタンはその獄から解放される。

 

ぺテロ 第二 38節 

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、

千年は一日のようである。

 

ヨハネの黙示録 206

この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する    引用ここまで

 

これらの聖句にカバラを当てはめて解読すると、

天地創造の七日間は七千年のようであり、七日目は安息日であり、

それは七千年目を聖別することであり、

この七千年目の千年が聖別された千年であると読めるでしょ。

 

聖書における千の持つ意味がここまで理解できればあとは将棋倒しなの。

ヨハネは聖別された千年の終わりに最後の審判が下されると黙示しているから。

なるほど千座の置戸(ちくらのおきど)とはそういう意味かとなるでしょ。

 

ここまでで十分理解できるのだけれど、おかげ参りはそこで満足しないの。

なんで千座(ちくら)なの、なんか変ね、何かに似ていない?

と脳みそが勝手に反応するのよ。チャクラ?ちくら?そういえば

頭頂のサハスラーラチャクラは覚醒すると千の花びらが開けるはずよね。

千の花びらが開ける?判った、全部判った。

 

お釈迦さまがいった三千年に一度開く優曇華(うどんげ)の花とは、

サハスラーラチャクラの開花のことだわ、

それは神の創造、救済、裁きをすべて理解し梵我一如の空境の涅槃に入る事。

優曇華の花が開くとき三日目に弥勒菩薩が降臨しさらに三日目に復活すること。

それが三日目から数えて五日目と七日目である事。

それは神様の千載一遇の好機であること。

千載から一隅を引くと九百九十九で八百八十八のメシアより一つ位が高いこと等々。

 

須佐之男命の千座の置戸(ちくらのおきど)を掘り下げると、

メシアとメシアより尊い神様がそのお姿を心の中にお現しになるの。

伊弉諾尊と伊弉冉尊の千引の岩戸閉めも同じことを秘めているわよ。

神道はいつも言うようにカバラと瑜伽タントラを当たり前のように織り込み済みなの。



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