このブログに来たらこの記事だけは押さえてね。

http://sakasimagoto.blog.jp/archives/966714.html (天照大御神の心御柱)

 

もしかしたら気になっている人がいるかも知れないから

書いておこうと思うのだけれど、一番上で紹介している記事の中で

紹介している本を書いているのは、モルモン教徒の漫画家さんと、

出版社の編集長さんなの。私も以前、一年半ほどモルモン教会に

所属していたことがあったの。この教会はね御父と御子と聖霊を識別していて、

さらに旧約聖書のヤハウェという神様がイエスであることもしっかり認めているの。

それは聖書を読めばそのように書かれているので問題ないの。

問題は別のところにあるのよ。他の正統を自任するキリスト教会からは

三位一体というローマ時代からの教義に反するという事で、カルト認定されているの。

ただこのモルモン教徒の漫画家さんはカバラについての見識においては、

世界的に見ても、他の追随を許さないほどの人物なの。

私のカバラの知識はこの漫画家さんからのものがほとんどなのね。

そんなことだったからかなりの影響を受けていたのも事実で、

それに身の上の事情が重なりモルモン教会に通うことになったの。

ところがある日、あることに、はたと気が付きその日以来脱会してしまったの。

そのある事というのは、この教会ではその教祖の預言者が十代の時に森で祈ったら、

天の御父がキリスト・イエスと共に示現して祝福を受け、

それが開教の始まりだと信じているのだけれど、

そんなことは絶対にあり得ないと突然直感してしまったの。

今考えるとその教会に入信する前に二十年近く聖書を読み込んで、

イエスに対する信仰が確立していたからだと思うの。

その脱会を決意した日にいきなり仏陀が私の意識の中に飛び込んできたの。

そのころは既に天照大御神とイエスは同一神でしかあり得ないと確信していたので、

その信仰だけで十分行けると思っていたのだけれど、

仏陀が飛び込んできたおかげで激変してしまったの。

イエスの諭した悔い改めとは、仏陀が説いた解脱を超える悔い改めだと

悟ってしまったの。そのことはまたの機会に詳しく書くとしてね、

なぜこんな話をするのかというと、モルモン教徒にはこの

漫画家さんの説を信じる一派がいて、

仏陀がイスラエルの預言者であると知っているから当然、

解脱が説かれたことを知っているのだけれど、

彼らにとってはそれが知識でしかないという事を話したかったの。

この漫画家さんはカバラの知識の比類なき集積を成した自分は、

解脱者であると思っているふしがあるのを、Web上の動画で見て

ひっくりかえりそうになったことがあったの。

仏陀を意識して以来私の信仰は劇的に塗り替えられ、
そのようなステージに入ると不思議な事が起こるものなの。このブログで私がいつも言っている、

御父が人間のいい名付け親だという信仰を見出したのもその頃のことなの。

ある時調べ物をする時によく利用していた、

プロテスタントの牧師さんのブログがあるのだけれど、

この牧師さんはヘブライ語に堪能で、その聖書解釈はかなり参考に値する物だったの。

この牧師さんがブログ上でイエス当時の男女の結婚の風習はいいなづけ婚であり、

イエスが水をワインに変えたカナの婚礼は、そのいいなづけ同志の婚約式の

宴だったのではないかと、そして最後の晩餐は弟子とイエスとの

婚約の儀式ではないかと記事にしていたの。

でもプロテスタントの牧師さんは三位一体の信者だから、

今でもそこで止まってしまっているの。

私はその記事を見て目が飛び出しそうになったのよ。

そして聖書を読み直すと、もうそうとしか読めなくなったの。

だってよく読むとそう聖書に書いてあるのだもの。

それでイエスの言った天の御父の御旨とはそこにあった、

御父は人間のいいなづけ親だ、仏陀を灌頂したのはこの御父だ、

仏陀の説いた解脱とは、不品行ないいなづけが禊をするための作法だったと

嫌でも悟らされたの。イエスとの結婚は強制ではないけれども、

子を思う父の御旨に逆らったらどうなるか、

ヨハネは知った上で黙示録に書いていると気が付かされたのよ。

そしてその線で古事記をカバラで読み込んでみたら、

そこに書いてあったのはまるっきり聖書をベースにした神代だったの。

そうなったらいやでも解脱するしかないと思わない?

私はモルモンやプロテスタントを批判したくて書いているのではないことは、

文面から理解してもらえるでしょ。それでもこの記事で書いておきたいのは、

いいなづけ親の神様は創造主でもあり、

信仰や解脱や禊の何たるかを知らない子供の前に、

安易に姿を現すことなど絶対にありえないということ。

そしてイエスに対する信仰を増し加えることにより、

御父を正しく見極めないと信仰はそこで止まってしまい、

人は有らぬことを信じるようになるということなの。

この記事を書いたのは、紹介している書籍の筆者が

モルモン教徒であることを知っている私のブログの読者が、

そのことでつまづくといけないと思ったからなの。

同出版社には一連のカバラのシリーズがあるのだけれど、

共著者の編集長さんは神道のファンと言う事だし、二人とも日本人だし、

日本人向けの書籍だから、モルモンの教義は極力抑えて編集されているの。

カバラの知識が不足していると感じる人は、

読んで悪いものではないという事を言っておきたかったの。

同時に御父に対する認識を誤ると信仰が伸びずに肝心かなめの、

神道の意味する禊の意味することにまで目が届かなくなる好例として、

私が体験したことを読者にシェアしたいと思ったからなの。

今回の記事は少しシリアスな内容だけれど、

イエス昇天後の天照大御神の神道における、

禊の意味を深く理解し実践する上において、

何が障害になるかという事を読み取ってもらえればうれしく思うわ。

聖書は雑音と偏見を廃してよく読んでね。

御父はいいなづけ親として人間を愛していて、

そのことにおいて御父と御子はひとつなの。

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