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http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1152017.html (聖書において命の木のカバラの示すこと)

 

今日はとっておきの大ネタだすわ。

日本武尊と弟橘姫。倭建命(やまとたけるのみことと)も書くわよね。

国の名前を背負った神様だし日本人なら誰でもが知る大英雄でしょ。

でもね、この大英雄について日本人はどうやら何も知らないらしいわよ。

知っているのは古事記を語った稗田阿礼さんの一門の八咫烏だけ。

私はカバラのマスターキーを天照大御神に授かってしまったから、

そのキーを差し込んだら扉が、カチャと開いてしまったの。

日本人は今のところ誰も知らないみたいだから完全に有料級の大ネタよこれ。

 

と、もったいぶるのはこれくらいにして。

倭建命の東国征伐のところからなのだけれど、長くなるから

要点だけかいつまんで話すわね。有名な話だから知っている人もいるわよね。

いくわよ。倭建命が父君から東国の征伐を命じられて、

焼津というところまで来た時の事、今の静岡県の当たりよ、

敵のだまし討ちに合い、回りを完全に火で取り巻かれてしまったの。

そのとき建命は袋に入った火打石と天の叢雲の剣を取り出し、

剣で払った草に火をつけ敵の火を迎え撃ち、難を逃れたの。

これ山焼きの時に使われることのある方法らしいわ。

めでたし、めでたし、でその先に進んだらだめなのよ。

 

このシーンは古事記中のハイライトの岩戸開きに匹敵する大事が、

それとなく秘められているの。

建命の命を救った火打石と天の叢雲の剣、剣はこの時から草薙の剣と

名前が変わるけれど、どちらも建命が出立の時に安全祈願のために、

伊勢の斎宮であり叔母である倭姫命から授かった物だったの。

この部分には、旧約聖書に関する超重大事が秘め込まれているの。

こんなこと気が付いてしまう私っていったい何者?といつも思うけど。

気が付いてしまったのだからしょうがないのよ。


 結論から言うと、この部分が示しているのは、創世記冒頭に記されている、

命の木への道を守るケルビムときらめく炎の剣のことなの。

廻る炎の剣と訳される場合もあるわ。まさかそんな馬鹿な、と思うでしょ。

この先の道行きでじっくり納得してもらうわ。

 なんで私がそれに気が付いたかというと、

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1161836.html (解脱って何?

この記事に詳しく書いたけど、あるときふっと解脱という事が頭に浮かんで、

「仏陀」という本を取り出して、そこに書かれたお釈迦様の「熾燃」という教えを

読んだ時、煩悩の炎ということからケルビムの炎と建命の炎を同時に

連想してしまったの。そしてどちらも剣がらみでしょ。

しかも片やイスラエルの神璽、片や皇室の神璽なのだもの。

そして建命の先の道行きの出来事迄瞬時に思い起こされ、

目の玉飛び出そうになったわ。

そのとき命の木に与るためにこの道に入るには解脱するしかないのだ。

これが通りゃんせの天神様の細道の門番なのだと一気に知らされたの。

気が付いたというより、事がことだけに知らされてしまったという

表現の方がしっくりくるの。ここには煩悩の滅却の仕方が書かれているの。
煩悩というのはサタンという敵の炎でしょ。その敵の炎は神から授かる剣と炎で

撃退しろと言っているの。その神から授かる剣と炎とはイエスの御言葉と

火による洗礼に他ならないわ。神道ではそれが禊なの。

 

ここでしっかり押さえておかなければいけないのは、伊勢神宮とその斎宮の関係と、
弥勒菩薩とお釈迦さまの関係よ。これは天照大御神と斎宮、天照大御神と仏陀の関係なの。
同じことを言っていて当たり前なのよ。しかもこの物語を語った稗田阿礼さんは巫女さんで
天照大御神の巫女さんなの。古事記と聖書と仏陀は同じことを言っていて当たり前。
古事記は最初からそのつもりで語られた神事なの。驚いた? これが入り口、序の口よ。

 

先にいくわよ。焼津で難を逃れた建命はさらに東を目指し走水の海までやってきたの、
今の横須賀市の走水の海なの。ここから船で対岸の千葉に渡ろうとしたら

大風で進むことも引き返すこともできなくなったの。

その時にいきなり弟橘姫というお妃が登場するのよ。

この弟橘姫は倭建命の妻でありながらこの場面にしか登場しないの。

しかも同行していたことなど、全然書かれていないのにいきなり。

このお妃も超重要人物。この弟橘姫が身代わりになり、

海神を鎮めましょうと入水して海が静まり事なきを得るのだけれども、

ここにも大事なことが秘め隠されているの。

その大事なことを知らない人がこの物語を紹介すると、

すっぽり抜け落ちていることがあるのよ。

 

弟橘姫は海に入る時に菅の畳八重、皮の畳八重、絹の畳八重という、

三種の畳を八重ずつ用意してその上に座り入水したの。これ謎々。わかる? 

カバラの謎々。八×三なの。八八八。八百八十八なの。

カバラの数秘術はゲマトリアといってやたらと難しい理屈こね回す人いるけれど、

この八八八を押さえれば全て解けるの。メシアの数なの。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/1183708.html (三柱の神の宇宙)

メシアの身代わりの死だと言っているのよ。

しかも八×三で、三方向のベクトルが八つで箱の形を示しているの。

箱の上に座ったと言っているのよ。メシアが座る箱と言ったら判るでしょ。

そう、イスラエルの契約の聖櫃しかないの。

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写真は置物だけれど、イスラエルのレビ族の祭司しか、かつげない神璽。
レビ族以外の人間が触れると雷にうたれて即死よ。
これが本物のお神輿で内宮の地下にイエスの心御柱と共に祀られているわしいわよ。

 メシアを漢字一字で表すと何になると思う。善よ。

この字は箱のふたの上に羊が立っているのよ。

そのふたには七画目と八画目にちょん、ちょんと一画ずつ入り

ケルビムを示しているの。ケルビムとは私は聖霊と解釈しているわ。

契約の箱のふたには向かい合わせでケルビムがいて、

そのケルビムのあいだが、あがないの座と呼ばれ、

神様はそこからのぞむと聖書に書いてあるの。羊は神の子羊であるメシアの事。

しかも善という字はそのふたが開いて宙に浮いているでしょ。

空中浮揚しているの。メシアが天に上ったと言っているの。
内宮の地下殿ではその形に似せ聖櫃と心御柱を安置しているらしいわよ。

これがカバラなの。これがこの国の本質なのわかるでしょ。

 

実は走り水のある横須賀は私の生地なの。

子供のころ父母に連れられてよくこの海岸で海水浴していたの。

その時から禊させられていたのかしら? 走り水の海は八百八十八の海なの。

古代に一体何があったのかわからないのだけれど、

この走り水の海からあの船が入ってきて文明開化につながったの。

私は文明開化とは八百八十八引く二百二十二の象徴だと思うのだけれど、

その船が、弟橘姫が古代に結界を張った海から侵入してきたのよ。

一体何という国かしらこの国は。

 

横須賀とは須賀の横と読めるでしょ。須賀は須賀のお宮で

須佐之男命が鎮まっているお宮なの。須佐之男命は母の国に行きたいと言ったの。

母とは伊弉冉尊で黄泉の国に降ったの。という事は深読みすれば、

弟橘姫の入水した走水の八百八十八ノ海は黄泉の国とつながっていて、

そこは須賀のお宮だから横須賀なのかしらとかいつも考えるの。

 

しかも私が住んでいたのは佐野という町で、この佐野というのは

「さぬ」と読めば神武天皇のことなのよ。

私は昔横須賀の米軍基地に勤務していて、

この佐野から通っていたのだけれど途中に平坂という坂があるの。

その坂を下ってまっすぐ行くと突き当たったところに

米軍基地があるのだけれど、平坂を比良坂と読めば黄泉平坂で黄泉の国と

この世の間にある坂なの。この基地は天照大御神に眼を開かれ、

やめたのだけれど今では八百八十八引く二百二十二の基地だと思っているの。

そのようなことを瞑想すると、私の生地と生い立ちと、

天照大神と何とも言い難いつながりを感じるの。

それがカバラのマスターキーを手渡されるということに繋がっているのよ。

不思議でしょ。閑話休題。

 

やっと終盤まできたわ。今日はとびきりのネタだから少し長いわよ。

いくわよ。倭建命はまたまた難を逃れ、東国を平定して帰途に就くの。

(要点だけかいつまんでいるから細かいことは省いているわよ)

そして足柄の坂上まで来たのよ。これは今の小田原の当たりね。

その足柄の坂上から東の方角、走り水の方角を望んで

「わがつまよ、わがつまよ、わがつまよ」と三度嘆いたの。

この言葉が極めつけ。たったこれだけの言葉がこの物語のすべてを

物語っているの。倭建命がこの言葉を発してからそれ以来、

東の方角を吾妻、あずまと呼ぶようになったと書いてあるのよ。

また謎々。答え。東のあずま、わがつまは、橘なの。

橘は古事記の他の記述で非時香果(ときじくのかくのこのみ)だと書かれているの。

この非時香果(ときじくのかくのこのみ)は常世の国にある果で、常世の命の果なの。

ヨハネが黙示した天のエルサレムに生えている命の木の果実なの。

 

この物語は、聖書の、神様がアダムとイブを楽園追放後に、

楽園の東にケルビムときらめく炎の剣をおいて、

命の木への道を守らせた物語だったのよ。倭建命は御父の暗喩で、

弟橘姫は御子の暗喩なの。命の木への道行きにおける御父と御子の物語なのよ。

御父と御子は古事記の中では夫神と妻神で語られるのがお約束なの。

「わがつまよ、わがつまよ、わがつまよ」との呼びかけは

御父から命の木その物である御子、メシア、イエスに対する呼びかけなの。

それがなぜ三度なのかはこのブログをよく読んでくれている人ならわかるわよね。
これが通りゃんせの天神様の細道の入り口で、イエスの言った狭き門の入り口なの。
「御用のない者とおしゃせぬ」が何を意味しているかわかるでしょ。


 以上よ。とびきりのネタだと思うのだけれど、どうかしら?
内容濃いでしょ。これ私の完全オリジナルのネタだからね。

聖書も古事記も読んだことのない人にはわかりづらいと思うけど、
細かく書くと本一冊書かなければならなくなるからそこは理解してね。
聖書と古事記よく読んでね。


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